心的構造

登録日:2011/02/06(日) 07:04:20
更新日:2020/01/11 Sat 20:10:06
所要時間:約 6 分で読めます




【解説】
心的構造とは、欲動を生み出すエス、エスに対する規範をしめす超自我
二つの要素と葛藤し、外界との調節を果たす自我の相互作用を示した働きの事。
(※正確にはジークムント・フロイトの発表した『心的構造論』の一部だけど、ここでは便宜的に『心的構造』と記述するね)

本当は各要素を強弱関係で解釈するは適切ではないんだけれど、(あくまで重要なのはバランスだからね)目安としてなら、以下の様な性格の傾向的分類ができる。


・『エスが強い』
幼児的、衝動的、感情的

・『自我が強い』
理性的、合理的、現実的

・『超自我が強い』
良心的、道徳的、自己懲罰的、理想主義的


心的構造の内包する格要素について、順を追って記述するね。


エスだよっ】

じゃあまずは、エスのこと、教えてあげるねっ!
エスはね、簡単にいうと無意識の、

『感情!』
『欲求!』
『衝動!』

の事で、昔の経験と『本能エネルギー』がいーーっぱい詰まってるところなんだよっ。

皆の、

『あれがしたいな!』

『これが欲しいよ~』

っていう気持ちはエスから生まれるんだけど、それを自我さんが超自我さんと相談して、『だめ』とか『いいよ』って決めてくれるのっ。
だから、良くも悪くも皆を動かす力は、みーんなエスから生まれる無意識なんだよ!




あっ、それと、エスは小さい頃に抑えつけられてた『欲動』も持ってるの。
子供の時にお菓子をあまり食べさせて貰えなかった人が、大きくなって反動でお菓子をいっぱい食べたくなったりするのって、実はエスの仕業なんだよっ!

えへへ、凄いでしょ~っ。


自我だ】

自我の持つ役割は、エスからの欲動を現実的に吟味し、超自我の理想とする観念と照らし合わせ判断する事、そして無意識的な自己防衛だ。
エスからの欲動は、その全てが秩序や倫理に捕われず、即座に満足へ向かう働き方をする。
それが物欲であれ性欲であれ睡眠欲であれ、ね。

もし物欲のエスであれば、その対象が何であれ、満足へ向かう最も迅速な手段は、盗み、奪う事だ。
しかし、それは倫理と禁止を内包する超自我に反した行為でもある。
故に僕は

『妥協』であったり
『諦め』であったり
『昇華』であったり

折り合いをつける為の、現実的な判断を下す。
性欲のままに異性を犯せば公権力に捕まってしまうし、睡眠欲のままに路上で眠れば轢かれてしまうからね。

自己防衛については……そうだね、『ねこだまし』、をイメージして欲しい。
恐らく、概ね理解して貰えるだろう。
心的構造における自我は、無意識的な君の理性の様な物だと思ってくれ。


超自我です】

超自我は、エスからの欲動を自我に伝える検問のような役割を持っていて、

『良心』
『道徳感』
『倫理観』
『禁止』
『ルール』
『理想』

の6つから成っているんですよ。
エスは何物にも捕われないので、自我へ伝える前にまず超自我の6要素と照らし合わせる必要があります。
だって、お腹が空いたからって、土を食べたり、人様から盗んだりしたらダメじゃないですか。
お腹壊しちゃいますし、泥棒は犯罪ですし。

けど、その判断は自我の役割で、私の役目はあくまでエスと、それに対する私の意見を超自我として、伝える事だけなのです。


お気づきかも知れませんけど、超自我は心的構造の鍵になってきます。
例えエスの欲動がどんなに歪んだものでも、貴方の超自我が疑問を感じなければ、当然の様にアクションを起こしてしまいます。
そして道徳・倫理を含む事から、良くも悪くも育った環境、時代、文化、教育の影響を多分に受けるのです。

超自我の形成に関わっているという意味でも、親のしつけや教育はとても大切なのですよ。




【サブカルチャーにおける性愛指針と心的構造に関する考察】

前述のエス自我超自我を跨いだ心的構造をサブカルチャーにおける性愛指針に焦点を当て、簡易的に表すと2通りの解釈が出来る。

1.肯定的作用(以下覚醒)
それは魅力的(以下エロ)だ
確かに魅力的だ
なら問題ない

2.否定的作用(以下非覚醒)
それはエロだ
そいつはいけない
えっ? うーん……


この様に、覚醒にしろ非覚醒にしろ、各作用には超自我が鍵となる。
言い換えると既存の超自我を覆す事が出来れば、僕達はそのエロに覚醒する。


▼例:女装男の娘




さて、彼女達は男性だ。
非常にエロだけど、一部を除く男性にとってこのエロは受け入れ難く、しばしば非覚醒的だと思う。
何故なら、如何にエロでも意味する所は同性愛な訳で、それを『禁止』する超自我に合致しないからだ。

同性愛は、現代日本でこそやや否定的だけど、3世紀程前の日本では当時の倫理が禁止していなかったから、当たり前の様に横行していたし、
『武士の華』とまで言われていた。

倫理抜きにしても、生物として非合理的なのに、彼等がそれを求めたのは何故か。

それは多分、純粋に『エロ』かったからだろう。


僕達は対象が何であれ、生まれながらにして美しい物に、魅力的な物に、エロに惹かれるエスを持っている。
例え時代が、文化が、倫理が、超自我がそれを許さなかったとしても、いや、許さないからこそ僕達は惹かれ、恋い焦がれる。
そして、そのエスは胸の中で鈍く燻り続け、それを否定する超自我自我が葛藤を続けるんだ。


タロにゃん可愛い……

でもちんこついてるんだよなあ……

うーん……いや、しかし、うーん……


といった具合にね。

そしてある時、僕達は変革的ともいえるある一つの真理にたどり着いた。


もうちんこついててもいいや!


という新境地だ。

かくしてエスが倫理を超越し、既存の超自我を塗り替え、紳士の心的構造は新たな覚醒を遂げた。


【備考】 

さて、この覚醒だけど、必ずしも現実とリンクしている必要はない。
というのは、あくまで『サブカルチャー』内での覚醒であり、ホモ性愛への覚醒を意味するものではないからだ。
それにそもそもこんな男の娘や女装少年達は現実に存在しない。
(覚醒後の超自我が『理想』とする女装少年や男の娘像に、現実のソレが合致しない。『三次それ即ち惨事』とは良く言ったものだよ)

男の娘に肯定的=ホモではない、というのはここに起因する。
また、覚醒は男の娘だけでなく、(サブカルチャー内の)近親相姦や(サブカルチャー内の)飲尿等、
様々な性愛志向に通じる部分があると言える……かも知れない。


【最後に】
※この考察は全ての性愛指針の是非を問うものでは無い事を記述しておく。



エス『追記、修正したいなっ!』
超自我『あら、それはいいですね』
自我『うん、じゃあそうしようか』

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