西城一堡

登録日:2023/06/01 Thu 05:24:27
更新日:2025/05/31 Sat 22:00:14
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いいか! 医者は命を救うためのみに存在するのだ!



西城一堡(かずおき)とは『スーパードクターK』の登場人物。主人公KAZUYAの父親である。
※なお、西城は妻の姓であり、元々の苗字は不明。


概要

1934年に一宗と昭子の元にロシアで生まれた。3歳下の弟に一昭がいる。
鍛え上げられた肉体の持ち主であり、自分の身長くらいの瓦礫なら持ち上げることができる。

本編ではKAZUYAの同級生だった大谷定久から「厳しい父親」という形で言及され、KAZUYAの口から亡くなったことが語られていた。
その後、一堡が晩年を過ごした屋敷を整理していたKAZUYAによって「自らの意志で命を断ってからもう7年もたつ(意訳)」*1と言及があり、過去の姿が描写されていた。

ストイックな人物で壮年期では威厳のある風格を持つが、幼少期や青年期等では焦ったり感情的になる面も見られ、そこら辺は息子であるKAZUYAとよく似ている。
後の妻である杏子との初対面は向こうの押しの強さに終始タジタジであった。


Kの一族だけあって高い医術能力を持っており、籍を置いていた帝都大学では成績はトップだった他、未来を先取りするかのような治療を行うこともしばしば。

たとえば、1958年には決定的な治療法のない椎骨動脈血栓症に対して椎骨の一部を切り取ることで30年の延命に成功させており、
その際に根本的治療として人工血管が近い将来実用化されることを想定している。

また、1959年にはすでに移植手術の術式の概念をある程度確立させており、実際にビクシバールにて大人の臓器を子供に移植させることに成功していた。
もっとも、一刻を争う緊急事態とはいえ本人も悩み焦るほどのギャンブル染みたやり方ではあったが。

続編『K2』では、狭心症に対して心臓バイパス手術を40年以上前*2に行っていたことも判明している。

カルテ以外にも日記や手紙という形で自身の手術等の記録を残している描写も見られ、一部の再手術の必要性は息子に告げていた様子である。


後任の育成という面では基本的には弟子は取らない主義であるため、ドクターKを受け継ぐべき息子のKAZUYAへのスパルタ教育が主だが、
昭和52年には柳川慎一郎の推薦で雨宮泰光を弟子に取ったり*3、30代後半頃に出会った畑中敏之には手術をしながらも彼に助言のようなものを行ったり、
自身がかかわった医者の誤診等をフォローしたりと、自分から積極的に教えに行くようなことはないものの面倒見は良い。


そのスタンスは冒頭のセリフそのもので、治療の可能性があるのであれば最後まであきらめず病と戦い抜く。
そのため安易な痛み止めのモルヒネなどには頼らないようにしている(未来の治療の可能性を狭めてしまうため)。


そして昭和55年3月4日、担当しているガン患者の治療法のきっかけをつかむため柳川に誘われてやってきて原子力医療開発研究所にて、
震度7の直下型地震に見舞われ、原子炉と同じフロアで爆発事故が発生し、それによる放射能漏れ事故が発生した。
原子炉の部屋の壁や扉には鉛が仕込んであり、部屋の外へ出て扉を閉めれば放射線を遮断できる仕組みだったため、
その場にいた全員で部屋の外へ避難したものの、部屋の扉の前に巨大な瓦礫があって、扉が閉められなくなってしまっていた。

いつ二次爆発がおきて全員が被曝するとも限らない事態に一堡は再び部屋の中に入り、その肉体で瓦礫を一人で除去する。
だが、その際再び爆発が発生し、衝撃で扉が閉じられてしまう。

扉の再開閉をすれば周囲が放射能に曝されることになる為、怪我人をKAZUYAに託し自分は部屋に残る選択をとる。
そして「オレを一人にしないでくれぇ!! それにどうしてオヤジ一人が犠牲にならなきゃいけないんだ!!」と泣き叫ぶKAZUYAに対して……


私は……医者だ


医者は人の命を救うためのみに存在するのだ!!

それが……たとえ自分の命を犠牲にしなくてはならなくてもだ!!



いま患者を救えるのはお前だけだと後を託し、覚悟を決めたKAZUYAに扉越しに指示を出す。
やがて大量の放射線に暴露したことにより大声をあげることすらできなくなってしまうが、
それでもKAZUYAは自身の指示なしに的確に患者の対処をしていき、その声を聴いた一堡は満足気に思う。


KAZUYA……よく ここまでになってくれたな……


これなら私も安心して……


その後救助に向かった面々が目撃したのは呼吸麻痺で扉前に立ったまま絶命していた一堡であった。



関連人物


西城KAZUYA
息子。
幼少期のころからKAZUYAにはスパルタ教育で医療技術を叩き込んでおり、
彼が6歳のころ、往診に出かけた際に密猟者に熊か何かと間違われて銃で左わき腹を負傷した際には、6歳のKAZUYAに手術を行わせたりしたほど。

周りからも非常に厳しい父親と認識されるレベルのエピソードもある。
KAZUYAが8、9歳のころ、吹雪で救急車が来れず、仕方なく畑中敏之が手術をやることになった一件では、
KAZUYAは病状から胆石だと気付いたものの、畑中は虫垂炎と誤診して手術を決行してしまい、子どもであるKAZUYAは彼を止めることができなかったのだが、
このことを知った一堡は、(畑中ではなく)止められなかったKAZUYAを叱り飛ばした。

また遊ぶことさえ基本許さず続く訓練の日々に8歳のKAZUYAが家出をした際には本人が帰ってくるまで家で資料の確認をしている場面もあった。
決してKAZUYAに「だいたいこんなマント……いつも着てなきゃならない意味がわかんないよ!」とか言われてショックを受けたわけではないと思う

そんな厳しさ故にKAZUYA曰く、父親に頭をなでられたのは上述の6歳の時だけとのこと。
まあ、そのあと『Doctor K』の回想シーンでどう見ても別場面でなでられているKAZUYAが描写されていたりするが

とはいえあくまで訓練は放課後などのプライベートな時間の話であり、
KAZUYAが中学三年生の時には患者のオペの立ち合いを頼んだが、林間学校があったためそれが終わってからとするなど、学校行事までには基本干渉はしていない様子。
3歳の頃のエピソードに代表されるようにきちんと息子を愛しているのだ。

KAZUYAは当初、父親の安易な痛み止めのモルヒネに頼らないなどの一見非情なやり方に納得できず、
自分は医者に向いていないのでは、と考え大学辞退も考えるほどであったが、
上述の事故での一堡の姿を見て彼の口癖の意味を真に理解し、改めて医者になる覚悟を宣言した。
そして自分にあのとき筋力があれば父親を救えた、とあの肉体を得る理由の一つとなった


西城杏子
妻。
一堡とは互いの父親同士が決めた許婚のようなものだった(ただし一堡はそれを全く知らない)。
当初は彼女も勝手に決められたそんな約束は冗談ではないと思っていたものの、一堡の手術を見て彼に惚れこみ、
初対面の一堡に「あなたの妻になるものですわ!」「私の一生を……一堡さん!あなたに捧げます!!」と高らかに宣言し、結ばれた。
しかし、事故で重体となった当時3歳のKAZUYAの命を救う為に自分の血液を大量に輸血し死亡。享年29。
早すぎるその死には一堡や兄・頼介を深く悲しませ、その後のいざこざに発展することとなる。


柳川慎一郎
一堡の親友。
一堡とは同い年で帝都大学ではよく医学について語り合っていたとのこと(ちなみに柳川は一堡を名前で呼んでいるが、一堡は柳川を名字で呼んでいる)。
大学卒業後は柳川が表街道を突き進んだのに対して一堡は表舞台に立たなかったため、
直接会ったのは昭和55年に10年ぶりとのことだが、上述したように彼の推薦で雨宮を弟子にしているため、度々連絡は取っていた様子。


一宗
一堡と一昭の父。同じくKの一族らしく体格良く人並み以上の格闘能力を持っている様子。
活動拠点をロシアやヨーロッパにおいており、第二次世界大戦中もロシアの無医村で医学の普及に努めていた。
そして大戦末期に11歳の一堡を日本へ帰したあと、戦後の混乱の中シベリアに渡り、その生涯を閉じる。
一堡は彼のことを尊敬しており、KAZUYAにも度々誇らしげに語っていたようだ。


雨宮泰光
弟子。
弟子は取らない主義であったが、柳川の推薦状があるという理由で受け入れており、
「手取り足取り」教えないとしつつも、メスを握れないほどだった彼に的確なアドバイスをしていた様子。
それゆえに一堡にはとても恩を抱いていた。


木村千絵
若い頃(昭和33年)に一堡の治療を受け、以後彼を慕っていた女性。
一堡も彼女には好意を抱いていたようで、手術で削り取った彼女の椎骨の一部を肌身離さず持っていたり、
(メタ的にはともかく)当時治療困難だった他の患者達に対しては、後年のKの一族への診察券としてメスを手渡しているのに対して、
彼女のことは一族ではなく直接息子KAZUYAに手紙で託していたりと、特別に扱っていたことがうかがえる。
しかしKの一族として裏社会に生きる一堡は彼女の想いに応えることはできなかったため、彼女の元をたつことになった。
彼女も大分強めにアプローチしていたのだが、Kの一族に対してはもう少しアグレッシブさが必要だったようだ


余談

続編『K2』ではKEIの回想シーンで西城頼介が影の一族である神代家の存在を知っている描写が見られたが、一堡が知っていて教えたのかは不明*4
逆にあちらからは表の先代Kとして存在を熟知されており、上述の心臓バイパス手術に関しても、一堡なら当時でも不可能ではないと言われていた。



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最終更新:2025年05月31日 22:00

*1 ちなみに木村千絵とKAZUYAが出会った作中の年は1988年であり、後に語られる一堡が亡くなった昭和55年3月4日は8年前となるため、KAZUYAが遺書を見つけてから彼女を見つけるまでに数か月ほどかかったのだと思われる。

*2 K2第69話から40年前以上なので1960年代であり、現実の歴史と照らし合わせると心臓バイパス手術が生まれるか生まれないかの時となる

*3 なお、このとき46歳と表記があるが彼が亡くなった年齢が46歳であり、他の話の記述とも矛盾するため普通に誤記と思われる。

*4 一堡と頼介は事故の一件の時が明確な対面らしく、以後も直接会っていない様子であったため。西城家も大きな一族であるため向こうが知っていたパターンも考えられる。