登録日:2012/09/15(土) 03:30:23
更新日:2025/04/05 Sat 22:04:48
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(眼д心)「ふはは」
(眼ω心)「んふふふふ」
(眼д心)「ふははははははは」
(眼Д心)「ふははははははははははは」
∧∧∧∧∧
< ハ >
< | >
< ハ ッ >
< ハ ハ >
< ハ ハ >
< ハ ハ >
(眼Д心) < ハ ハ >(ヽ^ゝ^)
< ハ ハ >
< ハ ハ >
< ァ ハ >
< ッ ハ >
< !! >
∨∨∨∨∨
(#眼Д心)「何が可笑しい!!」
心眼とは、落語の演目の一つ。
作は江戸落語の中興の祖として知られる初代三遊亭圓朝で、弟子でもあり実弟でもあった初代三遊亭圓丸(盲人)の体験談からこの話を拵えた。
当初はあっさりとしたサゲ(オチ)だったようだがこれを8代目の桂文楽が改作し、現在のよく知られるセリフとなった。
三遊亭圓丸は桂文楽の若手時代にはまだ健在であり、マクラで彼を舞台に引っ張り上げた話などをよく語っていた。
いわば主人公のモデルになった人をよく知っている人が、今の「心眼」を作り上げているのだ。
※ 本項目には、現在では放送禁止用語となっている差別用語が出てきます。
生まれつき目の不自由な按摩(あんま)の梅喜(ばいき)。
今日は横浜まで行ったのだが、どういう訳か顔色悪くしょんぼりしながら帰ってきた。
恋女房のお竹が何かあったと勘づき聞いてみると、梅喜はこらえ切れずに泣き出してしまった。
話によると、両親を早く亡くしたので幼い頃から自分が育てた弟に、恥を忍んで借金に行ったのだが、
『ドめくらがまた食いつぶしに来やがった』と言われたのが悔しくてたまらない。
いっそあいつの喉笛に食らいついて、と思ったがこんな不自由な体だから負けてしまうし、
当てつけに軒で首吊りしてやろうとも考えたが、それではお竹に申し訳ない。
ならば茅場町の薬師様を拝み、たとえ片方だけでも目を開けていただこうと気を取り直して、横浜から歩いて帰ってきたとのこと。
翌日から早速
薬師如来に、お竹に至っては自分の目を犠牲にしても構わないとお参りをしたが、満願の日になってもまるで目が見えない。
絶望しているところに知り合いの旦那が通りかかり、目が開いていると教えて貰ったところで本当に目が見えるようになっていた事に気付いた。
目の見える喜びに浮かれながら旦那と共に浅草仲見世まで行く途中、
自分が男前であることや、お竹は気だてのよい貞女であるが見た目が非常に醜いことを教えられる。
自分の妻はそんなに酷い面相かとがっかりしていると馴染みの芸者である小春に出くわす。芸者だけあってそりゃ美人である。
しかも二人で待合にて酒を飲み交わす内に小春が告白をして来た為に梅喜はすっかり有頂天となり、お竹と別れ結婚すると約束。
そのまま肉体関係を持ってしまう。
だがそこへ、梅喜が待合へ行ったと聞きつけたお竹が乗り込んで来る。
「こんちくしょう、この薄情野郎っ」
「しまった、勘弁してくれっ、おい、お竹、苦しいっ」
となったところで目が覚める。
「うなされてたけど、悪い夢でも見たのかい」
という優しいお竹の言葉に、改めて彼女の愛の深さを噛み締めた梅喜はもう信心はやめると伝えた。
「なぜさ?昨日まであんなに信心していたのに」
「目が見えねえてえなあ、妙なものだ。寝ているうちだけ、よーく見える……」
【解説】
いわゆる人情噺。明治初期の噺なので「めくら」「かたわ」「乞食」などの放送禁止用語がバンバン出てくる。
さながら差別用語の見本市であり、こういった意識の激しい部分に短絡的に訴えかけることによって、比較的短い時間で深い余韻を出すという構造になっている。
そして盲人である梅喜でさえ、視力を取り戻したら顔面が不自由な方ブスのお竹を捨てるという薄情さを示し、この直後にサゲに行くことで余韻を深める。
うまい噺家のものを一度見た人は落語や盲人に対する価値観が変わってしまうことさえあるという、大長編を得意とした圓朝晩年の傑作である。
この噺はあらすじではなく本物を見なければいけない。それも音源ではなく、ぜひ映像、できれば生で見てほしい。視覚がどれくらい重要かというと、音声にできないなら、とばかりに柳家権太楼が演じている写真集が発売されているほど。落語家の写真集なら昔
桂歌丸が女装した写真集を出してたけど、
落語家が落語やってる写真集ってなんだよ。
視覚障がい者の梅喜が最初は目を閉じているのだが、これが目が明くようになると嬉しそうな表情を見せるところや、杖を突く動作など、視覚的な様々な部分に噺の妙があるため。
さらに「めくら(ドめくら)」をはじめ、今では差別的すぎるとして放送禁止用語に指定された言葉をあえてふんだんに使うことによって(演者によっては梅喜に好意的な旦那や小春にさえ「めくら」と言わせる場合もある)、決してそれを言わないお竹の愛情深さを際立たせるという構成の都合がある。
そのため
この令和の時代ではまかり間違ってもテレビでは放送できない。もし放送されることがあればそういった言葉が取り除かれているため、それはもう徹底的に毒抜きされた別の作品。
さながら「目黒のさんま」「ねぎまの殿様」でお殿様が家臣に出された料理のようなものであり、そんなもんを食べてもさんまやねぎま鍋のよさは分からないのだ。
落語マニアのウケがいい一方で噺家からの評判はめっぽう悪い。曰く「儲からない」「できる場所がない」。
というのも、主催者や会場の持ち主などから「放送禁止用語を避けてくれ」とお願いされてしまう他、障がい者が客席にいる場合は避けなければならないなどものすごく制約が多いため、覚えても使いどころがないのである。
視覚障害のある客が寄席に来ると係員から連絡が回り、楽屋に「目の不自由な方」と張り出され、噺家は盲人の出るネタを避けるという手筈になっているらしい。一方、障害の当事者だからこそ、噺家がどのように演じるかに興味があるという客もいるそうで、
桂文治(11代目)は視覚障害のある落語ファンが、「『景清』や『心眼』が聴きたいのに誰もやってくれねえ」とぼやいていたという話を紹介している。
そもそも放送禁止用語の問題がなかったとしても演じる側からすれば辛気臭い噺であり、それよりももっとドッカンドッカン笑わせたり、人情噺にしたって「芝浜」「ねずみ穴」のようなもっとやりやすいものがある。
まして放送禁止用語を避けてしまうと梅喜が「
単に弟に貸し渋られただけで自殺を考えるメンヘラおじさん」になっちゃうわけで全然感情移入できないし、お竹の愛情深さの印象付けもさっぱりうまくいかないので単なる「優しいけど盲人くらいしか貰い手がいなかったブス」という印象で止まってしまうのである。
これをもう聞くに堪えないレベルの罵詈雑言にすることによって「親代わりにまでなって育てた実弟にまでここまで罵倒される気の毒な人」「そんな人にも連れ添って励ます日本屈指の貞女」と描き、これによって観客の感情移入を誘ったり人物描写に深みを出す構成の味が出てきて、オチで「目が見えない方がいいわなぁ」という人情の原点に立ち返る良さや余韻がじんわりとにじんでくる。
そのためこの「めくら」「かたわ」という言葉がないとどうしても良さが出てこないとする人が客にも演者にも多く、さらに演者に大名人としての貫禄が必要ということもあって、うまい人でも滅多に演じない。
立川談志が寄席で真面目に落語をやるよりも珍しい。
平たく言えば、プロの噺家としてはやはり人々を笑わせるなり感動させるなりするのが仕事。
もっと儲かる噺やウケのいい噺をしたいのに、辛気臭い上に毒抜きされた噺なんて持ち味が完全に死ぬのであんまりやりたくないのである。
この解説を読んで「書いてる奴はめくらとかかたわって言いたいだけだろ」「これは編集しなきゃダメだ」と反射的に思った、あるいは編集ボタンに手を伸ばしたあなたにこそ見てほしい。
この差別用語が落差を生み出す装置になっている。落語というのは
座布団を取り合うものや単なるきれいごとではなく、噺を通じて客を感動させる「話芸」なのだと分かるはずだ。
「アニヲタてえなあ、妙なものだ。知識自慢したい時だけ、よーく追記してやがる……」
- 当時はイザとなれば検校って立場の人が金貸してくれたらしい。 -- 名無しさん (2014-09-04 15:14:46)
最終更新:2025年04月05日 22:04