登録日:2016/11/11 Fri 22:35:52
更新日:2024/03/20 Wed 18:44:12
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ひがししかごえ
東鹿越 T35
<● Higashi-shikagoe ●>
かなやま いくとら
Kanayama Ikutora
(建て主撮影)
東鹿越駅とは南富良野町に存在する、現在進行形(2016年10月時点)で数奇な運命をたどっている駅である。
どんな駅?
JR北海道、
根室本線に所属する駅の一つ。もっとも
根室本線(滝川〜根室)と名前がつく中でも富良野〜新得という「何で『根室』って名前なの?」と言われそうな区間にあるのだが。
その区間のうち、むしろ名古屋人が反応しそうな駅・金山駅と映画『鉄道員(ぽっぽや)』の幌舞駅こと幾寅駅に挟まれてひっそりと存在している。
雄大な自然に囲まれたかなやま湖のほとりにあり、あたりに人家もほとんどない静かな駅である。
そのあたりの雰囲気が評価され、
秘境駅ランキング74位(2016年度)というなかなかの順位となっている。
実際に降りてみよう
さて、ホームに降り立つと次の物が待ち構えている。
\ らいむすとーん /

(建て主撮影)
実は東鹿越地区は石灰石の生産地として有名である。かつてこの駅から石灰石をのせた貨物列車が出ていたほどだ。往年そのような貨物輸送で栄えたことは今では自然に帰りつつある数本の側線やこぎれいで立派な駅舎に名残がある。今ではその貨物列車は廃止されたとはいえ、いまだに生産地としては現役で駅周辺にある工場も動いている。
……ご丁寧に『石灰石』と書かれた岩をわざわざホームに置いてまでアピールせんでもいいじゃないかと思うが。
だからといってこの駅の利用者が多いかというと、今はほとんどいない。せいぜい鉄オタが乗り降りするぐらいである。
次に駅舎について。人家の少なさにそぐわない、なかなか立派な建物だ。
中はきれいに掃除されており、ベンチがある。冬にはうれしい座布団付きだ。更に魚拓や蝶の標本まである。そばにある湖やその周辺で採られたものだろう。
そして駅舎を出ればすぐかなやま湖だ。その所要時間、徒歩十数秒。走れば数秒である。ただ夏場だと木々がうっそうとして見えにくいけど。
更に駅周辺に関して言えば、駅の少し東に工場があるものの、建物はほとんどみられない。それでも西の方に小集落があるようだ。
その他にキャンプ場もあるようだが、そこまで歩くには遠いのでバスをご利用下さい。
激動の2016年度
前半
さて。東鹿越の運命が大きく動いたシーズン・2016年度のことについて語ろう。
まずこの年度の始まりとなるのはダイヤ改正である。
北海道新幹線開業、一日一往復となった
札沼線末端……鉄オタ的にも劇的な変革となっただろう。
東鹿越はというと、前年度より本数がちょっと減っていた。とはいえ
下には下がいることを考えると、それだけですんだのはよしとしよう。
そして2016年度が始まっても、東鹿越は相変わらずごく一部の鉄オタだけが乗り降りする駅であった。
まあ
秘境駅といっても
札沼線末端の『一日一往復』のような、劇的な売り文句があるわけでもないし……。
それにマニアにとっては
秘境駅としてそれなりの評価をされた人気(にんき)のある駅とはいえ、それ以外の人からは「なんでこんな所に駅があるの?」と言いたくなるような人気(ひとけ)のない駅なわけで……。
もちろん石灰石を積んでこの駅から出る貨物列車の復活やそれにともなう地区の再活性化など夢のまた夢だし……。
かくして一部のマニアをのぞいた乗客は快速・狩勝めいて
スルーしていた。
せいぜい12時ごろに上下の列車のすれ違いがあるダイヤだったので、そのあたりがちょっとした撮影タイムとなったぐらいだろうか。
こんな(大多数にとって)影の薄い駅が注目されるようになったのは7月も終わりにさしかかろうとした頃であった。
JR北海道が南富良野町に東鹿越の廃止の意向を伝えたと報道されたのである。
最近流行りの「利用者の少ない駅はどんどん廃止にする方針」である。この項目ではあえてこの方針の是非は問うまい。代わりに通告を受けた自治体の動向を見てみよう。
利用者の少ない駅とはいえ、ごく少数の地域住民が利用していたり、近くに見所があったり、中には駅そのもので町おこしを企んでいたりする。
そのように色々思う所があるので、大体の自治体はこの方針に反対する。
そして結局廃止を受け入れざるを得なかったり、十分な支援をして存続させたりする。
前年度廃止されそうであったがなんとか存続した小幌駅は数少ない後者の例であり、通告を受けても自治体の態度によっては廃止を免れうるという証左でもあった。
つまり、駅が存続できるか否かは自治体にかかっているのである。
しかし、当の南富良野町の態度としては「役場最寄りの幾寅さえ残してくれれば、後は廃止してもいいよ。バスあるし」というものであった。
すなわち、東鹿越が後者の仲間入りをする可能性はここで潰えたのである。
そのはずだったんだけど……。
このあたりについてもやはり自治体の思惑があると思われるので、ここでの批評は控えておこう。ただ、他の駅に関する廃止論議が加速しないか心配である。東鹿越にとってはもう関係のない話だけど。
更に
JR北海道は経営の継続のために維持困難な路線(=赤字すぎてぶっちゃけ投げ出したい路線)を発表するとした。
その候補が先んじて7月末に報道され、東鹿越の属する富良野〜新得はその候補の一つとして名指しされてしまった。
ちなみのこの中には廃止の決定した留萌〜増毛および新夕張〜夕張、一日一往復の区間を含む北海道医療大学〜新十津川といった路線・区間が含まれている。
さすがにこれに対しては南富良野町も他の沿線自治体(富良野市、および同じく挙げられた区間・滝川〜富良野沿線の滝川市、赤平市、芦別市)と共同で存続を求める要請書を出している。
このようにして廃止の決まった(おまけに路線の危機つき)東鹿越は乗り鉄のみならず、葬式鉄による巡礼の対象となった。
そうして最後に一度訪れておきたいとやってきた鉄オタをこの静かな駅は受け入れていた。
それでも駅周辺が騒がしくなることは決してなかった。終わりの日までまだまだ時間はあったのだから。
だが……。
そして、運命の日
東鹿越にとって運命の日とは廃止が発表された日やその予定日だけではなかった。
8月30日および31日。その日、他の廃止予定駅とは違う東鹿越の数奇な運命を特徴付ける重大な転機が訪れた。
台風10号の上陸である。
へんちくりんな動きをして(よりによって東北の太平洋側に)上陸したこの猛烈な台風は東北・
北海道に壊滅的な被害をもたらした。
例えば岩手では
「『震災の時よりひどい』浸水被害に遭った久慈市」「岩泉町孤立」「竜泉洞水没」といった被害がニュースとなった。
そして
北海道における被害として「茶色の水に浸された幾寅の街」や「濁った川の上、橋を失ってレールだけがぶ〜らぶら」など衝撃的な光景が放映されたことだろう。
その後者に代表されるように、
JR北海道も甚大な被害を受けていた。
例えば
函館本線では倒木で線路を塞がれたり電線を切断されたりした。
あるいは
釧網本線では線路が水没した。
更にはすでに災休中の
日高本線では追い打ちのごとく橋が流されたり通信ケーブルが切断されたりした。
そして
根室本線では線路が土砂に埋もれ、信号システムが破壊され、川岸が削り取られ、橋が流された。
そのうちのいずれにも列車を走らせることができなくなっていた。
特に深刻なのが
根室本線だ。流された橋は小さいもの1本ではない。特急街道ゆえ立派な橋だったはずのものがすっかりなくなっているのだ。それ以外にも橋が無事なだけで線路周辺の川岸や路盤がやられたといった被害も多発した。
台風10号以前にやってきた台風の影響による
石北本線の不通部分も「どうするんだよこれ」と思うほどの損傷であったが、恐ろしいことにそれ以上に絶望的な状況であった。
とはいえ(トマム〜)新得〜芽室は特急の通る区間であるから、おそらくはなんとか復旧させるのであろう。
問題は特急の通らない場所……つまり富良野〜新得である。ここに関しては赤字ゆえにJR側が廃止したいと思っていたことと被害の深刻さから「このまま復旧を投げ出して廃止するつもりじゃねえの?」と思われていた(
日高本線という実例があるし……)。
その流れから、東鹿越も災休のまま来年3月(予定)の廃止の時を静かに迎えるだろうと思われた……と言いたいところだが、
根室本線どころか北海道の鉄道全体にまで及ぶ被害の広大さ・甚大さゆえにこんなマニアックな小駅のことなど気にする人はほとんどいなかった。
いるとすればせいぜい直前あたりにここを訪問していた、もしくは9月以降に訪問予定だったマニアぐらいである。
そんなこんなで東鹿越が再び注目されたのが約2週間後の9月14日である。
この日、『一連の台風による被災箇所の復旧見込み』について発表があったのだが、この中に一般客には見慣れない駅名が特に注視すべき立場として載せられていたのだ。
それは道央と道東をつなぐ重要手段であり運休となっているスーパーとかち・おおぞらの利用者にとって特に気になる路線の欄に存在した。
根室線『(前略)富良野〜東鹿越間は10月中の運転再開を目指します』
>東鹿越
なんでや!
……まあ、これについてはこう説明されている。
まず再開がこの時期なのは
石北本線も再開させる必要があったためとのこと。
なぜなら富良野〜新得で使用されていた車両のほとんどが釧路にあるためだ。
そのためなんとかして車両を富良野まで持っていきたいところだが、
根室本線ルート、および
釧網本線・
石北本線ルートのいずれでも動かせない状況である。ただどちらかと言えば後者の方が早く復旧できそうであった(というより
根室本線の被害がひどすぎる)。
そうして組まれたのが次の予定だ。
10月上旬(予定)に
石北本線を復旧させ、釧網本線・
石北本線経由で車両を富良野へ送り込む。その車両をこの区間で試験的に走らせた後、運転を再開させる。
このうちの
石北本線が復旧する予定の日から計算して、この区間の復旧も10月中という予定となったのである。
ではなぜこの区間なのだろうか?
新得や十勝清水あたりの線路が派手にやられたことで有名であるが、実は落合(東鹿越の二つ隣で、幾寅の次の駅)〜新得の間も相当被害を受けていたのである。
この区間の被害について情報が少ないのは報道されていないというよりは把握すらできていないというのが現状である。あまりに山奥すぎて調査もままならないのだ。
また状況が把握できたからといって、復旧作業するにも困難を極める。線路へアクセス可能な道路すらなく、作業用の機材を持ち込むことも難しい。
結論として、この区間の復旧の目途はたたないということになる。
では幾寅は? 幾寅〜落合に関しては同じように厳しい状況である。また東鹿越〜幾寅では線路の被害は(幾寅〜落合と比べて)さほどでないものの、
信号設備がやられた(例えば踏み切りが正しく動かせない)という総合してやっぱり大きな被害が出ていたらしい。
そこで比較的被害の軽かった(工事ができるという意味で)富良野〜東鹿越を再開させることにしたとのこと。東鹿越はかつて貨物輸送のある信号場だったこともあり、運行に必要な設備が整っていたのもあるだろう。この点も、被害がどうにかなりそうなものだったことも東鹿越にとって、あるいは路線にとって運がよかった点である。
かくして東鹿越は路線再開後の(一時的なものかもしれないが)終着駅として再び注目されることとなる。翌年3月の廃止が決定したはずの駅に大役が任されたのである。
爆誕☆東鹿越行き
かくして10月1日、とうとう
石北本線が再開する。初日こそ車両運用の関係で運休がでたものの、翌日からはほぼ通常運行となっている。
それから二週間半して、その日がやってきた。

(建て主撮影)
10月17日、富良野〜東鹿越間運行再開(東鹿越〜落合間はバス代行)、かくして東鹿越は終着駅となった。ちょっと本数は減っていたけど仕方ないね。
ちなみにご丁寧にも東鹿越行きのサボを作ってくれたようだ。
そして東鹿越は幾寅・落合方面へのバスの乗り換えがある関係で再び賑わったとさ。更に言えばこの先の復旧が見えない路線の終着駅となったがゆえに東鹿越は首の皮一枚つながった……らしい。とりあえず2017年ダイヤ改正における廃止は回避したようだ。
ただ果たして幾寅やその先が復旧できるのだろうか。復旧の暁には東鹿越はそのまま廃止になるのか。はたまた路線ごと廃止となってしまうのか。
この時はまだ分からなかった。だが、ついに「その時」が来てしまった。
根室本線部分廃止
2023年3月6日、JR北海道は遂に
富良野〜新得間を2024年3月31日を以って廃止することを発表した。
JR北海道は沿線自治体と運行再開に向けて協議を行なっていたが、仮に復旧した場合約9億もの赤字が見込まれる試算となり、自治体にとって馬鹿にならない費用として断念したことが明らかとなった。
遂に訪れてしまった終焉の時。東鹿越も対象に入ってしまった。
なお、
鹿児島本線や
信越本線など、本線が分断された事例はいくつかあるものの、いずれも新幹線開通による経営分離および廃止であり、災害による分断はこれが初めてである。
余談
前述の通り、隣の幾寅駅は『鉄道員』の撮影で使われた駅である(ちなみに東鹿越の周辺も炭坑として撮影されたそうな)。
ここで『鉄道員』の
あらすじを思い出して欲しい。
間もなく廃止となるローカル線「幌舞線」。その終着駅・幌舞駅の駅長の前に少女が現れる。それは彼に訪れた優しい奇蹟の始まりだった。
『間もなく廃止となるローカル線の終着駅』……。
災害によって終着駅となってしまった東鹿越と重なって見えてしまうのは気のせいだろうか。
路線の方もただでさえ経営面で厳しいのに、更に台風被害で存続が危ぶまれる状況だし……。
とはいえ一致しない所もある。
あっちは有人駅だけどこっちは無人駅だし。それにあっちの路線は石炭輸送で栄えたそうだけどこの区間に関してはそうじゃないし。
だから映画にならって廃線が確約されたという意味では決してない……と信じたかったところだが、現実は非情であった。
せめて、最後の時は見届けてあげたいところである。
間もなく終点・コメント欄です。
追記・修正する方は「項目変更」から執筆して下さい。
- あまりに堂々とした「石灰石」にワロタ -- 名無しさん (2016-11-12 22:32:44)
最終更新:2024年03月20日 18:44