Pink Floyd

登録日:2025/10/19 (Sat) 09:28:00
更新日:2025/10/25 Sat 17:23:13
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ピンク・フロイド(Pink Floyd)とは、イギリス(イングランド)出身のプログレッシブ・ロック・バンドである。


【概要】

1965年から2014年まで活動。活動中は頻繁にメンバーの脱退や入れ替わりが起きており、デビューから解散まで所属していたのは一人だけだった。
バンド名はバレットが敬愛したアメリカのブルースミュージシャン「ピンク・アンダーソン」と「フロイド・カウンシル」から拝借してつけられた。

所謂「プログレ四天王」*1の一角にして代表格として扱われることが多い。
他の四天王も
  • ロバート・フリップを中心とし、後世に多大な影響を残しプログレの基盤を作った創始者「キング・クリムゾン」
  • あらゆるジャンルを融合させた複雑なサウンドに演奏と王道プログレを発表し続け、近年ではTVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険 Part1&Part2」のEDでも有名な「イエス」
  • キース・エマーソンを筆頭とした超技巧派プレイヤー3人による異次元演奏が持ち味の、後のゲーム音楽の源流にもなったと言われている「エマーソン,レイク&パーマー」(ELP)
…とどれもビックネームの大物バンドだが、そんな中でフロイドは全作品の総売上が約2億5000万枚と商業的に最も大きな成功を収めている。
フロイドが世界的スターになった70年代前半はレッド・ツェッペリンやエアロスミス等の台頭でハード・ロックが全盛を迎えた時期でもあり、そんな最中でも一般受けしやすいとは言い難いプログレで世界的大ヒットを遂げたと言えばそのすごさも分かるだろう。
…とまぁ世間的にはプログレバンドのイメージが強いが、実際にはそれ以外の要素も掛け合わせた挑戦的なロックがメインか。詳細は後述。

音楽以外にもアート集団「ヒプノシス」によるアルバムのアートワークにも定評のあるバンドとしても知られ、『狂気』や『炎』のジャケットはバンドの作品を知らなくても見たことある人は少なくないはず。


【音楽性】

冒頭から散々述べている通り、プログレッシブ・ロックを中心とした前衛的な音楽を持ち味としている。
厳密に言えばプログレと合わせてサイケデリック・ロックアート・ロックの3要素を音楽的基盤に置いていると言われている。
バレット期がサイケデリック、ウォーターズ期が暗めのプログレッシブ、ギルモア期が明るめのプログレッシブに寄った作品が多めか。

楽曲の題材も多岐に渡り、社会やら概念的な存在と言った哲学的なものや社会風刺を歌った作曲者(主にウォーターズ)の思想が相まみえるものもあれば、大事な人へのメッセージソングもあったりと様々。
しかし難解なテーマの楽曲が多めなプログレバンドの中では、これでも比較的ストレートな内容寄りではある。

演奏が技巧的で様々な音源が複雑に入り混じる他の四天王と比べ、実は音楽的には比較的シンプルで技術も特別凄まじいことはやっていない点も特徴と言える。
それゆえに熱狂的なブログレファンからは「フロイドはプログレではない」という意見が出ることも少なくない。
そもそもプログレバンドと呼ばれ始めたのもメンバーの自称からではなく、『原子心母』が日本でリリースされる際に当時のEMI音楽ディレクターが「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」と言うキャッチコピーを付けたのが発端と言われている。

それでも一般的にイメージされるロックと比べてかなり異質なジャンルゆえ、オーソドックスなハード・ロックやパンク・ロック等が好きな層からは敬遠されがちなのは否めない。
そんな中でもフロイドの音楽はプログレの中でも「比較的」聴きやすい部類なのは間違いないため、ジャンルの入門としてもおすすめ。


【メンバー】

シド・バレット[Syd Barrett] ヴォーカル/ギター

本名は「ロジャー・キース・バレット[Roger Keith Barrett]」。
1946年にケンブリッジの中流階級の家で生まれ、ウォーターズとは幼少期からの幼馴染。
バンドに入る前は画家を目指しており、ウォーターズたちと合流したときにはロンドンの藝術大学に進学していた。

デビュー時点におけるリーダーで、初期の楽曲の大半を作曲しバンドを導いたフロントマン。実は結成当初のオリジナルメンバーではなく、『シグマ6』後の『ピンク・フロイド・サウンド』時代に加入したウォーターズ、メイスン、ライトの後のメンバー。
メンバーの中で最も早くオリジナル曲に着手し、そのクオリティの高さもあって自然とバンドの中心人物へとなっていった。

ファーストアルバム『夜明けの口笛吹き』で圧倒的才能を世間に見せつけるも、『神秘』の製作途中にLSDの影響でドラッグの影響で徐々に精神を壊していき、そのままバンドも脱退することに。
脱退後もソロも2作出しているが、その後は引退状態になり、2006年に糖尿病による合併症で死去。

加入からまともに活動していたのはわずか5年だけであるが、その影響力・カリスマ性は凄まじく、様々な後のビッグアーティストに多大な影響を与えている。
同じイギリス出身でグラム・ロックの代表的ロックスターのデヴィッド・ボウイは「影響を受けている」と公言しており、後にバレットのソロ曲『See Emily Play』をカバー。
ボウイと並ぶグラム・ロックの代表格、T-Rexのマーク・ボランもバレットの大ファンと公言。
他にもセックス・ピストルズのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)、ザ・ジャムのポール・ウェラー、ブラーのグレアム・コクソン…等々、多数の大物が彼のファンないし音楽に影響を受けていると発言している。

また、評価を高めたのは隠遁してからというわけではなく、元々交流のあったローリング・ストーンズのミック・ジャガーや異国のアーティストであるジミ・ヘンドリックスといった同世代の面々もバレットへの称賛・彼からの影響を口にするなど、表舞台で活動していた時からその才能には一目置かれておりカリスマ視されていた。

というか、現代でサイケデリック・ロックを演奏するミュージシャンにとって「『夜明けの口笛吹き』のクオリティを追いつくことこそジャンルとしての終着点」とすら言われている。

尚、バレットが参加したオリジナルアルバム自体は初期の2枚のみだが、このアルバムに収録されていないバレット作の楽曲もそこそこ存在する。
ベスト・コンピレーションアルバムの方には収録されているため、興味がある方は是非そちらにも手を出していただきたい。

ロジャー・ウォーターズ[Roger Waters] ヴォーカル/ベース/シンセサイザー

本名は「ジョージ・ロジャー・ウォーターズ[George Roger Waters]」。
1943年にケンブリッジの中流階級の家で生まれ、幼くして父を第二次世界大戦で亡くしており、幼少期から共産党員の母に女手一つで育てられた。
この経験が後の音楽制作や政治思想に強く影響を受けることになる。

オリジナルメンバーの一人で、バレット脱退後の事実上のリーダー。
プログレ期の大半の楽曲を作詞しており、特に『アニマルズ』以降はほぼ全ての楽曲を制作している。
フロイドでの担当はベースがメインだが、『シグマ6』時代はギターを担当していた。

音楽性を一言で表すと「コンセプトアルバムの巨匠」のような存在で、幾多ものコンセプトアルバムの名盤を産み出してはバンドを牽引していった。
楽曲の構成力はメンバーの中でも群を抜いており、黄金期には
  • 人が誰しも持っている月の裏側のような『狂気』
  • 喪失感や疎外感を悲しみ静かに揺れ動く『炎』のような人間の心
  • 人間を『動物』に例えた資本主義への社会風刺
  • 学校教育・人間社会・戦争等からの抑圧でそびえ立つ『壁』
…と言った重苦しいながらも哲学的で重厚な世界観を産み出し、アルバムを単なる曲の集合体ではなく、一つの「作品」として昇華させた。
さらにライブ・パフォーマンスでもその才能を発揮し、『ザ・ウォール』ツアーでは巨大な壁を構築・破壊する演出でアルバムの世界観を見事に再現し、ソロ作品でも『ザ・ウォール ライブ』(2010~2013)や『Us+Them』(2017~2018)で、映像・舞台装置・政治的メッセージを融合させ、視覚的・感情的なインパクトを生み出した。
そのおかげで金かけ過ぎて財政難になったのは内緒だ
反面ベース、シンセの腕前は堅実な方で、プレイヤーとしての腕前というよりは音楽の構成力が卓越している、所謂「音楽脳」が優秀なタイプと言える。

しかし『狂気』以降の作品ではバンドに対し支配的な態度をとるようになり、次第に他メンバーとの対立を深めることになった。
中でも『ザ・ウォール』『ファイナル・カット』はウォーターズのパーソナルな面が強く出たアルバムであり、同時にバンド内の不和も最高潮になった時期でもある。
これらの作品でやり尽くしたと考えバンドを解散させるも、ギルモアにより再編され激怒。
元より「『ピンク・フロイド』は自分の作品」と驕りに近い感情を持っており、再編時には訴訟を起こしたほど。

脱退後はソロとして活動を続け、脱退前の1984年にリリースした『The Pros and Cons of Hitch Hiking』をはじめ『Is This the Life We Really Want?』『The Lockdown Sessions』等の政治批判や社会情勢を色濃く書いたコンセプトアルバムをコンスタントに発表していく。
他3人と対立する形で新生フロイドの新作を非難しては互いにバチバチさせていくことになるが、2005年の一夜限りの復活ライブ以降はちょくちょく他メンバーと共演し雪解けの催しを見せていた。
…のだが、現在はギルモアと絶縁状態になり共演も難しい状態にある(詳細は後述)。

因みに『鬱』とその後のツアーでは、ギルモア主導のフロイドとウォーターズのソロがアルバムのリリース時期や公演が各地でバッティングしたが、フロイド側に完膚無きまでに完敗。
そのせいなのか、ウォーターズ側は12年近くツアーを行う事は無かった。

幼少期以降の経験からか制作した楽曲も歌詞が左翼的な傾向にあり、後年の政治思想でも反米で共産寄りの発言が多い。
イラク戦争時のブッシュ政権やブレア政権を批判し、近年のロシアによるウクライナ侵攻においてもロシアを擁護する発言をして物議を醸している。
このときの発言が原因でギルモアとも絶縁状態になってしまった。

リチャード・ライト[Richard Write] キーボード/ヴォーカル

本名は「リチャード・ウィリアム・ライト[Richard William Wright]」。
1943年にミドルセックス*2の中流階級の家で生まれ、12歳の頃にはギターにトランペット、ピアノを習得する。

オリジナルメンバーの一人で、キーボード・メロトロン・シンセサイザーと言った鍵盤楽器の演奏を担当。
最初期からキーボーディストとしてバンドの音楽を支え、サイケデリック期の浮遊感のあるトリッピーなサウンド、プログレッシブ期の荘厳な雰囲気を産み出し、楽曲の世界観構成に必要不可欠な存在となっていった。
また、初期においてはバレットに続くセカンド・ヴォーカリストという立ち位置だったが、バレット脱退後にウォーターズが台頭したことにより後方支援がメインとなる。
キース・エマーソンやリック・ウェイクマンのように超絶的な速弾きを披露することはないが、控え目で繊細なアプローチで雰囲気や感情を重視し、全体を包み込むような幻想的なサウンドを奏でている。

フロイドの中でもどうしても地味なポジションになりがちだが、バンドサウンドの「肝」と言える部分を担当し、幻想的なサイケデリック期から壮大で冷酷なプログレッシブ期、再結成後の温かみのある新生期とバンドの音楽を支え続けた陰の功労者と言える。

ウォーターズとの関係悪化により徐々にバンド内での立ち位置を失っていき、結局『ザ・ウォール』のツアー後に脱退*3
再結成後も『鬱』の時点ではゲスト扱いだった(ツアーからは正式メンバーに戻った)。

LIVE8の再結成以降は専らギルモアのソロ活動に参加していたが2008年、癌のためイギリスの自宅にて死去。ソロアルバム制作中の最中だった。
急逝から6年後の2014年に、ライトの追悼を表したバンドのラストアルバム『永遠/TOWA』が発表された。

デヴィッド・ギルモア[David Gilmour] ギター/ヴォーカル

本名は「デヴィッド・ジョン・ギルモア[David Jon Gilmour]」。
1946年にケンブリッジの中流階級の家で生まれ、幼少期からギターに触れ10代後半になる頃には様々なローカル・バンドで活躍するセッション・ミュージシャンとなる。

唯一デビュー後に加入したメンバーであり、2ndアルバム『神秘』のレコーディングから参加。
最初はバレットのバックアップとして呼ばれバンドを支えていくも、加入後から作曲やヴォーカルでも頭角を表し、ウォーターズと双璧とも言える存在になっていく。
もちろんギターの腕前も一流で、ストラトキャスターによるブルージーな「泣きのギター」が持ち味。
『Comfortably Numb』『Shine On You Crazy Diamond』のソロは、シンプルながら心を揺さぶる名演として知られ、彼の音色がバンドのサウンドを定義づけたと評されることも。

フロイドの活動を続けながら、1978年リリースの『デヴィッド・ギルモア』を以てソロ活動も開始。
1984年リリースのソロ2作目『狂気のプロフィール』でザ・フーのピート・タウンゼントやディープ・パープルのジョン・ロード等が参加したのを契機に、多数の外部ミュージシャンと親交を持つようになる。
フロイド・ソロ活動外への参加にも積極的で、1984年にはポール・マッカートニーの楽曲『ひとりぼっちのロンリーナイト』に参加し、さらに1999年にはコンピレーションアルバム『ラン・デヴィル・ラン』にも、ディープ・パープルのイアン・ペイス等と共演を果たす。
1985年にはブライアン・フェリーのアルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』に参加し、同年のライブ・エイドにもフェリーのバンドメンバーとしてフロイドメンバーの中で唯一出演。

再結成後にはバンドのメインヴォーカル・ソングライターになり、バンドの方向性の指標的存在でもあった。
ウォーターズ時代の作品と比べると比較的キャッチーでギターサウンドが主流な、取っつきやすい楽曲が多めか。
作曲者の強い思想があまり介入していないため、何度もリピートしたくなる「聴きやすさ」はギルモア側に軍配が上がる傾向にある。
対してドラマ性やアクの強さは減ったため、「深みが薄れた」と敬遠するファンも少なからず存在する。
その後2014年の解散までリーダーとしてバンドを率いていくことに。

解散後も2022年にロシアによるウクライナ侵攻にてウクライナ側への人道支援のため、フロイド名義で『Hey, Hey, Rise Up!』をリリースし、売上をすべてウクライナ側へ寄付した。
なお、前述の通りこの一件によりロシア寄りのウォーターズとは絶縁状態となる。

ニック・メイソン[Nick Mason] ドラムス/パーカッション

本名は「ニコラス・バークレー・メイスン[Nicholas Berkeley Mason]」。
1944年にバーミンガムの上流階級の家で生まれ、ドキュメンタリー映画の演出家の父とピアニストの母の影響もあってか幼少期から音楽的にも恵まれた環境で育つ。

オリジナルメンバーの一人で、結成から解散まで全期間在籍していた唯一のメンバーでもある。*4
ドラムプレイの面ではあまり派手さは無いものの、ウォーターズの歌詞やギルモアのギター、ライトのキーボードと見事に調和し、バンドのアンサンブルに不可欠な「緩衝材」的役割を果たした。
実は初期の頃は全盛期の姿からは想像もつかない程パワフルなドラムプレイを見せたこともある。現在でも初期のライブ映像でその姿を見れる。
また、作曲面でこそ名前が挙がる事は少ないが、バンドのコンセプトやサウンドデザインには大きく貢献している。
例えば『狂気』のファーストナンバー『Speak to Me』でテープループや効果音のアイデアを提案したのもメイスンであり、アルバムコンセプトの強化に一役買っている。
ライブパフォーマンスでも、時計の音や爆発音などの効果音をタイミング良く組み込むよう提案し、バンドの没入型サウンドを支えた。
重要なバンドサウンドを構築するSEはメイスン主導の元制作されており、ウォーターズも「ピンク・フロイドに新しいテクノロジーを持ち込んだのは、いつもニックだった」と語っている。

ソロ活動も行なっており、1981年に『空想感覚』、1985年に『プロファイルス-ピンクの進化論』と2枚のアルバムをリリース。
2014年のフロイド解散から暫く活動を停止するが、2018年に初期フロイドの楽曲を演奏するトリビュートバンド『ニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツ』を結成し、ワールドツアーも敢行された。

バンド内でも他のメンバーとの軋轢が少なかった人物で、ウォーターズとギルモアが対立した際も中立を擁し、以降の両者のソロツアーにも顔を出したりと、良好な関係を築いている。


【主な歴史】

ざっくりバンドの歴史を分けると、音楽制作の中心となった人物によって3つに分けて語られることが多い。
本項でもそれに倣い、3つの時代ごとに解説していく。

サイケデリック期(『夜明けの口笛吹き』~『ウマグマ』)

1965年、建築工芸学校の同級生だったウォーターズ、メイソン、ライトの3人が現代音楽の論争を交わしたことがきっかけで、フロイドの前身となるバンド『シグマ6』を結成。
前述の3人を含めた6人体制のバンドで、その後もバンド名もあれこれと変えながら活動を続けるが、結局行き詰まりバンド活動は停止。

活動停止後に3人の旧友であるバレットとボブ・クロースが合流し、バンド名を今のものに近い『ピンク・フロイド・サウンド』に変えて活動を再開。
当初はローリング・ストーンズやザ・フー等のカバーを中心としたコピーバンドとして活動していき、やがて即興演奏や舞台用照明の演出を導入し独自性を増やしていった。
この頃にクロースが方向性の違いから脱退するも、バレットがギターを引き継ぎオリジナル曲の制作も始めていく。マネージャーの進言でバンド名も今の『ピンク・フロイド』へと変わる。

精力的に活動して1967年、大手レコード会社のEMIとレーベル契約を果たす。
そして同年、バレット作のシングル『アーノルド・レーン』でメジャーデビュー。さらに同年にアルバム『夜明けの口笛吹き』をリリース。
バレットを中心とした、当時のトレンドであるサイケデリック・ロックをメインに据えた作風で鮮烈なレビューを迎えた。

しかし、ショービジネスの世界に耐えきれなかったバレットはLSDに溺れ、徐々に奇行が増えていく。
そのためバンドはギターのバックアップとしてバレットの友人でもあったギルモアを加入させる。
かつてのビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンのようにバレットにはライブに参加させずに音楽制作に専念させる意図もあったが、努力空しく1968年にセカンドアルバム『神秘』のリリース後に半ば解雇に近い形で脱退。
止む無くバンドは4人体制で再出発することとなった。

この頃になるとテレビ映画のサウンドトラックの仕事も舞い込むようになっていき、1969年に同名映画のサウンドトラックアルバム『モア』をリリース。
さらに立て続けに『ウマグマ』をリリース。ライブ録音とスタジオ録音から成るややコンパクトな内容ではあるが、一方で挑戦的な楽曲も収録され、後のプログレ期への兆候が見られた。

プログレッシブ期(『原子心母』~『ファイナル・カット』)

ウォーターズを中心に再編成したバンドは、映画のサントラ仕事などをこなしながらライヴ活動やアルバムの制作に励む。
バレット期のサイケデリック要素は鳴りを潜め、後のプログレへと繋がるような実験的な音楽の制作に没頭していった。

『神秘』の頃から10分を超える楽曲があったり、時にはアルバムの片面を全て使っての大作を収録したりとその片鱗はあったが、1970年にリリースした『原子心母』が全英チャート1位を記録。商業的にも音楽的にも成功を収め、本作を以てバンドはプログレッシブ・ロックバンドとしての地位を固めていくことに。

続く1971年に『おせっかい』をリリース。20分を超える大作『エコーズ』を収録しており、商業的には前作より劣るもののバンドの音楽がより洗練されていった。

そして勢いをつけること1973年、プログレッシブ・ロックの金字塔にして70’sを代表する大名盤『狂気』をリリース。全世界で爆発的なヒットを起こし、バンドは瞬く間にイギリスを飛び越え世界のスターへとのし上がった。また、本作の全楽曲の作詞を行なったウォーターズの才能を爆発させることとなり、後にバンド内での発言権を強めることになる。

その後に『狂気』のコンサートツアー、長期の休暇を挟み新アルバムの制作に着手。
難産の末に1975年『炎〜あなたがここにいてほしい』をリリース。たった5曲ながらバレットをテーマにした大曲『クレイジー・ダイアモンド』をアルバム冒頭と最後に分割して納めたコンセプトアルバムになっており、前作ほどではないにしろこれまた大ヒットを収めた。

しかしこの頃からウォーターズが強権的にバンドを仕切り始め、1977年リリースの『アニマルズ』は幻想的な前作から一転し、ウォーターズ自身の左翼的思想が前面に押し出された社会風刺全開の内容となる。

そして1979年の『ザ・ウォール』では独裁体制がより苛烈になり、作曲・レコーディング・ライブ演出と全てにおいて独善的な動きが目立ち始める。
ライトの解雇や元よりウマが合わないギルモアとの確執等もあり、バンド間の溝が急速に広がっていくことに。

そして1983年の『ファイナル・カット』のリリースをもってバンドは活動停止状態になる。メンバーはしばらくはそれぞれのソロ活動へと専念することになった。

新生期(『鬱』~『永遠/TOWA』)

活動停止から4年後の1987年、ギルモアがメイスンとともに『ピンク・フロイド』として活動再開を宣言。
しかしウォーターズはこれに強く反発。実は宣言の2年前、マネージャーとの契約問題でこじれた際に「リーダーの自分が脱退すればバンドは自然に解散する」と意図する形で既にバンド脱退を表明していた。
ウォーターズは意図に反する活動継続の表明に激怒し、訴訟問題にまで発展することに。

訴訟は最終的に諸々の条件を呑むことで和解となり、晴れて活動再開した『新生ピンク・フロイド』は早速1987年にアルバム『鬱』をリリース。
事実上ギルモアのソロに近い作風だったが、続くツアーは大盛況となり、英国を代表するスタジアムバンドの一つとして成功を収める。

しかし1994年の『対/TSUI』と付随するツアーをもってバンドは一時沈黙をすることに。
2000年代に入るとメンバー全員の選曲によるベスト『エコーズ~啓示』がリリースされたりと、雪解けを感じさせる動きが度々起こる。

そして2005年、遂にウォーターズを含む4人による一夜限りの再結成がチャリティイベント「Live 8」で実現する。四半世紀以上のときを経て再びステージに上がった4人の姿にファンは熱狂することとなった。
しかし、その後のツアーや同年のロックの殿堂入り*5、2006年に死去したシドの追悼ライブ*6でも再結成は実現せず、結果これが4人揃う最後の姿となった。

その後はギルモアのツアーにリチャード、ウォーターズのツアーにメイスンが帯同するなど、分裂状態で付かず離れず的状況にあり、両者の合流も期待されたが2008年にライトが死去。遂に再結成は幻となった。

そして2014年にリチャード追悼作として『永遠/TOWA』をリリース。
これが「『ピンク・フロイド』の最終作」と宣言され、バンドは正式に活動終了となった*7


【ディスコグラフィ】

※日付はリリース日

夜明けの口笛吹き(原題:The Piper At The Gate Of Dawn) 1967年8月5日

記念すべきファーストにして、バレット主導で制作された唯一のアルバム。
後年のアルバムとは全く雰囲気が違う、サイケデリック・ロック最高峰の作品の一つとしても名高い名盤。
しかし一言でサイケと言ってもそれ一辺倒でもなく、サイケを中心にジャムやフォーク、マザーグースとロック以外のジャンルの要素も含んだ幻想的・抽象的な楽曲で構成されている。
この時期の『ピンク・フロイド』にしか興味がないというファンも少なくない。

ちなみにアルバムのレコーディング時、隣のスタジオでビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド』のレコーディングを行なっており、メンバーもその様子を見学したとのこと。
その際にビートルズのメンバーもフロイドの演奏を耳にしたが、演奏を聴いたポール・マッカートニーは「彼らにはノックアウトされた」と後の大ヒットを予見させるようなコメントを残している。

◇主な収録曲

  • 天の支配(Astronomy Domine)
  • 星空のドライブ(Interstellar Overdrive)
※同時期のシングル
  • エミリーはプレイガール(See Emily Play)
  • アーノルド・レーン(Arnold Lane)

神秘(原題:A Saucerful Of Secrets) 1968年6月29日

ギルモアが初めて参加し、いわゆるプログレ的サウンドに近づいたアルバム。
バレットはこの時点で精神が大きく疲弊していたため一部の参加に留まり、彼が主導した曲のみ前作の残り香を感じる。
一部ではあるもののメンバー5人全員が揃って制作された唯一のアルバムでもある。

レコーディングの終盤にプロデューサーから「ご褒美に12分だけ自分たちの好きなように演奏をしていい」と言われ、その際に制作されたのが表題曲にして本アルバム屈指の名曲『神秘』である。
4部構成から成る組曲のようなインストゥルメンタルの楽曲で、メインの作曲者はギルモア。
後年に伝えられる名曲を産み出し、バンドに加入して早速多大な貢献をすることとなった。

◇主な収録曲

  • 太陽讃歌(Set the Controls for the Heart of the Sun)
  • 神秘(A Saucerful Of Secrets)
※同時期のシングル
  • ユージン、斧に気をつけろ(Careful That Axe Eugene)

モア(原題:More) 1969年6月13日

バルべ・シュローデル監督作品「モア」のサウンドトラックアルバム。
映画のために書き下ろした曲と当時のライヴで演奏していた曲が混在している。
ライブ音源の使い回しもできたからか、制作開始からたった8日で完成させた。
曲調もバラエティがあり、且つ1曲1曲が比較的短く、それでいてフロイドらしい曲も少なくないため意外に入門向けなアルバム。

◇主な収録曲

  • グリーン・イズ・ザ・カラー(Green Is The Colour)
  • シンバライン(Cymbaline)

ウマグマ(原題:Ummagumma) 1969年10月25日

ライヴを4曲収録した1枚目と、メンバーの実験的ソロ作品を集めた2枚目からなる2枚組アルバム。
名前の由来は馬熊…ではなく、ケンブリッジでの「セッ〇ス」のスラングから取られており、単に「響きが良いから」採用されたとのこと。
長尺の曲と実験的な曲が多いためとっつきにくい面があるが『ユージン、斧に気をつけろ』が最初に収録されたアルバムでもあり、無視できない作品。

◇主な収録曲

  • グランチェスターの牧場(Grantchester Meadows)

原子心母(原題:Atom Heart Mother) 1970年10月5日

フロイド初のチャート1位を獲得したアルバム。
初期作品の中でもかなり挑戦的な内容になっており、サイケデリック・ロックからプログレッシブ・ロックへの移行期を象徴する作品でもある。
特徴的なタイトルは、バンドがBBCインコンサートに出演した際に司会からタイトルを求められ、当日ギーシンが持っていた新聞の「当時56歳の未亡人が原子力電池で駆動するペースメーカーの埋め込みに成功した」記事の見出し(「Atom heart mother named」)から着想を得てその場で命名されたもの。
オーケストラアレンジとして前衛音楽家のロン・ギーシンがレコーディングに参加。

A面を占める表題曲『原子心母』は演奏時間23分と非常に長く、ロックとクラシックを融合させた壮大な組曲となっている。
しかしメンバーは後にこのアレンジを「やりすぎだった」と述べており、ウォーターズに至っては「ロンとやったものは全て平凡で駄作。後の作品のステップでしかない」と大層酷評していた。
B面にはメイスン以外のメンバー作曲の3曲とメンバー全員共作となる実験的な長尺曲が収録。

アートワークも非常に有名な、雌牛が載せられたシンプルながらシュールさも漂うジャケット。
ヒプノシス側は「できるだけ平凡で意味のないイメージ」を目指し、「アルバムの抽象性や商業主義への反抗」を反映して田舎の牧場で牛の写真を撮影。ウォーターズも「何の意味もないのがいい」と賛同し、採用されることとなった。
タイトルもバンド名も載っておらず、EMIは「バンド名がないと売れない」と反対したが、バンドの強い意向でこのデザインが採用された。

総じて今後の爆発を予見させるようなポテンシャルは感じつつも、楽曲自体は取っつきにくく初心者向けとは言い難い内容となっている。

◇主な収録曲

  • 原子心母(Atom Heart Mother)
  • もしも(If)

おせっかい(原題:Meddle) 1971年11月11日

プログレへの過度期に制作された、バンドの歴史においてもかなり重要なアルバム。
タイトルの「Meddle」は「Medal(メダル:何かを達成したときに得られるもの)」との語呂合わせを意図してつけられた。

これまで複数のアルバムを制作してきたバンドだったが、本作は初めてバレット脱退後に外部からの協力を得ないでバンドメンバーのみで制作されたアルバムである。

アルバムの構成が前作と似ており一見とっつきづらいように感じるが、意外と聴きやすい名盤。
A面はアブドーラ・ザ・ブッチャーのテーマこと『吹けよ風、呼べよ嵐』で始まり、その後も地味だがキャッチーな小曲が続く。
対してB面は本作の目玉とも言える楽曲『エコーズ』1曲のみ。演奏時間が約23分と非常に長く、前作の『原子心母』と並ぶほど。
メンバー4人の持ち味が見事に溶け合った初期フロイドの傑作で、2001年にリリースされたベストアルバムのタイトルにも抜擢された不朽の名曲。

◇主な収録曲

  • 吹けよ風、呼べよ嵐(One Of These Days)
  • エコーズ(Echoes)

雲の影(原題:Obscured By Clouds) 1972年6月3日

『モア』同様バルベ・シュローデル監督の映画「ラ・ヴァレ」のサントラアルバム。
しかし『モア』よりまとまりに欠ける内容で、ファンの間では「『おせっかい』『狂気』の絶頂期の合間に片手間で制作された」とさえ評されることも。
本アルバム以降、ギルモアは『鬱』まで作詞をしていない。

◇主な収録曲

  • フリー・フォア(Free Four)

狂気(原題:The Dark Side Of The Moon) 1973年3月1日

バンドを世界的スターにのし上げた、超メガヒットアルバムにしてロック史に残る70’sの歴史的名盤。

全世界で約5000万枚と爆発的な売上を記録しており、分かりやすく日本の著名なミュージシャンで例えると、浜崎あゆみやサザンオールスターズのシングル・アルバムの全売上を合わせた数値とほぼ同じ。
言ってしまえば『狂気』1枚でこの2組の全作品と肩を並べているようなものである。
マイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ、そしてAC/DCの『バック・イン・ブラック』と並び世界でトップクラスに売れたアルバムの一つである。
後に約15年に渡ってビルボードチャートの200位以内にランクインし続ける、まさに「狂気」のような売上を叩き出した作品。

タイトル通り「狂気」をテーマにしたコンセプトアルバムで、収録曲はA面B面の境目を除いた全ての曲間の区切りが曖昧でシームレスにつながっている。
ウォーターズの哲学的且つユーモラスな歌詞に加え、楽曲の物語性を強めるSEも味を出しており、テーマが暗いアルバムながら聴きやすく飽きずに最後まで楽しめる画期的な内容となっている。
エンディングの「狂気」の本質を突く語りも必聴。

お馴染みヒプノシスによるジャケットも非常に有名で、幾つかのアイディアをメンバーに提示した際に、満場一致で賞賛された光のプリズムを表現したデザインとなっている。

総じて非常に完成度が高い大名盤で、同バンド並びにプログレの入門としてもおすすめ。

◇主な収録曲

  • 虚空のスキャット(The Great Gig in the Sky)
  • マネー(Money)
  • 狂人は心に〜狂気日食(Brain Damage / Eclipse)

炎〜あなたがここにいてほしい(原題:Wish You Were Here) 1975年9月15日

前作の超大ヒットにより世間から途方もないプレッシャーを浴びせられる中発表されたアルバムだが、こちらも前作にも引けを取らない名盤。
収録数こそわずか5曲とほぼEPのような少なさだが、うち2つは約13分と非常に長いため思ったより短さは感じないはず。
バレットをテーマにした大曲*8『クレイジー・ダイヤモンド*9』と、表題曲『あなたがここにいてほしい』という2大名曲を軸にしたアルバム。
前者は2分割されアルバムを挟み込む構成となっているが、一度連続で聴いてほしいドラマティックな構成。

『狂気』同様アートワークも有名で、サングラスをかけた男炎に包まれている男が握手している、記憶にも残りやすいであろう非常に印象的なジャケット。
当時のレコードは黒い不透明なプラスチック包装で覆われ、購入者が自分で剥がすことで「炎の男」が現れる仕様。
「不在の存在を剥がす」メタファーとして機能し、剥がす瞬間のサプライズでファンを驚かせ、アルバムのテーマを体感させた。

余談だが、アルバムのレコーディング中にバレット本人がスタジオに姿を現したと言う逸話も有名。
当時の姿が「でっぷりと肥え太り頭髪も眉毛も剃り落とした見た目」…と現役時代のハンサムな姿からは想像もつかない程に変わり果てた姿をしており、メンバー全員も初見時は誰か分からなかったほど。
正体を知った際にはメンバーもスタッフも強いショックを受けており、後にメイスンは当時のバレットを「散漫で支離滅裂だった」とも語っている。
一応同日にEMIスタジオで執り行われたギルモアと前妻の結婚式にも参加したのだが、結局バレットは別れも告げずに帰ってしまい、メンバー全員は2006年のバレットの死まで彼と会うことなく、今生の別れとなってしまった。

◇主な収録曲

  • クレイジー・ダイヤモンド(Shine On You Crazy Diamonds)
  • あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)

アニマルズ(原題:Animals) 1977年1月23日

ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』に影響を受けて書かれたコンセプトアルバム。
タイトル通り人間を一貫して動物に喩えており、わずか全5曲ながら全ての楽曲で社会批評的な歌詞が目立つ。
前作の幻想的な雰囲気から一転、ウォーターズの思想に染まった冷たい雰囲気の楽曲で固められ、ほとんどの楽曲はウォーターズが作詞している。
今までになくソリッドなギター中心のサウンドが特徴で、プログレながらハード・ロックのような雰囲気さえ感じる激しい音楽がメインとなっている。
ライトも本作を「すごく攻撃的なサウンドになっている」と評しており、あまり気に入らなかった模様。

やはりアートワークも有名で、ロンドンのテムズ川沿いにあるバタシー発電所の上空を豚が飛んでいる、シュールさも感じさせる名ジャケットとなっている。
CGなんて無い時代なため、実際に現地で約12メートルの巨大な豚のオブジェを風船で飛ばして撮影されており、3日に渡って撮影された。
なおこの撮影中に豚が「逃走」してしまい、ヒースロー空港のフライトが停止され、イギリス空軍が探索にあたる大事に発展してしまった。
後に豚はケント州の農場で発見されるが、この騒動が翌日の新聞の一面を独占。
バンドは意図せずして大きな宣伝効果を得たのだった。

いまだにファンの間でも賛否両論の激しい作品。

◇主な収録曲

  • ドッグ(Dogs)

ザ・ウォール(原題:The Wall) 1979年11月30日

主人公の青年ピンクの半生を描いたコンセプトアルバムで、プログレ期のアルバムの中でも『狂気』『炎』に比肩を取らないクオリティで人気も高い、2枚組の大作。
ウォーターズの独裁体制がさらに顕著となり、リチャードどころかニックのパートもセッションマンに任せるなど、収録された。
それ故に制作時期はバンド内の空気も非常に悪くなり、アルバムに漂うギスギスとした「冷たさ」も感じ取れる。
ウォーターズがツアー中に感じた客との「壁」と、幼少期のトラウマを軸にストーリー仕立てで綴られる一種のロックオペラ作品。
新生フロイドとの訴訟の際にも、和解条件に「『ザ・ウォール』に関する権利をウォーターズに譲ること」が入っていたことから、プログレ期フロイド作品の中でも特にウォーターズのソロ作品として扱われることが多い。

全編が非常に暗い雰囲気だが、『アナザー・ブリック・オン・ザ・ウォール・パート2』『コンフォータブリー・ナム』など、キャッチーで人気の高い曲も多い。
リリース後には全曲再現のツアーと、ボブ・ゲルドフ主演で映画化もされた*10

◇主な収録曲

  • アナザー・ブリック・オン・ザ・ウォール・パート2(Another Brick On The Wall (Part 2))
  • コンフォータブリー・ナム(Comfortably Numb)
  • ラン・ライク・ヘル(Run Like Hell)

ファイナル・カット(原題:The Final Cut) 1983年3月21日

「ザ・ウォール」の続編的位置付けのアルバムで、ほとんどウォーターズのソロに近い作品。
ヴォーカルもほぼ全曲ウォーターズで、シングルになった『ノット・ナウ・ジョン』のみギルモアと分け合っている。
ライトは不参加で、キーボードは『ステイタス・クォー』のアンディ・ボウイ*11が担当。
この時期になるとウォーターズはとうとうメンバーの演奏にも満足できなくなり、メイスンの担当すらスタジオミュージシャンのアンディ・ニューマークと交代させた。
これによりウォーターズとギルモアとの亀裂がいよいよ後戻りできないところまで進み、バンド内でのウォーターズの親しい友人だったメイスンもギルモアに同調するようになっていった。

◇主な収録曲

  • ノット・ナウ・ジョン(Not Now John)

鬱(原題:A Momentary Lapse Of Reason) 1987年9月8日

ギルモアの呼びかけで再始動したバンドの第1弾アルバム。
しかし、メイスンに声をかけた段階ではほとんどの録音は済んでおり、ライトはゲスト扱いでの参加だった。
それでも『幻の翼』や『現実との差異』のようなフロイドらしい名曲が詰まっている。
当然これまでの筆頭ソングメーカーだったウォーターズが不在なためギルモアが主導して作曲をすることになるが、今まで作詞をあまりしたことがなかったのが災いし大いに苦戦したとか。

アルバム自体は米・英ともにチャート3位にランクインし、ワールドツアーも大成功を収めたが*12、ウォーターズ自身は「よくできた『ピンク・フロイド』の贋作」と出来を酷評している。
しかし贋作とは言えよくできている『ピンク・フロイド』の作品には違いない。よくできているのである。

◇主な収録曲

  • 幻の翼(Learning To Fly)
  • 現実との差異(On The Turning Away)

対/TSUI(原題:The Division Bell) 1994年3月30日

前作から実に約7年ぶりにリリースされ、瞬く間にベストセラーとなったアルバム。
ライトが正式に復帰し、3人のメンバーが最初から揃ってレコーディングをした、実は再結成後唯一のアルバム*13
「コミュニケーションの欠如による対立」というテーマで制作されたコンセプト・アルバムであり、1970年代の頃のプログレッシヴ・ロック・サウンドを取り戻そうとするかのような奥行きのある音作りがなされている。
全体的に『狂気』前後のフロイドの最大公約数的な作風になっている。

◇主な収録曲

  • キープ・トーキング(Keep Talking)

永遠/TOWA(原題:The Endless River) 2014年11月7日

バンドのラストアルバム。
素材は「対」の頃の録音から使われているためライトの演奏も含まれているが、本作用の作業は彼の死後に行われ、ライトの追悼作とされた。
全曲インストゥルメンタルで、ほとんどアンビエントのような作風。

◇主な収録曲

  • ラウダー・ザン・ワーズ〜終曲(Louder than Words)

【余談】

アニオタWiki的にはまず何をおいてもジョジョの奇妙な冒険の登場人物東方仗助の「クレイジー・ダイヤモンド」と広瀬康一の「エコーズ」であろう。また、「原子心母」の原題「Atom Heart Mother」は吉良吉廣のスタンド「アトム・ハート・ファーザー」の元ネタである。3曲とも20分超えの大曲である。第4部に集中してるのは当時フロイドにハマっていたのだろうか?

詳しくない人からしたら「フロイドは『狂気』で爆発的に売れた」と思われていそうだが、実際はファーストの時点でも英国でチャート6位とかなりの好成績を叩き出している。
その後もデビューから解散まで英国でベスト10を逃したことが無かったりと、案外バンドの成績自体は終始安定していた。

ギルモアとメイスンはレースマニアとしても知られていて、彼ら自身がドライバーとして参加し、フロイドの楽曲を使用した自動車レースビデオ「道 カレラ・パンアメリカーナ」をリリースしている。また、ビートルズのジョージ・ハリスン同様にF1レーサーやチームとも親交があり、ジョーダン・レーシングにも顔を出していたようだ。特にメイスンとエディ・ジョーダンはドラマー同士親しかった模様。



There is no dark side to adding and editing really. Matter of fact it's all editing.
(本当は追記・修正の暗い側なんて存在しない。実のところ、すべてが編集そのものだから)

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最終更新:2025年10月25日 17:23

*1 「ジェネシス」を含めて「5大プログレバンド」と呼称されることもある。

*2 1965年に周辺と合併されるまで存在していたイギリスの州。

*3 正確にはツアー時点ではサポートメンバー扱いに降格されていた。がそのお陰で『ザ・ウォール』ツアーで生じた莫大な負債を負担せずに済んだとか。

*4 強いて言えば『ファイナル・カット』の頃はウォーターズの指示で事実上の解雇状態ではあった。

*5 ライトが欠席、ウォーターズが衛星中継での参加だったため。

*6 メンバー全員参加はしていたが、ウォーターズが他メンバーが出ていないショー前半のみに出演したあと、翌日の公演のためにすぐ帰ってしまったため。

*7 但し、22年にウクライナへのチャリティとしてピンク・フロイド名義のシングルが発売されている

*8 ただし後年のインタビューにてウォーターズは「シドだけを歌った曲じゃない、全ての人間に当てはまることだ」と否定している。

*9 旧邦題『狂ったダイヤモンド』

*10 映画では一部楽曲に違いがあるが、サントラは発売されていない

*11 「ザ・ウォール」のツアーにベーシストとしても参加

*12 このときの日本公演がバンドでの最後の来日となった。

*13 次作はライトの死後に完成している