アイネの物語

【魔動都市に眠る神】第4巻 アイネの物語


 皆が冒険者の店『白馬の勇士亭』で冒険者としての依頼に明け暮れる中、アイネは双児宮騎士団は騎士団長ディオスクリ・ラザラーグの下で私兵としての諜報活動や様々な任務をこなしていた。
 とは言うものの、巨蟹宮の騎士団長の後釜に『覇王』フォーマルハウトが就いてからというもの、周辺地区の問題は徐々に解消されつつあり、ディオスクリが担当する公務も順調に減っている。そのためアイネに言い渡される仕事も幾分かは少なくなっていた。
 その空いた時間を利用して、アイネは様々な人に話を聞いて回っていた。無論、それはアイネが解き明かしたいと考える謎を解くためであり、アイネ自身が強く望むものの、その謎を解き明かしていくことは『黄道宮騎士団』のこれからを切り拓くことでもあった。
 向かう先はまず、双魚宮。知り合ったばかりの騎士団長に、聞かなければいけないことが山ほどあった。

「やぁやぁ娘神のクレリックさん。ばぁちゃんっ子と仲良くしたいって?全然オッケーだよ?さぁ、じゃあ隠れんぼでもして遊ぶかい?」

 迎えたのは盗賊ギルド『砂縛の人魚』のギルドマスターであり、双魚宮騎士団長でもある『隠者』アルレシャ。穏やかそうな外見とは裏腹に飄々と言葉を紡ぐ。

「冗談さ。で、聞きたいことって何かな?もちろん、うちは盗賊ギルドだからね。情報合戦は、それなりの買値がつくよ?」
「ええ、存じております。私は現在、貴女方に有用な情報を持っていませんが、しかしきっとこの取引は最安値で執り行われると予想しています」
「ほほう、どうしてだい?」
「我々『黄道宮騎士団』が、都市の謎と都市に沸き起ころうとしている悪意の根源を探るために情報を探している、それも、貴女を頼るほど我武者羅に。この情報は、それなりに高値で買い取って頂けるはずでは?」

 にぃ、と笑むアイネに対して、アルレシャはその額をパチンと叩く。

「やられたね、アイネちゃん。聞いてしまったところで、『聞いてしまった』のだから、もうキャンセルは出来ない、ってか。いいだろう、言い値で売ってやるよ」
「ありがとうございます。では……」

 頭を下げ、アイネはまずこの都市における人族・蛮族の関係についてギルドはどう考えているかを尋ねる。アルレシャは『人族が閉じ込められていることに関してはどうにかしなければいけないと考えている』ことを告げると、続けて『しかしギルドは都市の味方であり、ロストサンズや闇夜の狼のように都市から蛮族連中を追い出すつもりは無い』とも告げた。これに対してアイネは痛く共感し、『この都市の中でさえ蛮族を許容できない狭量な自分には、この都市から人族を解放する術を探し出すことが最良としか思えない』と告げる。
 次いでラザラーグ三兄弟について尋ねるアイネ。アルレシャは飄々とした雰囲気を崩さずに、しかし丁寧にその問いに答えを返した。

「あのバカ兄弟?えーっとねー、ディオ君はねー、ひねくれてるけど、良い奴かな。割と好戦的な部類に入るから、私としてはあまり一緒に行動したくないけどね。仲は良いよ。
 ミーティアはねぇ……夢見がちかなー。うん、カリスマ性は確かにあったけど、でもそれだけで夢を叶えるっていうのはちょっと違うよねーって感じ。まぁ努力家なだけあって、正攻法で行けば確実にその夢は叶う気がしてたんだけどね。
 アークの馬鹿野郎に関してはノーコメント。この世界で最も、あれだけは気に食わん。あー、気をつけてね。あいつが黒幕だって思ってるうちは、あいつの手のひらの上で転がされているようなもんだから」
「アークトゥルスさんのこと、お嫌いなんですか?」
「嫌いだとか、そういう感情はもうとうに通りこしてるよ。私が専門的にアサシンの訓練を受けていたら、真っ先に寝首を掻きに行くね。だってさ、ミーティア殺したのアイツみたいなもんだもん」

 その返答は予想だにしなかった。と、いうよりも。何故、アルレシャはミーティアが死んでいることを知っているのか。アイネは言葉でもう一歩踏み込む。

「ミーティア様って、お亡くなりになっているのですか!?確かあの方って人族側の纏めをされていらっしゃいましたよね?なら大変なことになるのでは……?」
「……お?おお、……お……おっと、口が滑ったようだ。よしよしアイネちゃん。このことはとーっても大事な機密事項だから、絶対に口を滑らせてはなるまいよ?万が一あたしのようなヘマをぶっこいてしまった暁には、もれなく大量のアサシンどもがそっちに挨拶に行くって寸法になってしまう」

 そう告げた矢先、何者かの気配を感じ咄嗟に振り向くアイネ。ニールダの神像が立つ聖堂の影から、黒尽くめの男たちが十人ほど姿を顕にし、深々と頭を下げていた。

「えーっと……ご、めん」
「……逆に」

 心底申し訳なさそうに謝るアルレシャに、眉をピクつかせるアイネは開き直って告げる。

「逆に、ここまで話されてしまったのですから、アルレシャ様がご存知の事を全てお話していただきたいです。あと、どうしてそんな情報を握っているのかも。こんなにも中途半端な状態ですと、気になっちゃって夜も眠れません。ほら、私一応冒険者名乗ってますし、仲間もいますし。特に、アークトゥルス様がミーティア様を殺害したようなものだ、という部分の話を詳しくお聞かせいただけませんか?正直なところ、私が得ているアークトゥルス様の情報と照らし合わせてみたとき、その点が一番納得がいかないので……」

 真摯な眼差しを向けるアイネに、アルレシャは頭をポリポリと掻き、しばし思案する。

「……ま、あんたは口が堅そうだし、いいかな。とりあえずここなら部外者に聞かれるアレも無いし――ああ、聞いてもらうより見てもらった方が早い。ちょっと10分ほど時間をいただくよ」

 そう告げた彼女は神像の裏に回り、そして十分後、そこからミーティアが出てくる。

「うん、まぁ、驚くのも無理は無い。あたしはいわゆる影武者さ。半年前にレグルスから直々に頼まれ、この都市を『人族がより善くすごせるように』こうして働いているというわけだ」
「そ、そうだったのです……か……」
「このことを知っている人間は少ない。が、騎士団長なら全員が知ってる。逆に、副騎士団長でこのことを知っている奴はうちのサマカーくらいのもんだ。あと、アクエリアんことのアイツ。ただし、誰がミーティアを殺害したのかまでは誰も知らない。あたしはアークトゥルスだと確信しているけどね」

 ミーティアの姿のまま、アルレシャは言葉を続ける。

「アークトゥルスはミーティアに対して異常な執着を抱いていた。それはもう、兄弟って範疇に納まらない、異常な性愛さ……あれはミーティアを自分の所有物にしたがっていた。あれがまだこの都市に来たばかりの頃は、兄弟って縛りに愚痴る程度のかわいい奴だったんだけどね。それが、この都市の秘密が露わになっていくごとに、目の色を変えるようになった。まるで、悪魔憑きにでもあったかのようにね」

 精巧に編まれたウィッグを外し、緩やかな曲線を自由に描く銀髪が顕わになる。

「あたしら騎士団が、どうしてロストサンズを執拗に追うか、その理由はもうわかったでしょ?ロストサンズは、表向きにはキノスラが創設した組織だけど、その背後にはアレがいる。この都市で最も警戒しなきゃならない敵は蛮族じゃない。アークトゥルスなんだ」

 告白は止まらない。

「うちの部下十数人にアークトゥルスを見張らせている。うち数人は実際にロストサンズに潜伏してもらっている。一番最近の定時報告の内容は、『ロストサンズは決起の力を蓄え終えた。近々発起する』だってさ。アイネちゃんは確か、ロストサンズとの繋がりがあったよね?その繋がりを利用して、うちの部下から情報をもらってこっちに持ってきてもらえると嬉しいな。どうも、うちの部下のことはアークトゥルスにばれてるようだし……ああ、合言葉は――」

 * * *

 アイネは続いてその足で今度はロストサンズの連絡員、夕星(ゆうづつ)との面会場所に趣いた。彼女はアークトゥルスの部下であり、二ヶ月ほど前には彼女を通してアークトゥルスからの依頼を請けたこともあった(その目論見を阻止する為、わざと『失敗した』ということにしたのだが)。
 本来ならばキノスラや他の幹部に聞きたいところであったが、ロストサンズとの共闘関係を崩し、かつアークトゥルスに対して離反している今、それは叶わないことだとアイネは知っていた。

「お久しぶりです、アイネ様。ロストサンズは魔剣の塔に対抗する力を集結させつつあります」

 席に着くや否やド直球の目的のみを投げかけてくる夕星にアイネはひとつ面食らうも、すぐに姿勢を正し、きっと眼前の相手を見据える。

「キノスラ様は黄道宮騎士団およびその取り巻きや協力者には会いたくないそうです。おそらく、黄道宮騎士団がアークトゥルス様の依頼を蹴ったからではないでしょうか。アークトゥルス様も『会いたくない』とおっしゃっています。私も、これ以上不用意な接触を続けていると立場が危うい。我々の繋がりは、これで最後、ということにしましょう」
「すみません。わざわざ会いにきてくださって……私たちは、争うことになるんでしょうか……共に、人族に被害が及ばないことを願っていたのに……」
「おそらくそうなるでしょう。蛮族をどう捉えているか、という価値観の違いにより、いつかは必ず、相対する時が来るはずです。……私は、とても残念だと思いますが。あなたや、黄道宮騎士団とは戦いたくない。もちろん、戦力的にも、精神的にも。特にあなたとは、やりあうべきではない。戦力的にも、精神的にも」
「私だって嫌です。なぜ!争わないといけないんですか!私だって蛮族なんか許容できません!ですが、表立って緊張状態が現れていないのも事実なんです!なのに、私達が争うことになったら……それが火種になって、それこそ無実な人々の血が流れてしまいます!!そんなの……私は嫌です……」

 いつになく感情を露わにするアイネ。何故だろう、アイネは、この夕星という斥候が自らの考えと近しいものだという気がしていた。立場さえ同じであるなら、共に夢や理想を語り合い切磋琢磨しあえる親友にもなれるほどに。不幸にも黄道宮騎士団という仲間の中に、それほどまでに共感しあえる仲間を持たないアイネにとって、それは稀有な存在だった。

「……確かに、誰かが、何かが犠牲にならなければ存続しない世界など、私たちは必要としていないというのに……全く、おかしな話です」

 激情に対してあくまで冷静を返す夕星に、「すみません」と声を小さくしアイネは続ける。

「それに……仮に今蛮族と戦いをおこして、勝利することができたとしても、結局私達人族はこの都市から一歩も出られないじゃないですか。それじゃあ、勝利を収めても、都市外からの物流が途絶えてしまうことになりかねないです……戦いを起こす前に、人族が都市の外に出られる方法を探す事が先決じゃないんですか?」
「ええ、人族を解放する、という目的ならばそうでしょうね。しかし考えてみてください。人族をこの都市から解放する手段を見つけ、それが成されたその時、我々は――戦力を失うのですよ」

 冷静を通り越してそれは冷徹、十尺先からでも凍てつかせる魔氷の礫。彼女がロストサンズ強硬派に属するということをいやがおうでも理解する。
 しかし、アイネは引かない。その先を知っているから。教えてもらったから。

「仰っていることと、なさろうとしていることに、矛盾が生じています……。犠牲を出さずに事態を処理できるのであれば、まずそこを目指すべきではないでしょうか?少なくとも、一般市民も蛮族たちの中に混住している現状において、避難指示も出さないでの急な蜂起は、無駄な血を流しすぎます。レグルスや蛮族達は勿論の事、魔剣の塔や騎士団所属の、さらには被害を被った一般の人族の方々からも、ロストサンズが見限られてしまいます」
「ええ。私としては、我々が戦うということに疑問を感じています。ですが、ロストサンズはアーク様が率いています。彼の言葉が絶対であり、真理。アイネ様が仰られたことはすでに何度も議論されてきました。ですが、今更我々の方針が変わることは、無いのでしょう……」

 ふと、違和感を感じた。『無いでしょう』ではなく、彼女が『無いのでしょう』と結んだこと。ただ事実・予測を告げるのであれば前者で事足りるはずだ。それが後者だった。そこに付着するのは、あたかもそれを『残念に思っている』というイメージ、雰囲気だ。
 ああ、そうか。この人が――アイネはその違和感を確かめるために、言葉を紡ぐ。

「そう、ですか……。もう止めようが無いのですね……誰も、そのようなことは望んでないのに……普通の者も、都市の暴力に対して『隠れ棲む者』も」

 その言葉に夕星は耳をぴくつかせた。内緒話をする程度の距離でようやく見抜ける所作だったが、アイネの鋭い眼識はそれを捉えていた。それが確信となる――夕星こそが、『砂縛の人魚』が送り込んだ密偵だと。
 そして夕星は意思を連ねる。これまでとは少し異なるリズムで――それも、おおよそ面と向かって会話しているアイネにしか判らない程度の含みしか持たせずに。

「二者間、人族と蛮族との間に出来た歴史と溝はあまりにも大きい。
 月並みですが、戦争とはやはりそのような価値観の違いで起きるものです。
 後に残される者の気持ちも知りはしないで、勝手にいなくなっていく……。
 にくしみばかりが育っていって、そして何度も何度も繰り返すんです。
 塔のように積みあがった瓦礫の下で、遺志たちは懺悔を。そして、
 にげおおせた者は後悔を。勝利者は、強欲を。
 攻撃など誰もしなければ、防衛もする必要が無い。
 めざす『平和』は、皆同じはずなのに……。
 こんなことを言っていたってしょうがないとは思いますが、でも、
 むだに死者・負傷者は出したくない。それが私の真意です。それだけは、解っていただきたい」

 その言葉の羅列に意味を確かに感じ取ったアイネは、目を閉じてひとつだけ深く頷いた。

「私の真意が伝わったならば、どうか帰っていただきたい。これ以上は、私という存在の存続すら危ういのですから。……アイネさん。あなたなら、きっとわかってくれると信じています」

 そう告げて席を立つ夕星。続いて、アイネも立ち上がる。

「……最後にひとつだけ。私には、アーク様はロストサンズがどうなっても構わないと思っているように感じられます。……事実、きっとあの方はそうなのでしょう」

 その独白は、ロストサンズのメンバーを装う彼女のものではなかった。ギルドの命を受け密偵として暗躍する彼女のものでも。その言葉は、夕星の、一人の弱い人間としての言葉だった。

「大丈夫です」

 アイネは返す。この、稀有なまでに自らと近しい女性に。心を、決意を込めて、この言葉を。力強い、この言葉を。

「彼は、私たちが止めます」
「……あなたは……いえ、あなたたちは、とても強いですね」

 夕星はそう告げて去っていく。その背中を見送り、アイネは次なる目的地へと急いだ。

 * * *

「んお?急に来て何ぞい?」

 天蠍宮は『ヴェスペリオン研究所』――人族に友好的なアンドロスコーピオンの氏族がひしめき、ディオスクリとともにこの都市の魔動の機構について研究を行っているその場所で、アークトゥルス・ミーティア・ディオスクリの三者の祖父であるバイエル・ラザラーグはその研究に手と知恵とを貸していた。

「お忙しい中急に訪ねて申し訳ございません、バイエル様。もしお時間をいただけるのであれば、お孫さんについて伺いたいのですが……?」
「おお、おお。構わんよ、ちょうど今手が空いたところじゃ。どれ、ワシの私室へご案内してしんぜよう。おーい、双児宮騎士団長の私兵が出向いておるぞ!紅茶と高級茶請けを頼む!」

 快活に舌を回す老人は活気そのものであり、その声に呼応するように蠍人たちも威勢良く返事する。

(昔の私なら、この光景を夢だと思ったんだろうな……)

 アイネは心の中でひとりごちて、バイエルに案内され彼の私室へと着く。

「ディオスクリは小さい頃はいい子じゃったぞ。兄も姉も優秀だったからの。優秀だったが、一点特化型でしかもわりと早い段階で家を継ぐ気を失っていたからの。じゃからディオスクリは幼い頃から、周囲からの期待に応え続けていたな。本当はどうなりたかったかは、もう本人しか知らんことじゃの。ちぃとひねくれているが、根は素直で優しい子じゃよ」
「そうですか。ではあのお方は、昔からそれほど変わっているわけではないのですね」

 かの双児宮騎士団長の子供の頃を想像して、ふと微笑むアイネ。バイエルはその様子に目を細めながら、今度はその姉について語る。

「ミーティアは……ディオスクリを溺愛しておった。あれは不器用な子でな、努力家ではあったが、才能があったとは言い切れぬ。特に魔法に関してはてんでダメじゃったよ。じゃから、ディオスクリに期待を寄せておった。その期待でディオスクリが押しつぶされぬようにフォローしていたのもミーティアじゃな。ディオスクリが、八方に才能の秀でた子、というのもあったかもしれん。何せ、長兄と末子とは違って、ミーティアは本当に才能は皆無だったからな。そういう意味なら、完璧な人間像、というのに憧れておった。古代の魔剣を手に入れたら間違いなく神格化したじゃろうな」
「神格化……?わかりません……なんでそんな……神などという不安定な存在に憧れるんですか?実態もない……認識さえできない、まやかしのようなモノにすすんでなりたいだなんて……。それこそ、今以上に、より不完全な存在に成り下がってしまうじゃないですか」
「まぁ、ルーンフォークであるお主が理解できるには長い年月が必要かもしれぬな。しかしお主はルーフェリアの信者であろう?あの少女女神が民衆に齎した安寧はただならぬものであろう?神は確かに、見ぬ者には決して見えぬ。聞かぬ者には決して聞こえぬ。じゃがの、そんな不安定な者であるからこそ、必要としている者にはその恩恵は何倍にも何十倍にも膨れ上がる。不定形であると、不安定であるということは、ゼロになるかもしれぬこと。しかしそれは同時に、無限にもなれるということじゃ」
「……概念体というか、集合意識みたいなものでしょうか……やはり私にはよく理解できません……。ただ、あの聖典には共感できる言葉がいくつもありました。それが私にとって、司祭をしている唯一の真理であり、要因です」

 聖典。思えば、あの書物を読んだ時。自分は、本の虫になってしまったのかもしれない、とアイネは自己を回顧した。本当に、素敵で素晴らしい言葉がたくさんあり、傷んでいないはずの心が、汚れていないはずの魂が、何となく洗われたような気がしたのだ。

「そうであろう……あの子も、お主のように神が見えず、聞こえぬ者じゃった。お主とミーティアは一緒じゃよ。憧れたんじゃ。ただ、違うのは、お主はその言葉を遵守しようと志したのに対し、ミーティアは自らも同じ高みに上り詰めることを目指した」
「同じ……高み、ですか」
「神でなくてよかったのでは無いか、とワシは思うんじゃよ。あの子は神そのものではなく、『神のように必要とされ、それに応える者』になりたかったのじゃと思う」

 バイエルはふと、目に宿る光を虚空の彼方に遠く寄せた。きっとその視線の先には、神を目指した幼い子のひたむきさが映っているのだろう。

「そして……アークトゥルスじゃが」

 来た。末子、次子と来て、最後はもちろん長子の回顧だ。アークトゥルスはきっと、この都市に起きている事件――いや、起きようとしている波乱の中心にいる。それはきっとではなく、予感よりも確信めいた未来視。老いた口は、快活さを失いながら、ただ淡々とその過去を紐解く。

「アークトゥルスは……ミーティアを溺愛しておったよ。兄弟の中で最も魔法の才能に恵まれ、そして異常なほど賢い子じゃった。じゃが、ディオスクリが生まれてからはミーティアの注意がディオスクリに向かっての。それに対していささか不満を抱えておった。魔法使いになると決めたのも、ミーティアのサポートをするためじゃ。あれの生涯はミーティアだけのためのもの、とか宣っておった。じじぃとしては気持ち悪いの」

 最後の言葉には、空気を変える含みを持たせて。しかし悪戯っぽく笑んだバイエルの言葉に、アイネはまるで微笑むことが出来なかった。

「……自分のために生きてこそ、だと思うのだがな」

 ふ、と笑い。バイエルは、その言葉で締めくくる。アイネは口の中で重くぬるぬると蠢く唾液を静かに嚥下し、そして脳裏に沸き起こった問いを放つ。

「アークトゥルス様は……ディオスクリ様に嫉妬なさっていたのですか?」
「嫉妬しておった頃もあったじゃろうが……しかしディオスクリが当の姉を毛嫌いしておったからの」
「え?ディオスクリ様はミーティア様がお嫌いだったのですか?」
「いや、そういうことじゃなくの、ディオスクリの奴は人と一線を引いて付き合う性質じゃからの。家族であっても、不用意にずけずけと自分の領域に入り込んでくる輩には心を許さんよ。表向きは仲良くつるんでるように見えてもな……まぁ、わしもその一人ではあるんじゃがの」

 またも悪戯っぽく笑んで告げるその言葉に、アイネは一度目線を落としてから、再度バイエルの顔を見据え、ただこう告げる。

「……さみしい、ですか?」
「うんにゃ?ぜーんぜん?っていうかあの歳でじいちゃんじいちゃん言ってくる跡取りとか超うざくね?」

 ケラケラと笑うバイエル。アイネはその様子に少しばかりの安堵を心に灯しながらも、安堵ではない何かに心を苛まれていた。
 きっと、この老人は、知っている――もう、あの頃の三人と会うことは無いのだと。
 その後、ミーティアにとってのキノスラのような従者をアークトゥルスとディオスクリはつけなかったのかとアイネが問い、バイエルは『クルス』というキノスラの弟でもあるルーンフォークがいたことを話す。先ほどまで確かに落陽のように落ちていた何かは晴れ、バイエルは昔話に花を咲かせる。その様子にずきずきとどこか心を痛めながら、アイネは相槌を打って聞き入る。

 * * *

 話を終えたアイネはその足で自身の上司のいる双児宮騎士団塔へと向かった。情報収集はもちろんのことだが、それだけではない焦燥に似た何かが彼女の足取りを早めていた。
 ノックを四回、許可を得て通い慣れた執務室へと入る。切れ者の眼光を宿す二刀流の銃剣士は、机に溜まった書類に目を通していた。

「首尾はどうだ?」
「……つつがなく、といったところです」
「上々だな。しかし最近は、なんだか仕事に身が入らないな……一度あの無謀を通してしまえば、いつもの激務も物足りなく感じるくらいだ」

 告げながら書類にサインを記していく剣舞帝に、アイネは真っ直ぐに言葉を放つ。

「ディオスクリ様――もし……もし、都市とか家柄に縛られてなかったなら、何になりたかったのですか?」
「は?」

 きょとんと呆け顔を曝すディオスクリだったが、私兵の真面目な顔に、書類を机に置いて思案する。

「……まぁ、強いて言うとすれば……ああ、冒険者、というものにはなってみたい気もしていたな」
「冒険者、ですか?」

 ぱちくり、という擬態語が似合う素振りで、アイネは聞き返す。ディオスクリはどこか照れたようにぶっきらぼうに言葉を続ける。

「あ?だって、自由だろ?昔から唯一、自由ってもんに憧れててな」
「……ディオスクリ様ほど、自由闊達なイメージに合う方って、そうそう思いつかないのですが」
「俺はそう自由奔放ってわけじゃねーぞ?ん?」
「いえ、実際に自由でないのは重々承知していますが……」

 アイネは思い出していた。彼には――ディオスクリ・ラザラーグという人物には、選択肢が無かったことを。
 たまたま才を持ち。同じく才を持つ兄は自らの道を進み。姉にはその才が無かった。それ故に、彼にはその選択肢を、『ラザラーグ家を継ぐ』という道をしか選べなかったことを。
 ああ――そうだ。この人が、こんなにも自由気ままに振舞っているのは。そうだ、もう、それだけしか、自由が無いからだ。
 この人は優しい。周囲の期待を裏切れないほどに。
 この人は賢しい。周囲の期待を裏切れば、どうなるか手に取れるほど解るくらいに。
 だから。
 この人は悲しい。自分よりも他者を選択してしまうほどに。
 かつてルーフェリアの聖典ほどに、いやそれ以上に自分に多大な影響を与えた書物『ラザラーグ英雄譚』――<大破局>直後にてレーゼルドーン大陸からダーレスブルグに侵攻してきた蛮族の一団をたった一人で斬り・裂き・撃ち・穿ち・屠った、ある一人の英雄の物語。その人生の記録。その名もまた、『ディオスクリ・ラザラーグ』。そして、書物のその人と、眼前のこと人は、同じだ。定義する幸せの範囲に、自分というものを代入しない。いつだってその身は『誰か』のためのものであり、しかしその口はそれを嘯く。
 胸が締め付けられるようだった、痛いほどに。唇を、噛んでしまうくらいに。

「で?話はそれだけか?」
「……では、もうひとつだけ」

 ぎゅぅ、と音が聞こえてきそうなほどに腹に力を込め、気を引き締める。その呼吸は練技に似ていた。

「お兄様やお姉様についてどう思われてます?好きですか?」
「アークはいざって時に頼りにならん。イラッとする。ミーティアは何かとつきまとってくる。イラッとする。……まぁでも、どっちも大切な家族っちゃ、そうだけどな」

 ムスっとしたように答えたディオスクリだったが、ただその言葉の最後だけは、どことなく笑っているようにも見えた。

「……大好きなんですね、お兄様、お姉様が」

 だから、そんなことを、『考える前に』口に出してしまったのだろう。微笑みと共に。そうして、アイネは言った後で、自分が何を言ったのかに気付く。目の前には疑問の視線を投げかける剣舞帝。アイネは気まずさから咄嗟に、次の質問を繰り出す。

「そういえば、ミーティア様とご一緒の時、アークトゥルス様はどうしていらっしゃったんです?やはり三人で遠出とかされていたんですか?」
「知らん。あいつは姉貴みたいに構って来ることは少なかったからな」

 再び書類に目を落としたディオスクリの姿に、アイネは『この兄弟は不仲なのだろうか』という印象を受け、そしてそれをそのまままた言葉に出してしまっていた。

「ディオスクリ様……もしかして、実はアークトゥルス様の事、嫌いだったりします?」
「……好きでは無いな。長兄として家業を受け継ぐ役割を全部俺に押し付けた野郎だからな。ラザラーグ家は魔動機専門、それなのに真語魔法にのめりこみやがって……まあ、うちの姉貴はもとより魔術の才が無かったからしょうがないとして」
「なにか意味があったのでしょうか。わざわざ専門とは異なる真語魔法に手を出すなんて……」
「いや、そこら辺はもう才能の領分じゃないか?少なくとも、あいつはそういう『自由』な人間だったし、強制されてはいそうですか、ってタイプでも無いしな――昔からそうだった。いつだって、あいつが『やる』ことはあいつが『やるべき』ことじゃなかった。自分がやりたいこと、興味をひかれたことだけだった。それなのに、あいつは悪いなんてひとっつも思っちゃいない……責任感が大きく欠如してやがるんだ」

 書類に乱雑にサインを連ねるその姿は、回想の中の兄の姿を愚痴るようだった。いや、実際それは愚痴なのだろう。
 誰よりも不自由ゆえに何よりも自由に憧れる男は、誰よりも自由な兄を、心底嫌っているかのように見えた。
 そこに、違和感があった。
 そこまで嫌っているのならば、何故先ほど、『大切な家族』だなんてことを言ったのか――アイネは頭を下げ執務室を出、人馬宮へと向かう間そのことを考えていた。
 大切な家族なら――その続きがあるはずだ。例えば、大切な家族なら、『間違ったことをした時には叱って当然だ』というように。
 もしかしたら。もしかしたら、ディオスクリは全てをもう知ってしまっているのかもしれない――でも、まだ私には知ることが出来ない。その心の奥にずかずかと踏み込んで尋ね、聞き取る術をまだ持っていない――アイネはそう心の中で呟いて、そして騎士団塔の中腹にあるテレポート用の魔法陣に、足を踏み入れた。

 * * *

(第4巻冒頭へ続く)

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最終更新:2013年11月10日 20:37
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