藤原頼資
- 寿永元(1182)~嘉禎二(1236)年2月30日
父は権中納言藤原兼光、母は法印院慶(院尚とも)の娘。代々文章博士を出す家の民部卿藤原光範の子となるという。広橋家の祖。勘解由小路、四辻と号した。兄の資実が九条家に仕えたのに対し、近衛家に仕える。儒学を修めたのちに実務官として累進し、元仁元(1224)年に参議。翌年権中納言。日記のごく一部が伝えられているが、同僚の貴族への辛辣な批判をみることができる(1)。
- 『頼資卿記』寛喜元年九月十三日
(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 12:26