それから数日経つと、ロデリックの様子に変化が訪れた。
より具体的には仕事にも何も手を付けることも無く、何かに怯えたように部屋の中を徘徊するようになったのだ。
語り手は彼の様子の変化について考察を重ねていたが、時折見せる狂気をはらんだ彼の行動に対して次第に漠然とした恐怖を抱き始め、さらに上で述べた植物や無機物の知覚力の影響が自分にも忍び寄ってきていることを自覚した。
それからさらに数日後、マデリーンの遺体を窖に納めてから数えるとおよそ1週間後の晩。あたりはひどい嵐に見舞われ、寝付けずにいた語り手は自身を取り巻く恐怖にあえいでいた。
仕方がなく部屋の中を歩き回っていると、何故か同じ様に屋敷の中の廊下を歩いていたロデリックの存在に気が付いた。
彼は語り手の部屋に入り、「あれを見なかったのだね?」と不意に聞いたかと思うと、窓を開けて目的のものを見せてきた。
外を見た所、周囲の雲が薄く発光し、屋敷全体がぼんやりとした光に包まれていたのだ。
彼の錯乱が悪化することを恐れた語り手は彼を窓から離し、気を逸らし、かつ紛らわせるために手元にあったラーンスロット・キャニングの「狂える会合」を共に読むことにした。
しかし、今度は物語を読み進めるごとにその内容と呼応する様な怪音が屋敷の中から聞こえる様になってきた。
物語の主人公が槌矛を使って扉を叩き壊すと、遠くの方で扉の板が割れ、砕けるような音が聞こえ、物語内で行く手を阻む竜を槌矛を打ちおろして殺し、竜が断末魔の叫びをあげれば屋敷のどこかで叫びとも軋りとも取れる音が響き渡り、主人公が真鍮の楯を取ろうとして楯が銀の床に落ちて大きな音が響けば金属音が響き渡る。という具合に……。
始めは気にしていなかった語り手は次第に恐怖に飲まれていくが、横にいたロデリックはその比ではない程に震え、怯えており、呟くような声量で恐ろしい告白を始めた。
聞こえない? ――いや、聞こえる、前から聞こえていたのだ。
長い――長い――長いあいだ――何分も、何時間も、
幾日も、前から聞こえていたのだ、――が僕には――
おお、憐れんでくれ、なんと惨めな奴だ!
――僕には――僕には思いきって言えなかったんだ!
僕 達 は 彼 女 を 生 き な が ら 墓 の 中 へ 入 れ て し ま っ た のだ !
彼の錯乱を加速させた要因、それは類癇患者であるマデリーンを生きたまま棺桶へと閉じ込めてしまった自らの大罪に気が付いた事だった。
彼は棺を納めた時か、あるいはそれから数日以内のどこかのタイミングで、自らの過敏な感覚で棺からの音を聞き、彼女の生存に気が付いたが、それを言い出す勇気がなく、彼女を生きたまま閉じられた棺の中に放置していたのだ。
そして嵐吹き荒れる今夜、マデリーンは生きて棺桶から抜け出し、館の中に戻ってきたのだ。
扉を破る音は自らの棺桶を叩き割る音、竜の断末魔は鉄の蝶番の軋る音、そして楯の落ちる音は銅張りの拱廊でもがき苦しむ音……。
恐怖から逃走を考えるロデリックだが、その直後、飛び上がったかと思うと更に凍り付きながら振り絞る様に言葉を続けた。
気違いめ! 彼女はいまその扉の外に立っているのだぞ!
直後、部屋の扉が吹き込む風で開き、その先から白い死装束を血で染め上げたマデリーンが現れた。
彼女はうめき声を上げながらロデリックに近づいたかと思うと彼に倒れかかって床に押し倒し、彼を殺害し、自らも今度こそ息を引き取ったのだった。
目の前でアッシャー家の血筋の壮絶な終焉を見た語り手は恐怖のあまり、嵐が吹き荒れるのも構わずにアッシャー家から夢中で飛び出した。
古い土手道を走っている所で正気に戻った語り手だったが、ここで突如として不気味な光を目撃。振り返って屋敷を見ると、血のように赤い光の満月が、依然よりもはるかに大きくなった屋敷のひび割れから漏れ出る様に光を落としていたのだ。
そして亀裂が突如大きくなったかと思うとアッシャー家は真っ二つに分かれ、轟音を立てて壁が崩れ落ちたかと思うと、その残骸は静かに沼の中へと沈んでいき、数世紀続く「アッシャー家」は血筋・存在共に崩壊したのだった。
巨大な壁が真っ二つに崩れ落ちるのを見たとき、私の頭はぐらぐらとした。
――幾千の怒濤のひびきのような、長い、轟々たる、叫ぶような音が起った。
――そして、私の足もとの、深い、どんよりした沼は、「アッシャー家」の破片を、陰鬱に、音もなく、呑みこんでしまった。