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更新日:2026/04/10 Fri 21:11:00
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■摩多羅神
『摩多羅神』とは、天台宗系密教(台密)より派生した玄旨帰命壇の本尊とされた秘神にして念仏の守護神である。
摩多羅の他にも摩多利/摩怛哩/摩怛羅/摩吒羅/魔多羅……といった表記も存在している。
非常に謎の多い神格であり、明確に仏教に紐付けられている神格の筈なのに天部(仏教に取り入れられたバラモン教の神々)でもなければ、かと言って仏尊(大乗仏教にて仏として扱われる尊格=如来/菩薩/明王のこと。)として扱われているという訳でもない。
……辛うじて渡来神(日本以外に起源を持つ神)であるとは伝えられているのだが、かと言って明確な出自も起源も不明であり、日本に来てから変化した部分が多いのに、渡来神であるが故に垂迹神(日本の土着の神と仏尊を神仏習合させて自然に信仰が受け入れられる形としたもの)とも言い難い……という極めて特殊で独特の立ち位置にある癖に仏教から離れた土着信仰や伝統芸能の分野にて広範かつ重要な立ち位置の神格として扱われたりすらしている。
非常に多くの神格や仏尊と習合しており、説によって様々な本地(正体)が存在している。
……ざっと挙げただけでも大黒天(摩訶迦羅天)/荼枳尼天/七母天/阿弥陀如来/素戔嗚尊/大避大明神/金毘羅大権現/妙見菩薩……といった所であり、更には密教の本尊である大日如来との関連が深いと語られていたり、近年ではミトラス神との関連が研究されたりもしている。
摩多羅神の名前が最初に登場してくるとされるのは、唐の不空金剛訳の『蕤呬耶経』である。
ただし、ここでいう摩多羅神は“摩怛羅神”という表記であるのを含めて、記述の内容からも仏法の守護神として取り入れられた天竺(古代インド)由来の天部諸尊に含まれる神々(天/阿修羅/夜叉/龍/乾闥婆…etc.)の一つのことであり、日本にて謎多き存在として扱われる摩多羅神とは別物とも考えられている。
いや、恐らくはその“摩怛羅神”が大元だったのだろうが、日本での“摩多羅神”は元の姿に様々なものが合体したり付随していったのだろうな……というか。
何れにせよ、摩多羅神とは仏教と関係が深いが一言では言い表せない複雑怪奇な経緯を経て日本に根付いた神様ということである。
【概説】
京都は太秦の地と関係が深く、それ故に嘗ては秦氏と関係が深いか、より直接的に彼等の神であったのでは?とも考察されていた。
摩多羅神と関係が深く、本尊として扱われていたという玄旨帰命壇とは、同じく淫祠邪教として弾圧された真言立川流とも関連付けられた、後期密教や西蔵(チベット)密教にも通じる密教の秘奥を性愛術とも絡めて解き明かそうとしていたのだろうとも考察される、極めて実践的な修行法のことであるが実態については秘密結社的な組織の性格もあってか不明な部分が多い。
また、浄土教(日本でも浄土宗と浄土真宗を生むことになる浄土信仰)を大元とする念仏の守護神として語られることもあり、天台宗系の念仏堂(=常行堂)では、本尊である
阿弥陀如来の背後に
表からは見えない形で摩多羅神を祀る習わしがあったことから
後戸の神とも呼ばれていた。
尚、何故に摩多羅神を祀ったかと言えば
悪魔(天狗)調伏を目的とした修法のためであったという。
幾度も繰り返すことになるが非常に謎が多い尊格であり、その由来と本性については現代までに議論が尽されても尚も不明であり、如何なる経緯を経て日本に根付いたのかすらも確定的ではない。
……しかし、概ねは天台宗の慈覚大師こと円仁(3代目座主)が唐より帰る途中の船の中で感得したのが最初であるとされる。
つまり、日本へと帰る船旅の途中で、虚空より円仁に対して“私は障碍の(災いを為す)神である。私を祀らなければ(阿弥陀の念仏による)極楽往生の願いが聞き届けられることはない”と脅しつけた語りかけたのが日本に入り込んだ切欠であったという。(更に言えば、この“私を祀らなければ”というのは“私に死にゆく者の肝を食わせねば往生させないぞ”という意味であろうと解説されている……怖すぎやろ。)
念仏(浄土教)の主体となる阿弥陀如来との関係についても定かではないものの、単純に阿弥陀如来と摩多羅神は同体である、として解説されている場合もある。
尚、その姿から(先述の建前となる経緯はともかくとして)唐から勧請された神格なのかとも思われがちだが……
摩多羅神のことは天竺支那扶桑の神なりや、其の義知れ難し。 支那の神に非ず、又日本の神にも非ざれば、知らす人疑いを起す輩もあるべきことなり。 |
……とも記述されている。
つまりは、摩多羅神について“仏教に関連する筈のインドにも中国にも日本にも起源を見出せん……どないやねん、正味の話(意訳)”━━と、昔っから疑問を呈されていたということである。
尚、円仁が感得するよりも早くに日本天台宗を拓いた最澄……どころか、日本密教の開祖であり真言宗を拓いた空海が既に持ち込んでいた━━とする説すら存在している。
実際、日本で摩多羅神の名前が初めて登場するとされる資料は守覚法親王(皇族/仏弟子/真言宗仁和寺第6世門跡)が記した『北院御室拾要集』である。
同書での記述によれば、優れた仏師でもあった弘法大師(空海)であるだけに、自ら作り上げた後に誰にも明かさぬ形で祀ってでもいたのか、大師が入定した後に空海の十大弟子であった檜尾僧都(実恵=東寺初代長者)が東寺の「西御堂」を継承した際には、堂には密かに摩多羅神像が付属していたのだという。
この摩多羅神の様相について、法親王は「奇神」であり「夜叉神」であり、「吉凶を告げる神」であると記述している。
事実、この大師が残したと思しき摩多羅神像は三面六臂の異相で後の摩多羅神の姿とは大きく異なる姿であったという。
ただし、ここでいう摩多羅神(摩多利神)は、所謂“三面大黒天”のことではないか?とする説もあるので、尚も考察の余地がある……というか、矢張り原型は大黒天(摩訶迦羅天)であった摩多利神が、日本に来てから後に更に様々な要素が加わっていったものが後の摩多羅神となった……ということなのかもしれない。
尚、この三面六臂の摩多羅神像については、法親王の記述通りならば“三面大黒天”とも違う聖天(歓喜天)/荼枳尼天/弁財天が一つとなった異形の姿であったとも考えられており、更にそれは東寺の守護天であり、尚且つ菩提心の化身、そして稲荷神の遣いであったともいう。
……実際、概ねは天台宗系の仏教神と語られることが多い摩多羅神ではあるものの、真言宗系の寺社でも摩多羅神が祀られている例は多い。
現代に於いて天台宗系の仏教神としてのみ語られがちなのは、玄旨帰命壇との関連の深さが有名になっていく中で起きた現象であったのかもしれない。
尚、摩多羅神と言えば、その姿から能楽に於ける“翁”の由来であると考えられたり、土着信仰に於ける宿神(ミジャグジ信仰)に関連すると語られたり、渡来神であることと前述の要素から秦氏の伝説的神人にして猿楽の祖とされる秦河勝と結びつけたり同一視する意見も出されていたものの、現在では多くの部分で(否定される方向での)見直しがされている。
【摩多羅神の属性】
神話学者の山本ひろ子は、摩多羅神を━━
……として分類しており、この三つの属性に基づき各々に様々な段階の神話や神格が習合していったことが、結果として摩多羅神の性格と属性をややこしいものとしていった理由ではないかと分析している。
摩多羅神の由来については先述の通り……そして、以降も繰り返されることになるが様々な説が存在している訳なのだが、
基本的には先の通りで大乗仏教(密教含む)の尊格の区分からは外れているものの、矢張り
大黒天や荼枳尼天と関連付けて語られることが多い。
特に、大黒天=
摩訶迦羅天は摩多羅神の正体である……として解説されていることが殆どである。
摩訶迦羅天の異名を先にも述べた
摩怛哩神とする場合があり、この摩怛哩神が摩多羅神と同一であると云うものである。
一方の荼枳尼天に関しては、そもそも性別が違うじゃないか……とツッコみたくもなるが、これは元来は荼枳尼天も含まれていたと考察される
閻魔天や摩訶迦羅天(更に言えば
大自在天の)眷属である七母天(サプタ・マートリー=梵語:“
Matr”)が摩多羅神の名前の由来であると考えられていたためであるらしく、其の辺の情報が精査もされずにそのままに記述されていたのが混乱の原因となっていたと思われる部分も見受けやれる。
実際、後年には荼枳尼天や七母天と同一視されているのは“おかしい”と思われたのか、人喰いの本性を持つ夜叉神としての属性が同じという意味(摩多羅神の性格解説する為に比較対象として名前を出した)とする記述も見られるようになっている。
尚、流石にしつこくなってきた感のあるこの辺の件だが、矢張り日本に来てから後に大きく姿を変えたか独自に生まれた摩多羅神との余りの姿の違いから、単に摩怛哩神と同一の神としてのみ扱うのは牽強付会(ゴリ押しが過ぎんよー)が過ぎるとして昔からツッコまれてもいたようだ。(まぁ、この辺は属性が加えられる毎に摩多羅神の姿もまた変容していったという可能性を考慮していないというだけの気もしてしまうのだが。)
尚、この仏教に於ける天部諸尊との関連で言えば、天部諸尊の中でも大黒天をも越えるとされる最大の祟り神である
大聖歓喜天と同一視する考え方も存在している。
これは、あくまでも祟り神(障碍神)であるが故に最高の福徳神でもあるという摩多羅神の性格からの発想なのだが、前述の通りで空海が密かに秘していたという異形の鬼神(摩多羅神)像が聖天(歓喜天)を中心とした形態であったとする記述が残っている所は面白い所である。
尚、仏教以外の方面(無関係ではないのだが)でいうと、摩多羅神は暴神であるということから、我が国に於いては日本神話でも最大の正と負の両属性を備えた英雄神にして暴神である
素戔嗚尊とも習合している。
ある説では摩多羅神とは天竺に於ける
スサノオの異名であると記述されてもいる。
例えば出雲地方(島根県の鰐淵寺)などでは、それまではスサノオの化身として蔵王権現を祀っていたのが、後になって摩多羅神へと上書きされた形跡が見られるという。
摩多羅神と習合したスサノオは特に黒いスサノオと呼ばれ、スサノオの暗黒面を特に強化された暴神なれど、それ故に汎ゆる災厄と病魔を薙ぎ祓う力を期待されて畏れられながらも祀られていたと考えられている。
尚、スサノオは似たような理由から元は祇園精舎の守護神であったとされる牛頭で暴風を司る牛頭天王や、天の大凶星とされる羅睺/黄幡神とも習合している。
摩多羅神と牛頭天王や羅睺/黄幡神との関係は不明なれど、此等は嘗ての日の本の中心であった京都という地に流れ着いた渡来神であり、
尚且つ暴風魔神としての属性、更には超絶闇属性で穢れを力としているが故に逆説的に穢れを祓う力を持つ(猛毒を以て毒を制す)とされるなど多くの共通項を持つ神格達でもあり、此れは仏教方面での前述の大黒天や荼枳尼天、大聖歓喜天とも共通している。
━━そして、近年に於いては上述までの言説とは別方向の説として、此の神格の
“マタラ”という呼び名は“マイトレーヤ”……即ち
ミトラ/ミトラス神と関係があるのでは?とする説も広く聞かれるようになって来ている。
実際に、日本でも古来より摩多羅神の祭祀として京都にて「太秦の牛祭」が行われていた訳なのだが、ここで摩多羅神が乗る牡牛とはミトラ神を始め古代オリエント神話の主神のシンボルとされていた動物であり、上記の通りに同じくスサノオと習合した神格として、此方は祇園に根付いた牛頭天王が存在している。
また、摩多羅神は前述の通りで念仏の守護神=浄土教とも関係が深いとされている訳なのだが、近年の研究と発見では初期浄土教の起源を西域南道にて発見された方形仏堂に求められるのだという。
そして、その方形仏堂の起源は仏教の発展にも強く影響を与えた
ゾロアスター教にあると見られており、そのゾロアスター教に於ける主神の一つはミトラ神である。
そして、ミトラ神は一般的には仏教では
弥勒菩薩となったと解釈されており、その意味でも仏教にとっても非常に影響力が強い神格であったことは否めない事実である。
そして、浄土教は仏教に含まれる思想ではあるが、その救いの本質が“己が仏となり輪廻転生から脱する”ことを目指す釈尊本来の教えとは違い、阿弥陀を絶対の帰依者として極楽浄土に迎えて貰う……という一神教的な思想であると共に、ゾロアスター教こそは世界初の一神教の教えを確立した思想である。
実際、摩多羅神が渡来神であることは予てより知られていたものの、その起源については繰り返し述べた通りで昔から定かではない程に古くから存在していた可能性がある。
そして、それ程に古いとなれば、矢張りミトラ神あたりにでも起源を求めなければならなくなるのかも知れないということである。
【姿/像容】
“翁”面の由来になったと言われていただけはあり、摩多羅神は満面の笑みを浮かべた壮年以上の年齢の大尽として顕わされる。
錦の狩衣姿で手には鼓を持ち、椅子に腰を掛けた姿で描かれるのが基本である。
古代日本の平安貴族の装束としてお馴染みの狩衣姿ではあるものの、摩多羅神が頭に被るのは立烏帽子ではなく、唐風の黒の幞頭である。
これは、純粋に日本で生まれた神ではなく、唐から伝来した神であることを示していたのではないか……とも考えられている。
摩多羅神の従者とされるのが丁禮多と爾子多の二童子である。
丁禮多は空であり肩から青色の錦を打ち懸け、爾子多は仮であり肩から赤色の錦を打ち懸けるとも説明される。
これは玄旨帰命壇の秘奥を体現した三尊形式であると解釈され、三体を同時に顕した図を摩多羅神曼荼羅とも呼び、図上には北斗七星が描かれる。
二童子は各々に左手に茗荷を、右手に笹(竹)を持っており、摩多羅神の鼓の音に合わせて丁禮多は「指々利子爾子々利指」と、爾子多は「蘇々呂蘇蘇爾ソソロ蘇」と歌いながら舞い踊るとされる。
茗荷は普賢菩薩の無分別の智を、竹は文殊菩薩の自受容の智を示すと解説されたり、仏教の三毒(貪瞋痴=貪欲(果てなき欲望)/瞋恚(怒り)/愚痴(真理を知ろうとしない愚かさ))を象徴しているとされたりと様々である。
そして、この二童子の歌は各々に「理体惣持(“理”を顕す)」と「智慧惣持(“智”を顕す)」の梵語=マントラ(真言)であると解説される一方で、
シシニシリ〜は大便道の穴を、ソソロソニ〜は小便道の穴を示し、それから得られる快楽を歌っているのだともされる。
前述の通りで、摩多羅神と二童子は教義に於いて性愛術を重要視していた玄旨帰命壇の本尊である。
密教修行によれば、人間の悟りの段階は
大日如来の境地である
第九識=阿摩羅識=法界体性智に至らせるまでの
倫として解説される共に修法が設けられているのだが、玄旨帰命壇はそれを(性愛術を用いた淫祠邪教と糾弾されたと言われつつも)別の方法で追求する法である。
この場合に於いては摩多羅神は
第八識=阿頼耶識=大円鏡智を、丁禮多は
第七識=末那識=平等性智を、爾子多は
第六識=意識=妙観察智を象徴しているのだと云う。(この前段階となる第五識=
成所作智は目・耳・鼻・舌・皮膚……から得られる肉体的感覚から得られる情報を正しく処理するための智慧のことであり、この場合の五識は五感と同じものと解釈しても間違いではないだろう。)
そして、先にも述べたがこうしたアプローチは確かに正統な日本密教(東密/台密)の修法からは外れた形式ではあるのだが、それは空海が日本密教の基本を中期密教を基に発展させたためであり、後の天竺(インド)で生まれた後期密教や、更にそれを基に発展した西蔵(チベット)密教では、神仏との性的な交合をも想定した、更に人間の根源的な本能に迫るような激しい行法が含まれているために、真言立川流や玄旨帰命壇は空海も持ち込んだ『理趣経』を起点として、更に其れ等(後期密教/西蔵密教)の影響を受けて誕生、発展したのだとも考察されている。
こうした、玄旨帰命壇の方向性から摩多羅とは即ち大日如来のことを指し、摩多羅神と二童子は大日如来に至るまでの段階=正道とされる密教に於ける大日如来を除く五智如来の四智を別の姿と名前と形で象徴する存在だと見なされていたのが解る。
【二童子】
摩多羅神に付き従う二童子も実態が如何なる存在なのかは不明なのだが、摩多羅神の起源ともされるミトラ神には確認できる最古の記録の時点で
アリヤマン(歓待)という従者が存在していた。
そして、時代が降るとミトラの従者は二対一組の形式となる。
そうして、ゾロアスター教では
スラオシャとラシュヌ、ミトラス教ではカウテスとカウトパテスという各々にミトラから属性を分けられた二対一組の従者神が存在するようになっており、摩多羅神がミトラ神ならば、此等が起源なのでは……とも考えられるようになって来ているという訳である。
一説には丁禮多の語源は“preta”のことであると考察されている。
この“プレータ”が何かと言えば、これは仏教では“薜茘多”と音写されているモノのことであり、コレは即ち“鬼(死霊)”……より直接には死体(…や、そう呼ばれて貶されていた下層民)を指す語であるのだという。
そして、コレが仏教に於いて何を指すかと言えば、実は“餓鬼”と漢訳されているモノ達のことなのである。
ミトラの従者がミトラの属性を分け与えられた(支配民族に隷属していた下層民族の寓意ともされる)存在であったように、二童子もまた摩多羅神から属性を分け与えられた存在であるとも考えられる。
そして、この玄旨帰命壇の深奥を図像化した摩多羅神の鼓に合わせて歌い舞い踊る二童子という構図が、芸能神、技芸神としての摩多羅神の属性の獲得へと発展したのではないか、と云う訳である。
【北斗七星/星辰信仰との関連】
尚、摩多羅神を含めた三尊形式の図の上部には渦巻く雲の中に見えるという形で北斗七星を描かれているが、此れも摩多羅神との直接的な繋がりは不明なれど、摩多羅神の本地とされる大黒天(摩訶迦羅天)が密教の星宿(星詠み)信仰にて重要な立ち位置にあり、中国由来の北極星信仰から誕生した、星辰(星々)の中心たる不動の北極星のみならず北斗七星の神格化でもある妙見菩薩とも関係が深いことから、この構図がそのままスライドして摩多羅神信仰にも取り入れられたのではないかと考えられている。
またかよ……とも思わないでもないが、摩多羅神は素直に妙見菩薩とも同一視されており、即ち摩多羅神は北斗七星、及び北斗七星の横に輝く輔星(アルコル=いわゆる死兆星)の化身である、とも考えられていたようである。
【猿楽(能楽)との関連】
能楽の祖とされる世阿弥の書いた『風姿花伝』では猿(申)楽の起源を釈尊が入滅した後の説法を提婆達多が外道(仏弟子ではない異教徒/荒くれ者)達を引き連れて邪魔しに来たのを“御後戸”から十大弟子の内の舎利弗、阿難、富樓那の鼓、笙鼓、及び彼等の弁舌と知恵と物真似で鎮めたとする行があり、これが猿楽の始まり(縁起)と考えられている。
そして、この猿楽にて重要なモチーフとして用いられる“翁”面は宿神(日本の土着のカミ=ミジャグジ信仰)を象徴して図像化した存在であり自然発生的に上記の猿楽の縁起に纏わる“後戸の神”の共通のキーワードから摩多羅神のことを指すとも解釈されるようになったようである。
そして、世阿弥は前述の『風姿花伝』の中で聖徳太子と共に広隆寺を建立した秦河勝こそが猿楽の始祖であると位置づけており、秦河勝が神格化される中で、能楽に於いて演じられる“カミ”そのものである翁面(宿神)=摩多羅神と同一視されるようになっていったようである。
このため、秦河勝を神格化した大避大明神と摩多羅神もまた同一視されている。
……このように、共通した要素から能楽に纏わる多くの部分にて同一視されると共に重要な存在として扱われているだけに摩多羅神の起源を芸能神や秦氏との関わりの方面からアプローチする動きもあったのだが、現在では後付け的な方面の話題であったとして見直しがされている。
追記修正は舞い踊りながらお願い致します。
- ははーん、わかったぞ。つまり何もわからねぇ、って事だな? -- 名無しさん (2026-04-07 22:40:02)
- ↑そうだよ(便乗) -- 名無しさん (2026-04-07 22:50:27)
- 牛祭りって相当ヘンテコらしいな -- 名無しさん (2026-04-08 10:13:07)
- よくわからんものを出来るだけわかりやすくまとめてあって良い記事。まあ何もわからんのだが。 -- 名無しさん (2026-04-10 13:01:25)
- 記録はあるけどほんの一部に過ぎない -- 名無しさん (2026-04-10 15:35:14)
- アニヲタ的に魍魎戦記MADARAに触れないのは何でだろう -- 名無しさん (2026-04-10 21:11:00)
最終更新:2026年04月10日 21:11