744 :名無し募集中。。。:2012/06/29(金) 01:28:36.46 0
舞台稽古の休憩時間。そっと稽古場を抜け出して、私は屋上へやって来ていた。
屋上の扉を背中を預けながら、真っ暗な空をぼんやりと眺める。
ぷかりと浮かぶ片側が欠けたお月様が、私の足元を照らし出し、昼間よりも曖昧な影がコンクリートで固められた屋上の床に伸びている。
初夏とは言えまだまだ夜は冷える。
頬を撫でたひんやりとした風から身を守るように、羽織ったパーカーのファスナーを引き上げた。
今回の舞台は初めての事ばかりだ。
グループで活動していた時も一人で舞台に出させてもらった事はあったけれど、今回は、本当に“新垣里沙”としての初めての舞台という事もあって、またそれまでとは気持ちが全く違った。
だから、これまで以上に気合を入れて挑んでいるのだけれど、そう簡単に全てが順調に進むわけもなく。
頑張ろうと思う。頑張りたいと思う。
精一杯今できる最高のモノを出していきたい。
そう思えば思う程、私は乾いた音を立てて空回っていた。
特に今日の稽古は燦々たる結果だった。
求められた事が返せない。台詞も動きも感情も、全てが中途半端。
皆は大丈夫だよと優しく励ましてくれるけれど、今はそれが逆に辛くて苦しくて居た堪れなかった。
はあ、と知らず零れる溜め息。
ふと、あの子の声が聞きたくなった。
無邪気に嬉しそうに私を呼ぶ、あの子の声が。
パーカーのポケットからiPhoneを取り出し、慣れた手つきで立ち上げて、あの子の番号を表示させた。
あの子からのメールは相変わらず毎日のようにくるけれど、それでも稽古中の私に気を遣っているのか電話はここ最近はほとんど貰っていない。
私が卒業した今、頻繁に会うなんて事も叶わないから、なんだか随分とあの子の声を聞いていないような気がした。
745 :名無し募集中。。。:2012/06/29(金) 01:29:54.88 0
表示された名前を撫でる。
こんな時に声が聞きたくなるだなんて、本当にどうしようもないなと思った。
どうしようもなく、……好きなんだなと、改めて自分の気持ちを確認してしまう。
別に慰めてほしいなんて思っていない。
ただ、あの子の溶けそうな声を聞きたかった。ただ、名前を呼んでほしかった。
そうしたら、頑張れそうな気がしたから。
だけど、年上で先輩だというちっぽけなプライドが、通話ボタンをタップするのを躊躇させて、私の親指はiPhoneの上でゆらゆらと揺れた。
それにきっと、こんな時に電話なんてしたら心配させてしまう。私の状況の変化に、あの子は人一倍敏感だった。
それにあの子だって、新曲発売前だしイベントだって重なってるし、大変な時期なのには変わりない。
声は聞きたい、だけど。
親指をゆらゆら揺らして、やっぱり止めようとiPhoneをオフにしようとした、その時だった。
手にしたそれがぶるぶると震え出して、危うく取り落としそうになる。
慌てて持ち直して画面を見れば、つい今しがたまで、電話をかけようかかけまいか迷っていたあの子の名前が映し出されていた。
鼓動が小さく跳ねる。
普段はKYな癖してこんな時だけタイミングが良いだなんて、と電話の内容も把握していないのに少しだけ悔しくなって、私はきっちり3コール後に通話ボタンをタップした。
iPhoneを耳に押し当てると、「にいがきさん?」と一番聞きたかった生田の甲高い声が鼓膜を打った。
それだけでまた鼓動が早まって、悔しい。
「あ、今、大丈夫ですか?」
「だめ」
「えっ、あっすみませ……っ」
「うそうそだいじょぶだよ」
悔し紛れにからかったら予想通り素直な反応が返ってきて、口元が柔く緩んだ。
もー!と怒ったようなニヤけたような声を聞きながら、後頭部をことりと扉へくっ付けて夜空を仰ぐ。
746 :名無し募集中。。。:2012/06/29(金) 01:30:36.71 0
「なんか用だった?」
声を聞きたくて電話しようか迷っていたのは私自身な癖に、そんな事一言も口にせずに生田へ問いかける自分は本当にずるい大人だ、とぼんやりと思った。
「用って言うか……、あの、最近電話してないなあと思って」
「うん?」
お月様を眺めながら、相変わらずふにゃふにゃと締まらない生田の声に耳を傾ける。
私も思ってたよ、と素直に言えない事を心の中でごめんねと謝った。
「……新垣さんの声が聞きたくなったんです」
どくり、と心の奥が甘く疼く。
私の鼓膜を打った生田の言葉に、鼻の奥がツンと刺激されるのを自覚した。
普段はKYの癖に。
優柔不断で、へらりと笑っている癖に。
本当に本当に、こんな時だけこんな風に私の欲しい言葉をくれるなんて、ずるい。
iPhoneを持つ手に知らず力が入る。
「生田」
「はいっ」
「いーくたぁ」
「はい」
目と閉じると瞼の裏に、嬉しそうに笑う生田の顔が容易に浮ぶ。
ふにゃふにゃと蕩けた声と、一気に幼くなるくしゃりとした笑顔が、私は好きだった。
747 :名無し募集中。。。:2012/06/29(金) 01:31:18.85 0
「ねえ、生田」
「はい」
「私のこと、……好き?」
こんな聞き方ずるいとは分かっていたけれど、生田の声を聞いてしまったら、弱った私の心は、どうしてもその先が聞きたてたまらなくなってしまってて。
iPhoneの向こうで、細く小さく息を呑む、音。
「好きです」
返ってきた言葉は、ただただ真っ直ぐに私の心を射抜いた。
射抜いたそこからじわじわと広がる熱い何かが、私の心の温度を上げていく。
「えりなは新垣さんが好きです」
ただ真っ直ぐに、生田はもう一度確かめるみたいに口にした。
確実に私に伝えるように、一字一句なんの間違いもなく伝わるように、そんな声音で。
さも当たり前の事だと言わんばかりの口調で。
「もし、新垣さんがえりなの事を嫌いになっても、えりなはずっと新垣さんが好きです」
矢継ぎ早に発せられた生田の言葉は、段々と必死さが増していって、最後はほとんど叫ぶみたいになってた。
高鳴る鼓動と同時に、肩の力がふと抜けていく。
瞼を押し上げると、変わらない夜空にぽかりと浮かぶお月様がさっきと同じように私を見下ろしていた。
同じ夜空の下で、だけど、自分がさっきとは全く違う心境になっている事を自覚する。
そうして、ああやっぱり、とぼんやりと思った。
749 :名無し募集中。。。:2012/06/29(金) 01:32:03.36 0
ああ、やっぱり。
私が欲しかったのは、慰めでも励ましでもなくて、生田のたった一言だったんだ。
名前を呼べば微笑んで、ふにゃりと蕩けた声でなんの見返りも求めずに好きだと言う、生田の言葉だったんだ。
「生田」
「はい!」
「私も好きだよ」
「はい!……えっ?!いまなんてっ、」
続きはまた今度!と生田の言葉を遮って、通話を切った。
iPhoneの向こう側で、きっとケータイを片手にびっくり顔で固まっているだろう生田を想像して、ごめんね、と心の中で謝りながらも、胸の奥はお日様に照らされたみたいにぽかぽかと温かくなっていた。
これも生田効果なのかと思いながら、ドアから背を離して、うーんと背伸びをする。
そうして、そのまま手をぎゅっと握り締めて、ずっと私を見下ろしていたお月様に拳を掲げた。
「よっし、頑張りますか!」
屋上の扉を開けて、私は一歩を踏み出した。
おわり
最終更新:2012年07月24日 22:54