登録日:2024/01/04 Thu 22:12:07
更新日:2024/05/29 Wed 23:28:57
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If it should ever strike you that I am getting a little over-confident in my powers, or giving less pains to a case than it deserves,
kindly whisper 'Norbury' in my ear, and I shall be infinitely obliged to you.
万が一にだが、今後もしも僕が自身の力に思い上がっていたり、事件に費やすべき労力を惜しんでいると君が感じることがあったら、
僕の耳元にそっと「ノーブリ」とささやいてくれないか。
─── A.Conan Doyle「Memoirs of Sherlock Holmes, The Yellow Face」より引用
『黄色い顔 "The Adventure of the Yellow Face"』はアーサー・C・ドイルが執筆した小説
シャーロック・ホームズの一篇。
イギリスの『ストランド・マガジン』1893年2月号に掲載された。
和訳については『
シャーロック・ホームズの回想(思い出)』に収録されていることが多い。
ホームズが推理をしくじった話である。
まずワトスンの前説の時点で、「ホームズが事件の謎を解けなかったことは何度かあるのだが、
ホームズが解けないということは
ほかの誰にも解けず真相がわからぬままお蔵入りになる
」ということらしく、
そんな事件は発表しても読者の興味を引けないだろうという理由で触れていないそうな。
しかしこの事件に関してはホームズは解けなかったが事件そのものの謎は解けたということなのだが…?
【あらすじ】
ある早春のころ、ホームズとワトスンはホップ商グラント・マンローから依頼を受ける。
マンローはアメリカにいた未亡人エフィと結婚し、彼女は貞淑で思いやりのある妻だったが
商売の閑散期にノーブリの別荘に移った時から異変が起きる。
マンローは別荘の近くのコテージに見知らぬ者たちが住み着いたことを知る。
マンローが挨拶をしてもつれなく追い出す老婆と、二階の窓から顔を覗かせる黄色い顔の人物。
そんな怪しい連中が近所に住みだしたことを夕食で何気なく聞かされたエフィは顔色を変える。
そしてエフィが夜にひっそりとそのコテージに出向いていることをマンローは知った。
追求されても「あなたが不審に思うのはわかるがこのことを明かせば私たち家族の破滅になる。どうかこのコテージのことは忘れてほしい」と懇願するだけだった。
【登場人物】
・シャーロック・ホームズ
ご存知世界的名探偵。
春の野原を数時間ほどワトスンと
デート散歩していたところ、その間に一度マンローを待ちぼうけさせてしまう。
いつものようにマンローが忘れたパイプから彼の性格や癖を推理したり、
マンローの帽子に刺繍された本名を素早く読み取るなどの洞察力を発揮していた
が…。
・ジョン・H・ワトソン
ホームズの相棒。
今回はまさしく相談を受ける役ということで目立つ活躍はしていない。
しかしホームズの推理に「筋は通っているが証拠は何もないただの"推理”だ」と適切な評価を返したり
ホームズが推理の刃を研ぐための砥石として機能していることがわかる。
だからこそ本編最後の会話につながったのだろう。
・グラント・マンロー
今回の依頼人。
ホップ商は一年のうち特定期間をしっかり働けば残り数か月は暇になる仕事らしく
その期間に妻とのんびり過ごすためのノーブリの別荘で今回の事件に出くわした。
あらすじで説明したようにエフィを愛して信頼しているのだが、
さすがに思いっきり怪しいムーブをしまくるエフィを無条件で信じるわけにいかなかった。
・エフィ・マンロー
今回のキーパーソン。
生まれは
イギリスだが若いころにアメリカのアトランタに渡ってそこで前夫と結婚。
しかし死別したため帰郷しそこでグラント・マンローと再婚する。詳しくは後述。
前夫の遺産でそれなりの固定収入を持ちつつも、それをマンローに提供するほど現在の夫を愛しているのだが…?
現夫(グラント)を一貫してジャックと呼ぶが、これは現代英語ではあまり使わないが「ダーリン❤️」のような敬愛表現。
ワトスン「私の妻も私のことをジョンではなく『ジェームス❤️』と呼んでくれるのさ」それはたぶん作者のミス
・老婆
マンローの別荘の隣のコテージに引っ越してきた人物。
あくまで「お隣さん」としての挨拶をしただけのマンローに塩対応をして追い返す。
これだけなら人付き合いの悪い婆さんで済む話だが…。
・黄色い顔の人物
コテージに住む住人。
白いというか黄色いというか妙な顔色で、表情もなんか固まってるらしい異様な顔の人物。
マンローがコテージで老婆に冷たくあしらわれた際に、コテージの二階の窓から顔を一瞬だけ出していたが
一瞬顔を見ただけなのに「なんかやべえ顔」とマンローが認識して印象に残ってしまった人物。
【ホームズの推理とその前提となる情報】
エフィは若いころにアメリカのアトランタに渡り、そこでジョン・ヘブロンという弁護士と結婚し子供を一人もうけたが黄熱病が流行りヘブロンとその子供は死亡してしまう。
さらに火災のため公的記録が焼けてしまったがヘブロンの死亡診断書は再取得できたため、
それとヘブロンの財産を持ち傷心のまま
イギリスへ帰郷する。
ヘブロンの遺産は毎年およそ40ポンドの利息が得られるため未亡人といっても生活に問題はないのだが、
再婚してエフィ・マンローになった後、その名義を夫に変更してしまう。
再婚から数年経過してすっかり落ち着いたころ、エフィはマンローに
理由を何も聞かずに100ポンドくれとねだった。
前述のとおり「夫が預かっているだけのエフィ自身の財産」から100ポンド出すだけといえど、
「素敵なドレスや宝石が欲しい」とかならマンローの財産から買ってやるものを
理由は言えないがまとまった現金が欲しい
というのは珍妙な願いである。だがその時点では疑わずにマンローは金を渡す。
その数か月後に別荘の隣のコテージに住人が住み着き、マンローは挨拶をするが住人の老婆にあしらわれる。
だがその時コテージの二階の窓に黄色い顔が一瞬浮かび、マンローを警戒させる。
その夜、エフィはこっそり別荘を抜け出してコテージに向かっており、それがマンローにばれると
「あなたが不審に思うのはわかるがこの秘密を明かすわけにはいかない、どうかこのコテージのことは忘れてほしい」と懇願する。
マンローはもちろん不満だが「エフィの秘密を無理に探る気はない。今後二度と
隠し事をしたり黙って出かけないという約束
を守るならば忘れる」と告げると
エフィはそれに応じたため、ひとまず別荘に帰るのだった。
しかし
たった3日後に
マンローが早く仕事から戻ると、エフィはコテージに行っていた。
マンローがコテージに入り込むと部屋の暖炉の上にマンロー自身が撮らせたエフィの全身写真のコピーが飾られていた。
信じて撮影した妻の写真が隣家の暖炉上で飾られているなんて……
(この時代は写真を焼き増ししたり引き延ばすのも安くはないのでエフィがやらないとこんなことはできない)
もちろんエフィはコテージ内におり、約束を破ったことを詫びたが、それでもこうなった理由は言えないという。
マンローは激高したがここでエフィを怒鳴るよりも専門家に依頼をしようとホームズに打ち明けたのだった。
ホームズはマンローに一度別荘に帰り、コテージに誰かがいたらすぐに電報をくれるように告げた。
ここまでの話を聞いたホームズが出した推理は、
エフィの前夫ジョン・ヘブロンは死んでおらず、彼が
黄色い顔の人物である。
何かの病気で
異様な顔になり、それらを嫌ったエフィは前夫の死亡診断書を偽造して
イギリスに逃げて未亡人と偽りマンローと再婚した。
数年経って安心していたエフィだったが、前夫に嗅ぎつけられて別荘の隣に来られてしまう。
エフィはなんとか秘密を守るために
黄色い顔の前夫に100ポンドだの写真を渡しているところにマンローに見つかった。
ワトスンはこのホームズの推理に「証拠が無いじゃないか」と返すが、
「だが、少なくともこれで全て説明がつくだろ。
これに反する物証が出たら、その時に考えればいい。」
とホームズはこともなげに言うのだった。
そして「コテージにまだ住人がいる」というマンローの電報に応じて二人はノーブリに向かった。
【真相】
マンローとホームズ達はコテージへ向かうが、扉の前でエフィが立ちふさがり
「この中に入ればすべて破滅してしまう。どうか考えなおしてほしい」と懇願するが
興奮したマンローは無視して押し通り、中にいた老婆も振り切ってコテージ内へ入り込む。
コテージの最上階には綺麗に整えられた部屋があり、そこには赤い服と白い手袋を来た幼女がいた。
ただしその顔は異様な色で、表情も何もなかった。
おどろくマンローだが、ホームズは笑って
幼女の覆面をはぎとる
。
幼女は覆面と手袋をした単なる愛くるしい子供だった。
アフリカ系の人種をしていただけの。
混乱するマンローにエフィが説明する。
エフィはかつてアトランタで黒人のジョン・ヘブロンと結婚し、ルーシー・ヘブロンを儲けた。
そして黄熱病でヘブロンは死んだが、
ルーシーは生きていた。
エフィがイギリスへ帰ることを決めた際、ルーシーは病弱な赤子で旅に耐えられそうにないため
スコットランド系の信頼できる乳母に預けてエフィだけで帰郷し、こっそりと手紙のやりとりをしていた。
エフィはロンドンでマンローと出会って真剣に愛して再婚したが、
秘密がばれてマンローに去られることを恐れた。ルーシーとマンローのどちらも失いたくなかった。
それでも順調に成長していくルーシーに一目会いたくなり、
エフィは乳母に100ポンド送って別荘の隣に招いた。
ロンドン近辺に「黒人の子供が来た」よりは「奇妙な顔の子供」の方がマシと考えてルーシーには覆面と手袋を着せた。
そしてマンローの目を盗んで会いに行っていたがついに破滅を迎えてしまったのだ。
マンローはしばらく考えた後に、片手でルーシーを抱き上げてキスをして、もう一方の手をエフィに伸ばした。
「家の中でもっとくつろいで話そう」「僕はいい男ではないが、それでも
君が想像している僕という人間
よりはマシな男だと思うよ」
ホームズたちは何も言わずに家に帰ったが、
ただ寝室に入る直前にホームズはワトスンに対して当項目冒頭のお願いをするのだった。
以上のとおり、今作はホームズがめずらしく事件の解決に貢献しなかった話である。
ぶっちゃけマンローがホームズに相談せずに一人でコテージに押し入っても結果は同じだったろう。
他にもホームズが
失敗する話はあるが、それらはホームズに負けない切れ者がいて出し抜かれるというもので
ちゃんと
解決にいたる材料があったのにホームズが見落とした
パターンは珍しい。
おそらく写真や特徴を隠すために公的記録が焼けたと偽って、ヘブロンの死亡診断書だけを再発行したということにしたのだろうが
再発行できるなら子供の分もできるだろうに、前夫の分だけで子供の死亡診断書がない、と聞けば
普段のホームズなら子供の生存の可能性を考えてもおかしくない。
おそらく本人の言う通り今回は慢心から目が曇っていたのだろう。
【背景事情の補足】
この作品は1893年発表で、作中の時期は1880年代と推定されており、エフィとヘブロンが結婚したのはそこからさらに数年前。
その時期のアメリカは
白人と有色人種は電車や公共施設を分けて使うべきだ。これは差別ではありませーん!く・べ・つでーす!
という現代とは考え方が違う時代。
この頃のアトランタで弁護士の資格をとって妻にたくさん財産を残せるような男が実は黒人だった、というのは、
当時はそれが叙述トリックとして成立するくらいレアケースだった
のである。
エフィが「私が彼と結婚するために全ての白人種と縁を切ることになったが後悔していない」と言ったがこれは
決して修辞表現ではない。
そしてあくまでアメリカよりマシというだけで、当時のイギリスも
黒人と結婚した白人女性と、その子ども
にとっては現代よりは非常に生きにくい国であり、
作中の結末を書いたドイルは当時としてはかなりリベラルな部類だったと言える。
ぶっちゃけ最後にマンローが「よくもだましやがったな出ていけ!」と激怒していたとしても、当時の読者の多くは納得していたと思われる。
つまり、マンローの言う「君が想像している僕という人間」とは
人種差別主義者
のことである。
もっとも、上記の通り、エフィやマンローのように人種差別をしない人間の方が珍しかったのだが。
上のあらすじを読んだアニヲタ民の皆さんは「エフィはどうしてこんな事をしたんだ?」と疑問に思われたかもしれないが、
こうした当時の事情を踏まえてもらうと違う感想を持つかもしれないし、マンローの選択がより輝いて見えることだろう。
追記・修正は7ペンスのパイプを銀で補修してからお願いします。
- この話はシリーズでは前半の頃に書かれているが、シリーズ終盤の話になるとホームズが(悪党の)黒人に差別的な台詞を述べるなど、作者ドイルの思想や見方に変化が出てきた可能性もある -- 名無しさん (2024-01-04 22:36:57)
- なおJETさんがコミカライズしてたりする(「シャーロックホームズの冒険2 まだらの紐」収録) 「黄色い顔」がメッチャ不気味なので余計にオチが面白いよ! -- 名無しさん (2024-01-04 22:46:57)
- エピソード項目は規約違反じゃ・・・と思たけど、ホームズは著作権切れてるのか・・・まあ没後90年経つしなぁ -- 名無しさん (2024-01-05 10:16:51)
- ホームズも得意分野でもパーフェクト超人やないんやでって感じの作品。たまにこういうのがあるからこそ面白い。 -- 名無しさん (2024-01-05 10:30:58)
- ↑2 原文はそうでも翻訳は訳者ごとに著作権あるから誰が訳しても同じだろって表現はともかくあえて読み替えたのを見たことある訳に寄られるとちょっと困る -- 名無しさん (2024-01-05 13:35:03)
- ↑いくつか訳をいじった者です。原文だけを見て、直訳調で意味が通りにくい箇所・誤訳っぽい箇所を直したつもりでしたが、既存の(著作権が残ってる)訳に寄ってしまってる箇所がありましたか? 申し訳なかったです -- 名無しさん (2024-01-05 13:50:03)
- あくまで念の為だし問題ないのでは? -- 名無しさん (2024-01-05 13:58:15)
- 問題ないのでは?じゃなくて見たところ問題ないと思います。性質上本文自体少ない記事だし -- 名無しさん (2024-01-05 14:04:54)
- しかしこの夫婦はこの後どう生きたのかね。その後に待ってるであろう苦難を思うと..... -- 名無しさん (2024-01-05 18:04:11)
- まだらの紐での「先入観で推理する危険性」の反省が活きてなかった話…と思ったけど、時系列考証ではまだらの紐より先って解釈もあるのか -- 名無しさん (2024-01-05 18:16:24)
- ↑2ワトソンがホームズが解けなかったこの事件をあえ発表したのは少しでも大衆がマンロー一家に寄り添ってくれたら…という思いからなのかも -- 名無しさん (2024-01-05 19:44:40)
- 最初タイトルだけで黄色人種(時代的に中国人)絡みかと思ったら違った -- 名無しさん (2024-01-05 20:29:13)
- 奥さんが自分の財産を夫名義にしたい理由は何故だったんだろう?夫の気持ちを繋ぎ止めたいからとか? -- 名無しさん (2024-01-06 12:03:26)
- ↑これも元夫が黒人である事を前提に置いたら説明がつく。旧姓だとそこから「元・黒人の妻」である事が露呈して叩かれかねないから身の安全の為に姓を変えたんだろうね -- 名無しさん (2024-01-06 17:18:31)
- これが大衆小説として発表されたことを考えると、当時でも人種差別を苦々しく思ってた人はそれなりにはいたのかな。 -- (2024-01-06 17:45:37)
- この依頼についてはホームズは報酬とか貰えるんだろうかと初めて読んだ時から思ったなぁ… -- 名無しさん (2024-01-06 23:30:11)
- 本人の性格上、報酬は要求しないと思うよ。何ならいい教訓を与えてくれたってことで、家族に今後の身の振り方についてアドバイスまでしそう -- 名無しさん (2024-01-07 02:08:32)
- とりあえず良い男だなマンローさん… -- 名無しさん (2024-01-07 04:05:18)
- さすがの名探偵も真相を見破れたところで明かされた途端世界が敵に回るも同然の真相ではなあ……。本当に理解ある夫に恵まれた -- 名無しさん (2024-01-07 11:12:53)
- セリフ回しが流石のセンス。嫌味なくかっこいい -- 名無しさん (2024-01-07 19:34:27)
- ↑19 本作では「白人の子」ってのが影響していたのかも。言い方はアレだが「他民族の血が入っていても片親は白人だろ」というか…。 -- 名無しさん (2024-01-10 08:19:50)
- 当時最大の黒人差別国だったアメリカで、弁護士という当時の黒人世界では超エリートだったとはいえ黒人と結婚、死別後の次の夫はハーフである継子に理解のある白人。エフィの男性を見る目ってすごいと思う。 -- 名無しさん (2024-01-12 07:56:06)
- マンローイケメン過ぎワロタ -- 名無しさん (2024-02-15 20:26:32)
- ↑9 ●●人(人種)は嫌いだけど、個人的に付き合いのある△△さんは普通になかよしだし△△さんを人種差別したくない、とかはよくある事だし、立場上結ばれない二人がそれを乗り越えて結ばれるってのはそれこそ古典だし -- 名無しさん (2024-05-29 22:50:00)
最終更新:2024年05月29日 23:28