葉室頼親

葉室頼親


  • 嘉禎二(1236)~嘉元四(1306)年4月5日
 父は非参議従三位葉室季頼、母は正三位藤原家時の娘。父季頼は葉室光親の外孫であったためか、参議になることが叶わなかった。そこで頼親は祖父資頼の子として官途を進み始めた。蔵人・弁官を経て文永十一(1274)年に参議。三十九歳のことだから決して順調とはいい難い。資頼は後嵯峨上皇に用いられなかったが、頼親は弘安五(1282)年ころからようやく亀山上皇の伝奏となった。翌年権中納言に進むが同年のうちに辞任。子息を推挙できない名誉的な補任であった。頼親が名門である葉室家の当主たるにふさわしい処遇をうけるようになるのは、持明院統の治世になってからである。後深草上皇は頼親を評定衆・院司とし、伏見天皇は伝奏・越訴奉行とした。永仁六(1298)年には権大納言に進み、ついに祖父資頼を超越する。伏見院政下でも伝奏を務め、正安元(1299)年に出家。あるいはこのときに、子息頼藤に伝奏職を俵えたのかもしれない。

(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 12:06