北九州市生活保護受給者死亡事件

登録日:2014/05/15 Thu 23:59:39
更新日:2020/01/16 Thu 09:50:15
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2007年に発覚した事件。


生活保護を止められた受給者が「おにぎり食べたい」と書き残して餓死した事件


と聞けば、なんとなくご記憶の方も多いであろう。
日本の生活保護の在り方に大きな一石を投じた事件であり、
生活保護が話題に上ることが多くなった昨今、知っておくべき事件であると思うのだがいかがだろうか。


事件の背景


かつて、北九州市長は谷伍平という人物であった。
谷が市長であった当時、北九州市では暴力団による生活保護の不正受給がしばしば行われ、
生活保護の受給率は全国トップになっていた時期があった(暴力団の不正受給は今でもあちこちで問題になっている)。


もちろん、谷市政の下で暴力団の不正受給を取り締まるなど、まともな施策もちゃんと行われ、受給率を下げる成果は出ていた。
ところが、谷は「生活保護は人間をダメにする」とも言い出すようになり、
不正受給の取締りや生活保護脱出のための就職支援を通り越して、
正当な受給も受けづらくなっていき、現場の福祉事務所にもそのような空気が行き渡っていってしまったのである。
ちなみに、受給者の9割は高齢や病気などで最初から働くこと自体が不可能な人たちであった。(9割というと多いと感じるかもしれないが、全国平均と大して変わらない)
谷は1987年には引退したが、次の市長である末吉興一市長も実質谷の後継者であり、生活保護政策についても谷を踏襲していた。

そのような生活保護行政の在り方は、以前から関係者に危機感を持たれていた。
実際、受給者を増やさないために担当者の違法な申請拒否(申請を審査で落とすのではなく暴言を吐いて追い返すなど)が起こっているといわれていた。
そして、こうした担当者の行動は単なる一担当者の個人的な暴走ではなく、市の方が組織的に違法な申請拒否を行っている、と言われていた。

そして、2006年には、北九州市での生活保護が受けられず孤独死した事例が一部マスコミによって報道されていた。
だが、北九州市サイドはこれらは偏向報道であるとして、報道と対決する姿勢を見せていた。


2007年2月、任期満了に伴って末吉は引退。市長選にあたって末吉は自身の後釜を推薦した。
ところが、後釜は落選。新市長となったのは、選挙戦で市の生活保護行政を批判し、孤独死事件の検証を約束した北橋健治市長(2019年3月現在も市長を続けている)であった。
北橋は、就任当日には既に起こっていた孤独死について担当者の説明に納得していないこと、更なる検証をすることを公約通り明言。
就任翌日には市長自ら孤独死した人の家に献花に訪れ、5月に市長の私的諮問機関として検証委員会を立ち上げ、孤独死事件の検証活動に入っていた。
この事件は、その矢先に起こったのである。





事件



北九州に住んでいた52歳の男性。Aとしよう。


Aはタクシーの運転手をしながら独り暮らしをしていたのだが、2006年10月に肝障害や糖尿病などで働けなくなってしまった。
2006年12月に生活保護を受け始め、仕事を探して自立するように指導も受けていた。


2007年1月の段階で、福祉事務所のケースワーカーが仕事をして自立するよう2度にわたって指導。
2月の段階でも、ケースワーカーが主治医から普通に働けると事情を聴きとり、
さらに福祉事務所の嘱託医も同様のことを言ったため、ケースワーカーはAに働きなさいと指導。保護打ち切りもちらつかされた。


だが、主治医は後日の検証で、Aは確かに内臓方面は治りつつあったが、酷い鬱状態になっており、
せいぜいデスクワークがちょっと可能な程度で、普通に働けるなどとは言っていない
と反論している。
実際、死後に見つかったAの日記には生活保護を受けている間から
「亡くなった父や弟の所に行きたい」「なかなか人間って死ねないものだ」
と、素人が見てもわかるレベルの自殺願望が表れており、当時の彼が精神的に危険な鬱状態であったことは間違いないとされている。

ところが、働けると認定されたためか、Aに対する「就職しろ」という圧力は非常に厳しくなっていった。
3月も終わりになると、福祉事務所はAを6か月以内に仕事を見つけさせて生活保護を打ち切るために重点的に指導することにした。


4月2日、生活保護費を受け取ろうと思って福祉事務所に赴いたAに対し、ケースワーカーはまたしても働けとせっついた。
だが、当のケースワーカーもたった数日前にAの精神状態がおかしいのではないかと疑い、精神科への受診を勧めている状態であった。
鬱状態の人間に「もっと頑張れ」とせっつくなどは論外の禁句である。


そしてこの日、Aは生活保護の辞退届を出した。
しかし、辞退するにあたって、福祉事務所は就職先がどこか、収入の見込みはどれくらいなのかなどを全く確認していなかった。
おりしも、生活保護を切るにあたっては就労先や収入見込みについて確認すべしという判決が、前年に出たばかりであったが、全く無視されていた。
日記では、担当者に生活保護を打ち切られたかのような記述もあり、
辞退届を無理矢理書かされたか、働けという指導に精神的に耐えかねて辞退届を書いたのではないか、とも言われている。*1
少なくとも、Aが働こうにも働ける状態ではなかったことは間違いないだろう。
現に死ぬまで働かなかったのだから…

ともあれ、Aが4月2日にもらった最後の保護費は4月分だけ。
しかも、その時点でもガスと水道は止まってしまっていた上、住居地はボロボロであった。

そして、福祉事務所は保護を打ち切った後、Aの安否については何の連絡も取ることはなかった
Aが死んでいるのが見つかったのは、たまたま彼の友人が家に訪ねてきて異変に気付いた7月10日のことであった。
遺体はミイラと化し、死後1か月程度が経過していたという。




残されていた日記には


日付不明「せっかく頑張ろうと思っていた矢先、切りやがった。生活困窮者は、早よ死ねってことか


4月5日 「体がきつい、苦しい、だるい。どうにかして。」


5月25日「小倉北のエセ福祉の職員ども これで満足か。貴様たちは人を信じる事を知っているのか。3月家で聞いた言葉忘れんど。
市民のために仕事せんか。法律はかざりか。書かされ印まで押させ 自立指どうしたんか


5月25日「午前2時 腹減った。オニギリ腹一杯食いたい。体重も68キロから54キロまで減った。身体の動きが鈍い。何もかもなくなりました。
全部自分の責任です。だけど汚い人間多かったナ」


5月26日「午前3時 人間食ってなくてももう10日生きてます。米食いたい。オニギリ食いたい


6月5日「午前3時 ハラ減った。オニギリ食いたーい。25日米食ってない


日記は6月5日で途切れ、このあたりで死亡したものと思われている。(7月10日の時点で死後1か月程度だった)
近隣住民も、「寝たきりで痩せこけて食べる物もなさそうだった」「顔全体に高齢者のようなシミがたくさんできていた」と証言していた。
彼の住んでいた家も、屋根が破れ、壁や窓が外れほぼ吹きさらしで人が住んでいたようには見えないほどの惨状になっていた。
遺体はミイラになっているため、厳密な死因は不明であったが、警察が捜査しても事件とは考えられず、状況が状況だけに餓死と見られている。





反響

ただでさえ孤独死事件が報じられ、生活保護をめぐって緊張していた北九州市で発生したため、
この孤独死はAの「オニギリ食べたい」という悲痛な日記のフレーズとともに、大きな衝撃となって関係者に広がった。


更に火に油を注いだのが、福祉事務所の対応である。
Aの死亡が分かった翌日、福祉事務所の保護課課長がこの件について「自立のモデルケース」と話したのだ。
Aがきちんと仕事を見つけ、早いうちに見事自立して安定した暮らしを営めていたのであれば、確かにモデルケースかもしれない。
しかし、その現実は仕事もなく青息吐息の人間を保護から放り出したというものであった。

その上、本当に自立できたかどうか、その見込みはどうなのか、確認さえしていない。
まして、Aが現に死亡し、状況が明らかに餓死であるにもかかわらずモデルケースと呼ばわる無神経さに、これまで多重債務問題に取り組んでいた弁護士や、貧困者の支援団体、
さらにはこれまでの孤独死事件報道を偏向報道と主張されていたマスコミが激怒。
続けざまに声明発表&報道が行われ、これまで行政サイドが頑なに認めてこなかった生活保護行政の問題点を自ら露呈する形となった。
こうして、北九州の生活保護行政の内実が全国に知れ渡ることとなってしまったのである。

もとより生活保護の改善を訴え当選した北橋の動きは速かった。
北橋は、先に結成されていた孤独死事件の検証委員会にAの死亡した件も一緒に検証させる形をとった。
調査の結果、検証委員会は福祉事務所の対応に大きな問題があることを指摘する報告書を提出(本記事の記述も、検証委員会の報告書の記述を元に書かれたと思われる)。
事件に関して北橋自ら陳謝し、受給者の削減に関する数値目標の削除*2、関係者に対しては処分が下されるなどの措置が執られた。

なお、先に発生していた孤独死事件も、
「栄養失調で入院したにもかかわらず、親族からの援助を受けろと言って追い返し、死亡が4か月も明らかにならなかった」
「重度の糖尿病で薬も買えず、医者からもいつ倒れてもおかしくないと記載されているのに保護を取り下げさせたところ、その糖尿病にて死亡」
といった、行政側の対処に問題点が認められている。
(ただし、糖尿病の件については申請した側も暴力を振るったり一時的な生活資金をすぐ使うなど問題ある人物ではあった)
検証委員会の調査では、様々な部署の対応や意識の問題が明らかになった。


★福祉事務所幹部たちの例
「本人は働ける状態だったんだ、間違いない!!」
「ケースワーカーも精神科受診を勧めるような状態だって書いてるよ?」
「!?!?(驚いた様子を見せて)いやいや肉体的には働ける状態で(モニョモニョ」


★福祉事務所&保健福祉局保護課長の例
「生活保護をやめる時に仕事先なんて別に確認する必要なんてないんだよ!!」
「裁判でも、生活保護を打ち切るならこの後の生活の見込みを確認すべきだって判断が前年9月に出たばかりだよ?」
「そんな判決は知らなかったし、判決があったとしても確認する必要はない!!10人いたら10人同じ対応だ!!

→ちなみに、マスコミにもその判決を知らないと言っていたが、問題となった判決は前年のうちに会議で配布され、関係者に伝えられていたことが後にばれた。

★担当ケースワーカー
「Aは自分から辞退届を書いた」と主張しているものの、精神的に参ったという事で検証委員会からの聴聞に出席拒否。


まるで成長していない…
普通なら、事件が起こった時点で、何かの対応に問題がなかったのかという点については例え具体的な案が見つからなかったとしても福祉事務所自ら反省点を考えるものだろう。
だが、モデルケース発言をはじめ、事件が現実に発生し検証委員会が設けられ、その検証委員会に直接事情を聞かれているという状況の中でも開き直りを続け、記録にすらろくに目を通していない担当者たちの意識は検証委員たちを呆れさせた。


こうした事件が連発したことにちなんで、生活保護を申請してきても申請自体をさせない福祉事務所の対応は北九州市以外でも「闇の北九州方式」等と呼ばれるようになり、
この事件は北九州市政と日本の社会保障制度の重大な汚点として今日まで残ることになってしまった。
しかし、この件はたまたま生活保護に関して政策の異なる市長の交代があったからこそ、ここまで実態が調査され、知れ渡ったともいえる。
実際には、単なる孤独死としてそのまま処理されている件は日本中にある可能性が高い。
北橋も、市政の重大な汚点となることは分かっていつつ、なお徹底的な検証を行ったと思われる。

また、問題は北九州市だけではなく、厚労省自身が北九州方式を積極的に自治体担当者に勧めていた、と言う指摘もあり、
それを裏付けるかのように餓死者の出た当時の市長である末吉は2013年、財務省の参与として任命され、活動している。
参与として任命されるに際し、財務省は末吉の生活保護費削減への取り組みを評価していた。*3

ちなみに、最初に生活保護受給者を締め上げだした谷は、事件の発覚する僅か2週間前に死亡した。










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