登録日:2025/08/22 Fri 22:23:00
更新日:2025/09/03 Wed 14:32:35
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「対馬丸 —さようなら沖繩—」とは、1982年に公開されたアニメ映画である。上映時間は70分。配給はヘラルド映画。監督は小林治。
【概要】
ただし登場人物はモデルになった人物こそ存在するものの、基本的には架空の人物である。
また製作サイドのミスにより、一部において間違った事実関係が描かれている部分もある。
【あらすじ】
太平洋戦争中の沖縄、那覇国民学校に通っている清は「日本の本土へいつか行ってみたい」という夢を抱いていた。
そんな中、担当教師の宮里先生から集団疎開の話を説明される。
両親から当初は反対されたものの、友人の勇や健治も行くことや先生の説得もあり、無事行けるようになり喜ぶ。
期待と不安が高まる中那覇港に行った清達が目の当たりにしたのは、軍艦ではなく輸送船の「対馬丸」だった。
何はともあれ清達を乗せて本土へと向け出港した対馬丸。
しかし、清達はまだ、この先に待ち受けている悲劇を知る由もなかった……
【主な登場人物】
本作の主人公。勇と健治とは
幼少の頃からの友人。苗字は具志堅。
冒頭の魚取りで一人だけ仕留められずタコ墨をぶっかけられる、跳び箱が飛べない、気弱で情けない面を多々見せるなど、3人の中ではどんくさい印象を受ける。
だがしもやけの説明をしたり手旗信号を暗記しているなど、勉学はできる模様。特に後者に関してはこれが生還に繋がった。
対馬丸が魚雷攻撃を受けた際は気が動転して船内に残した荷物を取りに戻ろうとしたものの、危うく転落死しかけたことで断念。
なんとか脱出したが、勇と健治を立て続けに失い、目の前で対馬丸が沈む瞬間を目の当たりにすることになる。
その後、漂流の末どうにか漁船に救出され沖縄に帰還したものの、憲兵から「対馬丸のことを他人に喋ればスパイ行為として銃殺刑に処す」と言い渡され、両親も含めた誰にも何も言えず、ただ独り泣き崩れる。
そして10月10日、那覇で起きた空襲(いわゆる「十・十空襲」)により父親が死亡。崩れ落ちていく家を尻目に母親と共に裏山の墓へ避難し、そこで対馬丸が沈んだこと、勇も健治も死んでしまったことを、振り絞るように告げたのであった……
演じた田中真弓氏は収録の際、犠牲になった子供たちのことを考えるあまり涙が止まらなかったという。
清の友人。苗字は阿波根。常に帽子を被っている。
母親からは疎開を反対されていたものの、自身の熱意と宮里先生の説得もあり疎開できるようになる。
配られた救命胴衣が他と比べて小さいことに不安を抱いていた。
対馬丸が魚雷攻撃を受けた際、衝撃で吹っ飛ばされ頭部を強打してしまい失神。
清と健治の目の前で波に流され、海へと消えていった……
清の友人。苗字は比嘉。兄弟が他に4人いる模様。
疎開に対して父親は即座に賛成してくれた。健治自身が疎開に対して大きな興味を抱いていたこともあったが、元々父親の仕事を継ぎたくないのも理由の一つだった模様。
少々乱暴で悪戯好きなところがあり、清から大事な黒砂糖を強引に奪ったり、厨房の猫にちょっかいを出して威嚇されたりなどの一面も。
流された勇のあとを追い、清と共に即座に海へと飛び込む。
だが清が辛うじて筏に乗れたのに対し、健治はたどり着くことができずに流されていく。
着水した際の打ちどころが悪かったのか、あるいは勇を探すのに必死になりすぎて体力を使い果たしてしまったのか。
いずれにせよ清の呼びかけに応えることもなく、波に飲まれ消えていったのだった……
清達の担任。妻子持ち。「国のために役立つ子供達を教育することが自身の使命」と考えるほど強い愛国心の持ち主であり、現在の沖縄の環境では設備も何もかもが不足していることに頭を悩ませている。
疎開においての総指揮者を引き受け、生徒たちの家を訪ねて彼らの親にも熱心に疎開を勧めるが……
対馬丸が沈没する際には妻子を連れ辛うじて脱出することに成功したものの、漂流を続けているうちに娘が凍死。
自らも生徒達と祭りを行う幻覚に苛まれながらも、辛うじて生存。
娘を含めた多くの子供達を死なせた結果を見せつけられても尚「自身の教育者としての信念は間違っていないと今でも思う」と陽子や糸数先生(何より自分自身)に言い聞かせるように立ち去るも、既に心身ともに疲れ果てていた……
モデルとなった人物がおり、沖縄の人々からはかなり高く評価されていた人物だった模様。
上記の台詞に関しても削るかどうかの議論がされたものの、最終的には残されることとなった。
安波国民学校に通う少女で、実質的にもう一人の主人公とも言える存在。
従妹の富子ことトンちゃん、姉、兄、祖母とも一緒に疎開する。
那覇港へ向かう道中は完全に徒歩で、道中ハブに襲われるなど少なからず困難な旅路だった模様。
対馬丸が魚雷攻撃を受けた際は恐怖で海に飛び込めずにいた。
どうにか筏にたどり着いた後も、せっかく取れた魚を他の子どもに横取りされたり、親しくなった老婆が目の前でサメの餌食になるなど、凄惨な経験をすることになる。
その後辛うじて島に流れ着き、同時に糸数先生とも再会。治療のために鹿児島の病院に移される。
結果的に親族を幾人も失い、自身も足の指を切断しなくてはならない可能性を告げられたものの、「助かったんだから指くらい我慢する」と言い切ってみせた。
早く沖縄へ帰りたいと嘆いていたが、その後沖縄では……
彼女もモデルになった人物が存在しており、生存者の中で最も記憶が鮮明に残っていたことから主要人物の一人に抜擢されたという。
ちなみに史実においては「筏にサメが体当たりを行い、生存者を海に突き落とすこともあった」という。
安波国民学校の女性教師。陽子、富子に慕われている。
対馬丸が魚雷攻撃を受けた際にはボートに拾われて生存。その後陽子と奇跡的に再会する。
自身の行動で多くの生徒達を死なせたことに大きな責任と後悔を感じており、尚も自身の信念を間違っていないと主張する宮里先生を糾弾するものの、よろめきながら去っていく姿にそれ以上の追及はできなかった。
【用語】
清達が集団疎開で乗ることになった輸送船。総トン数6,754トン。
宮里先生は「イギリスから分捕った大きな船」「今まで幾度もの危険を乗り越えてきた運のいい船」だとして不満げな清達を説得したものの、その実態は建造から30年経った旧式の貨物船。
そんなんでも開戦からこの時まで物資輸送を行い続けた、宮里先生の言うように「運のいい船」ではあったが……沖縄戦直前のこの時期では浮かんでるどの船も「運のいい船」だし、それでも沈むときは沈んだのは禁句
なお日本郵船がイギリスの造船所に発注した船であり、「イギリスから分捕った」と言うのは同じ船団に居た「暁空丸」との混同と思われる。
砲艦「宇治」、駆逐艦「蓮」を護衛として、「和浦丸」「暁空丸」とともに出港した(ナモ103船団)ものの、航海の最中アメリカ軍の潜水艦「ボーフィン」の魚雷攻撃を受け、1944年8月22日の22時23分、沈没。
海に沈んだ対馬丸の船体が映るシーンで、物語は締めくくられる。
なお他の船は退避に成功し無事疎開民を本土まで運んだものの、暁空丸はわずか一ヶ月後の1944年9月、和浦丸等との上海行き兵員輸送時に2度の潜水艦攻撃を受け沈没。
残る船はなんとか戦争を耐え抜き、蓮は1948年に処分されたが、和浦丸は韓国・宇治は中国にそれぞれ戦後接収され、異国の地で新しい名前を付けられ1970年代まで使われ続けたという。
ちなみに作中での目的地は
鹿児島県となっているが、史実における目的地は
長崎県である。
また学生達はほとんどが修学旅行気分で終始大はしゃぎしており、教員の静かにする指示に従った者は少なかったらしい。
一般的に太平洋戦争中の疎開は、空襲などに備えて都市部から田舎へと避難することである。
ただ沖縄の場合は空襲だけでなく「本土決戦の前哨戦」として発生しうる地上戦への備え、という面もあり、県民60万のうち非戦闘員たる女子供老人最大10万人の疎開を計画し、約7万3000人が島外に逃れることとなる。それ以上は米軍の海上封鎖によって不可能と判断され中止された
父兄からは軍艦を用いての疎開を希望されていたものの、当時の日本海軍にはそれだけの人間を輸送するのに軍艦を充てられるだけの余裕などなかったのである。
ナモ103船団をとっても、護衛のうち「宇治」は元は大陸の揚子江流域や沿岸部を警備するための小型艦だし、「蓮」に至っては艦齢20年以上の旧式かつ「宇治」より小さい駆逐艦という心細さであった。
なお戦時中に沖縄・南西諸島周辺で沈んだ船は30隻近くあるものの、ほとんどが定期便だったり沖縄に向かう軍隊輸送船だった。
沖縄本島から本土に向かった疎開船で沈んだのは対馬丸だけで、南西諸島一帯でもあとは奄美から鹿児島に向かっていた武州丸(総トン数1,222トン)と、石垣から台湾に向かっていた二隻のポンポン船(尖閣諸島戦時遭難事件)くらい。
清達が通っていた学校。
沖縄戦に向けて準備を進める兵士達の宿舎として使われるようになってしまい、清達は港の倉庫を教室として使っていた。
後に那覇空襲により炎上・消失した。
【余談】
エンドロールでは実際の対馬丸事件の被害者の氏名・当時の年齢・学校名が流れる。
本編中で犠牲になったのは子供達だけで728人、生存者は59人と語られているが、これは当時判明していた資料によるもの。
現在判明している犠牲者は乗員・乗客合わせて(氏名が判明しているだけでも)1484名、生存者は59~60名とされている。
追記・修正は対馬丸事件で犠牲となった人々を偲んでお願いします。
- 声ルフィなのに海に落ちて助かったのか -- 名無しさん (2025-08-23 13:48:35)
- 清あれからどうなったんだろう…銃殺されてないといいな…。 -- 名無しさん (2025-08-23 15:49:02)
- ↑と言っても普通に何があったかてい言うのは割と広まってたぽいしね -- 名無しさん (2025-08-23 19:32:02)
- ↑↑親子ともにあの空襲で死んだと考えるべきでしょう。清も、もう自分たちが助からないと悟ったからこそ、母親に話す決意をしたわけで -- 名無しさん (2025-08-23 21:34:44)
- 仮に生き延びていたとしても、わざわざ探し出して銃殺できるほどの余裕(と治安意識)がまだ残っていたかどうか -- 名無しさん (2025-08-23 22:22:00)
- 小学生の時にこの映画のフィルムコミックや生き残った船員さんの記録を読んだ。その船員さんはその日たまたま夜勤で、魚雷攻撃の少し前に食事を摂っていたから他の人より体力が残っていたって…それ以来夜中にお腹空かせたまま寝るのが怖くなっちゃった -- 名無しさん (2025-08-24 16:30:51)
- 学級文庫にフィルムコミックがあったの思い出した。沖縄に戻れた子達もこの後空襲や沖縄戦に巻き込まれることを考えるとな… -- 名無しさん (2025-08-24 19:28:43)
- これを夏休みの登校日に体育館に集められて見た記憶 -- 名無しさん (2025-08-26 11:33:54)
最終更新:2025年09月03日 14:32