エスカレーター

登録日:2025/08/22 Fri 12:17:32
更新日:2025/08/25 Mon 21:45:21
所要時間:約 5 分で上がれます




エスカレーターとは、階段型の自動昇降装置である。
本項目では、類似物の「動く歩道」「オートスロープ」についても解説する。


構造


階段状の足場(踏板)と、手すりがベルトコンベアの要領で電動で循環し、足を使わずとも高低差のある場所を移動できる。
乗降口では円滑な進入、退出のために足場が平行になるよう、足場の下部にあるガイドレールで角度が調整される。
足場の移動とともに、手すりもローラーを介して連動して駆動している。
動力となるモーターはエスカレーターの上部に設置されることが多いが、総延長が長いエスカレーターの場合は傾斜直線部分にモーターを複数配置する場合もある。
エレベーターと異なり、一方通行型の設備であるため、上向きと下向きが隣り合う形で設置される場合が多いが、スペースのない場所では、片方向のみエスカレーターを搭載したり、異なる方向のエスカレーターを離れた場所に設置する場合もある。
また、利用者数が時間帯によって大きく変動する場所では、人感センサーを使用し、通常時は駆動せず、人が近づくと反応し、一定時間駆動するようにされているものもある。あまりにも人の流れが無さすぎる場合は稼働そのものを終日停止するという措置が取られることも。
また、エスカレーター脇には透明な板がぶら下げられているが、これは身を乗り出した人間が階層の間に挟まれるのを防止するための保護板である。

名称


当初、エスカレーターはラテン語からの造語として、1900年にオーチスエレベーターカンパニーの商標として登録されていた。しかし、その50年後に他社との商標権をめぐるトラブルにより、商標ではなくなり、一般名詞となった。
また、エスカレーターから、上昇する、拡大するという意味の「エスカレート(escalate)」という動詞が1922年に生まれており、そこから名詞化した「エスカレーション(escalation)」という単語も生まれた。

セーラームーンの必殺技である「ムーン・ヒーリング・エスカレーション」で聞き覚えのある人も少なくないだろう。

他にも中高一貫校(学校によっては幼稚園や小学校)へ入学し、受験をせずに大学までに進学することを「エスカレーター方式」と呼ぶ。

歴史


1859年、ネイサン・エイムズによってエスカレーターの特許が初めて出願された。機構こそ今日のものに近いが、これをもとに実際に動くものが作られなかった。また、乗降口の水平になる機構もまだ考案されておらず、安全性に難があった。
その後、複数名が同じくエスカレーターの発明を進めていたが、1892年のジェシー・W・リノが初めて実際に動くエスカレーターを製造。1896年にニューヨークで初めて実用化された。
日本国内では、1914年の春季に現在の上野公園で開催された東京大正博覧会にて初めて設置された。同年10月にオープンした、三越日本橋店新館にも設置されたが、こちらは1923年の関東大震災で焼失した。

動く歩道


エスカレーターと類似した機構を利用する移動手段として、「動く歩道」というものも存在する。
「歩く歩道」とうっかり言い間違えてしまうのは誰もが通る道

こちらは足場が階段状になっておらず、ベルトコンベア上に水平に移動するものである。
エスカレーターと合体したような、高低差の移動を想定した設計の動く歩道も存在し、主に二つのパターンがある。
一つ目は、エスカレーターの乗降口も、足場を水平に並べる機構を用意していることから、移動経路上で動く歩道とエスカレーターを切り替えるように足場の配置が変動するタイプである。
JR秋葉原駅の山手京浜東北線ホーム行きエスカレーターや、三島駅の地下通路エスカレーター「ゆうロード三島」などで、エスカレーターの上下移動の途中に踊り場として動く歩道状になるものが多い*1が、JR新千歳空港駅や京阪出町柳駅のように、乗降口の足場が水平になる区間を長くとり、動く歩道からエスカレーターにもしくはその逆になるパターンが存在する。
二つ目は、動く歩道そのものを傾斜状にしたものである。この形態は「トラベレーター」「オートスロープ」と呼ばれる。ショッピングセンターを中心に設置される。ほかに、地下にある駐輪場から自転車を外に出す際に、自転車を乗せるための小型のオートスロープもたびたび見られる。

考案はエスカレーターより遅い1874年だが、実際に製造・設置されたのは1893年のシカゴ万博であり、実用化の点ではエスカレーターよりも早い。

動く歩道のネーミングは1970年の大阪万博から一般化したとされる。

片側開け


エスカレーターと言えばみなさん気になるのがこれだろう。
その歴史は非常に古く、1940年代にイギリスが「エスカレーターを早く進む人のために道を開けるのがマナー」として実施したことが始まりとされている。
世界各国で見られる現象で、三菱電機の調査によれば開ける方向は道路の通行方向と連動しており、概ね「左側通行の国が右側開け」「右側通行の国が左側開け」となっている。

日本では1967年に阪急電鉄が推奨する乗り方として呼びかけたことが始まりで、1990年代以降本格的に普及した。
なお、阪急を筆頭とした関西圏では左側開けが主流だが、これは当時大阪万博の開催を控えており、欧米などの国際基準に合わせたことが理由とされている。
とはいえ京都府は右側開け、仙台市は左側開けが主流など地域によって微妙に差があったりするが。
しかし、歩行による接触事故が頻発するようになったことから、2004年頃から両側に乗ることを推奨する例が増え、日本エレベーター協会もこの乗り方を推奨するようになった。
更に2021年には埼玉県・2023年には名古屋市でエスカレーターの安全利用に関する条例が制定され、歩かずに立ち止まって乗ることを義務づけるようになったが、違反者に対する罰則がないので意味がないとの指摘もある。

なお、古くからコミケ利用者の間では後述する事故の影響から片側開けを行わず、両方の列に立ち止まって乗るマナーが徹底されている。

ちなみに、エスカレーターは建築基準法上歩行で利用することを想定していない。

余談


  • エスカレーターの手すりは、ほとんどの場合乗降口で下部に弧を描くような形のルートで収納されるように設計されているが、1970年代までは手すりの収納部が垂直に落ちるタイプ、通称「垂直落下式」の製品も存在した。
    このエスカレーターは70年代までに建設されたビルに設置されていたが、エスカレーターの交換や建物そのものの取り壊しなどで徐々に姿を消し、現在残されているのは名古屋駅にある名鉄百貨店本店のエスカレーターのみ。店舗には「日本でここだけ」とのパネルも設置されているが、名駅の再開発の一環で百貨店は2026年2月28日での閉店を予定しているため、興味のある方はお早めに。
  • 日本一短いエスカレーターは、神奈川県川崎市の川崎モアーズにある「プチカレーター」である。1991年にギネス認定もされた。
  • 日本一長いエスカレーターは香川県丸亀市の遊園地「NEWレオマワールド」の園内にある「マジックストロー」。全長96m、高低差42mで乗ってるだけで3分14秒もかかる。ただし途中で踊り場のように平行移動するゾーンがある*2ので、リミナルスペース感を感じたいなら同じく四国にある日本で2番目に長い「エスカヒル鳴門」のエスカレーターがおすすめ。こちらは全長68m、高低差34mで、所要時間は約3分。
  • ゆるく螺旋を描くように昇降する「スパイラルエスカレーター」は三菱電機ビルソリューションズのみが実用化に至ったとされている珍しいもの。多くはバブル期に設置されたのでじわじわ撤去が進んでいるが、海外ではまだまだ需要があるとか。現存する日本最古のもの(2025年8月現在)はインテックス大阪で見ることができる。
  • 観光地などに設置されているエスカレーターには利用に料金がかかるものも存在し、代表的なものには神奈川県の江ノ島で江島神社参拝用として設置された日本初の屋外エスカレーター「江の島エスカー」がある。
  • 東映東京撮影所のオープンセット跡地を再開発し、1983年に開業したショッピングセンターの「プラッツ大泉」にあるエスカレーターは、1984年放送の「超電子バイオマン」で母艦バイオドラゴンに搭乗するシーンの撮影に使用されたのを皮切りに、スーパー戦隊シリーズでは定番のロケ地となっている。
  • 2008年8月3日、フィギュア販売イベントの「ワンダーフェスティバル(WF)」を開催していた東京ビッグサイトで1階から4階まで上がるエスカレーターが故障し、一時エスカレーターが逆走、10人が怪我をする事故が発生した。
    事故発生直後は過積載が原因と考えられていたが、調査の結果部品の不備によるものと特定された。この事故をきっかけに、WFは東京ビッグサイトから幕張メッセへ開催地を移転、直後に実施された同人誌販売イベントの「コミックマーケット」では、数年間エスカレーターの使用が制限された。



追記・修正は逆方向のエスカレーターに乗ろうとしてしまった人にお願いします。

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最終更新:2025年08月25日 21:45

*1 ゆうロード三島がこのタイプを日本で初めて採用したとされており、当該エスカレーターにもそのことが表記されている。

*2 恐怖感軽減のため