106 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 02:38:17.37 0
舞台初日。ステージを降り、やり切った満足感と安心感にほっと胸を撫で下ろしていたら、舞台直後でわいわいと興奮気味な楽屋にひょこりと新垣さんが姿を現した。
初日頑張れ!というメールは貰ったけれど、観に来るだなんて一言も聞いていなかったから、突然の来訪にえりなは一瞬声が出なかった。
他のメンバーも知らなかったみたいで、9期と10期が本当に嬉しそうに新垣さんに駆け寄っていく。
久しぶりに会ったからなのか、それとも突然の再会にか、メールは毎日のようにしてるのに、何と声をかけていいのか、どんな顔をすればいいのか分からなくて、えりなは皆に囲まれる新垣さんを少し遠くから眺めていた。
結局、皆で写真撮る事になっても新垣さんの側には行けなくて、楽屋へ続く廊下の一番端っこで控え目にポーズを取る。
撮ってくれたスタッフさんにお礼を言って自分のiPhoneを受け取る新垣さんをぼんやりと見つめていたら、隣にいた里保がちらりとこっちを見てすぐに視線を逸らした。
なに?と声をかけようと口を開きかけたけれど、メンバーが楽屋へ移動を始めてしまって、それに倣って歩き出す里保の背中を追う。
新垣さんは楽屋には入らず、入り口のあたりでにこにこしながらメンバーを見てた。
里保の背中に続いて、その前を通り過ぎて扉を潜ろうとしたその時。
「えりぽんはジュース買うんでしょ」
いきなり振り向いた里保はそう言い放つと、えりなの肩を力任せに廊下へ押し出した。
突然の事に訳が分からずたたらを踏むと、扉の前で顎を僅かに上向けて目を細めた里保が、そのままえりなの鼻先でぴしゃりと楽屋の扉を閉めてしまった。
閉まってしまった扉を前に呆然とする。
確かに廊下のすぐ先には自販機が設置されているけれど、ジュールが飲みたいだなんて思っていないし、ジュースを買うと里保に言った覚えももちろんない。
里保の行動に混乱していたら、「生田」と大好きな少し低めの声が鼓膜を打った。
107 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 02:38:51.94 0
久しぶりに聞くその音に、じんと胸の奥が痺れたみたいになる。
ただ名前を呼ばれただけなのに、新垣さんが発するえりなの名前には、えりなにとって何にも変えられない特別なモノだから。
恐る恐る顔を向けると、眉尻を僅かに下げて笑う新垣さんとぶつかった。
短くなった髪の毛がさらりと揺れる。
前に会った時よりもずっと短くなった髪に、前と少しも変わらない困り笑顔を浮かべた新垣さん。
その姿に、泣きそうになった。
だって、会いたくて会いたくて仕方がなかった。
困らせるような事はしたくなかったから、わがままは言わなかったけれど―――。
「ジュース買うの?」
「あ、や、あの…っ、」
「行こ」
違うんです、と言う前に、新垣さんはえりなの腕をするりと捕まえると、廊下の先の自販機へと歩き出した。
腕を引っ張られて逃げる事は出来なくて、えりなも新垣さんの後についていく。
スタッフさんや他の演者さんたちがいる廊下を通り抜けて、その先の自販機へ辿り着いても、だけど、新垣さんは一向に歩を緩めない。
疑問の声を上げるタイミングもなくどんどんと歩を進める新垣さんは、廊下の更に先の奥まった場所にあるトイレへ入り扉を閉めると、更にその奥の個室へえりなを押し込んだ。
そうして、躊躇わずに自分も入ると後ろ手で鍵をかける。
カチャリと小さな金属音に、えりなたちと外との世界を断ち切ったような錯覚がした。
狭いトイレの個室の中で、必然的に近くなる新垣さんとの距離。
少し薄暗い照明の下で、新垣さんがじっとえりなを見つめてた。
どきどきと鼓動が逸る。
この状況にも、新垣さんの視線にも、短くなった新垣さんの髪型にも、久しぶりに会う新垣さんに対しても、全てに対して、えりなは緊張して、そうして。
108 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 02:39:19.38 0
そうして、少しだけ、期待もしていた。
仕事と稽古で武道館の日以来、新垣さんとは会っていない。
会いたくて仕方がなかったその人と、先輩後輩や仕事仲間を超えた関係で繋がったその人と、久しぶりに会えたこんな二人きりの空間で、次に起こるだろう事は、さすがにえりなにだって分かってた。
知らずこくりと喉が鳴る。
新垣さんの手がそっと伸びてきて、えりなの頬にそうっと触れた。
少しだけひんやりとした新垣さんの温度がゆっくりとえりなの頬を滑って、形を確かめるように耳のふちを撫で上げられる。
耳を撫でた指は耳朶へ辿り着くと、そのまま首を這って項へと到達する。
ぞわぞわと腰あたりが疼くような感覚に思わず目を閉じたら、とん、と肩口が重くなった。
慌てて瞼を開けると、えりなの肩に新垣さんの小さな頭。
鼻先をえりなの首元に擦り付けるように顔を動かした新垣さんに更に慌てた。
舞台を降りたばかりでろくに着替えもしていないのだ。
照明を目一杯浴びた中での激しいダンスでかいた汗をタオルで軽く拭うくらいしかしていない。
今のえりなは絶対に汗臭い!
「に、新垣さんっ!えりな汗臭いかも」
新垣さんの肩を掴んでぐっと引き離そうと押すと、いつの間にか腰に回された腕によって阻止されて、逆に隙間を埋めるように擦り寄られる。
鼓動も呼吸も全てが聞かれてしまいそうな距離に、名前を呼ぶ声が引っくり返った。
だけれど、新垣さんは一向に離れる気配は無くて、甘えるように擦り寄られる事で香る新垣さんの香水のそれに、更に羞恥心と鼓動が煽られる。
「別にいいでしょ。汗の匂いとか……慣れてるし」
それとこれとは話が別だ。
好きな人と久しぶりに会うのに汗臭いとか、いくら当の本人が構わないと言っても、考えられない。
情けなくて涙が出そう。
109 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 02:40:22.19 0
身じろぎしてなんとか離れようと悪戦苦闘していたら、ふふふ、と肩口で楽しげな笑い声。
「いーかげん諦めなさい」
「だ、だってぇ…っ」
「臭いなんて思わないよ。……生田の匂い、好きだからさ」
鼓動が一際大きく飛び跳ねた。
身じろいでいた動きが止まる。
そんな風に言うのはずるい。
いつもは絶対にそんな甘いこと言わないのに。
もっともっと、突き放したような態度を取るくせに。
こんな時だけ、そんな蕩けそうな声でそんな事を言うのは、本当にずるい。
そんな事を言われたら、もうえりなが何も出来なくなってしまう事を知ってるくせに。
引き離そうと肩を掴んでいた手の力を緩めて、そうっとそうっと背中へ回した。
新垣さんの背中の服をくしゃりと掴む。
「お疲れ様、生田」
「……はい」
やっと心地良い場所を見つけたのか、擦り寄るのを止めて、新垣さんは柔らかな頬をえりなの肩口に落ちつけた。
「すごくかっこよかったよ」
「……っはい」
くっついた部分から新垣さんの温度と共に大好きな落ち着いた声がじわりと染み込んでくるように響いて、胸の奥が甘い甘い音をたてた。
110 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 02:40:48.24 0
新垣さんの服を掴む手に力が入る。
皺になってしまうかもしれないと思ったけれど、えりなには高ぶる感情の抑え方が分からなかった。
腰に回った新垣さんの手のひらがゆるゆると優しく背中を撫でる感触。
久しぶりに感じる新垣さんの癖のようなその手のひらの動きに本当に新垣さんに会えたのだと、触れられているのだと改めて実感する。
会いたくて会いたくて仕方がなかった。
困らせたくないから、わがままは言わなかったけれど、本当は。
本当は、ずっとずっとこうしたかった。
ずっとずっとこうしてほしかった。
新垣さんのいない楽屋。新垣さんのいない稽古。新垣さんのいない舞台。
分かっていたはずなのに、それは想像以上に寂しいモノで、わがままを言わないと決めたその決心が何度も揺らぎそうになった。
悩みを聞いて欲しかった。アドバイスをして欲しかった。
そうして、上手にできた時には頑張ったねと言って欲しかった。
それだけでえりなは何よりも強くなれるから。
新垣さんの手のひらの感触に身体の力を抜く。
えりなより少しだけ小さな新垣さんの身体にもたれるように抱きついたけれど、その華奢な身体はびくともせずにえりなを支えてくれた。
些細なそんな新新垣さんの行動に刺激される涙腺。
涙を零さないようにきつく目を閉じて、えりなは新垣さんの首元に頬を押し付けて。
「よく頑張ったね、生田」
心配した聖が探しにくるまでの間ずっと、そうしてえりなは新垣さんの温度を感じていた。
おわり
最終更新:2012年07月23日 23:49