チャーチル歩兵戦車

登録日:2019/10/31(日) 15:10:00
更新日:2023/12/27 Wed 10:25:35
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チャーチル歩兵戦車は、第二次世界大戦のイギリスで開発、運用された歩兵戦車である。
当時のイギリス戦車の中では最も活躍した戦車の1つであり、名前を聞いた事がある人も多いのではないだろうか。

◇開発経緯

この戦車の起源は「A20」という試作戦車にまで遡る。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、イギリスは再び大規模な塹壕戦が起こると予想してそれに備えた戦車の開発をスタートさせた。
とは言っても、かつて第一次世界大戦でイギリスが開発した世界初の戦車である菱形戦車も元々は塹壕戦対策で生まれた兵器である。
20年程の戦間期を経た程度で紅茶好きな紳士達の考えは大きく変わるはずもなく、塹壕戦に適応する戦車を作るとまた菱形戦車モドキが出来上がってしまった。
実際、試作されたA20戦車は菱形戦車にそのまま砲塔を載せたような見た目でお世辞にもカッコイイとは言えない。
さすがに「なんでまた菱形戦車なんて作ってんだよ古すぎるだろ!」と苦情が内部から起こったらしく、この戦車の計画は試作を制作したところで中止となってしまった。

…はずだったが、状況がどう転ぶのか分からないのが戦争。この戦車に大きな転機が訪れる。
1940年5月に起きたダンケルク撤退戦である。
ドイツ軍に負けに負けたイギリス軍はフランスのダンケルクから大慌てで撤退する羽目になり、大量の兵器、武器を置き去りにしてしまった。
その中にはもちろん戦車も含まれており、イギリス軍は深刻な武器不足に陥ることになってしまう。
いつドイツ軍が攻勢に出てくるか分からない状況をただ見ている訳にもいかず、とにかく軍の再武装化がイギリスの急務となった。

そんな中白羽の矢がたったのが、一旦開発が中止されたA20だったのだ。
「いや古臭いとか言ってたのに結局使うのかよ」というツッコミが聞こえてきそうだが、使えようが使えまいが試作車両作れる程計画が進んでいるという事で優先される程当時は切羽詰まった状況だったのだ。
だって「槍でもいいから武器作れ!」って役人の言葉をそ の ま ま解釈して水道管とナイフでホントに槍作っちまうくらいだし。
とは言ってもさすがに元の設計のままだと役に立たないので設計に手を加えられて名称もA22へと改称。
そして計画書を見たイギリス首相のチャーチルがこの戦車を気に入って最優先で量産するよう指示。
このことからこの戦車はチャーチルと愛称を付けられた。

◇車体構造

初期のマークIは砲塔に同じ2ポンド砲を載せ、車体には3インチ榴弾砲を装備し、とりあえずマチルダⅡのように歩兵戦車なのに榴弾撃てなくて味方の援護が出来ない!なんてことは無くなった。
後に砲塔に榴弾も撃てる75ミリ砲を装備するようになると車体の砲は撤去された。
他にも砲塔に76.2ミリ榴弾砲、車体に2ポンド砲載せたり、歩兵支援用に砲塔に95ミリ榴弾砲を搭載したりと様々なモデルが作られている。

防御力は歩兵戦車らしくかなりの重装甲で、初期のマークIで最大101ミリ、マークVIIでは152ミリとドイツ軍重戦車に迫る装甲厚を獲得している。

機動力については菱形戦車モドキ計画の頃からあんまり考慮されておらず、初期型でも25km/h、装甲や武装の強化が行われた後期型については20km/hくらいしか出せなかった。
まあ歩兵の駆け足よりちょい早いくらいのスピードが出ればそれで充分というのが歩兵戦車なので、特に問題視はされてなかったようだが。
この戦車最大の長所は人間が行ける場所にはどこにでも行けると言われた高い不整地の走破性である。
チャーチルは前後に大きくはみ出した履帯という車体構造故に段差や溝を乗り越える能力が非常に高く、スピードは低く、馬力も車体の重量からすれば決して高くなかったが、低速ギアにトルクがありかなりの急斜面でも登ることができた。
超堤能力は120センチ、超壕能力は370センチもあり不整地走破能力は突出して高く急斜面や湿地、森林といった悪路での機動力が高かった。
そしてこの時代の戦車には滅多に無かった超信地旋回が可能だったのも特徴の1つ。

◇初陣

チャーチルは1942年8月のフランス奇襲作戦の「ディエップの戦い」に投入され、ここで初陣を飾ることになる。英国首相の名を冠する戦車、華々しい戦果を残すかと思えば

1両も還っては来ませんでした。

なんでかって?まずはこの作戦の背景から知る必要があるだろう。
・奇襲上陸して6時間で撤退するという意味の分からない作戦目的
・「民間人を巻き添えにする」
・「奇襲攻撃の意味がなくなる」
・「駆逐艦以上の大型艦艇は喪失リスクがあるので作戦に参加させない」
・「天候不良で空挺部隊による沿岸砲の事前制圧は不可能」
等々の言いがかりレベルな理由でほとんど準備攻撃がなされなかったのだ。
オマケにギリギリまでドイツには内緒だったのに作戦決行2日前にイギリス将校がパーティで作戦内容を公言しやがったのだ。
もちろんあっという間にこの作戦はドイツ軍に知れ渡り、イギリス兵士たちは上陸したはいいが準備万端で待ち受けるドイツ軍の陸と空からの総攻撃を受ける羽目になった訳で。
なんとか生き残った兵士の1人は「石壁に卵を投げ付けるような戦い。その卵が俺たちだ」とこの作戦を酷評している。
因みに作戦内容を口外したイギリス将校は高級貴族で交友が広いと言うこれまた意味わからん理由でお咎めナシで済んだらしい。ソ連なら銃殺コース待ったナシだったろうに。
唯一救われた点と言えば、投入されたチャーチル37両の内砲撃で撃破されたのは2両のみで、とりあえず防御力の高さは証明できた点であろうか。

◇その後

先に結論を言うと、
チャーチルはイギリス戦車の中では1、2を争う程の活躍をして見せた。
初陣こそトラウマレベルだったチャーチルだが、その後も改良を加えられながら様々な戦場に顔を出した。
拡張性も悪くなかった故にノルマンディー上陸作戦では部隊の上陸を支援する為に戦車専門家パーシー・ホバート少将指揮のもと戦闘工兵部隊が創設され、280ミリ臼砲を搭載したり、車体を流用した架橋戦車や不整地にカーペットを敷いて即席の道を作るボビン等様々な工兵車両が制作され連合軍の上陸成功に一役買うことになる。
この部隊は奇っ怪な見た目の車両ばかり揃えていたため、「ホバーツ・ファニーズ(ホバートの面白いヤツら)」「ザ・ズー(動物園)」とか呼ばれていたそうな。
この頃になると戦況は連合軍に有利となり、制空権も連合軍が掌握しドイツ軍に大規模な電撃戦を展開する余力は無くなっており、あとはドイツを追い詰めて行く追撃戦に移っていった。
その中で鈍足な歩兵戦車というジャンルは時代遅れになりつつあったが、それでもチャーチルの走破性と重装甲が重宝される場面は多く、歩兵戦車として常にイギリス兵達の傍にあり続け、時に露払いとして重要な役目を果たした。
普通の戦車なら通行不能な岩だらけの山を踏破して防衛側が予想していなかったルートから奇襲して防衛戦をつき崩す、なんてことがしばしばあったという。

また相当数がソ連にレンドリースされ、1943年1月にはスターリングラード奪回のために、第48独立親衛突破重戦車連隊に配備された21輌が実戦投入された。
操縦が楽で真っ直ぐで平らなデザインがタンクデサントと抜群の相性を誇り居住性に優れるためソ連軍での評価は高かったが、車両の名前の由来であるチャーチル英首相が反共主義者だったため、チャーチル戦車による戦果は対外的にはソ連製の別の戦車によるものとすり替えられたことが冷戦後に明らかになっている。
例えば、クルスク戦時にドイツ軍のティーガーを体当たりで撃破したとされるスクリプキン少佐率いる戦車隊の装備車両は、史実ではチャーチルであったがソ連史ではKV-1だったことにされてしまっている、等々。
やがてドイツが降伏し、第三帝国の滅亡を見届けたチャーチルは朝鮮戦争にも参加し、その後も予備戦力として現役に留まり続け最後のチャーチル歩兵戦車が退役したのは1965年のことであった。
工兵車両型のチャーチルはさらに後年まで使われ続け、その中でも架橋戦車タイプは、その任務上戦闘能力は要求されない事もあってか、1970年代までイギリス軍の装備として現役であった。
WW2のイギリスを代表する戦車の1つであると同時に合わせて5600両という数が生産されたからか今でもボービントン戦車博物館では動態保存されている。気になる人はニコニコ等で見てみよう。
履帯特有のキュルキュルカタカタ…という音が好きな人は特に。

◇バリエーション

この戦車は設計に余裕があり、非常に多くのバリエーションが制作されている。

・Mk.I
出典:Wikimedia Commons『 File:Churchill Mk I (A22) front-right 2017 Bovington.jpg 』(2023年2月13日閲覧)

6ポンド砲が間に合わず、威力不足とは分かっていながら主砲を2ポンド砲にした初期型。副砲として車体前部に3インチ榴弾砲が取り付けられた。マチルダ2にもあればがハルファヤの戦いで一方的に撃破されなかっただろうに
ダンケルクから僅か半年後に試作車両が完成し、更に半年後には量産にこぎつけた。
しかしこの戦車を開発した会社は本来自動車会社で戦車は初めてで、そのためか故障が続出したという。まあ一応こいつ急造兵器だから仕方ないんだけどね。

・Mk.II
砲塔の搭載砲を3インチ榴弾砲、車体砲を2ポンド砲と搭載位置を入れ換え、近接支援能力向上を図った型。数両が製作されたのみで採用はされなかった。

・Mk.III
出典:Wikimedia Commons『 File:A22C Churchill MkIII* -T31831- (49041494793).jpg 』(2023年2月13日閲覧)

ようやく、6ポンド砲が量産開始され、6ポンド主砲と砲塔・車体前部に機関銃装備という、最初の計画に沿った型。
しかしやっぱりこの砲も榴弾を撃てない故に苦戦を強いられた。ソ連にも程貸与されている。

・MK.IV
Mk.IIIの溶接式砲塔を鋳造式にした型。武装はMk.IIIと変わらず。
因みにイギリス戦車兵も榴弾を撃てない事には悩んでいたらしく、一部の車両は主砲を北アフリカ戦線で撃破されたM4中戦車から取り外した75mm戦車砲を天地逆さまにして現地で強引に換装するという力技で解決した。
チャーチルの車体はシャーマンより大きかったので安定性が増して射程が伸びたりと突貫工事の割には結果は良好だったと言う。
75mmの貫通力は6ポンド砲より劣っていたのだが、イギリス戦車兵がどれほど榴弾を撃ちたがっていたかよくわかる話である。

・Mk.VI
出典:Wikimedia Commons『 File:A22 Churchill Mk.VI ‘T251952 D’ “Fording Height” (30337717787).jpg 』(2023年2月13日閲覧)

6ポンド砲の砲架を使い米軍の供与する砲弾を使用できるオードナンスQF75mm砲が開発され、これを搭載した型。
ここに来てようやく徹甲弾と榴弾の両方が一つの砲で使用できるようになった。

・Mk.VII
車体設計が大幅に変更された後期型でチャーチルの決定版。
それまでの12.7mm厚の装甲板を溶接して車体を組み、内側からリベットで増加装甲を留めるという手間のかかる作り方を改め、全面的に溶接組みを取り入れた。今更かよ。
砲塔前面装甲が152mm、車体側面も95mmの一枚板に強化され、A22Fという新たなナンバーが与えられた。
しかしその分重量が増えたため、最大速度は20km/hに落ちてしまった。

◇派生型

・A22D
1941年9月に対戦車戦闘能力の高い大口径砲を搭載することが計画され、固定戦闘室に3インチ高射砲を搭載した駆逐戦車型。通称は「チャーチルガンキャリア」。
期待されて生まれた急造兵器であったが、42年に17ポンド砲が完成しこの新型砲を搭載した戦車の開発が決まったため、40両しか生産されず実戦投入されることも無かった。
その17ポンド砲を巡ってイギリス内でグダグダが起きるのはご存知の通り。

・ブラックプリンス
ティーガーやパンターの登場で6ポンド砲では太刀打ちできなくなり、新たに17ポンド砲を搭載して車体と履帯の幅を増した発展型で、「スーパーチャーチル」の別名もある。
チャーチルの拡張性をもってしても17ポンド砲の搭載は容易ではなく、全長はチャーチルの7.44mに対してブラックプリンスが8.81m、全幅2.74mに対して3.44mと、一回り拡大されてやっと搭載可能に。
全高は低く抑えられ2.7mであったが、重量は10トン増加して約50トンになり、それに合わせて履帯幅も広くなった。
ところが最大速度は17.7km/hと更に遅くなり、しかもこの頃には攻、防、走のバランスが取れたセンチュリオンの量産も決定した事でじゃあ鈍足なこいついらね、となり6両の試作で終わった。
この車両が不採用に終わったことで歩兵戦車というジャンルも終わりを告げたのだった。

・チャーチル・クロコダイル
チャーチルの派生型では一際異彩を放つ車両。Mk.VIIの車体機関銃をとっぱらって代わりに火炎放射器を乗せ、後ろに火炎放射用燃料を積んだ2輪トレーラーを引いている。
主砲も搭載しており普通の戦車としても使える。
トレーラータンクも非常時には車内から切り離し可能と安全対策もバッチリ。
火炎放射器の最大射程は100mを超え、この戦車のえげつない対人攻撃能力はドイツ軍を震え上がらせ、クロコダイルを投入すると投降する部隊が続出した。
同時にその残虐性からドイツ軍のクロコダイルに対する相当な恨みや憎しみを買ってしまい、擱座したりスタックして移動不能になったクロコダイルから搭乗員が引きずり出されリンチの末殺害されるという事態が多発した。
そのためイギリス軍もクロコダイルに乗るのを嫌がったという曰く付きの車両である。



我々は追記、修正する!陛下と祖国の為に!



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最終更新:2023年12月27日 10:25