主題別索引:異教徒

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[[ノストラダムス予言の主題別索引]]>異教徒  ノストラダムスは王党派カトリックを標榜していた。  実際にはユダヤ教の信仰を堅持していたと主張する者たちもいるが、実証主義的な裏付けを持たない。  他方、プロテスタントであった可能性については否定しきれないが、少なくとも著書では、プロテスタントへの批判的傾向は明白である。  ここでいう「&bold(){異教徒}」とは、非カトリックを指す。ただし、あくまでもノストラダムスの著書における位置づけによる分類であって、当「大事典」として、&u(){どの宗教・宗派を正統とするかといった価値判断を含むものではない}。  特にイスラームについては、ノストラダムス予言では侵略者・破壊者としての要素が強い。それについては、記事「[[イスラーム]]」の結論部分に書いたことを、この索引でも以下に再掲しておく。 (ここから再掲) ノストラダムス予言に見られるイスラーム侵攻のモチーフは、中世以来の予言的言説が、16世紀当時の国際情勢の中で今日的な切迫感を持って受け止められていたことの歴史的証言のひとつに過ぎない。精神史・社会史的にそこから何かを学びうるとしても、そこから21世紀においても性懲りもなく、イスラーム諸国によるヨーロッパ侵攻をきっかけとする人類最終戦争が 「もうじき起こる」「近いうちに起こる」 と言い続けるのはナンセンスだろう。  もちろん、そういう戦いが絶対に起こらないとは誰にも断言できないし、(それこそ[[偽メトディウス]]から数えれば実に1300年以上も「そのうち」「そのうち」 と言い続けているのだから) いずれ起こることもあるかもしれない。  しかし、そもそもその背景にある中世的予言には、キリスト教を聖なる教え、イスラームを邪悪な教えと二分するような価値観が投影されている。そのような予言を妄信することは、異文化に対する不寛容を助長することにつながり、むしろそうした衝突が起こるリスクを高めるだけだろう。  通俗的な予言解釈本のたぐいは、しばしば 「賢い知恵で予言のメッセージを汲み取ろう」 というような大義名分を掲げたがる。しかし、前時代的な宗教対立を煽るような論者に賢い知恵が備わっているようには見えない。本当に賢い知恵を備えているのなら、むしろ前時代的な宗教対立の呪縛から抜け出すことこそが意識されるべきではなかろうか。 (ここまでが再掲) *イスラーム  ノストラダムス予言に islam や muslim という語は登場しない。多くは「アラブ(人)」、「[[ムハンマド]](の信仰を持つ者)」、「[[イシュマエル]](の末裔)」、「[[バルバロイ]]」といった単語で登場する。  **アラブ Arabe 〔アラブ人〕 -[[第3巻27番>百詩篇第3巻27番]] -[[第3巻31番>百詩篇第3巻31番]] -[[第4巻39番>百詩篇第4巻39番]] -[[第5巻25番>百詩篇第5巻25番]] -[[第5巻27番>百詩篇第5巻27番]] -[[第5巻47番>百詩篇第5巻47番]] -[[第5巻73番>百詩篇第5巻73番]] -[[第6巻54番>百詩篇第6巻54番]] -[[第9巻89番>百詩篇第9巻89番]] -[[第10巻62番>百詩篇第10巻62番]] -[[第10巻63番>百詩篇第10巻63番]] Arabie 〔アラビア〕 -[[第5巻55番>百詩篇第5巻55番]](「アラビア・フェリックス」=イエメンへの言及) Arabiq 〔Arabiqueの省略形〕 -[[第6巻44番>百詩篇第6巻44番]] Arabique 〔アラビアの〕 -[[第5巻74番>百詩篇第5巻74番]] Arabesque 〔アラビアの〕 -[[第6巻55番>百詩篇第6巻55番]] **ムハンマド(の信仰を持つ者) -[[第1巻18番>百詩篇第1巻18番]] -[[第2巻86番>百詩篇第2巻86番]] -[[第3巻20番>百詩篇第3巻20番]] -[[第3巻23番>百詩篇第3巻23番]] -[[第3巻64番>百詩篇第3巻64番]] -[[第5巻55番>百詩篇第5巻55番]] **イシュマエル(の末裔) -[[第9巻43番>百詩篇第9巻43番]]([[イシュマエルの末裔>Ismaëlite]]) -[[第9巻60番>百詩篇第9巻60番]]([[イシュマエル]]) -[[第10巻31番>百詩篇第10巻31番]](イシュマエルの末裔) **バルバロイ Barb’ -[[第8巻9番>百詩篇第8巻9番]] [[Barb.]] -[[予兆詩第14番]](旧15番)? Barba. -[[予兆詩第32番]](旧29番) Barbar -[[第9巻42番>百詩篇第9巻42番]] -[[第9巻60番>百詩篇第9巻60番]] -[[第10巻38番>百詩篇第10巻38番]] Barbare(s) -[[第1巻8番>詩百篇第1巻8番]] -[[第1巻28番>詩百篇第1巻28番]] -[[第1巻71番>詩百篇第1巻71番]] -[[第2巻4番>百詩篇第2巻4番]] -[[第3巻59番>百詩篇第3巻59番]] -[[第3巻97番>百詩篇第3巻97番]] -[[第5巻13番>百詩篇第5巻13番]] -[[第5巻19番>百詩篇第5巻19番]] -[[第5巻78番>百詩篇第5巻78番]] -[[第5巻80番>百詩篇第5巻80番]] -[[第6巻21番>百詩篇第6巻21番]] -[[第6巻75番>百詩篇第6巻75番]] -[[第7巻6番>百詩篇第7巻6番]] -[[第7巻82番>百詩篇第7巻82番]] -[[第8巻73番>百詩篇第8巻73番]] -[[第9巻42番>百詩篇第9巻42番]] -[[第9巻80番>百詩篇第9巻80番]] -[[第9巻94番>百詩篇第9巻94番]] -[[第10巻61番>百詩篇第10巻61番]] -[[第10巻97番>百詩篇第10巻97番]] -[[断片9番>百詩篇断片・9番]] -[[予兆詩第35番]](旧31番) -[[予兆詩第67番]](旧60番) -[[予兆詩第74番]] -[[予兆詩第135番]](旧125番) Barbari -[[第6巻ラテン語詩>愚かな批評家に対する法の警句]] Barbarique -[[第5巻80番>百詩篇第5巻80番]] Barbaris -[[第9巻50番>百詩篇第9巻50番]] **スレイマン -[[第3巻31番>百詩篇第3巻31番]] **モール人(ムーア人)  モール人ないしムーア人というのは、元は[[マウレタニア]]の民を指す言葉であり、北アフリカの住民を指す。  ノストラダムスは[[Morique]]という語で言及している。 -[[第3巻95番>百詩篇第3巻95番]]  以下は本人の作か不明である。 -[[第12巻36番>詩百篇第12巻36番]]  また、本人の手になるか不明の断片にはmauritainという形で登場する。 -[[詩百篇断片・2番>百詩篇断片・2番]] **金星・金曜日  このほか、安息日などの関係から、太陽・日曜日=キリスト教、土星・土曜日=ユダヤ教、金星・金曜日=イスラームという対応関係が成立する詩があると指摘されている。 -[[第5巻11番>百詩篇第5巻11番]] -[[第5巻24番>百詩篇第5巻24番]] -[[第5巻53番>百詩篇第5巻53番]] -[[第10巻95番>百詩篇第10巻95番]] **月・三日月  現代でもイスラーム諸国の国旗では三日月や星がシンボルとして用いられることがある。  ノストラダムス予言でも、「三日月」や「月」がイスラームを指している可能性は指摘されている。  ただし、[[アンリ2世]]も愛人ディアーヌの名(月の女神と同名)にちなんで三日月のシンボルを用いたため、すべてがイスラームを指すとは限らない。  それでも一応「三日月」(croissant)の登場箇所を挙げておくと、以下のとおりである。 -[[第6巻27番>百詩篇第6巻27番]] -[[第6巻78番>百詩篇第6巻78番]] -[[第7巻7番>百詩篇第7巻7番]] -[[第7巻25番>百詩篇第7巻25番]] -[[第10巻95番>詩百篇第10巻95番]]  このほか、[[selin]]の登場する詩は、イスラームを指している詩が含まれる可能性がある。 *プロテスタント  プロテスタントは、当時のフランスではもっぱらユグノーと呼ばれたが、この語は『予言集』に出てこない。カトリックからはプロテスタント寄りと批判され、プロテスタントからはカトリックと批判されたノストラダムスにとって、批判者からの攻撃材料を増やすわけにはいかなかったのだろう。 **「プロテスタント」  「ユグノー」は出てこないが、「プロテスタント」を含む詩は存在する。 -[[予兆詩第74番]] -[[第7巻82番>百詩篇第7巻82番]]  第7巻82番は予兆詩第74番をもとに偽作されたものであり、元は同じ詩篇である。  ほかに、プロテスタントやユグノーを明記した詩がない。モデルにしたと思われる詩はあるが、その辺りは解釈にもかなり左右されるので、索引としては扱いにくい。  ただ、[[ジュネーヴ]]、[[レマン湖]]、[[トゥールーズ]]などは、異教的なモチーフで出てきやすい地名である(登場箇所は、リンク先の各記事を参照のこと)。 **「異教徒」  異教徒を意味する語 paganisme は[[第3巻76番>百詩篇第3巻76番]]にだけ登場する。この詩は、実証主義的にはドイツ再洗礼派の描写と推測されている。  ドイツ再洗礼派と推測される詩には、[[第3巻67番>百詩篇第3巻67番]]、[[第4巻32番>百詩篇第4巻32番]]もある。もっとも、これらは財産の共有を謳う詩篇であり、20世紀以降の信奉者たちはマルクス主義と結び付けたがる傾向があった。 **ユピテル主義者  ノストラダムス予言には、「[[ユピテル主義者]]」「木曜日を祝日とする者」のモチーフが登場する。当時の言説では、プロテスタントが聖木曜日に冒涜的な集会を開いているという風説があり、それとの関連性が指摘されている。  このモチーフの登場箇所は、以下の通り。 -[[第1巻42番>詩百篇第1巻42番]] -[[第1巻50番>詩百篇第1巻50番]] -[[第2巻28番>百詩篇第2巻28番]] -[[第10巻71番>詩百篇第10巻71番]] -[[第10巻73番>詩百篇第10巻73番]] *ユダヤ教 -[[第6巻18番>百詩篇第6巻18番]](「ヘブライの呪術」この読み方には異説もある) -[[第8巻96番>百詩篇第8巻96番]]([[シナゴーグ]])  このほか、[[サトゥルヌス主義者]]には「ユダヤ人」の意味もあるので、ユダヤ教徒を指す言葉として使われている可能性もある(登場箇所は[[Saturnin]]を参照)。  土曜日・土星で例えている可能性と、その登場箇所については、上記の「金星・金曜日」の節を参照のこと。 *その他  仏教、バラモン教、ヒンドゥー教などへの言及は特にないものと思われる。  [[マギ]]への言及([[詩百篇第10巻21番]])は、ゾロアスター教への言及と解釈できなくもないが、どの程度意識されていたかは不明である。  このほか、[[ウェスタ]]に仕えた巫女[[ウェスタリス]]、太陽神に仕えた[[ブランコス]]の末裔など、ギリシア=ローマ神話に由来する宗教的なモチーフが散見されるが、本来の古代信仰の意味なのか、不明瞭な文脈での言及も少なくない。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
[[ノストラダムス予言の主題別索引]]>異教徒  ノストラダムスは王党派カトリックを標榜していた。  実際にはユダヤ教の信仰を堅持していたと主張する者たちもいるが、実証主義的な裏付けを持たない。  他方、プロテスタントであった可能性については否定しきれないが、少なくとも著書では、プロテスタントへの批判的傾向は明白である。  ここでいう「&bold(){異教徒}」とは、非カトリックを指す。ただし、あくまでもノストラダムスの著書における位置づけによる分類であって、当「大事典」として、&u(){どの宗教・宗派を正統とするかといった価値判断を含むものではない}。  特にイスラームについては、ノストラダムス予言では侵略者・破壊者としての要素が強い。それについては、記事「[[イスラーム]]」の結論部分に書いたことを、この索引でも以下に再掲しておく。 (ここから再掲) ノストラダムス予言に見られるイスラーム侵攻のモチーフは、中世以来の予言的言説が、16世紀当時の国際情勢の中で今日的な切迫感を持って受け止められていたことの歴史的証言のひとつに過ぎない。精神史・社会史的にそこから何かを学びうるとしても、そこから21世紀においても性懲りもなく、イスラーム諸国によるヨーロッパ侵攻をきっかけとする人類最終戦争が 「もうじき起こる」「近いうちに起こる」 と言い続けるのはナンセンスだろう。  もちろん、そういう戦いが絶対に起こらないとは誰にも断言できないし、(それこそ[[偽メトディウス]]から数えれば実に1300年以上も「そのうち」「そのうち」 と言い続けているのだから) いずれ起こることもあるかもしれない。  しかし、そもそもその背景にある中世的予言には、キリスト教を聖なる教え、イスラームを邪悪な教えと二分するような価値観が投影されている。そのような予言を妄信することは、異文化に対する不寛容を助長することにつながり、むしろそうした衝突が起こるリスクを高めるだけだろう。  通俗的な予言解釈本のたぐいは、しばしば 「賢い知恵で予言のメッセージを汲み取ろう」 というような大義名分を掲げたがる。しかし、前時代的な宗教対立を煽るような論者に賢い知恵が備わっているようには見えない。本当に賢い知恵を備えているのなら、むしろ前時代的な宗教対立の呪縛から抜け出すことこそが意識されるべきではなかろうか。 (ここまでが再掲) *イスラーム  ノストラダムス予言に islam や muslim という語は登場しない。多くは「アラブ(人)」、「[[ムハンマド]](の信仰を持つ者)」、「[[イシュマエル]](の末裔)」、「[[バルバロイ]]」といった単語で登場する。  **アラブ Arabe 〔アラブ人〕 -[[第3巻27番>百詩篇第3巻27番]] -[[第3巻31番>百詩篇第3巻31番]] -[[第4巻39番>百詩篇第4巻39番]] -[[第5巻25番>百詩篇第5巻25番]] -[[第5巻27番>百詩篇第5巻27番]] -[[第5巻47番>百詩篇第5巻47番]] -[[第5巻73番>百詩篇第5巻73番]] -[[第6巻54番>百詩篇第6巻54番]] -[[第9巻89番>百詩篇第9巻89番]] -[[第10巻62番>百詩篇第10巻62番]] -[[第10巻63番>百詩篇第10巻63番]] Arabie 〔アラビア〕 -[[第5巻55番>百詩篇第5巻55番]](「アラビア・フェリックス」=イエメンへの言及) Arabiq 〔Arabiqueの省略形〕 -[[第6巻44番>百詩篇第6巻44番]] Arabique 〔アラビアの〕 -[[第5巻74番>百詩篇第5巻74番]] Arabesque 〔アラビアの〕 -[[第6巻55番>百詩篇第6巻55番]] **ムハンマド(の信仰を持つ者) -[[第1巻18番>百詩篇第1巻18番]] -[[第2巻86番>百詩篇第2巻86番]] -[[第3巻20番>百詩篇第3巻20番]] -[[第3巻23番>百詩篇第3巻23番]] -[[第3巻64番>百詩篇第3巻64番]] -[[第5巻55番>百詩篇第5巻55番]] **イシュマエル(の末裔) -[[第9巻43番>百詩篇第9巻43番]]([[イシュマエルの末裔>Ismaëlite]]) -[[第9巻60番>百詩篇第9巻60番]]([[イシュマエル]]) -[[第10巻31番>百詩篇第10巻31番]](イシュマエルの末裔) **バルバロイ Barb’ -[[第8巻9番>百詩篇第8巻9番]] [[Barb.]] -[[予兆詩第14番]](旧15番)? Barba. -[[予兆詩第32番]](旧29番) Barbar -[[第9巻42番>百詩篇第9巻42番]] -[[第9巻60番>百詩篇第9巻60番]] -[[第10巻38番>百詩篇第10巻38番]] Barbare(s) -[[第1巻8番>詩百篇第1巻8番]] -[[第1巻28番>詩百篇第1巻28番]] -[[第1巻71番>詩百篇第1巻71番]] -[[第2巻4番>百詩篇第2巻4番]] -[[第3巻59番>百詩篇第3巻59番]] -[[第3巻97番>百詩篇第3巻97番]] -[[第5巻13番>百詩篇第5巻13番]] -[[第5巻19番>百詩篇第5巻19番]] -[[第5巻78番>百詩篇第5巻78番]] -[[第5巻80番>百詩篇第5巻80番]] -[[第6巻21番>百詩篇第6巻21番]] -[[第6巻75番>百詩篇第6巻75番]] -[[第7巻6番>百詩篇第7巻6番]] -[[第7巻82番>百詩篇第7巻82番]] -[[第8巻73番>百詩篇第8巻73番]] -[[第9巻42番>百詩篇第9巻42番]] -[[第9巻80番>百詩篇第9巻80番]] -[[第9巻94番>百詩篇第9巻94番]] -[[第10巻61番>百詩篇第10巻61番]] -[[第10巻97番>百詩篇第10巻97番]] -[[断片9番>百詩篇断片・9番]] -[[予兆詩第35番]](旧31番) -[[予兆詩第67番]](旧60番) -[[予兆詩第74番]] -[[予兆詩第135番]](旧125番) Barbari -[[第6巻ラテン語詩>愚かな批評家に対する法の警句]] Barbarique -[[第5巻80番>百詩篇第5巻80番]] Barbaris -[[第9巻50番>百詩篇第9巻50番]] **スレイマン -[[第3巻31番>百詩篇第3巻31番]] **モール人(ムーア人)  モール人ないしムーア人というのは、元は[[マウレタニア]]の民を指す言葉であり、北アフリカの住民を指す。  ノストラダムスは[[Morisque]]やMoresqueという語で言及している。 -[[第3巻95番>百詩篇第3巻95番]]  以下は本人の作か不明である。 -[[第12巻36番>詩百篇第12巻36番]]  また、本人の手になるか不明の断片にはmauritainという形で登場する。 -[[詩百篇断片・2番>百詩篇断片・2番]] **金星・金曜日  このほか、安息日などの関係から、太陽・日曜日=キリスト教、土星・土曜日=ユダヤ教、金星・金曜日=イスラームという対応関係が成立する詩があると指摘されている。 -[[第5巻11番>百詩篇第5巻11番]] -[[第5巻24番>百詩篇第5巻24番]] -[[第5巻53番>百詩篇第5巻53番]] -[[第10巻95番>百詩篇第10巻95番]] **月・三日月  現代でもイスラーム諸国の国旗では三日月や星がシンボルとして用いられることがある。  ノストラダムス予言でも、「三日月」や「月」がイスラームを指している可能性は指摘されている。  ただし、[[アンリ2世]]も愛人ディアーヌの名(月の女神と同名)にちなんで三日月のシンボルを用いたため、すべてがイスラームを指すとは限らない。  それでも一応「三日月」(croissant)の登場箇所を挙げておくと、以下のとおりである。 -[[第6巻27番>百詩篇第6巻27番]] -[[第6巻78番>百詩篇第6巻78番]] -[[第7巻7番>百詩篇第7巻7番]] -[[第7巻25番>百詩篇第7巻25番]] -[[第10巻95番>詩百篇第10巻95番]]  このほか、[[selin]]の登場する詩は、イスラームを指している詩が含まれる可能性がある。 *プロテスタント  プロテスタントは、当時のフランスではもっぱらユグノーと呼ばれたが、この語は『予言集』に出てこない。カトリックからはプロテスタント寄りと批判され、プロテスタントからはカトリックと批判されたノストラダムスにとって、批判者からの攻撃材料を増やすわけにはいかなかったのだろう。 **「プロテスタント」  「ユグノー」は出てこないが、「プロテスタント」を含む詩は存在する。 -[[予兆詩第74番]] -[[第7巻82番>百詩篇第7巻82番]]  第7巻82番は予兆詩第74番をもとに偽作されたものであり、元は同じ詩篇である。  ほかに、プロテスタントやユグノーを明記した詩がない。モデルにしたと思われる詩はあるが、その辺りは解釈にもかなり左右されるので、索引としては扱いにくい。  ただ、[[ジュネーヴ]]、[[レマン湖]]、[[トゥールーズ]]などは、異教的なモチーフで出てきやすい地名である(登場箇所は、リンク先の各記事を参照のこと)。 **「異教徒」  異教徒を意味する語 paganisme は[[第3巻76番>百詩篇第3巻76番]]にだけ登場する。この詩は、実証主義的にはドイツ再洗礼派の描写と推測されている。  ドイツ再洗礼派と推測される詩には、[[第3巻67番>百詩篇第3巻67番]]、[[第4巻32番>百詩篇第4巻32番]]もある。もっとも、これらは財産の共有を謳う詩篇であり、20世紀以降の信奉者たちはマルクス主義と結び付けたがる傾向があった。 **ユピテル主義者  ノストラダムス予言には、「[[ユピテル主義者]]」「木曜日を祝日とする者」のモチーフが登場する。当時の言説では、プロテスタントが聖木曜日に冒涜的な集会を開いているという風説があり、それとの関連性が指摘されている。  このモチーフの登場箇所は、以下の通り。 -[[第1巻42番>詩百篇第1巻42番]] -[[第1巻50番>詩百篇第1巻50番]] -[[第2巻28番>百詩篇第2巻28番]] -[[第10巻71番>詩百篇第10巻71番]] -[[第10巻73番>詩百篇第10巻73番]] *ユダヤ教 -[[第6巻18番>百詩篇第6巻18番]](「ヘブライの呪術」この読み方には異説もある) -[[第8巻96番>百詩篇第8巻96番]]([[シナゴーグ]])  このほか、[[サトゥルヌス主義者]]には「ユダヤ人」の意味もあるので、ユダヤ教徒を指す言葉として使われている可能性もある(登場箇所は[[Saturnin]]を参照)。  土曜日・土星で例えている可能性と、その登場箇所については、上記の「金星・金曜日」の節を参照のこと。 *その他  仏教、バラモン教、ヒンドゥー教などへの言及は特にないものと思われる。  [[マギ]]への言及([[詩百篇第10巻21番]])は、ゾロアスター教への言及と解釈できなくもないが、どの程度意識されていたかは不明である。  このほか、[[ウェスタ]]に仕えた巫女[[ウェスタリス]]、太陽神に仕えた[[ブランコス]]の末裔など、ギリシア=ローマ神話に由来する宗教的なモチーフが散見されるが、本来の古代信仰の意味なのか、不明瞭な文脈での言及も少なくない。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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