百詩篇第4巻27番

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*原文 Salon, [[Mansol]]&sup(){1}, Tarascon&sup(){2} de [[SEX.>SEXT.]]&sup(){3} l'arc&sup(){4}, Ou&sup(){5} est debout&sup(){6} encor&sup(){7} la piramide&sup(){8}, Viendront liurer le prince&sup(){9} Dannemarc&sup(){10} Rachat honni&sup(){11} au temple&sup(){12} d'Artemide&sup(){13}. **異文 (1) Mansol : Nansol 1557B, Tansol 1668P (2) Tarascon : Tarrascond 1627 (3) SEX. 1555 1557U 1568 1644 1650Le 1650Ri 1668 1840 : sex 1588-89 1590Ro, SEX, 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1716, Sex 1557B 1589PV 1649Ca, SEX 1627 1772Ri, SBX. 1653 1665, Sex, 1672 (4) l'arc : l'are 1610 1716, larc 1627, Larc 1672 (5) Ou 1555 1557U 1589Rg 1590Ro 1627 1672 1840 : Où 1568 1588Rf 1589Me 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1660 1665 1668 1716, Oú 1772Ri (6) debout : debout' 1611B 1660 (7) encor : encore 1660 1668P (8) piramide : Piramide 1588-89 1672 (9) prince : Prince 1568 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Xa 1653 1660 1665 1716 1772Ri, Prius 1672 (10) Dannemarc : d'Annemarc 1649Ca (11) Rachat honni : Rachathonny 1589Rg, Racharbonny 1589Me, Rachat honay 1597, Rachapt honny 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, Rachar honny 1716 (12) temple : prince 1649Ca 1650Le 1668, Temple 1672 1772Ri (13) d'Artemide : d'Artamide 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, d'Arremide 1650Ri *日本語訳 [[サロン>サロン=ド=プロヴァンス]]、モゾル、タラスコン、セクストゥスの迫持 〔せりもち〕、 今なおピラミッドが建っている場所に、 彼らはデンマークの王子を引き渡しに来るだろう。 その釈放はアルテミスの神殿にて辱められる。 **訳について  山根訳も大乗訳はおおむね許容範囲内。ただし、1行目でどちらにも「六つのアーチ」という訳語が登場しているのが微妙。Sex はラテン語で「六」を意味するが、l'arc (迫持、アーチ) は単数形なので、アーチが六つあるかのように読める読み方は不適切だろう。  当「大事典」では、Sextus の省略形と見なす[[ピエール・ブランダムール]]らの読み方に従っている。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、サロン、マンソル、タラスコン、ドゼクス(Desex)はいずれもプロヴァンスからラングドックにかけての町の名前で、アーチはオランジュ近郊にある凱旋門のこととした。しかし、具体的な事件の内容には触れなかった((Garencieres [1672]))。なお、DNLFに依拠する限りでは、マンソルとドゼクスという町は南仏どころかフランス全土でも見当たらない。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[セルジュ・ユタン]]も事実上解釈を放棄していた((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[エドガール・ルロワ]]の優れた指摘によって、前半がプロヴァンスの地名を指していることは、広く合意されるようになっている。  ルロワの指摘では、サロンはノストラダムスが晩年を過ごした[[サロン=ド=プロヴァンス]]、[[Mansol]]はノストラダムスの出身地[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]近郊の死者記念塔(Mausolée)ないしサン=ポール・ド・モゾル修道院、セクストゥスの迫持はグラヌム遺跡の凱旋門を指す(死者記念塔に SEX. L. M. で始まる碑文があり、グラヌム遺跡は古来セクストゥスという人名と結び付けられていた)。ピラミッドは近くの石切り場に残る石塔で、19世紀の版画にも『サン=レミ近郊のピラミッドと石切り場の眺め』(Vue des anciennes carrieres pres Saint-Remy, avec la pyramide)とあって、地元の人間にとってはよく知られた名称だった((Leroy [1993] p.193))。  この解釈はほとんどそのまま継承されているが、「ピラミッド」には異説も見られる。[[ピエール・ブランダムール]]は LTDF などを援用しつつ、プロヴァンスでは様々な石造記念物が「ピラミッド」と呼ばれる点、そしてその中でも特にヴィエンヌの石造記念物を指すことがある点を指摘し、疑問符つきでヴィエンヌのことではないかとした((Brind’Amour [1996]))。  後半が不明瞭ではあるが、[[エヴリット・ブライラー]]は1552年に、アンリ2世がデンマークの王子とその母親からナンシーを強奪したことではないかとした。「アルテミス」は月の女神でディアナと同一視されることから、ディアーヌ・ド・ポワチエを指すという。ただし、前半のプロヴァンスの地名との繋がりが不鮮明であることは、ブライラー自身も認めていた((LeVert [1979]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]はシャルルマーニュ伝説に関連付けた。伝説に登場する勇士オジエ・ル・ダノワは、その名(ル・ダノワはデンマーク人の意味)が示すようにデンマーク王ジョフロワの息子で、ジョフロワがシャルルマーニュに臣従したときの証として人質にとられていた。しかし、シャルルマーニュがサラセン人を蹴散らそうと出陣したときに、オジエも同行しシャルルマーニュの命を救ったことで騎士に取り立てられ、人質の状態から「解放」された。  ブルフィンチの『シャルルマーニュ伝説』では、このエピソードは現イタリア領内のことと位置付けられているようだが((ブルフィンチ『シャルルマーニュ伝説』社会思想社、pp.334-341))、プレヴォが引き合いに出した異伝では、騎士になったのは[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]からも近いゴシエ山のふもとでのこととされているようである。  アルテミスの神殿は、シャルルマーニュがノートルダム=デュ=タンプル聖堂を多大な犠牲を払って再建したことだという。その名(ノートルダム=デュ=タンプルは「神殿の聖母マリア」の意味)は、聖堂が通俗的にアルテミス神殿と混同されたことによるらしい((Prévost [1999] pp.165-166))。  [[ピーター・ラメジャラー]]はプレヴォの説を踏まえているが、アルテミスはアルテミシア(Artemisia)のこととした。彼女はマウソルスの妻としてマウソレウム(マウソルスの墓)を建てたことで知られる。そして、マウソレウムが死者記念塔(モゾル)の語源になった。つまり、「アルテミシアの神殿」とは、グラヌムの死者記念塔の隠喩だという((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]もプレヴォの説を踏まえているが、プロヴァンス地方には他のデンマーク王子の伝説もあることなども紹介した((Clébert [2003]))。 #amazon(4061598066) 【画像】『シャルルマーニュ伝説』 ---- #comment
*原文 Salon, [[Mansol]]&sup(){1}, Tarascon&sup(){2} de [[SEX.>SEXT.]]&sup(){3} l'arc&sup(){4}, Ou&sup(){5} est debout&sup(){6} encor&sup(){7} la piramide&sup(){8}, Viendront liurer le prince&sup(){9} Dannemarc&sup(){10} Rachat honni&sup(){11} au temple&sup(){12} d'Artemide&sup(){13}. **異文 (1) Mansol : Nansol 1557B, Tansol 1668P (2) Tarascon : Tarrascond 1627 (3) SEX. 1555 1557U 1568 1644 1650Le 1650Ri 1668 1840 : sex 1588-89 1590Ro, SEX, 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1716, Sex 1557B 1589PV 1649Ca, SEX 1627 1772Ri, SBX. 1653 1665, Sex, 1672 (4) l'arc : l'are 1610 1716, larc 1627, Larc 1672 (5) Ou 1555 1557U 1589Rg 1590Ro 1627 1672 1840 : Où 1568 1588Rf 1589Me 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1660 1665 1668 1716, Oú 1772Ri (6) debout : debout' 1611B 1660 (7) encor : encore 1660 1668P (8) piramide : Piramide 1588-89 1672 (9) prince : Prince 1568 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1644 1649Xa 1653 1660 1665 1716 1772Ri, Prius 1672 (10) Dannemarc : d'Annemarc 1649Ca (11) Rachat honni : Rachathonny 1589Rg, Racharbonny 1589Me, Rachat honay 1597, Rachapt honny 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, Rachar honny 1716 (12) temple : prince 1649Ca 1650Le 1668, Temple 1672 1772Ri (13) d'Artemide : d'Artamide 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, d'Arremide 1650Ri *日本語訳 [[サロン>サロン=ド=プロヴァンス]]、モゾル、タラスコン、セクストゥスの迫持 〔せりもち〕、 今なおピラミッドが建っている場所に、 彼らはデンマークの王子を引き渡しに来るだろう。 その釈放はアルテミスの神殿にて辱められる。 **訳について  山根訳も大乗訳はおおむね許容範囲内。ただし、1行目でどちらにも「六つのアーチ」という訳語が登場しているのが微妙。Sex はラテン語で「六」を意味するが、l'arc (迫持、アーチ) は単数形なので、アーチが六つあるかのように読める読み方は不適切だろう。  当「大事典」では、Sextus の省略形と見なす[[ピエール・ブランダムール]]らの読み方に従っている。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、サロン、マンソル、タラスコン、ドゼクス(Desex)はいずれもプロヴァンスからラングドックにかけての町の名前で、アーチはオランジュ近郊にある凱旋門のこととした。しかし、具体的な事件の内容には触れなかった((Garencieres [1672]))。なお、DNLFに依拠する限りでは、マンソルとドゼクスという町は南仏どころかフランス全土でも見当たらない。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[セルジュ・ユタン]]も事実上解釈を放棄していた((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[エドガール・ルロワ]]の優れた指摘によって、前半がプロヴァンスの地名を指していることは、広く合意されるようになっている。  ルロワの指摘では、サロンはノストラダムスが晩年を過ごした[[サロン=ド=プロヴァンス]]、[[Mansol]]はノストラダムスの出身地[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]近郊の死者記念塔(Mausolée)ないしサン=ポール・ド・モゾル修道院、セクストゥスの迫持はグラヌム遺跡の凱旋門を指す(死者記念塔に SEX. L. M. で始まる碑文があり、グラヌム遺跡は古来セクストゥスという人名と結び付けられていた)。ピラミッドは近くの石切り場に残る石塔で、19世紀の版画にも『サン=レミ近郊のピラミッドと石切り場の眺め』(Vue des anciennes carrieres pres Saint-Remy, avec la pyramide)とあって、地元の人間にとってはよく知られた名称だった((Leroy [1993] p.193))。  この解釈はほとんどそのまま継承されているが、「ピラミッド」には異説も見られる。[[ピエール・ブランダムール]]は LTDF などを援用しつつ、プロヴァンスでは様々な石造記念物が「ピラミッド」と呼ばれる点、そしてその中でも特にヴィエンヌの石造記念物を指すことがある点を指摘し、疑問符つきでヴィエンヌのことではないかとした((Brind’Amour [1996]))。  後半が不明瞭ではあるが、[[エヴリット・ブライラー]]は1552年に、アンリ2世がデンマークの王子とその母親からナンシーを強奪したことではないかとした。「アルテミス」は月の女神でディアナと同一視されることから、ディアーヌ・ド・ポワチエを指すという。ただし、前半のプロヴァンスの地名との繋がりが不鮮明であることは、ブライラー自身も認めていた((LeVert [1979]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]はシャルルマーニュ伝説に関連付けた。伝説に登場する勇士オジエ・ル・ダノワは、その名(ル・ダノワはデンマーク人の意味)が示すようにデンマーク王ジョフロワの息子で、ジョフロワがシャルルマーニュに臣従したときの証として人質にとられていた。しかし、シャルルマーニュがサラセン人を蹴散らそうと出陣したときに、オジエも同行しシャルルマーニュの命を救ったことで騎士に取り立てられ、人質の状態から「解放」された。  ブルフィンチの『シャルルマーニュ伝説』では、このエピソードは現イタリア領内のことと位置付けられているようだが((ブルフィンチ『シャルルマーニュ伝説』社会思想社、pp.334-341))、プレヴォが引き合いに出した異伝では、騎士になったのは[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]からも近いゴシエ山のふもとでのこととされているようである。  アルテミスの神殿は、シャルルマーニュがノートルダム=デュ=タンプル聖堂を多大な犠牲を払って再建したことだという。その名(ノートルダム=デュ=タンプルは「神殿の聖母マリア」の意味)は、聖堂が通俗的にアルテミス神殿と混同されたことによるらしい((Prévost [1999] pp.165-166))。  [[ピーター・ラメジャラー]]はプレヴォの説を踏まえているが、アルテミスはアルテミシア(Artemisia)のこととした。彼女はマウソルスの妻としてマウソレウム(マウソルスの墓)を建てたことで知られる。そして、マウソレウムが死者記念塔(モゾル)の語源になった。つまり、「アルテミシアの神殿」とは、グラヌムの死者記念塔の隠喩だという((Lemesurier [2003b]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]もプレヴォの説を踏まえているが、プロヴァンス地方には他のデンマーク王子の伝説もあることなども紹介した((Clébert [2003]))。 #amazon(4061598066) 【画像】『シャルルマーニュ伝説』 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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