『中国共産党政権はアト数年で消滅する!: ノストラダムスの終末予言はマダ終わっていなかった!』は2019年8月に発売された八広一宇(やひろ かずたか)の著書。自費出版のサービスであるデザインエッグ社のMyISBNで出版された。第2版は同年10月14日に出された。
ちなみに「マダ」は、下の表紙の画像だと「まだ」となっているが、奥付では「マダ」と表記されている。
著者
裏表紙の略歴では「この十数年、主にインターネット上で活躍」とあるが、検索してもそれらしいウェブサイトはヒットしない。
ジオシティーズなどを利用していた場合、サービス終了にともない閉鎖された可能性もあるが、いずれにしても詳細はよく分からない。
第2版では、発表したという過去の論説の題名が掲げられたが、ネットではヒットしないので、よく分からない。
コメント
なお、冒頭近くで恐怖の大王の詩に登場する bonheur を「幸福」ではなく「平和」と訳し、それを以降の解釈の基盤にしているが、heur (幸運)と heure (時間)を混同した誤った語釈を土台とする曲解であり、語学的には支持しがたい。そもそも、著者は bon heure を「平和な時代」と訳せると主張するが、男性名詞の heur と違い、heure は女性名詞なので bon heure という語形はあり得ない。そして de bonne heure (朝早くから、早い時期から)といった成句は仏和辞典に普通に載っている。
この「平和」という読み方は、鄧小「平」や習近「平」に結び付ける形でも利用されているが、解釈に大きくかかわる読み方なら、もう少し精緻な語学的検討があってもよかったのではないだろうか。
第2版へのコメント
第2版が2019年10月14日に刊行された。
その変更点は、主に上で指摘した点の差し替えである。差し替えでは、立論の精度は上がったものの、やはり疑問は残る。
八広は、哲学史の論文を挙げ、15世紀にはbonheurが「完全に満たされた意識の状態」を示す語として使われていたと述べる(出典に挙げられている原論文を確認してみたところ、その意味としても使われていたとなっており、若干意味合いが異なる)。
そしてその状態が外に向けば「平和」を意味したとして、「したがってノストラダムスが生きていた時代は、『bonheur』に『幸福』の意味を持たせているか『平和』の意味を持たせているか、その文意で判断させていたのではないか」と推測する。
しかし、その推論が正しいなら、古語辞典には「平和」の語義を載せたものがありそうなものだが、「幸せな出来事、幸せな状態」(événement heureux, état heureux)(DALF)、「吉兆、幸運」(bon augure, bonne chance)(DMF)といった語義しか見当たらない(エドモン・ユゲの辞典では見出し自体なし)。
17世紀末のアカデミー・フランセーズの辞書でも「幸福」や「幸運」の語義しかない。
「平和」を意味していたはずということを当然の前提としたうえで、ノストラダムスの時代の用例について推論を重ねるのは、単に「『平和』と訳さねばならない」という結論先にありきの印象を強めるだけなのではないだろうか。
なお、誤りに対してすぐさま第2版を出すフットワークの軽さや、出典を明記する誠実さについては、評価に値すると思われる(実際、哲学史の論文名が挙がっていなければ、彼の主張の検証はすんなりとは進まなかっただろう)。
ただ今後、第3版以降が出るとしても、当「大事典」としては特に追跡の予定はない。
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最終更新:2019年10月17日 00:27