登録日:2009/05/26 Tue 19:58:12
更新日:2025/10/24 Fri 02:46:29
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【概要】
空母蒼龍とは、大日本帝国海軍が所持していた正規空母。
		| 竣工 | 1937年12月29日 | 
		| 戦没 | 1942年6月5日 | 
		| 除籍 | 1942年8月10日 | 
		| 全長 | 227.5m | 
		| 速度 | 34.5n | 
		| 排水量 | 15.900t | 
「現行の航空機の運用が可能な空母」として、先行する空母
「赤城」「加賀」のデータを元に設計された。
赤城と加賀はそれぞれ重巡洋艦と戦艦を空母に改装したものであったため、蒼龍は
日本海軍初の大型空母として完成。
以降の日本海軍航空母艦のモデルとなる。
一方で設計はいろいろと難航していたようで、計画初期段階では航空巡洋艦として設計する案もあった。
これはいわゆる「蒼龍原案」と呼ばれるもので、軍令部が艦政本部に要求した内容は、
		| 1 | 基準排水量 | 10050トン | 
		| 2 | 主砲 | 20センチ砲5門 | 
		| 3 | 速力 | 36ノット | 
		| 4 | 高角砲 | 20門 | 
		| 5 | 機銃 | 40門以上 | 
		| 6 | 搭載機数 | 100機 | 
		| 7 | 航続距離 | 18ノットで一万海里 | 
というもので、現実を無視した超兵器としか言いようがない無茶なものであった。
なにせたった10000トンの船体に26900トンの赤城以上の能力を持たせろというのだから無理というほかはない。
なぜ軍令部がこんな無茶を要求したかというと、この直前に建造した小型空母の「龍驤」が実質的な失敗作で焦っていたというのもある。
しかし、「友鶴事件」「第四艦隊事件」といった不幸によって、小さな船体に多すぎる武装を乗せた船は転覆しやすく危険ということが判明し、大幅な設計変更が認められた。
これにより、砲戦用の砲は全廃され、バランスのよいすっきりした近代空母としての完成形と言える形に仕上がった。
ただ、本艦は初期型に当たる鳳翔・龍驤の二倍近い重量を持つものの、赤城・加賀よりは一回り以上小さく、「中型空母」とされる。
サイズが小さいと言うことは格納庫も狭いと言うことで、運用できる戦闘機の数は少なくなってしまった。
これには、当時の海軍軍縮条約の影響で所有する空母の数が規制されており(軍艦なので、重量を総計した数で制限されていた)、その枠の中で二隻の空母を作ろうとした結果、このサイズになったという。
本艦は最新式の機関により15万馬力の出力を持つうえに、上述した理由で小型・軽量であったことから、最高速度は34.9ノットを記録。これは帝国海軍の正規空母中最速の数値だった。
「飛龍」とはとても縁の深い艦で、もともとは姉妹艦として設計されていた。
しかし1936年1月15日、ロンドン海軍軍縮条約から日本が脱退。
この時点で進水も済んでいた蒼龍は設計変更など不可能だったが、飛龍のほうはまだ起工すらされいていない計画段階だったため、蒼龍のサイズを制限していた条項を克服した上で再設計。
結果、「同一設計の姉妹艦」という定義からは外れることになった。
そのため、飛龍は蒼龍の改良型と呼ばれることが多い。
ただし飛龍は艦橋を右舷中央に配置するという、後に不便と判断された箇所もあったので全てが改良だったわけではない。
 
弱点はダメージコントロール能力の低さ。
特に格納庫は密閉式だったり、消火方法に問題があったりして、実は防御力が低かったようだ。
また、船体そのものの耐久力も軽量化を押し進めて電気溶接を多用するなど当時の最先端を採用していたが、当時の電気溶接はまだ問題が多く、飛龍ではリベット工法に戻されている。
【経歴】
1937年完成。
翌1938年に「第二航空戦隊」に編入。1939年には空母飛龍も完成し、この二隻を中心として第二航空戦隊が完成する。
1941年には「第一航空艦隊」が新設され、蒼龍・飛龍を中心とする第二航空戦隊もここに編入された。
1941年年末、蒼龍は「軍事演習」の名目で第一航空艦隊の各空母と共に、単冠湾を出航。
そのまま「真珠湾攻撃」に参加、米軍基地に攻撃を加えて日米開戦の火蓋を切った。
また、この作戦からの帰投中、別の部隊がウェーク島の攻略に苦戦しているとの報告が入り、二航戦はこちらの支援に狩り出されている。
1942年には南方戦線に参加。
パラオ諸島やオーストラリアのダーウィン湾、クリスマス島やセイロン沖などで大いに戦い、とくにセイロン沖開戦では英インド洋方面艦隊に大打撃を与えた。
しかし、この時期に大規模な人事異動が起き、航空パイロットの腕が著しく落ちてしまう。
そして1942年6月、蒼龍を含む第一航空艦隊は「ミッドウェー海戦」に投入される。
アメリカの航空部隊の襲撃を受けたとき、蒼龍は折悪しく戦闘機部隊に搭載する予定の魚雷を格納庫に集めていた。アメリカ軍機の投下した爆弾はこれに誘爆し、蒼龍は内部から大爆発を起こす。
これが致命傷となり、蒼龍はそのまま回復できず、撃沈した。
【その他】
名前は
四神の一つ、
青龍の表記の一つ。
また、日本海軍は空母の名前を「空を飛ぶ瑞獣」から取っており、先輩格の鳳翔や龍驤、後輩格の翔鶴や瑞鶴などもこれに当たる。
そんな中で蒼龍が出たからには次は朱雀……となるかに思われたが、相方は「龍」の名を継ぐ飛龍となり、結局「朱雀」の名前は使われなかった。
「蒼龍」の名前を使う艦としては二代目。
初代は明治初期に建造された御召艦で、木造の小さな船であり、「蒼龍丸」と呼ばれていた時期のほうが長い。また、こちらの名前は「そうりゅう」ではなく「そうりょう」と読む。
さらに漢字表記でこそないが、現在の日本の自衛隊に所属する「そうりゅう型潜水艦」に名前は受け継がれている。
ソーシャルゲームの艦隊これくしょんでも初期から登場の艦娘の1人。
飛龍とは仲がいいが、多聞丸推しの飛龍に比べたら少々地味。
性能・燃費とも中堅どころで癖が無い。
改二も早いうちに実装されて強くはあるのだが、他の改二空母が持っているような特色が無く、本当にただ優秀なだけの空母という点にとどまっている。
追記・修正お願いします。
    
    
        
-  一応やってみましたが詳しくないこともあって、あまり文章量が増えません(1500字程度)。引き続き加筆をお願いします。  -- 名無しさん  (2025-10-23 03:53:25)
 
 
最終更新:2025年10月24日 02:46