園川一美

登録日:2009/11/25 Wed 04:16:34
更新日:2024/01/10 Wed 23:33:51
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そのかわ かずみ


かつてロッテにて活躍した投手。熊本県八代市出身。
記録よりも記憶に残る選手の代表とされ、今でもネタにあがる程である。


◆ドラフト指名
時は1985年、当時日本体育大学のエースだった園川。
ドラフトでは4球団が競合の末、ロッテ(当時はロッテ・オリオンズ)が指名……も、園川は納得がいかない。
この年の、ロッテの1位指名は高校生の石田雅彦。

なんでこの僕が2位指名なんですか!』という名言を残し、
ノンプロのプリンスホテルへ進むことを決心するも、ロッテはドラフト指名から12日間園川を放置プレイ。

結局「石田より契約金を高くする」など、ちょっとした交渉の末園川はあっさり折れ、ロッテに入団。


◆初先発
初先発はルーキーイヤーの10月15日の南海戦。なんと無四球での完投勝利であった。

ルーキーが初先発で無四球完投!

そんな新聞記事は紙面の隅にちょこっと書かれるのみだった。
原因は2つ。1つ弱小球団ロッテが消化試合に突入していた事。
そしてもう1つ、ミスターロッテ・有藤道世がこの日に引退を表明したのだ。園川かわいそう。


◆飛躍と伝説
翌87年は先発ローテーションに定着、まあまあの活躍を見せる。

5月23日、柏崎佐藤池球場での南海戦。
この試合はパ・リーグ史上(現在)最後のサスペンデッドゲームだが、この時のロッテ側の投手は園川だった。*1なにやってんの園川。

9月2日の南海戦では13失点(自責点は7)を喫するも完投。このわけわからん記録は今でもパ・リーグの最多失点完投記録である。
しかも次の登板機会だった8日の日本ハム戦では完封。わけわからん男である。


88年10月19日。日付だけでピンとくる人もいるだろう、
パ・リーグ最も長い一日として今でも語り継がれている所謂「10.19」である。
川崎球場での近鉄戦。ダブルヘッダー第1戦は9回2死、梨田の代打決勝タイムリーにより近鉄が勝利。
近鉄にとってシーズン最終戦第2戦に勝利すれば、西武を抜き逆転優勝できるものの、引き分け以下ならば優勝を逃す……。

この近鉄戦に、ロッテ側の先発はなんと園川。7回2/3を投げ4失点。ご存知の通り近鉄は優勝を逃した。

『ザマアミロ、って感じがありましたね。勝っても負けても憎まれ役だってことは分かってましたから』
『優勝が決まる試合だろうが、そうでなかろうが、同じようにやってるんです』

園川、お前ってやつは……。


89年には規定投球回に達するも防御率6.10、当然リーグワースト。
しかしながらこの年園川は奪三振率1位を記録。なにやってんの園川。

91年の近鉄戦、園川によるトレーバーへの厳しい内角攻めの末の死球に対し、トレーバーは激高。
メタボ体型のくせに意外と足の速い(この年盗塁11個)トレーバーに外野まで追いかけられ捕らえられた挙げ句、ボコボコにされる。なにやってんの園川。

ちなみにトレーバーはその後も大暴れ。
退場宣告を受け乱闘も一段落したかと思いきや、何があったか再び激高。

ロッテベンチに向かって突進するも足がもつれて転倒。
起き上がろうとした所を丁度そこにいた当時ロッテの監督だった金田正一に顔面を蹴られた。なにやってんのトレーバー。

その後しばらくフツーの成績でフツーに、特に事件もなく投げ続けた園川。

3年後の94年9月20日のオリックス戦。現マリナーズのイチローが、
パ・リーグ史上初めてシーズン200本安打を達成した日だったが……この200本目を打たれたのが園川だった。

この時のコメントがまたすごい。

『いや、別にボク1人で200本打たれたわけじゃないですし』

( ゚Д゚)ハァ?

ちなみにこの年の対イチローは18打数13安打。
打率.733でカモられた園川はイチローのシーズン200本安打に大いに貢献した。
しかし翌年95年は12打数3安打1本塁打打率250と大幅に改善している。


◆開幕投手、そして引退へ
96年には開幕投手を務め、4回2/3で降板するもロッテの開幕戦勝利に貢献。
しかし当時、小宮山、ヒルマン、伊良部という3本柱を差し置いて開幕投手に抜擢されたため、
対戦相手のダイエー・王監督に『開幕投手には格っていうものがあるだろう』などとボロクソに言われる。

この時の園川のコメントが、
『仕方がない、俺だってそう思う。開き直ってやったよ』
ちょっとは反論しろよ園川。

このワンちゃんの呪いか、この年は0勝7敗に終わってしまう。

その後あまり良い成績を挙げることができず、99年10月3日、本拠地千葉マリンスタジアムでの最終戦で園川の引退試合。
浜名・柳田・柴原を抑え見事三者凡退に斬り、有終の美を飾った。


通算成績は76勝115敗、投球回1543、防御率4、32と超一流選手ではなかったかもしれないが、一流選手ではあった。


試合後のセレモニー。
『皆様、いままで私に勇気と力を与えてくださりありがとうございました。来年もチームに勇気と力を与えて下さい』

短い挨拶ではあったが、その言葉はロッテファンの心に大きく響いた。
決して目立つ選手じゃない、ただただ、心と記憶に残る選手だった。

ありがとう。園川一美。
さよなら、園川一美。





が。



その後行われた神戸でのオリックス戦に敗戦処理として登板。

引退試合台無しじゃん。

園川は最後まで園川でした。



ここまで主なエピソードを書き連ねてきたが、とても文章には表せないほどある意味魅力的な選手である。

ちなみに現在はロッテの球団職員とのこと。


園川『いや、別にボク1人で追記編集したわけじゃ……』

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最終更新:2024年01月10日 23:33

*1 サスペンデッドゲーム宣告時にマウンドに居たのは南海・井上