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*原文
En apres cinq troupeau&sup(){1} ne mettra&sup(){2} hors vn
[[Fuytif>fuitif]]&sup(){3} pour [[Penelon]] l'aschera&sup(){4},
Faulx murmurer secours&sup(){5} venir&sup(){6} par lors&sup(){7},
Le chef le siege&sup(){8} lors&sup(){9} habandonnera&sup(){10}.
**異文
(1) troupeau : troupeaux 1600 1772Ri, troupe au 1627
(2) ne mettra : mettra 1665
(3) hors vn / Fuytif : hors / Vn fuytif 1605 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1660 1668 1672 1840
(4) l'aschera 1568A 1568B 1568I : laschera &italic(){T.A.Eds.}
(5) secours : secour 1665
(6) venir : vnir 1600 1644 1650Ri 1653 1665, vni 1627
(7) par lors : pour lors 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840
(8) chef : Chef 1672
(9) siege : Siege 1672
(10) lors : pour lors 1610
(11) habandonnera 1568 1590Ro : abandonnera &italic(){T.A.Eds.}
**校訂
1行目末から2行目冒頭にかけての行をまたぐ異文は非常に珍しいが、1行10音節という韻律と、1行目と3行目で韻を踏ませることを考慮すれば、1605 などのように un は2行目の冒頭に持ってこなければならない。実際、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]もそう読んでいる。
2行目の [[Penelon]] は諸説あるが、[[ピーター・ラメジャラー]]は pour Penelon l'aschera を pour peines l'on laschera と読んでいる((Lemesurier [2003b]))。 その全体はともかく、とりあえず最後が laschera であるべきという点は他の論者の間でも異論がない。
*日本語訳
五つの後、一群は排斥しないだろう。
一人の逃亡者は苦痛のために放免されるだろう。
すぐにも救援が来ると間違ってささやかれるので、
その時に指揮官は攻囲を解くだろう。
**訳について
1行目は前半律が en apres cinq で区切れるので、そこまでをひとまとまりと見なすべき。[[ピーター・ラメジャラー]]はこの cinq を疑問符つきで cinq ans (五年)と解釈したが、「五日」「五ヶ月」などの可能性もある。なお、en apres は「その後」(par la suite, dans la suite)を意味する成句だが、単なる apres と同じ意味にもなった((DMF))。mettre hors は「排除する、排斥する」(exclure)を意味する成句((DMF))。
2行目はラメジャラーの校訂に従って訳した。[[Penelon]]をそのままにするなら、「一人の逃亡者はプヌロン(ペネロン)のために放免するだろう」となる。主語が1行目と同じとするなら「(一群は)一人の逃亡者をプヌロンのために放免するだろう」とも訳せる。
3行目 murmurer (ささやく)は能動態だが、on が省略されているものと見なし、受動的に訳した。また、4行目との繋がりから言葉を補った。
山根訳1行目「のちに五番目の者は群を追い出さぬ」((山根 [1988] p.316))は、上で述べた前半律の区切れ目から言えば不適切である。
大乗訳1行目「五人のあとでひつじの群れはおいださず」((大乗 [1975] p.285))は、構文理解上は問題ないが、troupeau を「ひつじの群れ」とまで特定できるかは大いに疑問。
同2行目「彼はペネロンへの走路を解放し」は、[[fuitif]]を「走路」と訳すのが不適切。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は [[Penelon]] を意味不明とし、誤植が含まれている可能性を指摘していた((Garencieres [1672]))。詩の内容については解釈していなかった。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[セルジュ・ユタン]]は1940年にペタン元帥のヴィシー政権が成立したことと解釈した((Hutin [1978]))。
[[加治木義博]]は湾岸戦争直後にはその予言とし、[[Penelon]] はPLO(パレスチナ解放機構)とネロン(Néron, 暴君ネロのフランスでの呼称)の合成語とした((加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.97))。のちには1993年10月にロシアで起こったクーデター騒動の予言でもあったとしたが、その場合の Penelon は意味不明とした((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』pp.39-40))。
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]も出典を特定していない。
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#comment
[[詩百篇第10巻]]>3番*
*原文
En apres cinq troupeau&sup(){1} ne mettra&sup(){2} hors vn
[[Fuytif>fuitif]]&sup(){3} pour [[Penelon]] l'aschera&sup(){4},
Faulx murmurer secours&sup(){5} venir&sup(){6} par lors&sup(){7},
Le chef le siege&sup(){8} lors&sup(){9} habandonnera&sup(){10}.
**異文
(1) troupeau : troupeaux 1610Po 1772Ri, troupe au 1627Di
(2) ne mettra : mettra 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650ri 1653AB 1665Ba 1720To, ne mettera 1650Mo
(3) hors vn / Fuytif : hors / Vn fuytif 1605sn 1611 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668A 1668P 1672Ga 1840 1981EB
(4) l'aschera 1568X 1568A 1568C 1716PRc : laschera &italic(){T.A.Eds.}
(5) secours : secour 1665Ba
(6) venir : vnir 1607PR 1610Po 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To, vni 1627Di, vcnir 1650Mo
(7) par lors : pour lors 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To 1840
(8) chef : Chef 1672Ga
(9) siege : Siege 1672Ga
(10) lors : pour lors 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR
(11) habandonnera 1568 1590Ro : abandonnera 1591BR & &italic(){T.A.Eds.}
**校訂
1行目末から2行目冒頭にかけての行をまたぐ異文は非常に珍しいが、1行10音節という韻律と、1行目と3行目で韻を踏ませることを考慮すれば、1605 などのように un は2行目の冒頭に持ってこなければならない。実際、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]もそう読んでいる。
2行目の [[Penelon]] は諸説あるが、[[ピーター・ラメジャラー]]は pour Penelon l'aschera を pour peines l'on laschera と読んでいる((Lemesurier [2003b]))。 その全体はともかく、とりあえず最後が laschera であるべきという点は他の論者の間でも異論がない。
*日本語訳
五の(時日の)後、一群を排除しないだろう。
一人の逃亡者は苦痛のために放免されるだろう。
すぐにも救援が来ると間違ってささやかれるので、
その時に指揮官は攻囲を解くだろう。
**訳について
1行目は前半律が en apres cinq で区切れるので、そこまでをひとまとまりと見なすべき。[[ピーター・ラメジャラー]]はこの cinq を疑問符つきで cinq ans (五年)と解釈したが、「五日」「五ヶ月」などの可能性もある。なお、en apres は「その後」(par la suite, dans la suite)を意味する成句だが、単なる apres と同じ意味にもなった((DMF))。mettre hors は「排除する、排斥する」(exclure)を意味する成句((DMF))。
2行目はラメジャラーの校訂に従って訳した。[[Penelon]]をそのままにするなら、「一人の逃亡者はプヌロン(ペネロン)のために放免するだろう」となる。「一人の逃亡者をプヌロンのために放免するだろう」とも訳せる。
3行目 murmurer (ささやく)は能動態だが、on が省略されているものと見なし、受動的に訳した。また、4行目との繋がりから言葉を補った。
山根訳1行目「のちに五番目の者は群を追い出さぬ」((山根 [1988] p.316))は、上で述べた前半律の区切れ目から言えば不適切である。
大乗訳1行目「五人のあとでひつじの群れはおいださず」((大乗 [1975] p.285))は、構文理解上は問題ないが、troupeau を「ひつじの群れ」とまで特定できるかは大いに疑問。
同2行目「彼はペネロンへの走路を解放し」は、[[fuitif]]を「走路」と訳すのが不適切。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は [[Penelon]] を意味不明とし、誤植が含まれている可能性を指摘していた((Garencieres [1672]))。詩の内容については解釈していなかった。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[セルジュ・ユタン]]は1940年にペタン元帥のヴィシー政権が成立したことと解釈した((Hutin [1978]))。
[[加治木義博]]は湾岸戦争直後にはその予言とし、[[Penelon]] はPLO(パレスチナ解放機構)とネロン(Néron, 暴君ネロのフランスでの呼称)の合成語とした((加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.97))。のちには1993年10月にロシアで起こったクーデター騒動の予言でもあったとしたが、その場合の Penelon は意味不明とした((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』pp.39-40))。
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]も出典を特定していない。
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