日産自動車上三川工場リンチ殺人事件

登録日:2014/01/08(水) 18:30:10
更新日:2024/09/21 Sat 16:11:05
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日産自動車上三川工場リンチ殺人事件(にっさんじどうしゃかみのみかわこうじょうリンチさつじんじけん)は、
1999年12月4日に栃木県河内郡上三川町で発覚した、複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・殺人・死体遺棄事件である。
単純に栃木リンチ殺人事件とも呼ばれる。
桶川ストーカー殺人事件とともに一部国民の警察不信の発端となった事件。また日産自動車も世論および裁判所から厳しく批判された。


◆事件概要


この事件の加害者である四人の少年グループの内の、主犯格の少年に金をせびられていた一人が、
自分の身代わりとして同じ日産に勤めていた、大人しく真面目な被害者に目を付け、彼を呼び出して四人で拉致したことが事件の発端となった。

被害者を脅してサラ金や友人から借金させて自分たちの遊興費にすると共に、スプレーに火を付けて浴びせかける、熱湯をかけるなどのリンチを加え、
被害者は無関係な人間のために7,283,000円もの借金を抱えさせられるだけでなく、最終的には全身の8割が焼けただれるほど凄惨な暴力に晒された。

当然拉致されている上に自身の給料も加害者に奪われているために返すあてなどない被害者がサラ金や友人から借金を拒否されるようになると、
加害者たちは次の金づるとして被害者の両親に借金を無心させるようになり、この行動に違和感をもった被害者の親族は警察に相談を持ち込んだ。


しかし、相談を持ち込まれた栃木県警の石橋署は捜査を始めるどころか「警察は事件にならないと動かない」「遊びまわってるだけだろ」「お宅の息子さんが悪いんじゃないの」など、
親族の合計9回にも渡る捜査依頼を、真剣に話を聞くことすらなくつっぱね続けた。

挙句、粘り強く相談していた際に偶然被害者から掛かってきた電話を、事態が逼迫してきていることを分かってもらおうとした父親が「自分の友人」として警察官に渡した時には、
渡されるなり「石橋署の警察官だ」と名乗り、危機感を持った加害者に電話を切られるという不手際を演じてしまった。
ここまで来てもこの警察官は事態の深刻さを理解しようとすらしておらず、「あ、切れちゃった」とだけ言って父親に電話を返したという。

一方、警察が(実際には動く気がさらさらなかったが)動いているとこの電話で考えた加害者たちは、散々自分たちが嬲ったことで被害者が負った火傷やその痕を隠すことは不可能と判断し、
事件の隠蔽を図る目的で被害者を殺害。その遺体は山林に埋められた。

自分たちの勝手な都合で散々食い物に、嬲り者にして命まで奪ったことに(死体遺棄の段階で)罪悪感など微塵もなかった加害者たちは、
「15年逃げ切れればいい(当時の殺人罪の公訴時効が15年のため)」と言い合い、被害者の『追悼花火大会』と称して花火で遊ぶなどしていたが、
後に良心の呵責に堪えかねた加害者のうち一人が警察に自首。事件が発覚し、加害者たちは全員逮捕された。


◆事件発覚後


この事件は当初警察が発表した「被害者は元暴走族仲間」等の趣旨の報道により、「暴走族仲間の喧嘩による死亡事故」と世間では見なされて注目されていなかったが、
初公判を傍聴した産経新聞の宇都宮支局員が、警察発表に基づく初期報道と乖離した事実関係や事件の凄惨さに衝撃を受け、15回連載で県警の不手際を報道。
写真週刊誌フォーカスも同様に事件の凄惨さや警察の不手際を報じたことで、他の雑誌やTVのワイドショー等でもこれらの事件の実態が次々と取り上げられ、
この事件は全国的な関心を呼ぶこととなった。

そして宇都宮地方裁判所で、殺人・死体遺棄事件として公判が始まり、主犯格には無期懲役、
残りの3人のうち2人にそれぞれ無期懲役、5年から10年の不定期刑が、いずれも求刑どおりに言い渡された。
自首した残り1人は、継続的なリンチに加わっていなかったことなどから情状酌量が認められ少年院送致となっている。
このうち主犯格は、この判決を不服として控訴したが、東京高等裁判所は控訴を棄却、一審・地裁の判決を支持し全員の刑が確定した。


◆事件への反響


この事件が当時の世間で注目されたのは、被害者が受けたリンチなどに見る加害者の少年たちの残虐性もさることながら、
本来被害者を守るべき立場にある警察や雇い主が、被害者やその親族に冷淡な対応をしていたことが本格的に取り沙汰されたことも要因であった。


栃木県警は、事件当時親族からの捜査依頼を却下し続けた石橋署の警察官たちを2000年7月に懲戒処分としたが、
肝心の処罰の内容は最も重いもので「停職14日間」という、被害者やその親族の心境を思えばあまりにも軽い処罰であった。
そもそも栃木県警のこの事件に関する職務怠慢についても、加害者の一人の父親が事件当時栃木県警の警部補を務めており、
事件発覚後、ボーナスをきっちり受け取ってから退職していること等から、『身内の不祥事を隠すために捜査開始を渋っていたのではないか』と言われており、
それらの件も含めて、被害者よりも身内を優先したという批難が殺到した。

ちなみに、栃木県警は事件の実情が発覚した直後は捜査ミスを認めて謝罪していたが、被害者親族から損害賠償請求等の民事裁判を起こされるなり、
「被害者からの電話で『警察官だ』などと名乗っておらず、電話が切れたのは被害者の母親が騒いだせい」
「被害者本人から捜査依頼の取り下げを願ってきたから捜査しなかった」「事件を予知することは当時の警察には不可能で、対応は適切だった」
など、前言を翻すどころか事件の責任を被害者やその親族に擦り付けて自身を正当化する呆れた証言を繰り返し、このことも批難の対象となった。

なお、この被害者親族から加害者やその親族と栃木県警に損害賠償1憶5000万円を求める民事裁判においては、地方裁判所は遺族の主張を全面的に認める判決を下したが、
東京高等裁判所(富越和厚裁判長)は、「栃木県警の怠慢がなくても、被害者を救出出来た可能性は3割程度」という不可解な判決で翻し、
最高裁判所第2小法廷(古田佑紀裁判長)は被害者遺族の上告を棄却し、1100万円の賠償を命じた2審・東京高裁判決が確定した。
これには裏に警察と司法の癒着が裏にあると噂されている。

余談だが、上述の加害者の一人の父親である(当時)栃木県警の警部補は、息子の刑が確定するなり謝罪ではなく賠償金の減額を求めるために被害者遺族の元に現れ、
当然ながら遺族に拒否されても、「賠償の減額を認めてもらうまで何度でも来る」と言って実際に何度も足を運ぶも、一度も謝罪はしなかったという。
なおこの父親とその妻である母親は、被害者の葬儀でその両親に痛ましい被害者の遺体を見せられた際にも謝罪することなく、
「妻の気分が優れないから失礼していいだろうか」などと言い、被害者の父親を激怒させている*1


雇い主である日産自動車も、被害者が加害者に拉致監禁され出社が不可能であった最中に、
「会社施設およびその敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する行為をしたとき」の従業員就業規則第85条第6項を適用し、
退職金不支給の諭旨退職処分を親族に告げるだけで、自社の社員である被害者の捜索に協力するなどは一切しなかった。

後に事件の詳細が判明し、被害者の欠勤の理由が理不尽な暴力によるもので、本人に責任が全くなかったことが認知されても、
日産は被害者への処分を撤回することなく、被害者が務めていた工場すらこの処分に関する謝罪はおろか、被害者への追悼の言葉すらなかった。
それどころか、自社のこの処分に対する批難から逃れるためか、処分の通知書をあの手この手で回収しようとする始末。
このあまりにも無体な仕打ちからか、被害者の父親は「息子が作っている」として愛用していた日産の車を手放している。


このように、加害者やその親族、怠慢者を庇護する結末が、この事件の残酷さを物語っているのである。



被害者の御冥福をお祈りします。


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最終更新:2024年09月21日 16:11

*1 被害者の父親が葬式で加害者親族に声を荒げたのはこの時くらいだったとか