毘沙門天

登録日:2017/01/30 Mon 06:25:40
更新日:2021/10/21 Thu 23:46:41
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■毘沙門天


毘沙門天(びしゃもんてん)は大乗仏教(顕教)の尊格の一つ。
天部諸尊の中でも特に有力な神性の一つであり、四天王の一柱として、北方の守護者たる多聞天(たもんてん)の名前でも知られる。
四天王は古代インドでは福徳を司る護世神であったが、中国での護法を司る武人としての姿を経て、我が国では忿怒相の武神として顕された。
中でも毘沙門天(多聞天)は、古代インドでも強大な神性が転じた尊格の為か四天王中でも最強の神であるとされ、護国、戦勝を願う軍神としての信仰を受けた。
四天王に関しては当該項目を参照。

……一方、室町以降には元の福徳財宝神としての性格も広く知られるようになり、現世利益を叶える福の神としての信仰が民間にも広がった。
江戸時代に入ると、毘沙門天は同じく紆余曲折を経て商売繁盛を願う神として人気を得た大黒天弁財天と共に商人に祀られるようになり、仏教や神道、その他の信仰が綯い混ぜになった民間信仰の場でも重要な神となった。
そして、この一柱だけでも有り難い福の神を纏めて祀ってしまおうというヨクバリ計画が七福神の誕生と相成ったのだと云う。
同じく七福神に数えられる恵比寿とはこれ以前より習合し、本地垂迹では毘沙門天をエビス神の本地仏とする例もあった。

毘沙門天は元が戦勝のとしての信仰があったからか、特に勝負事について力を発揮してくれるとされる。

この他としては、9世紀頃から節分や鬼ごっこの原型となったとも言われる追儺での鬼を追う役目を、本来の方相氏ではなく毘沙門天と竜天にやらせる様にもなった事で無病息災を願う神としての性格も持つ。

【由来】

梵名をヴァイシュラヴァナ。或いはクベーラと云い、ヒマラヤ(カイラース)山に住むヤクシャ(夜叉・薬叉)の不死身の王であると云う。
同じくヒマラヤに住まう精霊であるガンダルヴァ(乾闥婆)や、元々の統治場所であったランカー島(スリランカのセイロン島)に住まう近縁種のラクシャーサ(羅刹)も従えるとされる。

ヤクシャやラクシャーサはヒンドゥーではアスラ(阿修羅)と同じく悪魔や悪鬼の類いとされていることからも、毘沙門天を古代インド神話に倣い悪霊の王であったとする記述も見られるが、後のヒンドゥーに於けるクベーラは戦闘を司る神性ではなく、地下世界の富と福徳の神として伝わる。……ハデス「なんだか親近感を感じるお……(・ω・`。)」

ヤクシャやガンダルヴァもアーリア系のディーヴァ(天・神)信仰に呑み込まれただけで、本来的にはヒマラヤやランカー島の土着神であったらしい。
夜叉と羅刹は仏教に於いても毘沙門天の眷族として共に付き従うと云う。

個別の神性としての名前はクベーラであり、ヴァイシュラヴァナは“ヴァイシュラヴァ(ス)の子”と云う意味の(あざな)であったのだが、仏教では此方の呼び名の方が取り入れられた。
これを音写して“吠室羅末拏(べいしまらぬ)”や“毘沙羅門(びしゃらもん)”と呼ばれ、これが更に“毘沙門”に纏まったのだと云われる。
梵語の語源となるヴィシュルタが「遠く広く聞かれた」、或いはヴァシャヴァーラナが「すべての人に語られた」となることから、多聞、普聞、遍聞と漢訳され、更に「仏の教えをよく聞いた」との意味も加えられて名前とされたと考えられる。
クベーラの語源は更に古い時代の文献から「覆う」「隠す」とも考えられている。
クベーラの名は仏教でも倶吠囉、金比羅、狗毘羅、等と音写されたが、毘沙門天単独の尊名としては殆ど用いられず狗毘羅毘沙門天等の呼び名が用いられたりする。

体系化された後のバラモンやヒンドゥーではローカパーラ(世界を見守る者)と呼ばれる、四方、或いは八方の守護者の一人として北方を守っており、これが四天王のみならず、仏教での八方天、十二天としての属性に繋がっている。
『大般若経』を守る十六善神にも数えられるが、経典によって尊格の名前にバラつきがあり、四天王と十二神将を合わせた物をこう呼ぶ場合もある。

……インドではその名のように、ヴァイシュラヴァの息子であり、祖父は宇宙の創造主プラチャーパティであると記されている。
また、クベーラは後に中国で哪吒(なたく)となるナラクーバラとマニグリーヴァの父であると云う。

更に、ヒンドゥーの大叙事詩『ラーマーヤナ』に大ボスとして登場する羅刹王ラーヴァナは異母兄弟にあたるが仲は余りよくなく、千年の修行を認められて神々の列に加えられるとともにブラフマーよりヴィマーナ(神々の戦車と云うか空とぶ要塞とも呼ぶべきインド神話の超兵器)であるプシュパカ・ラタを与えられて所有していたが、同じく苦行によってブラフマーより神仏に負けないと云う絶対的な祝福を得ていたラーヴァナに敗れ、父親の裁定により統治していたランカー島共々にラーヴァナに奪われてしまった上にヒマラヤへと追いやられる等、散々な目に逢わされている。

前述のようにヒンドゥーでは戦闘神ではなく地下に眠る財宝の守護者であり、ヒンドゥーの創世神話に於いては大洪水によってディーヴァからナーガ(竜)の物となっていた財宝が乳海攪拌の折に再びディーヴァの物となったのだが、その守護者として任命されたのがクベーラだったと云う。
ナーガは毒蛇(コブラ)を神格化した土着神であることから、しばしばクベーラは天敵であるマングースを伴って描かれている。

また、ヒマラヤへと追いやられはしたクベーラだったが、ヒマラヤは溢れ出す程の宝の山であった為に、クベーラは所有する事になった増え続ける莫大な富の内の幾らかを定期的に焼き捨てなければならなくなった程なのだと云う。
……どん底からの再起と云うか、負け組にならない運命と云うか羨ましい限りである。

この他、仏教では吉祥天として知られるラクシュミーは、仏教では毘沙門天の妃や妹とされるがヒンドゥーではヴィシュヌの妃とされている。
これについては、インド神話の系譜がヒンドゥーに至る中で、本来はもっと重要な神格であったクベーラの役割がヴィシュヌらに奪われたのではないか、との解釈もされる。NTRですねわかりますん。


【歴史上の人物との関わり】

物部氏との戦いの折に聖徳太子が四天王像を髪の中に入れて戦勝祈願をしたのを初め、須弥山の支配者である護法の主たる帝釈天配下の軍神として名を馳せ、単体の毘沙門天としても護法の神、戦勝の神として歴史上の人物達に信仰を受けた。
特に、武勇を願い、母から幼名を多聞丸と名付けられた楠木正成や“毘”の一文字を旗印とした上杉謙信等が有名である。

【像容】

基本となる姿は厳めしい顔で唐風の甲冑を纏って岩座に立ち、片手に戟か宝棒を持ち、もう片方の手に宝塔を持つ、若しくは空の手を腰に当てるとされている。
しかし、毘沙門天には持ち物以外に特に定められた記述がなく、持ち物に関しても上記の様に定まっているとは言い難い。
四天王の一尊としては『多聞天』単独としては『毘沙門天』として分けられているが、基本的な姿については大きな違いは無い。流石に毘沙門天としての方が豪華な仕様の場合が多いが。
また、四天王に共通して足下に邪鬼を踏み締める場合も多い。

奈良法隆寺等では妃の吉祥天女と一緒に祀られる場合がある他、民間での毘沙門天信仰の発祥となったと云う京都鞍馬寺では、吉祥天女、息子ともされる善膩師童子を脇持とした三尊形式もある。

この他、高野山金剛峯寺には不動尊と共に祀る例が、天台宗寺院の他、真言宗系寺院にも見られる例として、両尊を千手観音の脇待とする例もある。
不動尊と共に祀る事については、不動尊を大日如来の法の最高の守護者とするのならば、毘沙門天は釈迦如来の法の最高の守護者であるからだとも云う。

【変形・異形】

毘沙門天は我が国に伝来するまでにも高い人気を誇る尊格だったからか、日本での姿とも違う毘沙門天像が生まれている。

■托塔李天王

『托塔天王』『李天王』とも呼ばれる、唐代初期の神格化された武将である李靖と習合した姿で、道教にも取り入れられた。
インド神話と同じく『西遊記』や『封神演義』で人気の哪吒三太子の父親である。
元々は毘沙門天人気から生まれた神格であったが、中国では仏教が衰退した為かこうした事実は忘れられ、単に道教の神としてのみ覚えられてしまっているとの事。
托塔天王はその名の様に日本の毘沙門天と同様に如来から託された宝塔を持つ武将の姿をしているが、中国の民間信仰での多聞天は緑色の顔に右手には傘、左手には銀の猫を持つという、全く別の姿をしている。
托塔天王は単なる毘沙門天の変身と云う事実を越えて、後には四天王を率いる天界の将軍として扱われた。
そのためか、封神演義では托塔李天王と多聞天がそれぞれ別の存在として敵味方の陣営に分かれているという現象が起こっている。
これは封神演義自体の世界観に置いて仏教というものがまだ存在しない(封神演義の舞台となる殷が周へと変わるのが紀元前11世紀、釈迦如来の元になった仏陀が産まれたのが紀元前5世紀ごろである)事が理由と思われる、この他にも上記の四天王や後に観音菩薩となる慈航道人等同様のキャラクターも居る。
無論、上記の通り四天王は仏教を経由して中国に渡る事で産まれた存在であるために封神演義独自の設定なのだが。

■兜跋毘沙門天

兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)と読む。
西域で誕生したとされる異形の毘沙門天で、西域特有の“斗祓(とばん)”と呼ばれる金鎖甲なる鎖を編んで作られた鎧を纏い、腕には海老籠手。
頭には鳥冠(三面立ての筒状の宝冠で正面に翼を広げた鳥の姿を顕す。)を戴く。
また、足下には地天女が居り毘沙門天を支えており、更に琵藍婆(びらんば)尼藍婆(にらんば)なる二体の鬼が両脇に控えると云う。
持ち物は右手に戟か宝棒、左手に宝塔と通常の毘沙門天と同じながらオリエンタルな匂いのする異形の毘沙門天であり、儀軌や経典には見られない、発生地域独自の姿であると考えられている。

『兜跋』の名の由来に関しては、身に纏う斗祓を由来とするとの説の他、吐魯番(トゥルファン)=新疆ウイグル自治区や、吐蕃(トバン)=チベットの事であるとする説が出されている。
特にトゥルファン説は現在の主流でもあり、この異形の姿は同地に毘沙門天が出現した時の姿であるのだと云う。
兜跋毘沙門天は我が国にも持ち込まれ、東寺に祀られる唐代の作は羅城門の階上に祀られていたと伝えられる。

日本では『兜跋』の音の誤訳から『刀抜』や『屠半』の文字が当てられた他、その名も『刀八毘沙門天』なる、八本の腕に八本の刀を持つという厨二臭い異形の毘沙門天も生まれ、戦乱の世の武士達に祀られたと云う。
因みに、足下を人型のものが支えるのもインド神話に於けるクベーラが人型のものに乗るのにも似ているが関連は不明である。

■三面大黒天

前述の大黒天、弁財天、毘沙門天を同じくインドから渡って日本に馴染んだもの同士なら喧嘩しないと思われたのか、悪魔合体ならぬ合体怪獣された姿。
江戸時代に商人により祀られた他、豊臣秀吉が念持仏としていたことでも知られる。
店に置いたりする事情もあるのか、ディフォルメされてて中々に可愛いと思ふ(迫真)。

【真言】


■ナウマク サマンダボダナン ベイシラマンダヤ ソワカ
■オン ベイシラマンダヤ ソワカ

【種字】


■ベイ




追記修正は大穴を一点買いで当ててからお願い致します。

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