大韓航空機撃墜事件

登録日:2012/02/24 Fri 19:25:10
更新日:2024/12/22 Sun 11:28:38
所要時間:約 7 分で読めます



概要

大韓航空機撃墜事件とは、1983年9月1日、ジョン・F・ケネディ国際空港(アメリカ/NY)発、アンカレッジ国際空港(アメリカ・アラスカ州)経由、金浦国際空港(韓国/ソウル)行きの大韓航空007便(ボーイング747-230型機)が、ソ連のサハリン南方の宗谷海峡付近にてソ連防空軍のSu-15戦闘機に撃墜された事件。
乗員・乗客合わせて269人全員が死亡した。


大韓航空は事件の5年前にも、航法ミスでソ連領空に侵入し、機体を攻撃されており、今回が二度目のソ連領空侵犯。

民間の旅客機をろくに調べもせず、無線にて警告を発せずに撃ち落とした行為という事で、当時のソ連政府は西側諸国のみならず、ソ連寄りとされた東欧諸国やアラブ諸国からも厳しく非難された。


経緯

以下は日本時間。

8月31日:22時

007便、夜にアンカレッジを出発。
その後アメリカやカナダの航空当局の記録から、設定されている航路より北へ17キロ程逸脱していたが、両国は警告を出さなかった。
また、米軍のレーダーも逸脱を示していたが、特に警告を発しなかった。


同日:23時前

無線通過ポイントに達した際にカナダ側が異常に気付くが、007便からの応答はなかった。
既にカナダ側からの無線交信可能区域を出ていた為と推測されている。
米軍も異常に気付くが、管制指揮権がない空域であった為、警告を与える事が出来なかった。


9月1日:0時10分すぎ

ソ連のカムチャッカ半島に接近する航跡をソ連防空軍が発見。
米軍機と判断し、戦闘機がスクランブル発進するも、007便は2時間後にカムチャッカ半島上空から出る。
この為、戦闘機は基地へ帰る。

ところが、この数分後に007便は再びサハリンのソ連領空に入り、サハリンから戦闘機がスクランブル発進。
この後、ボイスレコーダーの記録が残る*1
この時、機長と副操縦士、航空機関士の3人は世間話をしていた。

また、全く同じ飛行プランであった大韓航空の後続便とも連絡をとりあっており、この時点で後続便と007便の風向きが違っていたが、007便は誤差の範囲内として、航路の逸脱に気付かなかった。


この3分後…

ソ連防空軍戦闘機が007便を視認するも、軍用機か民間機か区別がつかなかった。
なお、航空保安灯等は点灯していた。

東京航空交通管制部(東京コントロール)が007便からの上昇許可を求められ、高度三万五千フィートへの上昇を許可。
この時は既に007便はソ連領空を出ていた為、東京コントロールは領空侵犯をしていたとは知らなかった。
ただ、国籍不明の飛行体が007便に近づいているのは、レーダーで確認していた。

ソ連防空軍側は航跡を伴わない弾丸で警告を行うが、夜間という事もあり、007便は気付かなかった。
※本来は視認性に優れる曳光弾を使用して行うべきであったが、たまたま基地に在庫がなかった為、搭載していなかった。


この頃…

稚内空港の空自担当官と三沢基地(青森)の米軍管制官が異常に気付く。
高度を上げる為に低速、戦闘機が007便に追い付く。


同日:3時23分

ソ連防空軍が撃墜を指示(正体を確認しておらず、国際ルールに反するのは言うまでもない)。
2分後に戦闘機から2発のミサイルが発射され、機体後部に命中し、後部垂直尾翼と圧力隔壁が大破。
007便が東京コントロールにスコーク77(緊急事態発生)を宣言。

「メイディ、メイディ。後部付近で重大な爆発、操縦不能になりました。緊急降下します」と絶叫しながら連絡を入れる。


東京コントロールは007便に対してどのような事態かと尋ねるも、応答が滅茶苦茶であった為、すぐに第三管区海上保安本部救難センターに一報を入れた。

この頃より稚内の空自が無線に割り込む。
稚内は稚内空港に緊急着陸できる旨を伝えるも返答なし。

ボイスレコーダーには乗客の悲鳴が録音され、機長の緊急降下アナウンスを最後に録音が途絶えた。
被弾の影響とされ、フライトレコーダーは生きていた。

この後007便は旋回しながら墜落した。
頭からであった為、海面に叩きつけられる形となった。
被弾からわずか2分30秒後のことであった。

この時、たまたま現場海域で操業中だった稚内のイカ釣り漁船が、海上に007便が墜落する瞬間を目撃し、すぐに海上保安部に連絡を入れている。


当初ソ連は、撃墜そのものを否定したが、次々と遺留品が稚内市周辺に流れ着き、ようやく認めた。
だが、スパイ飛行と言って聞かなかった。

ただしソ連はブラックボックスを密かに回収しており、また分析をしたらスパイ飛行だと断言できる証拠は何も出ず、ソ連崩壊までブラックボックスを持っているという事実も伏せられた。

当時は韓国とソ連の国交がなく、国際連合に加盟する前*2であった為、韓国はこの件に関する交渉や国連での非難決議へ向けた諸作業をアメリカや日本に委任する事になった。
この時にアメリカ初の女性国連大使であった猛女ジーン・カークパトリックが、激しくソ連を非難する模様も知られたところである。
韓国内では当然猛烈な反ソ連デモが起こり、大韓航空も遺族から吊し上げを食らった。
しかし結局韓国内の遺族は和解案を飲まされる羽目になっている。


ソ連崩壊から2年後の1993年にロシア政府は韓国にブラックボックスの存在を認め、韓国に返還された。
第三国であるフランスの事故調査委員会が解析を行い、パイロットが疲れや眠気を訴えており、アンカレッジにて航路を設定する際に誤ってソ連の領空を通るように設定したと断定された。
過労や時差ボケが根本的原因という。


その後、ロシア政府は大韓航空に賠償金と代替航空機を納入。
また、多くの日本人(乗客28人)が犠牲となり、国内でも大騒ぎとなった。

当時の新聞やテレビでは、サハリンに強制着陸させられた等の誤情報が伝わって、記事に掲載されたり、ニュースで伝えられる等、当時大混乱となった。

なお、事件後しばらくして宗谷岬に慰霊塔が建てられている。


墜落した際、真っ先に動いたのは海保で、公海上でソ連側が妨害活動をした為、一時政府では海上警備行動の発令も検討されていたという。

航空機を撃墜した元ソ連パイロットは現在退役しており、何度か日本や米国の取材に積極的に応じている。

軍の命令とはいえ、旅客機を撃墜しなければならなかった事は今でも忘れられないと語っており、亡くなった方に遺憾の意を示している。

指命と感情の間で苦しんだ彼も、ある意味では事件の被害者の一人なのかもしれない。


原因

大韓航空機

パイロットの航路設定ミスによる航路逸脱が一番の原因とされている。
さらに先述の後続便との通信時に「風向きがおかしい」と気づいたにもかかわらず、航路逸脱と考えなかった事、管制権のあるレーダーが航路逸脱に気づかなかったor気づいた時には、既に交信可能区域を出てしまった後だった(=地上から警告できなかった)。
ルール違反を承知で交信に割り込んでいればまた違う結末となった可能性がある。

ソ連軍

徹甲弾のみの威嚇射撃を行っただけで、国際緊急周波数で無線交信を試みる等の「より伝わりやすい方法」で警告を行わなかった事。
国際緊急周波数を用いた警告や大韓航空機のコクピットから見える位置に出る等していれば、大韓航空機側も「何かがおかしい」と気づいた可能性がある。

さらに航空保安灯等を点灯している等、米軍機にしては不自然な点があったにもかかわらず*3、機体マークを確認する等の行動を取らずに軍用機*4と断定し、確証のないまま撃墜命令を下した事。
実際に前述のパイロットは、撃墜した後で「自分達は民間機にミサイルを撃ち込んで撃墜してしまった」事に気づいていた
機体に接近して正体を確かめさせていれば、夜間とはいえ、塗装や航空会社のマーク等から民間機である事に気づく事が出来た可能性がある。

ちなみに国際緊急周波数を用いて無線警告を行わなかった理由は、戦闘機の通信回線が一つしかなかった為であり、司令部と通信が繋がっている状態で007便と国際緊急周波数で交信を行う事が不可能だった為である


余談

ギタリストのゲイリー・ムーアのアルバム『Victims Of The Future』に収録されている『Murder In The Skies』は、この事件について歌われたものである。
興味のある人は聴いてみてはいかがだろうか。

また、ジオグラフィックチャンネル「メーデー!:航空機事故の真実と真相」のシーズン9第5話(日本における放送。オリジナル版では総集編とかの都合でシーズン7第5話)にて本事件が扱われている。
動画で見たいならば探してみるといいだろう。





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最終更新:2024年12月22日 11:28

*1 当時はフライトを通して記録するのではなく、30分ごとに区切って記録しており、墜落した場合は最後の30分が残る仕組み

*2 この事件から8年後の1991年に北朝鮮と共に加盟した。

*3 あの程度のサイズの軍用機もある為、大きさで判断するのは難しい。

*4 「民間機を装った偵察機」と考えていたとされる。