葉室宗行
- 承安四(1174)~承久三(1221)年7月14日
父は左大弁藤原行隆、母は典薬助藤原行兼の娘で、美福門院・八条院に仕えた女房越前。初名行光。一門の権大納言葉室宗頼(
葉室光親の叔父)の養子となり、宗行と改名。宗頼、宗頼の妻頼子(のち離別)はともに八条院に仕えていたので、宗行は母の縁故で宗頼に迎えられたのだろう。建保二(1214)年に参議、同六(1218)年に権中納言。中御門中納言と称した。養父宗頼は後鳥羽上皇に接近し、正治元(1199)年ごろには上皇の乳母卿二品と結婚した。これに伴い宗行も重用されるようになり、一門の葉室光親と同じく、実務官として活躍した。上皇に『貞観政要』を講じたという著名な挿話(1)もこのころのことであろう。承久の乱にも深く関与し、乱後幕府に捕えられる。鎌倉に送られる途中駿河国で斬られた。
- 『明月記』建保元年七月三日
(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 12:02