9時半までのシンデレラ

登録日:2024/12/16 Mon 05:46:11
更新日:2025/03/31 Mon 02:00:16
所要時間:約 14分で読めます






この気持ちに名前なんてつけられない。でも今は、澪といっしょにいたい。



『9時半までのシンデレラ』は2023年に発売された児童文学。作者は宮下恵茉
雑誌『児童文芸』に掲載された『妖精たちのいたずら』を改題した作品。

物語としてはガールミーツガールもの。世界に生きづらさを感じる莉子と澪の真逆の女子中学生2人が主人公。その中でお互いがお互いを想う感情がどんどん強くなるさまが描かれる。

世界の生きづらさがテーマということもあり内容はハードめ。誰にも理解されないことに悩む主人公、中学生という多感さゆえの息苦しさ、露骨にトー横モチーフなパレ広など。そして児童書の中でもトップクラスにアレな毒親も登場するぞ! そして心中も。

本作で描かれる少女2人の仲は相当湿度が高く描写されている。何しろ「この『好き』は普通の『好き』とは少し違う」まで明言されている。ただそれが百合か百合じゃないかで言えばそこに答えはない。むしろ答えがないことこそが肝要とされている。そんな繊細で多感な心を持てるのが中学生なのだから。ただしgoogleだとサジェストで「百合」と出る。


【あらすじ】



主人公の山崎莉子は鬱屈した日々を生きる中学三年生。常に母親からおびえる生活でありそのことを誰にも相談できず世界に絶望しかけていた。

そんなある日塾の帰り道にふとしたきっかけで見かけた美少女が気になり追いかけてしまう。
たどり着いたのは駅前のパレット広場通称『パレ広』。行き場のない若い子たちが集まるとされている場所であった。

そこで莉子は先ほどの美少女藤堂澪と出会う。彼女は「当たり前」を嫌う自由な少女であり、莉子はそんな澪に惹かれていった。

そうして莉子は塾が終わってからのわずかな時間だけパレット広場で澪と落ち合い話すようになった。ただ話せる時間は親の目があるため9時半まで。莉子はシンデレラのようなじれったい気分を味わうのだった。

話していくうちに澪は莉子にとってかけがえのない存在になっていった。澪の自由な感性は莉子の世界を広げていき、鬱屈した日々を過ごす莉子に希望が芽生えていく。そうするうちに莉子は澪に対し名前のない感情を抱いていった。

だがさらに酷くなる親からの過干渉や澪の抱える闇により、ふたりの空間は脅かされていき……。


【登場人物】


◆山崎莉子
本作の主人公である中学三年生。表紙のショートヘアの方。
毒親に苦しみ世界に生きづらさを感じている少女。そんな中澪という美少女と出会い特別な感情を抱くこととなる。

性格はおとなしめで平和主義。たとえ自分の意志に反する選択だったとしても場が収まるならそれでいいと考えてる。これについて本人も「いい子を演じている」を評していた。その反面悪く言えば八方美人なスタンスから一部女子からは「男子相手に点数稼ぎしている」と嫌われている。

こんな性格になったのは母親の言動が原因。母はヒステリックな性格であり気に入らないことがあるとすぐに言葉の暴力で莉子を傷つけてきた。その気質ゆえに母は常に夫と言い争いをしており、おとなしい莉子はその光景がいつも耐えられなかった。それが続くうちに莉子は母に怒られないよう生きるようになり自分が我慢すればそれでいいと考えるように。小学生の時に勇気を出して先生に相談したら「親をそんな風に言っちゃいけない」と諭されたのがトラウマ。自分の悩みは誰にも相談できず、自分は世界に独りぼっちだと思っている。

そんな鬱屈とした日々を過ごす中澪と出会い彼女にときめいていった。自分とは真逆の感性を持つ澪に憧れている。特に「世界の当たり前にとらわれなくていい」という澪の考えは、普通の家族関係を抱けなかった莉子にとって救いとなった。現在は塾帰りの週4日に澪と話すことが生きる希望。「澪と出会うまでどうやって生きていたか思い出せない」とまで言ってしまうほどである。私と澪がいればそれでいい」「一分一秒でも長く一緒に居たい」「澪がいないと私の世界は保てないと考えるなどかなり依存している。

なお莉子が澪に向ける「好き」は普通の好きとは別物であるらしい。これについては莉子が作中で「澪に対する好きとはるかっち(友人)に対する好きはちょっと違う」と言及していた。じゃあなんなのかと言われれば今の莉子にとっては「名前のない感情」。無理に名前を付けてしまえば途端に二人の空間がありふれたものになってしまいそうだからこそ今はこのままでいたいと考えている。

~以下、莉子の発言集~
澪との時間は、もうすっかりわたしの生活の一部になっていて、澪と出会う前のわたしってどうやってこの苦しい時間を乗り越えてきたんだろうって不思議にさえ思う。

体をぶつけるたびに、澪の髪からふわっと甘い香りがたちのぼる。その香りを抱きしめるように、胸いっぱいに吸い込んだ。
そうすれば、澪と一体になれる気がして。

今この気持ちがなんなのか、わたしにはわからない。これから、どう変わっていくのかも。だけど、今は分かりたくない。はっきりと名前の付く感情になってしまったら、わたしと澪の特別な空間がとたんにありふれたものになってしまいそうで。大切だからこそ、ずっと使わずにいる金の折り紙のように、今はそっとしておきたい。


◆藤堂澪
もうひとりの主人公である美少女。表紙のロングヘアの方。
本来は莉子と同じクラスだが不登校児で学校に行っておらず街をぶらついている。
夕方には大抵パレ広で遊んでおり莉子とはいつもここで落ち合う。

人間とは思えないほどの美貌を持った美少女。作中で言及されているものを並べると……。
  • メイクやテープでつくった美しさじゃない。神様からあたえられたシンプルな美しさ
  • まるでお人形のようなくっきりとした二重まぶた
  • くっきりとした大きな瞳
  • 白くほっそりとした手
  • スカートがばさばさとゆれ、ときどき見える白いひざこぞうにドキッとする
  • 小さな白い前歯が桜色のくちびるの間からのぞいて、わたしの心は幸せでいっぱいになる
  • まつげの長さといい、二重まぶたの太さといい、まるで作り物のようだ。つややかな黒髪、真っ白なブラウス。すべてが藤堂さんの美しさを際立たせている。
  • もっと近くで藤堂さんを見つめたい
ちなみにここまでのコメントはすべて莉子によるものである。どんだけ好きなんですか

型にはまったことが嫌いな少女であり特に「当たり前」を嫌う。不登校であるのも学校に行くのが当たり前という考えに反発しているからである。そのスタンス故に世間では疎まれがちなパレ広の子どもたちにも特に抵抗なく話しかけている。親から当たり前を強要され続けてきた莉子にとって彼女は大きな憧れとなった。

最近の趣味は図書館から借りてきた本を読んで『世界の秘密』を知ること。具体的には日本の常識では考えられない世界の風習を見て「当たり前は世界によって違う」ということを知るのが澪の楽しみ。当たり前を嫌う澪らしい趣味である。逆に学校の勉強は「みんなが知っていることよりも他の人が知らないことを知っている方がカッコいい」と考えあまりやっていない(ただし頭はいい)。

この性格から莉子に憧れられているが、逆に澪も莉子に憧れている。澪が言うには莉子は澪が持っていないピースを持っているらしい。曰くそれは「一生手に入らないもの。他のものでうめることなんてできっこない。わたしが、一生かかえていかなきゃいけない問題」。莉子はその言葉の詳細を聞くことが出来なかったが、彼女の根幹にかかわることだと考えている。

性格面を除いても一般的な中学生とかけ離れており謎が多い。例えば彼女の母は澪と似てもつかないうえ苗字も「小林」である。また金に頓着しておらず財布の中には中学生が持つものと思えないほど一万円札が詰まっていた。
さらに莉子と共にとある儀式を行おうとしているようだが……。


◆山城遥
莉子の学校での友人。ふたりで同じテニス部に入部している。通称「はるかっち」。

明るく朗らかな少女。莉子はテニス部ではやや嫌われ気味であるがそれも関係なく接している。莉子も彼女の朗らかさにかなり救われている。そんなこともあり「学校で一番仲の良い友人」と言われた時には彼女の顔を思い浮かべていた。

だが同時に莉子は遥について自分のことを理解できない人だと思っている。莉子と対照的に、遥はかなり家族に愛されて育てられている。そのため遥は莉子に対しよく自分の家族の話を楽しそうにしていた。家族に愛されていないことが心の傷である莉子にとっては聞くたびに苦痛だった。特に「私のことを理解できるのは澪だけ」と考えるようになってからは遥への扱いが徐々にぞんざいになっていった。

なお遥は遥でかなり莉子のことを気にしている。莉子が口にしないなりになにか隠していることをなんとなく気づいており心配していた。中盤では莉子と同じ塾の尾田に彼女を見ているように頼んでいた。遥のグループではかっこいい男子である尾田に勝手に近づかない暗黙の了解があるため、それでもわざわざ言うあたり相当心配だったのだろう。
遥にも遥なりの悩みがあるということに気が付けるかどうかが終盤の莉子の転換点。


◆尾田葉平
男子テニス部の少年で学年で一番人気がある。莉子と同じ塾に通っている。
「尾田は莉子のことが好き」といううわさがテニス部で流れている。そのため莉子がグループでハブられる原因になった。
ただ莉子が澪と話せるように取り計らうなど、うわさが真実であった可能性がある。

あまり深いことは考えずにしゃべる性格。あまり縁がなくほぼ初対面な莉子に対しても「すっげー無理して笑ってる」と評して彼女を固まらせた。それがきっかけで莉子にやや疎まれている。

作中では何かと莉子のことを気に掛けるが、彼は澪を警戒しているためうまくいかない。尾田としては澪は「パレ広にいる危険人物」なため莉子に会わないように説得するが、澪が大好きな莉子は当然聞き入れない。それ以外でもなにかと失言が多い。特に「澪のことが恋愛的な意味で好きなのか?」と言った時には莉子に本気でブチ切れられた。フォローすると尾田もからかうつもりはなく本気で聞いていた。また莉子もレズ扱いされたのが嫌だったのではなく「名前のない感情」を第三者に介入されたことにキレたのである。

色々踏んだり蹴ったりな少年だが最後の最後で美味しいところをもらっていった。


◆莉子の母
本作の大体の元凶。
ヒステリックで自己中心的な性格。自分の思い通りに事が進まないと怒る上そうなると選んで相手を傷つける言葉を使う。莉子は小さい時から何をやっても母に褒めてもらえず、逆に少しでも失敗すると暴言をふるわれてきた。そのためいつしか母の顔色をうかがう「いい子」になっていった。夫とも仲が悪く休日にはいつも喧嘩している。
~以下、作中の母の発言集~
  • 「わたしに似れば美人だったのに、かわいそうねぇ」
  • 「あんたはわたしの子じゃなくて、山崎(夫の姓)の家の子だから」
  • 「だからおかあさん、あんたのためにしかたなく、働いているんだからね!」
  • 「わたしの人生をうばったのは、あんたじゃないの」
親に半ば存在を否定され無理やり恩を売られるという、15年しか生きていない莉子にはオーバーキルな言葉であり彼女がふさぎ込む原因になった。

現在は娘を薬剤師にするべく進路を強制している。莉子にとっては決められた進学校に行くことも薬剤師になることも母に怒られないためやっているだけである。なお母は「今まで育ててやったんだから恩返しとして当然」と考えている。その割には病院のパート勤務のために家事を莉子に任せきっている。そのため莉子は家事に勉強で一日を終えてしまい自分の時間をとれていない。

娘に薬剤師の進路を強制するのは自身の過去が影響している。母は学生時代成績が良かったが大学に行かせてもらえず自分より成績が悪かった叔父は何故か行けた。そのため本当なら自分は医者になったはずでありこんな夫と結婚するはずじゃなかったと考えている。

そして中盤では莉子と澪の関係が母にバレてしまい……。

色々アレな人だが、莉子は最終的に「自分も母も似たもの同士だった」と結論付けている。



















以下、ネタバレ注意








妖精が光り輝き、星が降るように見える満月の夜

異国の硬貨をかみしめて、川に身をひたすべし

さすれば、あの世にわたる川の船頭カローンに会えるだろう



















◆澪の過去
実は莉子と負けず劣らず悲惨な境遇。
澪は両親から育児放棄を受けており顔も知らない。澪の戸籍上の母は結婚はしたくないけど子供を産んでみたいという考えであり誰だかわからない相手の子を身ごもり澪を産んだ。だが途中で子育てが面倒になり知り合いに金を渡して澪を預けた。澪いわく「愛されて生まれたわけでも愛されながら生きているわけでもない」。

現在はその預け相手を名目上の母としている(それが小林さん)。ただその母も澪を育てておけば実の母から大金が振り込まれる金づるとしか見ていない。澪が自殺しようとしていることを莉子から聞いた時にもまず金の心配しかしていなかった。なお澪が中学生らしからぬ大金をもらっていたのは預け相手の放任主義の代わりに金をもらっていたから。

これが澪の抱える闇。彼女が莉子を羨ましいと言っていたのは、なんだかんだ言いつつも莉子には両親が揃っていたから。親にすら愛されなかったため自分が生まれてきた意味すら分からなくなっている。


◆儀式の正体
ふたりで行う心中のこと
内容としては澪が世界の文化を本で見つけた内容に由来する。この世の理不尽は妖精のいたずらであり、満月の夜に川に身を浸せばあの世にわたる川でいたずらを消すことが出来る。そうすれば莉子と澪が受けてきた理不尽はすべて消えてしまうはずだと。
綺麗な言葉で語っているが、つまるところ入水自殺ですべてを無かったことにするという話である。
澪は誰からも愛されず生きてきた。悩みを誰にもわかってもらえずずっと世界で独りぼっちだった。
だからこそ、澪は大好きな莉子と一緒にすべてを終わらせてしまいたかった

莉子がこれらの事実を知り、澪ともう一度向き合おうとするのが物語のクライマックスになっている。



【余談】



◆心理学的な話
敢えて野暮な話をすると、莉子の澪に対する精神状態は心理学的には思春期女子にありがちなものとされている。

H.S.サリヴァン曰く、思春期女子は自分にないものをもつ同性に強いあこがれを抱く傾向がある。思春期になると自分にないピースが見えてくるし、一般的に女性は同性に対する共感性が強いため、そういう感情が芽生えやすい。そうなると自分と相手を同一化していく。言い換えると「あの子になら私のすべてを打ち明けられるし、あの子も受け入れてくれるはず」という精神状態になる。

特に莉子のような家庭環境に問題のある女子だとそういった精神状態は強くなる。子供にとって家族は小さな世界であるため、同一化が進んでいると「私とあの子vs世界」という対立構造が生じてしまう。すると「この私たちの気持ちはほかの誰もわかってくれるはずがない」に至ってしまうのである。

悲しい話だがそういう精神状態で心中は少なくない話である。「私とあの子さえいればそれでいい」という閉じた世界が生まれると選択肢のひとつとして心中が出てきてしまう。

なお心理学的にこういう分析はできるが、そうだとしても莉子が澪に抱いた感情は尊く繊細で密やかなものである。だからこれは本当に野暮な話


◆宮下恵茉先生について
先生は2000年代にデビューした児童小説家。講談社を中心として集英社やポプラ社などで児童小説を執筆している。

作風としてよく書いているのは女子同士の世界(それ以外にも書くけど)。女子中学生にありがちなグループ内でのギスギス、もしくは本作のような強い好意など。様々な形で女子同士の世界を描いている。あとがきやインタビューを読むに、ある程度は実体験が混じっているらしい。

以下、それらの作風が強く出た作品を一部紹介。


  • なないろレインボウ(ポプラ社/2014)
『9時半までのシンデレラ』よりもう少し緩い友情モノ。
中学生の七海は入学して出会ったいろはと親友になり幸せな日々を送っていた。しかしいろはが自分以外の友達を作ったり新しいことを身に着けたりする姿を見て、七海はおいて行かれたような気になってしまう。
「あの子のことを何でも知りたいが、でもそれがどうしてもできない」という部分を主題にした作品。


わたしといろは、見た目も性格もちがうけど、同じところがいっぱいある

だけど、似てるからって、友だちになったわけじゃない

ちがうところがあっても、なにもかも話してくれなくても、べつにいい



  • ガール! ガール! ガールズ!(ポプラ社/2009)
宮下恵茉作品の中でも女子グループの難しさを描いた作品。
中学二年生の日奈は自身の所属する女子グループの同調圧力に息苦しさを感じながらもなんとか生活していた。しかしクラスで人気の男子の翔音に話しかけられたことにより一気にハブられる身に。
こんな感じで同調圧力というある種の法とそれに逆らえばハブられるという罰のある生々しい女子の世界を描いている。
ちなみに本作には「心地いい空間、自分を絶対的に愛してくれる誰か、それだけで完結する世界」と莉子と澪に刺さる言葉が出てくる。


  • トモダチブルー(集英社/2024)
2024年現在宮下恵茉作品最新作。同性間の強い好意と女子間の微妙な空気がテーマ。
クラスのヒロインと言われている中学生の真菜は季節外れの転校生の小鳥と意気投合し仲良くなっていった。だが小鳥は徐々に別の顔を見せ、クラスの空気を操り真菜がクラスメイトから無視されるように仕向けていく。
小鳥の正体は真菜のことが大好きすぎるヤンデレさんである。
彼女の内面をまとめると……
  • 小鳥は真菜と同じ幼稚園で当時から彼女のことが大好きだった
  • 久しぶりに再会したものの真菜は彼女のことを忘れており復讐をもくろむように
  • 復讐として真菜をひとりぼっちにさせようとしているが、あわよくばそのあと真菜を独り占めしたいと考えている。
というものであった。集英社つながりで『なないろ革命』を思い出した人は怒らないから手を挙げなさい。


わたしたち、運命の相手でしょ?

だから、永遠に友だちじゃないといけないの

他の子はもちろん、男子とだってなかよくしちゃダメ! 

わたしとだけなかよくするの! わかった?










ねぇ、澪。

ん?

澪が、こちらを向くと同時に、長いつややかな髪が、肩からすべり落ちる。

好きだよ。

わたしの言葉に、澪はおどろいたように目を見開いた後、

知ってる。

リズムを付けるように、私の手を三度握った。とたんに、心が満たされていく。




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最終更新:2025年03月31日 02:00