本因坊秀策

登録日:2014/04/18 Fri 23:59:47
更新日:2024/09/28 Sat 19:38:47
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本因坊秀策とは、幕末の囲碁の棋士である。

【歴史上の本因坊秀策】


日本どころか、世界の囲碁の歴史上最も強い棋士の一人ではないかと言われている。

広島の因島で桑原という名字で生まれたが、彼は地域の強豪を10歳にもならないうちに追い抜いてしまった。
やがて江戸に上京、囲碁の家元の一つである本因坊家に修行に入り、秀策と名乗るようになった。
本因坊家も当然全国のエリートが集う訳だが、そこでも頭一つ抜けて強く、ご隠居からは150年来の強豪と高評価。
神武以来の天才?あーあー聞こえなーい

ついに、秀策は本因坊家の跡取りとなったのである。


跡取りになったと言っても、囲碁の家元は他にも林、安井、井上と存在するし、家元でなくとも名前を知られた強豪は決して少なくない。
それでも秀策が最強と言われる根拠は、御城碁…将軍の目の前で打つという、棋士のプライドをかけた権威のある対局で他の強豪を続けざまに破り、
「19連勝」したことである。

羽生善治が将棋の王座戦で19連勝してる?
実は羽生も、個別の対局では引き分けを一つ挟んでいるし、他のタイトルはけっこう他の棋士も持っている。
秀策に引き分けなんてものはなかったし、当時権威のある対局は御城碁くらいであった。

また、秀策の連勝が止まったのは負けたからではなく、秀策が死んだのと、当時が幕末の混乱期で御城碁が終わってしまったため
連勝の前半はまだしも、後半は秀策の完勝の碁ばかりであったことから、御城碁が続き、秀策が生きていればこの記録はもっと伸びていただろう。
いかに秀策が抜けていたかが分かる。

もちろん、時代が違う相手と実際に対局できるわけではない。
また当時は黒が有利なのでハンデを持たせるというルール(コミ)がない。その意味でルールも多少違うので、本当に最強かは永遠の謎。
一部の人たちが最強議論であーだこーだ言ってるのももはやお約束。

ただ、今でも秀策の碁をお手本にして碁を学ぶプロ棋士がたくさんいることは、特筆すべきことだろう。
(将棋の世界では、プロが江戸時代の棋譜で勉強することはない)



また、秀策は、謙虚で高潔なことでも有名であった。

☆広島・因島出身の彼を、自分の父親の殿様が見出し、囲碁の天才少年として囲碁修行させてくれた。
この恩義のために超の付く名誉である正式な跡目としての推薦を辞退(跡目になるのは、殿様の下を離れるのと同じであるため)。
最終的に、殿様が跡目になることを大喜びしてゴーサインを出したので、やっと跡目になった。

☆自分の師匠に黒をもって勝ち越しまくってしまったが、師匠から白をもってほしいと言われてもそんな恐れ多いことはできないと断固拒否。
(黒は少し有利であるため、基本的に格下が持つものとされた)

☆秀策9歳の時、広島にやって来た棋士の伊藤松和。頼まれて仕方なく秀策と対局するも、
「どうせ賭け碁で小遣い稼ぎしてる小僧でしょ」とバカにしながら対局。しかし打って見れば秀策強いと認めざるを得ず。
後に秀策が跡目になったとき、その発言を伊藤が正式に謝罪しに来た。
秀策は「あの時の発言のおかげで頑張ることができました、感謝するのはこちらです」と相手を立てた回答をし、見事に氷解した。
ちなみに、後に松和は御城碁で秀策と対局。負けたとはいえ、19局の中で秀策を一番苦戦させている。


しかし、1862年、幕末の混乱期の中でコレラが発生。
秀策は跡目なのに門人たちを自分で看病した結果自分がコレラに感染。わずか33歳で、そのまま帰らぬ人となった。
正式に跡を継ぐことはないままであった……



【「ヒカルの碁」と本因坊秀策】


最強候補として今も語り継がれる囲碁の棋士、同時にこのwikiとしてはこの作品についても上げるべきだろう。




ヒカルの碁で、主人公進藤ヒカルに取りついていた幽霊の藤原佐為は、
かつて本因坊秀策に取りついて、歴史に残る秀策の棋譜も、全部打っていたというのだ!!
歴史上最強と言われる秀策に取りついていたということは、改めて藤原佐為が最強であるという根拠になる。

ん? ちょっとまて。
つまり、数々の名棋譜は、秀策の手柄ではなく、碁に負けて死んだ霊の仕業ってこと??
地味に秀策の手柄が横取りされている

もっとも、この作品のおかげで一部の囲碁ファンにしか知られていなかった本因坊秀策の知名度も大幅に上がり、囲碁普及に貢献したことも事実。
秀策なら許してくれると思いたい。いや許してくださいお願いします。

なお、この辺については佐為に憑かれた時点で秀策も相当強かったからこそ、
佐為の力を見抜き彼に打たせ続けたと、後々フォロー? されている。(ヒカルは逆にその強さを理解していなかったために自ら打ち続けた)
上述した謙虚さを持った秀策のことだし、自分が打つより佐為の打つ姿を見ていたかったと考えてもそこまでおかしくもない……?



【耳赤の一局】


秀策と言えばこれ抜きにして語れない有名な対局。
秀策が18歳、四段のときに、大阪にいた囲碁棋士の一人、井上幻庵因碩(八段)と対局したもの。
井上は囲碁家元の一つ、井上家の当主。当時の日本の囲碁界では最強の一人である。

囲碁のルールが分からない人向けに、サッカーに例えてみよう。
もっと詳しく知りたい?
そんな君は、 ここ(外部リンク) から囲碁のルールを学んで強くなろう!!


秀策は日本の高校サッカー優勝校クラス。頭角を示し、
将来大化けするかもと期待はされているが、プロとして大成できるかはまだまだこれから。
対して井上は、ワールドカップに出場できるレベルのチーム。

最初格下の秀策チーム、「井上チームは選手9人でやる」というハンデルールで練習試合を始めた。
ところが、井上チームはやってみて、この人数での練習試合では勝負にならないと悟る。
「君たちの力は分かった。少しハンデを出しすぎた。90分引き分けなら君たちの勝ちでよいので、それ以外は対等のルールでやろう」

強豪とほぼ対等ルールで試合ができるという願ってもない機会に、秀策チームはそのルールで再試合を始めた。

開始10分井上チームは格下相手でも決して手を抜かず、調整したベストメンバーを出してきた。
お互い様子見の時間に、秀策チームも最初は五分五分に見えたが……

開始20分:井上チームの必殺ゾーンプレスに引っかかって秀策チームの中盤が乱れ、井上チームが1点を先取。
更に井上チームの猛攻の前に失点を重ねるかと思いきや……

???「そう何度も抜かれてたまるか―!!!」

秀策チームは気迫のファインセーブを連発。試合を一気に決められることは阻止した。
しかし、取られた1点は重くのしかかる。

開始40分:秀策チームがようやく攻めを継続し始める。
遂に流れを変えるかと思いきや、攻めは完全に井上チームの掌の上。
シュートはあえなくキーパー正面で受け止められ、1-0で前半終了。

後半開始:ワールド杯の試合としても教材になるレベルの隙のない井上チームの試合運び。
秀策チームは必死に食い下がっているが、なかなか効果的な攻めができない。
攻めをどんどん封じられ、このままでは手堅く1点のリードを守りきられてしまいそう。


後半20分。局面の127手目。秀策に絶妙の一手が飛び出す。それが下の図面の手である。




中盤、ほんの一瞬だけの井上チームの隙ともいえないような隙を見逃さなかった秀策チームは、一瞬にしてゴールを奪い取ったのだ。
これで試合は1-1である。

この手を見た、囲碁にあまり詳しくない井上の主治医は、井上の勝利を信じて疑わない井上門下生に対してこういったという。
「これを見た井上先生の耳が真っ赤になった。自信を失った証拠であり、井上先生は負けるのでは……」
この碁が耳赤の一局と言われる理由である。
間違っても耳垢ではない。


後半残り:並ばれてもまだ25分ある。
井上も格上として、この後の試合運びは見事なものであった。
だが、秀策チームのゴールを見せた力に動揺したのか、井上の手に今一つ冴えがない。
そして、秀策チームのこの後の試合運びも、井上チームに勝るとも劣らず、残り25分間、主導権を与えることはなかった。

試合終了遂に1-1のまま90分が経過。秀策チームの勝利となったのである。
井上は決して格下相手に手を抜いたわけではない。
井上は秀策の師匠に敗れたことがあり、ここで秀策を格の違いを見せて倒すことで、
「秀策?強いよね。序盤・中盤・終盤・隙が無いと思うよ。だけど、俺の方が強いよ」と言ってやろうと思ったともいわれている。
実際この対局の井上の試合運びは素晴らしいものであったと評価されているが、秀策はそれをも振り切ったのだ
井上は、秀策はこの時点で七段以上。どれほど強くなるか計り知れないと称賛したという。



ちなみに、ヒカルの碁でもこの碁は登場する。
佐為が成仏し、秀策の故郷である広島や活躍した東京を巡っても佐為を見つけることができなかった進藤ヒカル。
日本棋院で秀策のこの対局を見て、改めて佐為の強さを悟る。
成仏してしまった佐為に打たせてやればよかったと涙を流し、囲碁を続けていく気力を一時失ってしまうこととなった。






アレ? ヒカル追い詰めてね?



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