登録日:2025/07/11 Fri 11:02:21
更新日:2025/08/17 Sun 12:06:11
所要時間:約 11 分で読めます
名古屋鉄道7000系は、
名古屋鉄道が2009年まで保有していた鉄道車両である。
長期間にわたり名鉄の顔として活躍し
「パノラマカー」の愛称で親しまれた。
本項では派生車種および機器流用車についても解説する。
概要
日本初の2階式前面展望を取り入れた車両であり、名鉄のイメージカラーであるスカーレットや、ミュージックホーンを導入した最初の車両である。
「パノラマカー」の通称は、開発・製造途中での雑誌の取材を受けた際に「パノラマ展望車」と社員が答えたものが、マスメディアで「パノラマカー」と表記されて広まったものである。
この名称は後継車種「パノラマDX」「パノラマSuper」として受け継がれたほか、名鉄のSFカード(パノラマカード)や名鉄提供番組のタイトル(旅はパノラマ)として使用されるほど。勿論「パノラマカー」は名古屋鉄道の登録商標となっている。
これらの影響力の大きさから、本形式は名鉄のブランドイメージを築き上げた名車中の名車と言っても過言ではない。
1962年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
開発前史
戦後、1950年代中盤ごろからモータリゼーションが進みつつあり、名鉄の運行範囲のほとんどがあり、
トヨタ自動車のおひざ元でもある
愛知県は、特にその影響が強かった。名鉄にとって、当時のライバルは道路交通であった。
名鉄ではすでに特別料金不要な列車としては戦後では初めて冷房を搭載した5500系が導入され、近郊鉄道としては大幅なサービスアップを心掛けていた。この冷房搭載は乗客にはかなり好評であった。
しかし、社内ではそれでは「夢も希望もない」「独創性に欠ける」とインパクトに欠ける施策であり、次の車両ではそのインパクトがある施策を盛り込んだ車両の開発が課題となっていた。また、同じく名古屋駅を発着する近鉄の特急車両である
10100系「ビスタカー」がブルーリボン賞を受賞したこともあり、「名鉄初のブルーリボン賞をとれる車両」という期待も背負うことになった。
そこで、イタリア国鉄
ETR300形「セッテベッロ」やカナダを走る観光鉄道
「ゴールデンキャリオット」などに着想を得た、今までの後面展望が過ぎ去っていくもの、「過去」しか見られないものに対し前面のこれから来るものが見られる、すなわち
「未来」が見える電車をテーマに開発が始まった。
車両概説
車体
前述したように運転室を2階に置いた前面展望構造を採用しており、運転室には車体に設置されたステップから乗務員室へ入る構造となっている。
後年の2階展望車は車内から乗り込むスタイルが一般化したためかなり特殊な構造で、駅には運転士が頭をぶつけないように停止位置に専用の切り欠きが設けられていた。
展望席部分は曲面ガラスの製造技術が未発達だったため、平面ガラスを複数組み合わせた形状としている。
前照灯は客室前面窓下と窓上に前照灯を2つずつ搭載し、窓下のものはライトの旋回機能と後部灯として使用可能な構造となっている。
前面窓上のライトの間には当初何も設置されていなかったが、1967年以降は前方直下を確認する広角凸レンズの機器、通称「フロントアイ」が搭載された。この装備により前方死角が12mから1mにまで縮まった。
客室前面窓下の前照灯のすぐ横にはオイルダンパーが搭載されている。
これは1950年代後期以降、全国各地で多発するようになった踏切事故対策の一環で、「80km/h走行時にダンプカーに衝突しても負傷しない」程度の能力で設計された。
実際、運行開始から約半年後の1961年11月に遭遇したダンプカーとの衝突事故では車体は側面窓が多少割れた以外は無事、乗客も窓割れによる軽傷者8名に抑えており、効果てき面僕イケメン!だったことが伺えよう。
側面は日本の鉄道車両では初となる連続窓が採用され、以降の派生形式や通勤車の
6000系にも引き継がれるなど、一時期の名鉄の象徴となった。
ドアは片開き式だが、最終増備車となった1975年導入分(中間車のみ)は両開き式となった。
落成当初は「Phoenix」描かれたV字型のエンブレムが搭載されていたが、運用が拡大するにつれて行先の表示が必要と判断されるようになり1962年以降は逆さ富士型の行先・種別表示板が取り付けられるようになった。この板は当初は手動式だったが、後期には電動幕式に変更されている。
塗装は当初濃い緑色なども検討されていたが、最終的にはスカーレット一色という当時としては大胆なものが採用された。
この塗装を担当したのは地元出身の画家・杉本健吉で、中京圏ではこのほか
黒歴史となった名鉄ライトパープルや名古屋市営地下鉄のマークや
黄電の塗装も氏が手掛けたものである。
従来車も1970年代後半以降はこの塗装への塗り替えが実施されるようになった。
内装・機器類
車内は転換クロスシートを装備しているが、戸袋窓部分は2人掛けのロングシートとなっている。
なお、ロングシート部分には他社のような手すりの類は設置されていないので、クロスシートとの組み合わせはかなり独特なものとなっている。
展望席には1962年以降速度計が設けられるようになった。この速度計は当初ニキシー管と呼ばれる電熱線が光るタイプが使用されていたが、故障が多かったらしく撤去され、後年の特急専用車では7セグメントLED式のものが設置された。
機器類は既に導入されていたSR車に準じたものとなっており、SR車との併結運用も日常的に行われていた。
台車は名鉄初となる空気ばねダイレクトマウント式のFS335形が採用されたが、1973年の7700系以降はミンデン式に変更された。
冷房装置も5500系と同様のものである。
運用の変遷
登場から全盛期へ
1961年6月に運行を開始。
日本初の前面展望電車、更にそれに別料金不要で乗れるという画期的な列車のため、当初は展望席乗りたさに始発駅に何時間も行列ができるほどだったとか。
当初は6両編成で増備されていたが、後述の7500系が登場すると本形式は次第に4両編成の増備がメインとなり、既存の6両編成も4両へと編成替えが実施された。
1970年代中盤にはオイルショックに伴う鉄道利用の急増もあり、2ドアクロスシートの本形式ではラッシュに対応できなくなってしまう。
そのため1976年以降の車両増備は本格的♂通勤車の
6000系にシフトするようになった。
一方、これと並行して特急は全て座席指定化され、本形式でも座席のモケット変更が実施されている。
この間、4両編成では連結対応工事およびM式自動解結装置の設置工事が実施されている。
特急専用車
1980年代に入ると並行する国鉄も
東海道線名古屋地区の輸送改善に実施するようになり、京阪神地区で導入されて好評を博していた117系を「東海ライナー」として導入し大きな話題を呼んだ。
名鉄もこの状況に黙っていたわけではなく、1982年からパノラマカーの一部編成を特急専用車両として改装することとなった。
外見では車体に白帯を巻いたのが最大の違いで、行先方向板も専用のものが用意された。
内装の基本構造は同じだがモケットを変更、床にカーペットを敷いて高級感を出し車内にゴミ箱を設置するなど可能な限りのグレードアップがなされている。
1987年には追加改造が実施されており、公衆電話の設置など更なるグレードアップがなされた。
ちなみにこの専用車は「
白帯車」の通称を持つが、読み方は
「しろおびしゃ」ではなく「はくたいしゃ」が正しい。
なお、この時期から非白帯車にも特別整備と呼ばれる修繕工事が開始されているが、一部の車両は機器流用のために廃車が開始されたほか、白帯車についても「パノラマsuper」登場に伴い特急運用から撤退した編成も登場している。
引退へ
平成以降も白帯車を中心に特急運用が続いていたが、1991年に当時の運輸省からの指示に伴う輸送体系の変更に伴い、特急は一般車と座席指定車を混結した「パノラマsuper」が主力となった。
1999年に1600系が登場すると白帯車は全て特急運用を終了。これ以降、老朽化もあり順次廃車が始まるようになった。
そして2006年9月、名鉄から特急運行体系の見直しとともにこのプレスリリースが発表された。
これにより6両編成は2008年9月に全車引退。その翌月には一般色に戻されていた7011Fが白帯車として奇跡の復活を遂げ、そしてトップナンバーの7001Fはデビュー当時の仕様が復元され、2008年11月9日にはこの仕様で最初で最後となる本線走行が実施された。
2008年12月26日に定期運用を終了。その後はしばらくイベント用として白帯車1編成が残されていたが、それも2009年8月をもって運用を終了。
こうして、日本初の前面展望電車である「パノラマカー」の長い歴史は幕を下ろした。
派生形式
1963年から1970年までに72両が製造された7000系の低床バージョン。
基本的な見た目は7000系とほぼ同じだが、低床化に伴い展望席と客室の窓高さが一致し、運転席部分が7000系よりも延びたスタイルになっている。
低床化に伴い回生ブレーキや定速制御機能を実現したが、7000系含めたSR車とは併結が不可能となった。
そのため廃車まで一貫して本線系統で使用されていた。
この形式には貫通扉を装備した低運転台の先頭車モ7566・モ7665が存在していたが、営業運転でこの先頭車はほとんど使用されておらず、とある鉄道書籍が本形式の写真を撮影する際は
わざわざ名鉄に検査の時期を教えてもらってから撮影に行ったというエピソードが残されているほど。
2000年代以降はバリアフリー対策に車高の低さがネックとなることが発覚し、2005年の
空港線開業に際しては乗り入れからあっさりと外され、同年8月を最後に全車引退した。
一部の車両は機器が後年の新車に流用されている(詳細後述)。
1973年に2両編成4本と4両編成4本が導入された「先頭が展望車じゃないパノラマカー」。
前面形状は高運転台の貫通型で、後にこの意匠は通勤車の6000系にも承継された。
ちなみにこの形式にも白帯車が存在している。
7000系列では最も遅くまで運用されており、2010年3月に引退。
1971年に登場した名鉄の十八番である機器流用車のひとつ。
乱暴に言ってしまえば吊りかけ駆動のパノラマカーもどき。
一応特急用としてデビューしたが、性能はAL車のままなので支線区運用メインとなった。
車体は7000系に準じているが、前面は貫通扉付きのつるぺた…もとい平面的なもので、先に登場した吊りかけ更新車の3780系に近い。
名鉄からは1997年に引退後、ほとんどの車両が豊橋鉄道渥美線に移籍したが2ドアクロスシートの車体構造がネックとなってしまい、たった四年で引退。
1984年に7000系の4両編成化および8800系への機器供出に伴い抜き取られた中間車4両のうち、2両を先頭化改造して4両1編成に仕立て直したもの。
運転台は6000系と同一仕様だが、標識灯は当時増備されていた6500系と同じ角形となりカオスな形態となった。
1987年に2両化され、2001年にワンマン運転改造を受け、2009年11月まで使用された。
機器流用車
名古屋鉄道では新型車両を製造する際、諸事情により
機器を流用する形式が存在する。スター的存在であった7000系・7500系もその例外ではなく、特急用車両に機器を流用している。
1984年に登場した特急用車両で、愛称「パノラマDX」。
レジャーの多様化という社会情勢の変化を反映し、コンパートメントが主体の観光特急として開発された。
展望席をそれまでの1階から2階部分に移動させた日本初のハイデッカー式鉄道車両でもあり、その後各地に登場するジョイフルトレインの設計にも多大な影響を与えた。
当初は2連、1989年には中間車を増結して3連化された。
車両の趣旨から当初は犬山・南知多地区への観光特急や団体専用列車としての運用が主体だったが、1992年に1編成を除いて通常の座席に変更され、支線直通特急での運用がメインとなった。
機器類が7000系の足回りという点がダイヤ上のネックとなり、2005年1月ダイヤ改正で引退。
現在はモ8803のハイデッカー部分のカットモデルが舞木検査場に保存展示されている。
ちなみに種車となった7000系の機器類のうち、冷房装置については瀬戸線6600系の冷房化改造に転用されている。
1985年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
1000/1200/1800系の「パノラマsuper」車両のうち、1992年に7500系の走行機器を流用して製造された車両。
1030/1230系は一部特別車の6両編成、1850系は2両編成の一般車。
種車と異なりこの系列は完全新造車である1000/1200系/1800系、1000系の通勤型更新車である5000系と併結が可能だった。
パノスパリニューアル工事の対象から外れ、2019年3月までに引退。
上述した1030/1230系の第4編成が2002年に自動車との衝突事故で特別車2両が大破→廃車となったことから
残った一般車を4両編成の一般車に仕立て直したもの。
外観はパノスパながらスカーレット一色というスタイルは強烈なインパクトを残した。
まあ、外観が大きく変わって復帰するのは名鉄の事故復旧車ではよくあることだったりする
自動車を運転していたドライバーがスリランカ国籍であった為、同形式は「スリランカ号」とブラックジョークじみた愛称がついていた。
2015年9月で運用終了。
保存車
2008年12月より、最初の編成の先頭車であった7001号車、7002号車が保存されている。
7001号車には「Phoenix」のエンブレムが取り付けられ、フロントアイが撤去される等、デビュー当時の姿に近い状態にされている。
同検査場の開放イベントが時折行われる為、その時にはぜひとも見ておきたい。
2002年8月より7028Fが静態保存。
2012年にリニューアル工事が行われた。
競馬開催日や場外馬券販売日に車内が運転台を含めて入る事が可能であり、運転台にてミュージックホーンを鳴らす事もできる。
外観は白帯車風であり、リニューアル前は中間車両にて軽食が販売されていた。
中京競馬場で開催される「名鉄杯」では名鉄のミュージックホーンを模したファンファーレが開始前に演奏される他、TV中継では1000系全車特別車編成と共に7000系が走る特別ロゴが使用される。
GⅠ・JpnⅠ指定を貰えているケースだと固有のレース名ロゴ演出があるのは珍しくないが、オープン格付け(非重賞)のレースで行われるのは非常に珍しい。
余談
- 老舗鉄道雑誌「鉄道ファン」の創刊号(1961年7月号)の表紙を飾ったのは落成間もない本形式である。
編集部側もこの表紙については思い入れがあったのか、白帯車登場時(1982年5月号)と最末期(2008年3月号)にもこれをオマージュしたような表紙を採用している。
- 7500系開発後、パノラマカーの3代目として「客室前面窓を上部まで拡大した車両」が計画された。計画は実現しなかったが、1980年代に8800系「パノラマDX」や1000系「パノラマスーパー」で運転台との位置関係を変えるハイデッカー方式で実質実現させた。
この際にはいろいろと奇抜なアイデアも検討されていたようであり、名鉄車内にはこの時に試験的に模型が起こされた「展望ラウンジドームが屋根に生えているパノラマカー」が保管されている。それはそれで乗ったら面白そうではある
関連作品
- 電車でGO!名古屋鉄道編:2000年発売のゲーム。7000系による急行御嵩行きを新名古屋(現:名鉄名古屋)駅から岩倉駅まで運転可能。ダイヤは易しめの難易度設定にされている。また、前面の風景が他形式運転時よりも視点が高くなるように設定されており、7000系の運転席の位置も再現されている。
- プラレール:タカラトミー(旧トミー)から発売されている玩具。1981年から1989年に通常ラインナップとして発売。1989年に1000系の「パノラマスーパー」と交換になる形で通常ラインナップから外れるも、2003年10月にクオリティアップの上で白帯車が、2005年に通常仕様が「名古屋鉄道スペシャルセット」に収録されている。後にそれの単品やプラレールアドバンスも発売されている。
- 僕は友達が少ない:同作は岐阜県岐阜市を舞台にしている。アニメ版第10話にて、7000系が描写されたシーンがあり、鉄道と道路が併用されていたころの犬山橋を渡るシーンもある。
- オマケ・ウマ娘 プリティーダービー:アプリ版の中京レース場(中京競馬場)のモデリングには7000系の展示スペースもしっかり作られており、レースロゴが出る際の「引き」の画面で確認可能。
一方で名鉄持ちの権利に関する事情、ゲームバランス上OP格付けレースを走ることがほとんどないなどの事情からか、名鉄杯は実装されているものの、上述したスペシャルレース名ロゴや特殊ファンファーレは再現されていない。
追記・修正は名古屋鉄道に新たなパノラマ車両が登場することを祈っている人にお願いします。
最終更新:2025年08月17日 12:06