観世音菩薩

登録日:2011/05/11(水) 13:14:45
更新日:2025/11/01 Sat 01:24:55
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■観世音菩薩


観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は、大乗仏教(顕教)の尊格の一つ。
紀元前の初期大乗仏教の発生の頃には既に誕生していたとされる、信仰専門の仏尊である。
補陀落(ふだらく)浄土に住み、勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇持として控える。
一般的には観音(かんのん)菩薩、観音さまと呼ばれる事が多く、その名の様に常に迷える衆生の身を案じ、世界の音(苦しみの声)を聞き監視している尊格である。
そして、衆生(人々)を救うべく様々に姿を変化させて姿を顕す「変化観音」信仰でも知られている。言うなれば、無数に◯◯フォームがある仏様ということ。

かの「般若心経」の主役。
それ故に民間でも篤く信仰されており、所謂「菩薩」と云うと先ず多くの人が思い浮かべるであろう尊格であろうと思われる。
現代でも「○○観音」と称された変化観音(観光名物)が立てられるのも上記の伝承に依る物である。



【変化観音】


観世音菩薩(聖観音)の梵名を“アヴァローキテーシュヴァラ(Āryāvalokiteśvara)”と云う。
これは訳すと“様々な姿に変化し顕れ世界を観る”となる事から漢字圏に於ては“観自在”転じて“観世音”と訳されたのである。
しかし、その名に反して起源となる伝承が曖昧で、
古代イラン(ペルシャ)の大地母神アナーヒターやゾロアスター教の六大天使の一つであるアールマティに起源を求める説も出されている。
性別に関しては大陸当時より曖昧、と云うか様々な由来の女神も男性名の仏尊である筈の観音に取り入れられており、本体ばかりか以下の六観音(七観音)にも女神を起源に持つ尊格も居る。
仏教に由来する隠語で男性器を“魔羅”と呼ぶのと同時に女性器を“観音様”と呼ぶのは有名な話である。

観音菩薩が様々に姿を変えて衆生を救うと云う信仰は既に大陸にて誕生しており、
民間信仰をも一纏めにした「三十三観音」信仰の概念も、我が国への伝来以前には成立している。
そして所謂「浄土信仰」の流行の中で主尊阿弥陀如来の手助けをする存在として観音信仰が広まる中で密教が伝来……。
密教において観音の多彩な慈悲の顕れを更に判り易く、超自然的な姿で顕した「変化観音」が誕生する事になる。


【六観音】

変化観音の中でも特に知られた存在で、各々「六道輪廻」を救うべく顕れた存在である。
一般にも知られるのが天台系の六観音だが、真言宗では准胝観音を加えて六観音。または七観音とする。


【地獄道】


■聖観音

『聖観音』…或いは『正観音』は最も基本的な姿を顕した観音で、通常「観音」と云ったらこの姿を指す。
梵名は“Āryāvalokiteśvara”となり、前述の通りで此の梵名自体が“観世音菩薩”という名号の由来である。

仏教では阿弥陀如来の第一王子ともされる。
阿弥陀如来が大乗仏教に於ける“如来”のイメージの大半を請負う代表格と呼べるなら、観音は“菩薩”の代表格と言える。
実際、性格的にも仏教に於ける菩薩という存在の基本となる設定そのものと呼べる程であり、信仰の対象となる程の“菩薩”は殆どが既に如来として解脱できる程の功徳を備えているのに敢えて“菩薩”の段階に留まり現世の衆生を救おうとしている者達ばかりなのだが、観音はその中でも己の身を変化させてまで広範に衆生を救おうとしている━━という訳である。
この設定が更に進められた結果、元々は正法明如来という歴とした仏(如来)であったのが、敢えて菩薩の段階にまで戻り衆生を救う活動を続けていると語られる場合もある。

六観音では地獄道を救う。
姿は阿弥陀如来の化仏(シンボル)を施した宝冠を被り、蓮華を指した花瓶を持つ姿で顕される事が多い。

【阿修羅道】


■十一面観音

『十一面観音(梵:ekadaśamukha)』は、六観音の一つ。
最も早くに登場した変化観音であり、インドでも密教が誕生した頃となる7世紀には既に作例が存在している。
梵名を“エーカダシャムカ”といい、意味は“十一の顔を持つもの”となる。

その名の様に頭部に十一もの顔を持つのだが…本面を除き十一(つまり、十二面。)、本面を含み十一…等、様々な作例、配列がある。
左手に水瓶を持つ姿で顕される他、密教では多臂(四本腕や八本腕)で顕される場合もある。
また、祟り神として有名な象頭の暴神である大聖歓喜天(ガネーシャ)を女身(象頭の女神)に化身し和合(セクロス)する事で諫めた説話でも有名。

360°どこからでも衆生を見逃さないように多面になったと言われている。そこ「打ち首」とか言わない。
また向かって真後ろの面が爆笑(「大笑」面)しているのは知る人ぞ知るトリビア。

六観音では阿修羅道を救う。

【餓鬼道】


■千手千眼観自在菩薩

『千手千眼観自在菩薩(梵:sahasrabhuja)』は、六観音の一つ。
所謂『千手観音』のことであり、正式名称が『千手千眼観自在菩薩』となる。
梵名の“サハスラプジャ”とは“千の手(を持つもの)”という意味であり、この名は古代インドではヴィシュヌ神や、ドゥルガー女神の異名であったとも言われる。

その威容と功徳から変化観音の王とも呼ばれ、観音菩薩の本願である慈悲の働きを最大限に発揮した尊格である。
尚、此処で言われる千とは無量円満=無限の意である。
六観音では、その圧倒的な功徳によって特に浅ましい衆生が苦しむ餓鬼道を救う。

姿は名の顕す通り千本の腕を持ち、頭上に十一の化仏を頂き、本面に三眼を表し、更に掌に一つずつ「眼」を表す……。
が、流石に千本の腕と千個の眼を顕すのは難しい為か四二臂での作例が多い。
これは本体を除く四十の腕に四十の眼で一つで二十五の衆生を救う……合わせて千になると考えられた為である。

全てを救おうという思いが何本もの腕を生やしたという優しさを感じるお姿だが、どう考えても仏師には優しくないフォルムである。

数少ないがマジで腕が千本ないしそれに近い数ある像もある。唐招提寺の千手観音なんかは有名だがあれは後ろの柱に腕がビッシリなホラー仕様。

眷属として二十八部衆や風神・雷神を従える。


【人道】


■不空羂索観音

『不空羂索観音(梵:amoghapāśa)』は六観音の一つとして有名だが真言宗系では入れられていない。
梵名は“アモーガパーシャ”で、これはそのまま不空(amogh)羂索(pāśa)という意味となる。

“不空”とは、何か格好いい響きではあるが、意味合いとしては願いが無駄(空)にならない(しない、させない)という超ポジティブな姿勢を示した言葉。
“羂索”とは、鳥や獣や魚を捕らえる網や綱の事であり、
……つまりは“苦悩する衆生を必ず救ってみせるぞ!”……と云う、超やる気のある観音様ということになる。

……まぁ、その姿勢から地引き網で無理やりにでも衆生をかっさらうのがお仕事。……と解釈される向きもあるが。全く話を聞かずにこっちが困っていると決めつけて力付くで掻っ攫っていく宗教勧誘と考えたら怖すぎる。
額の真ん中に三つ目の眼があり、左肩に鹿皮を掛けていることから、この尊格もシヴァ神由来の仏尊の一つである。

六観音では人道を救う。
古い時代から出現した為か姿は様々に伝えられており、一面、三面、十一面と顔面の数もバラバラ。
腕の数も区々だが、我が国では一面八臂で名前の通りに羂索(その他)を持つ姿で顕されるのが基本となっており十一面観音のアイデンティティを奪いに行っていない。


【天道】


■如意輪観音

『如意輪観音(梵:Cintāmaṇicakra)』は六観音の一つ。
密教の伝来後に誕生した変化観音の一つであり、変化観音の中でも特に特異な姿をしている。
梵名を“チンタマニーチャクラ”といい、これは名号の由来でもある“如意宝珠”“法輪”という意味となる。

“如意”を指す“如意宝珠”とは、持てば意の如く福徳と財産が得られると云う万能の宝(宝珠)のこと。一つで全てが叶えられるドラゴンボールみたいなもんである。
“(法)輪”とは仏(仏陀=釈尊)の教えの事であり、二つを併せた“如意輪”で現世利益と知恵の両方を授ける(得られる)と云う意味になるのである。

六観音では天道を救う。
天道とは名前の通りに天国のことであり、確かに仏教でも多くの人にイメージされる通りに枯れない花が咲き乱れて天女が舞い戻り光に満ち溢れたイメージ通りの天国……なのだが、
仏教においては天道の神々もまた輪廻の中の迷える衆生であり、寿命が来れば死に、他の生き物に生まれ変わらなければならないという運命を背負っているとされているのである。
死が近づいた神々*1や天人・天女に降りかかる「天人五衰」は地獄の苦しみだという。

「天道」と云う言葉から連想したであろう「星宿(星の運行)」の支配者ともされる。
姿は様々に伝えられるが、一般的には一面六臂が多い。
やたらリラックスしたポージング(半跏思惟像)が特徴的。 

【畜生道】


■馬頭観音

『馬頭観音(梵:hayagrīva)』とは六観音の一つ。
変化観音の一つで、特に密教的な特異な形態で有名な尊格で一目では観音菩薩とは理解できないであろう姿をしている。
観音菩薩の変化にも関わらず、優美な他の“観音さま”と違い忿怒相の明王形で顕されており、背にも光背では無く火炎を背負う。
……この為、菩薩では無く、明王として“馬頭明王”と呼ばれる場合もある。
梵名の“ハヤグリーヴァ”とは、そのまま“馬の頭を持つもの”という意味であり、これはインド神話に於ける馬の頭を持つアスラ(魔神)の名から取られたものである。

六観音では畜生道を救う。
獣に堕ちた衆生の無知や苦悩を断罪し、
併せて“それ”に付随する諸々の「悪」を破壊する役目を担うと云う観音の本願が強引な形で顕れた存在だと云える。
姿は様々に伝えられており、一定していない。
一面二臂、一面四臂、三面二臂、三面六臂、三面八臂、四面八臂……等がある。

「馬頭」観音の名前通り、頭上に馬頭を頂き、馬頭印と呼ばれる特殊な手の組み方をするが、まんま“馬の頭を持つ姿”で顕される事もある。
だからと言って馬面の長い顔の人を「馬頭観音様だ」なんて笑点腹黒い人横浜真金町のお爺さんの様に言ってはいけない。
尤も、梵名であるハヤグリーヴァは前述のようにインド神話に於ける馬頭のアスラの名前である為に偶然か意図的にか原典に沿った姿ということになる。
尚、このハヤグリーヴァは割と複雑な神話と出自を持つ。
元々は創造神ブラフマーが眠っている間に口から漏れ出ていたヴェーダ(知識=宇宙の真理)を盗み出した後でヴィシュヌに降伏されたアスラ……とされていたのだが、後にヴィシュヌ派が力を付けていく中でハヤグリーヴァは敵であった筈のヴィシュヌに取り込まれて、ブラフマーからヴェーダを奪ったアスラがマドゥとカイタバという2組のアスラに置き換えられ、ハヤグリーヴァはそのマドゥとカイタバを降伏させる為にヴィシュヌが姿を変えた化身(アヴァターラ)の一つと考えられるようになっていった。
この、化身としてのハヤグリーヴァは“ハヤシラ”とも呼ばれるそうで、矢張り神話上の矛盾への指摘でもあったのだろうか。
何れにせよ、馬頭観音はそのハヤグリーヴァが仏教(密教)に取り込まれた姿であるようである。

また、民間信仰では馬を守る仏と考えられ道祖神ともなっているが、これは「馬頭」と云う呼び名から単純に「馬」を連想された為であろうと思われる。



【番外】


■准胝観音

『准胝観音(梵:Cundā/Cundī)』は、代表的な変化観音の一つ。
真言宗系では、不空羂索観音の代わりに六観音の一つとなる。
元来はインド起源の女神であり、優美な姿ながら{十八もの
腕を持つ異形}の観音様である。
その姿と梵名の“チュンディー”が異名として伝わることからインド神話シヴァ神妃の一つであるドゥルガー女神が仏教に取り入れたのだと考えられている。
准胝観音は陀羅尼(長文の真言)その物を神格化したとも言われる広大な功徳を持つ仏であり、真言宗の開祖である空海は得度(出家)の守り役として准胝観音を奉った。
天台宗では准胝仏母と呼び、菩薩より更に高いランクにこの尊格を置いている故に敢えて六観音には含まなないのだと云う。
こうしたパターンでは、大抵は真言宗系の方が正統というか一般にも膾炙したバージョンとして扱われる中では珍しく、天台宗系の“六観音”の方が広まっているケースでもえる。

シヴァ神妃を由来とすることもあってか、ヒンドゥーのシャクティー派から発展してチベット密教にも取り入れられた無上喩伽タントラにも通じる神聖娼婦の守り神であったとする説もある。

【真言】


■聖観音
■オンアロリキャソワカ

■十一面観音
■オンロケイジンバラキリクソワカ

■千手観音
■オンバサラダラマキリク

■不空羂索観音
■オンアボキャビジャヤウンハッタ

■如意輪観音
■オンバラダハンドメイ
■シンダマニジンバラウン

■馬頭観音
■オンアミリトドハンバウンハッタ

■准胝観音
■オンシャレイソレイソンディソワカ





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最終更新:2025年11月01日 01:24

*1 仏教では“仏”の段階に至っていない神々もまた救済の対象であり、共に祀られていても其処には明確なランクが存在している。つまり、仏教で“仏”と呼ばれるのは如来・菩薩・明王のみで、彼等は不滅にして何なら同一の存在だが、天部に属する神々や阿修羅、その他の鬼神や亜神や龍や亜人は有滅で寿命が存在するということ。