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ダンゲロスSS上海
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ダンゲロスSS上海

拳と狐(上)

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前回までのあらすじ

狐の面を被る武人、拳狐(チュアンフー)は罠が仕掛けられていると知りながら、闇深きグランドスラムへと足を運んだ。
上海の民間組織『清海』に所属する海圻(ハイチ)と交戦した後に協力関係を結び、海圻の護衛対象である金剛シグリの用心棒役となる。
三人の前に立ちはだかったのは、魔幇四天王の陽堂堂と元魔幇四天王の叩頭卿。
激しい戦闘の末、拳狐たちは二人の敵を撃破し、グランドスラムからの脱出に成功する。

時を同じくして、『鋼鉄構架』(チャン)(サン)と『飢鬼』(はやし)希美(のぞみ)による『破幇同盟』は魔幇四天王の目艮竟と対峙していた。
魔幇成立を巡る過去の幻、クラム・ハードシェルとの奇妙な因縁。
さまざまな出来事に遭遇しながら、二人はクラムの助けを借りて目艮竟を打ち倒す。
かくして、魔幇四天王はその座の半分を失った。

一方、怒れる解決屋『紅虎』(リュウ)炎嵐(ホェンラン)は屋台街において、ダイヤを狙う魔幇構成員の襲撃を受けた。
炎嵐は、白髪(しらひげ)黒羽(くれは)日ノ御子(ひのみこ)神楽(かぐら)死神(しにがみちゃん)、ギャラハッド・ソネットと協力してこの騒ぎを収め、魔幇に渡ることを防ぐために清王朝のダイヤを白髪黒羽に預けた。
その後、罰を望む灰蛇絡を牢獄送りにした炎嵐は、相棒である(ワン)双葉(シャンイェ)の後押しを受け、魔幇との敵対を決意する。
暫定の『上海覇者』を知らせる上海全土への放送で、炎嵐は魔幇の首領に喧嘩を売ったのであった。

魔都上海を駆ける星は、他にもある。
牢獄に囚われた恋辻(こひつじ)メーメーを救い出し、共に魔幇への復讐を目指す『透明ワニ』のスパイク。
桃猫(タオマオ)の正体が幼い頃に離別した少女、玲紗(リンシャ)の生まれ変わりと知った(カク)亀岩(グイェン)
その玲紗に手を貸し、残された短い命で上海の欲望をさらに求める双喜(シュアンシー)
絶対的な可愛さを武器に、カルミア・チャムリーの野望を助ける(チャオ)芽芽(ヤーヤー)
上海に降り立った謎のアルクトゥールス星人、下山アンドロメダ。

遂に燃ゆる炎の運命は重なり、紅蓮の嵐が魔都全域へと広がっていく……。

設定を採用するSS一覧

以下は、本SSを書くにあたって設定を採用するSSである。
下記の内容全てを確認する必要はないが、イタリック体で書かれた「前提となる情報」を把握しておくと、本SSをよりスムーズに読み進められるだろう。
複数のSSから設定を採用しているため、設定間の齟齬が生じる部分があるが、多少の矛盾には目をつぶっていただきたい。

SSの内容を完全に採用する(基本の正史)。

前提となる情報――拳狐はグランドスラムにて海圻・金剛シグリと共闘し、魔幇四天王の陽堂堂と元魔幇四天王の叩頭卿を打ち破った。

『陰と陽』で設定を採用したSSは、このSSでもそのまま設定を採用する。
ただし、劉炎嵐が鉄山彦斎から渡されたダイヤは、普通に手渡せるものとする(持ち主につく設定は採用しない)。
また、爬・巳・狸・魔都によるダイヤの説明の内容はこのSS内で一部描写され、路覇タッカーとの契約内容は一部変更するものとする。

SSの内容を全体的に採用する。
ただし、果成いっぽと目艮竟の会話シーンは採用しない(果成いっぽは魔幇の幹部ではなく、張三は紛れもなく本人である)。
また、1回戦に続いてダイヤに関する設定(麒麟の涙)は採用しない(過去には、清王朝のダイヤ単体を巡る争いが起きたとする)。
加えて、SS内で描写された過去の幻は、全てが正しいとは限らない(例えば『虚と実』で示した通り、《蜃気楼鬼貝故事》はクラム・ハードシェル自身の特殊能力であるものとする)。

前提となる情報――張三と林希美による『破幇同盟』は、魔人武器工房通りにおいて魔幇四天王の目艮竟を撃破した。

魔幇構成員との戦闘描写を一部採用する。
ただし、灰蛇絡に関する描写は採用しない(その場にいなかったものとする)。
また、戦闘の過程で、劉炎嵐が白髪黒羽に清王朝のダイヤを渡したものとする(戦闘終了後も、魔幇の目を欺くためにそのまま預けたものとする)。

前提となる情報――白髪黒羽・日ノ御子神楽・劉炎嵐・死神・ギャラハッドの5名は力を合わせ、屋台街において魔幇構成員の一団を撃破した(白髪黒羽と劉炎嵐は戦っていない)。劉炎嵐は戦闘中の作戦として白髪黒羽に清王朝のダイヤを手渡し、そのまま預けることにした。

タイトルコール以降の部分を採用する。
ただし、上海全体への放送は暫定の『上海覇者』になった後とし、清王朝のダイヤは見せつけなかったものとする(ダイヤへの言及自体はそのままとする)。
また、劉炎嵐の宣戦布告に反応した人物を五爪の翁から七鴉翁に変更する(反応の内容は、本SSで描写する七鴉翁のパーソナリティーに合わせたものとする)。

前提となる情報――劉炎嵐は屋台街の騒ぎを解決した後、単身で灰蛇絡と戦い、牢獄送りにした。その後、劉炎嵐は上海全体への放送で魔幇に公然と喧嘩を売った。

SSの内容を全体的に採用する。
ただし、蘇絲織らに関する描写は採用しない(落雷磊落は、別の原因で倒れたものとする)。

前提となる情報――透明ワニは、槌歌塔也らと協力して監獄に囚われた恋辻メーメーを救出した。

SSの内容を全体的に採用する。
ただし、ウーズであるタオマオの心核は輝きを失ったダイヤの欠片であるものとする。

前提となる情報――グイェンの前でタオマオは自らの正体を明かし、双喜と共に何処かへと消え去った。タオマオの正体は、グイェンが幼い頃に離別した少女、リンシャがウーズとして生まれ変わった存在であった。

SSの内容を全体的に採用する。

前提となる情報――喬芽芽の活躍により、カルミア・チャムリーはジャニス・チャン一派と協力関係を結んだ。

  • 未命名の鞍馬山()()(死神1回戦SS)
SSの内容を全体的に採用する。
他のSSの内容と矛盾するように見えるが、問題はない。

前提となる情報――死神は、「きみ」が鞍馬山に「まだ決めません」という名を付ける場面に立ち会った。

SSの内容を全体的に採用する。
他のSSの内容と矛盾するように見えるが、問題はない。

前提となる情報――下山アンドロメダは鞍馬山にて死神を縛る黒もっこのルールを書き換え、自らの弟子とした。

SSの前半部分を採用する。
他のSSの内容と矛盾するように見えるが、問題はない。

前提となる情報――下山アンドロメダは天狗として、さまざまな人々の道案内をした。

本SSにおける文字の表記

キャラクター説明などで簡体字や旧字となっている中国語を、繁体字で表記する場合がある。

『穴倉から出てこい!魔幇の大鼠!』

暫定『上海覇者』劉炎嵐による突然の宣戦布告は、上海全土を大きく揺らした。
魔都上海の支配体制が確立した後、魔幇に公然と楯突く者など、ついぞ見たことがなかったからだ。
魔幇の首領に喧嘩を売った劉炎嵐に対する立場は、大きく二つに分かれた。

一つは、愚者を侮る者。
『上海覇者』の号を得る猛者であろうとも、魔幇に逆らえば命はない。
すぐさま潰され、一族郎党血祭りに上げられるはずだ。
なんと愚かなことをしたものだと、嗤い合った。
百年節(パーティー)を彩る良い余興になるだろう、と面白がる者さえいた。

もう一つは、ほのかな期待を寄せる者。
無理な所業に思えても、あの人ならやり遂げるかもしれない。
魔幇が統べるこの上海を、根底から変えてくれるかもしれない。
かつて劉炎嵐に救われた者、あるいは劉炎嵐に道を正された者は皆そう思った。
決して口には出さないが、怒れる善人『紅虎』の無事を祈った。

しかし、数はわずかだが、そのどちらにも属さない者たちがいた。
劉炎嵐の言葉に呼応して、自らも魔幇に立ち向かおうと決意した者たち。
あるいは劉炎嵐の動きを好機と見て、胸の炎を燃やす者たち。
その内の一つが『破幇同盟』、即ち『鋼鉄構架』張三と『飢鬼』林希美である。

「この劉炎嵐って人、本気で魔幇と戦う気だと思う?」

食堂のテレビに流れる炎嵐の宣戦布告を見て、林希美は張三に問いかけた。
魔幇を倒そうなどという馬鹿げた目標を掲げる者が、自分たち以外にもいるとは信じがたかったからである。

「まあ、やるだろうさ。いったん心に火がついたら、止まらない奴だからなあ」

「知り合いなんだ」

「腕利きの解決屋だよ。でかいトラブルに関われば、力を合わせることもある。怒りっぽいのが玉に瑕だが、善い奴さ」

張三はしみじみとそう話す。
林希美が思うに、張三はかなり顔が広い。
名うての解決屋であれば、知り合いであるのも不思議はない。
そう林希美が納得したとき、白い狐面を被った男が二人が座る卓へと近付いた。
男はそのまま、空いている椅子にどかりと腰を下ろす。

「久しいな、『鋼鉄構架』」

「拳狐か。言っておくが、何度誘われてもおまえさんとはもう()らないよ」

眼前の拳狐に、張三はそう言葉を返した。

「なに、己はようやく重い腰を上げたかと、おぬしの様子を見に来ただけよ。風の便りに、カリー・魔幣を倒したと聞いたのでな」

「……倒したさ。ついでに言えば、魔幇四天王、目艮竟も倒したところだ」

「ほう、奇遇だな。己も先日、魔幇四天王を名乗る殺手を始末したところよ」

そのやりとりに、林希美は驚きを隠せない。
今の言葉に嘘がないならば、拳狐は張三と同格の力量を持つことになる。
そして、隣の椅子に座る拳狐から放たれる圧は、その実力が本物であることを告げていた。
張三とどちらが強いかは見当もつかぬが、自分より遥かに強い武人であることは明らかだ。

「それにしても、随分と可愛らしい小鳥を連れている。上海に住まう強者の間では、子守が流行っているのか?」

拳狐はそう言いながら、傍らの林希美へ顔を向けた。
狐面の奥から、値踏みするような視線が刺してくる。
その鋭さに、林希美は一瞬気圧された。
しかし、すぐに意を決して宣言する。

「私は守られる小鳥なんかじゃない。『飢鬼』林希美。『鋼鉄構架』張三の同盟相手だ」

どれだけ力不足であろうとも、張三の同盟相手は自分ただ一人。
誰を前にしようとも、そこだけは譲れない。
相手の強さに臆するようでは、『破幇同盟』たる資格はないだろう。

「ふむ。気概は良し。まあ、それだけあれば後はどうにでもなろう」

張三の元にいるならなおさらだ、と拳狐は付け加えた。
その言葉からすると、力量が認められたとは言い難い。
だが、ひとまず同じ卓を囲むことは許されたように思える。
少なくとも、そのように林希美は感じ取った。

「それじゃあ、まあ呑むとしようや」

「良し。適当に頼むとしよう」

張三と拳狐は店員を呼び、追加の酒と肴を注文し始める。
二人の様子を見て、林希美は怪訝な表情を浮かべた。

「なんだ?」

林希美の表情を見て、張三が問う。

「あ、いや、魔幇と戦う作戦を話し合ったりするんじゃないの?」

林希美からすれば、当然の疑問である。
魔幇四天王をそれぞれ倒した猛者が二人。
張三と同様に、拳狐にも破幇の意志があると見て良いだろう。
それ故、劉炎嵐の宣戦布告を見て、如何に動くか相談すると思い込んでいたのだ。

「そいつは後回しだ。気の合う奴と卓を囲んで呑まず食わずってのは、酒と飯に失礼だからなぁ」

「然り。人生を楽しむには、まず休みが肝要よ。十分に羽を休めねば、如何なる鳥も天高く飛べはせぬ」

そう言い放つと、二人は何事もなかったかのように杯を交わし始める。
林希美が、達人とはこういうものなのかと頭に疑問符を浮かべながら宴に加わるまで、そう時間はかからなかった。

「くそっ!タオマオ、いったいどこに行っちまったんだ」

グイェンはタオマオの足取りを辿るため、上海中を駆け回っていた。
わずかな手がかりを頼りに、愛する少女を取り戻そうと奔走していた。
グイェンが今実行しているのは、地道な情報収集である。

まずは、ウーズの目撃情報。
いかに変わり者が多い上海とは言え、ゼリー状の生物が目撃されれば話題になるだろう。
もしタオマオが自らの能力を解除して逃げているなら、ウーズを見たという者が必ず現れるはずだ。
しかし、いくら情報を集めてもウーズを目撃したという話は出てこなかった。

次に、清王朝のダイヤの目撃情報。
タオマオの能力は、目撃者が真に欲しているものの姿となるものだ。
人によってその姿は異なるが、大半の者は巨万の富を得られる清王朝のダイヤと見るだろう。
しかし、こちらは目撃情報が多過ぎる。
ダイヤに関する噂は山ほどあり、タオマオであると特定するのは難しい。

「グイェンの兄貴!今、大丈夫ッスか?」

グイェンのスマホに、点心会のフーイェンから連絡が入る。
タオマオの正体を知ったグイェンは点心会のボスに事情を打ち明け、協力を仰いでいた。

「大丈夫だ。タオマオについて、何か分かったのか?」

「ダブル・ハピネス・キャンペーンってやつの新作動画がアップロードされたッスよ!」

タオマオを追うための有力な手がかり。
それが、双喜が開催しているダブル・ハピネス・キャンペーンである。
礼拝堂での戦いの後、グイェンはタオマオを連れて行った少女が、双喜という生き人形であることを改めて知った。
そして、その双喜はダブル・ハピネス・キャンペーンと銘打ち、上海中で強欲な人間を集めている。
もし双喜がタオマオの力を使って人を集めようとしているなら、そのキャンペーンを追うことで二人の行方を知ることができるはずだ。

「マジか!」

グイェンは、慌ててスマホを操作する。
フーイェンから送られてきたURLを経由して、双喜の新作動画へとアクセスした。



「魔都上海の皆様、ご機嫌よう!毎度おなじみ、ダブル・ハピネス・キャンペーンの双喜ですよ~!本日も素敵な情報を欲張りな皆様にお伝えしちゃいます!」

カメラの前で丸顔の犬系女子、双喜がくるくると楽しげに回る。

「ダイヤを持つ男の宣戦布告で、祭りも盛り上がってきましたね!でも、そのダイヤ、ほんとのほんとに清王朝のダイヤなんでしょ~か!」

双喜はビシッとカメラを指差し、動画の視聴者へと疑問を投げかけた。

「というのも私、清王朝のダイヤに関する有力情報を掴みました!……いえ、実は情報どころかダイヤそのものです!」

拳を握りしめ、何かを掴むようなジェスチャーをする双喜。

「じゃじゃ~ん!こちら清王朝のダイヤとなっております!どうです?この目を潰すほどの輝き!見惚れるほどの完全なフォルム!」

双喜は両手をひらひらと泳がせながら、困り顔のタオマオを画面の中へ呼び込んだ。
おそらく他の者からすれば、美しいダイヤを引き寄せたように見えるのだろう。

「このダイヤが本物なのかどうか!これはもう、自分の目で確かめるしかない!」

双喜は親指と人差し指で作った丸を目に当て、覗き込むような仕草をする。

「もしダイヤが偽物だったとしても!この私、清王朝のトレジャーボックスは紛れもなく本物!どちらに転んでも損はない!」

双喜はタオマオと肩を組み、リズミカルに身体を揺らす。
タオマオは困惑したまま、その動きに身を任せていた。

「急げっ!乗り遅れるな!両手で宝を掴むんだ!ダブル・ハピネス・キャンペーンだ!田子坊にて絶賛開催中!」

最後に地図の画像を表示して、動画は再生を終えた。



「田子坊……!」

田子坊、そこは上海を代表する観光スポット。
洒落たカフェや土産物屋が立ち並び、観光客も多く訪れる場所だ。
双喜の目的がより多くの人を集めることなら、納得の選択と言えるだろう。

「よし。俺は今から田子坊に向かう。また何か分かったら連絡してくれ」

「でも、グイェンの兄貴。あそこらへんは、百年節のセレモニー会場が近いから警備が厳しいんじゃ……?」

そんなフーイェンの声を聞くこともなく、グイェンは電話を切り、駆け出していた。
グイェンの胸にあるのは、タオマオへの想いただ一つ。
どんな障害があろうとも、今のグイェンを止めることはできまい。

よしやるぞ、とスパイクは下水道の中で気を引き締めた。

メーメーの復讐は、ダイヤを奪うことから魔幇(最近覚えた!)を倒すことに変わった。
最初の作戦は、ダイヤを奪って魔幇の邪魔をすること。
でも、テレビであの怒りっぽい赤シャツの男の話を聞いて、倒してやると決めたらしい。
それには僕も賛成だ。
宝物を盗むより、ガブッと噛みつく方がわかりやすいしね。

メーメーが牢屋に閉じ込められて、僕は改めてメーメーの大切さを知った。
友達の声が聞こえない時間が長く続くと、どうしても不安になってしまう。
思い出すのは、一人きりで過ごした苦しい日々。
でも、メーメーは無事戻ってきたから、もう大丈夫。

また倒せない敵が出てくるかもしれないと、ちょっと心配にはなる。
でもメーメーが一緒にいれば、きっと問題はない。
しっかり話し合って、お互いに無茶はしないと約束したからね。
僕たち二人の力を合わせれば、どんな敵にだって勝てるはずさ。

僕の名前はスパイク。
上海の地下深くに住んでいる、身体の大きな透明ワニ。
メーメーの親友で、メーメーと願いを叶える勇猛な牙。
たとえどんな敵が相手だろうと必ず噛み砕いて、メーメーの笑顔を取り戻してみせる。

そして、私の名前は下山アンドロメダ。
当年とって2136歳、ピチピチのアルクトゥールス星人さ。



「えっ?!誰?!」

スパイクは、突如脳内に響いた女の声に驚愕した。
明らかにメーメーのものではない、聞き覚えのない声。
《鱗語交流》による会話が共有であるとすれば、今響いた声は介入という感覚に近い。

『ああ、すまない。驚かせてしまったようだね。急な話で申し訳ないけど、今の時点でチャネルが合うのがキミだけだったからね。まあ、考えてもみたまえよ。アルクトゥールス星にあるハイパーグランドスラムの掟に従っていくつか文字を上げていくだけで、「ワニ」は「キミ」になるはずだ……ならないね、今の話は忘れておくれ』

スパイクは、脳内で響く声に困惑する。
謎の女が何を喋っているのかは、しっかり聞き取れた。
しかし、それが何を意味しているかは全然分からない。

チャネル?
アルクトゥールス星?
ハイパーグランドスラム?
いったい何のことだろう。

『上海蟹ランドでの激闘の後、ワニの師匠がいればなぁと考えていただろう?その願いに従って、参上したというわけさ。残念ながら私はもう弟子を取ってしまったから、非常勤講師ということになるけどね。本当は弟子を三人ほど取ってアニメ化を目指したいところなんだが、どうにも第五元素を見る才能に欠けているのさ』

どうやら声の主は、スパイクに何かを教えに来たらしい。

『すっかり混乱させてしまったようだね。色々と言ったが、覚えておいてほしいことは一つだけ。それさえ忘れなければ、この交信には意味がある。意味がなくても交信はするけどね。ついついSNSの投稿を見続けてしまうようなものだよ』

一拍置いて、はっきりとした声が届いた。

『白黒の女に出逢ったら、一緒に行動するといい』

劉炎嵐の事務所。
暖房を付けていないというのに、初冬の部屋の中は真夏を思わせる暑さとなっている。

「何でてめぇがここに来てんだよ、万事屋!俺が魔幇に喧嘩を売ったことは、もう知ってんだろうが!」

暑さの原因はもちろん事務所の主、『紅虎』劉炎嵐だ。
怒るほどに血液の温度を上げられる《THE・炎怒》を持つ男。
暫定『上海覇者』の号を得た者にして、魔幇に宣戦布告した猛者でもある。

「堅いこと言うなよ、ベニトラ。アタシも魔幇のボスに一発くれてやりたいからさー。ここにいれば、魔幇の奴らが勝手に寄ってくるだろ?」

炎嵐の前には白黒スーツの万事屋、白髪黒羽が座っている。
その後ろには、申し訳なさそうな顔で日ノ御子神楽が控えていた。

「何のために清王朝のダイヤを預けたと思ってんだ?!同じ場所にいたんじゃ、意味がねぇだろうが!」

屋台街での騒動に際して、炎嵐は黒羽に清王朝のダイヤを渡していた。
最初は黒羽の能力、《創造上の想像力》を使った入れ替わりの策のためでしかなかった。
しかし、魔幇の手にダイヤが渡ることを避けるため、炎嵐はそのまま黒羽にダイヤを預けることにしたのだ。

現時点でもっとも危惧すべき事態は、百年節が終わる前に清王朝のダイヤが魔幇の手の内へと戻ることである。
無論、炎嵐自体がダイヤを守り切るという選択肢はあるが、確実とは言い難い。
貴重なダイヤとは言え、そのありようは普通のダイヤと変わらないものだ。
もし魔幇に盗みの達人がいれば、簡単に奪われてしまう可能性もある。
ならば、炎嵐がダイヤを持つと思われているうちに、別の者に託した方が良いと考えたのだ。

《創造上の想像力》は対象に望んだイメージを付与し、対象を認識した相手にそのイメージを叩きつける能力。
清王朝のダイヤを別の物に見せかけるも良し。
認識した者に害を与えるイメージを付け、隠し持つも良し。
仮に黒羽が敗れたとしても、ダイヤを逃がせる余地がある。
それ故、炎嵐はダイヤを預けるという行動を選択した。

「あの……なんだかすみません」

おずおずと日ノ御子神楽が声を出した。
黒羽の行動が無茶苦茶であることは、神楽も理解している。
しかし、日本へ無事に帰るという目的のためには、多少無茶な道理でも黒羽に同行せざるを得ない。
《罰天令》という能力を持つとは言え、魔都上海でただ一人生き抜くには力が足りないからだ。
そんな苦しさが伝わるような声であった。

『神楽ちゃんは気にしなくていいよう。……万事屋さん、あんまりホェンちゃんを困らすとダイヤを持っているって噂を流しちゃうよ~』

PCのモニターを通して炎嵐の頼れる相棒、王双葉が声をかけた。

「えー?ベニトラがダイヤ持ちってことはもう知れ渡ってんだから、噂程度じゃどうにもなんねーだろ」

『いや~、この「電梟」を舐めてもらっちゃ困るねぇ。これでもホェンちゃんのために、色々と情報を操作してるんだよん』

双葉の言葉は、事実である。
ダイヤを持つ炎嵐への注目を和らげるため、双葉はさまざまな手を駆使してダイヤの噂を流していた。
例えば、拳狐が上海蟹ランドにてダイヤを奪ったという噂を流したのも、この双葉である。
上海トップクラスの情報処理能力をもってすれば、黒羽を追い詰めることも難しくあるまい。

「やー、そりゃ困るな。だからと言って、このまま帰宅ってのも格好つかねえし」

「なら、俺から万事屋に一つ依頼だ」

そう言うと炎嵐は、黒羽の元に折り畳まれた地図を放り投げた。
上海市内を網羅した地図である。

「ああん?何だコレ?」

『ダイヤ騒動が起きて以降の、人や物の流れから推測した魔幇の重要拠点。つまり、魔幇の本拠地候補だよ』

「喧嘩を売ったからと言って、魔幇の首領(ボス)がいきなり出てくるとは思えねえ。懲らしめてやるにも、まずは居場所を掴まなきゃな」

黒羽は地図を手に取り、目の前で広げた。
赤いペンで囲まれた丸が、いくつも地図の上に描かれている。
軽く数えただけでも、十箇所以上あることは間違いない。

「ええー、いくつあんだコレ?」

『これでも絞った方なんだよね。やっぱり、ネットからだと限界があるじゃん?』

魔幇の拠点ともなれば、容易に近付くことはできない。
少なくとも、ある程度の戦闘力を持つ人物が偵察に赴く必要がある。
かと言って炎嵐自身が動けば、騒動になることは避けられない。

『それに嘘か真か、清王朝のダイヤモンドは秘密を暴く龍の眼だ、なんて話もあるしねぇ。ダイヤを持っている人が適任だと思うよん』

「骨が折れそうだねえ、こりゃ。……で、報酬は?」

「清王朝のダイヤ。それなら文句はねえだろ」

炎嵐は、ダイヤに強い興味を持っているわけではない。
上海大賽へ出場した折、偶発的に手渡されたものだ。
魔都上海を生まれ変わらせるための必要経費と考えれば、失っても痛くはない。

「おっけー、受けたぜ。ついでにボスの野郎をブン殴ってやるか、かはは」

懐に地図を仕舞い、黒羽は立ち上がった。

「くれぐれも先走んなよ!本拠地を見つけたら必ず俺に連絡しろ!」

「あいあい、りょーかい。任せときなって」

手を振りながら、黒羽は事務所を出ていく。
炎嵐に丁寧な礼をして、神楽がその後に続いた。

「……あの」

事務所を出て、少しだけ時間が経った頃。
部屋の中と外の温度差に身を震わせる二人に、小さく声をかける者がいた。
美しい栗色の髪を持つ解決屋、死神である。

「や、死神じゃねーか。アンタもベニトラに手を貸しに来た感じかい?」

「……その、すみません。さっき、話が聞こえてしまって」

話というのは、魔幇の本拠地探しのことだろう。
死神は申し訳なさそうに身を縮めている。

「かはは、気にすんなって。そいつはベニトラの声がでかいのが悪い」

「……もし良かったら、一緒に行かせてもらえませんか?戦うのは得意じゃないですけど、力になりたいんです」

「ふーん。ま、屋台街で力を合わせた仲だ。止める理由もないわな」

こうして、黒羽・神楽・死神による魔幇の本拠地探しが始まった。

上海中心大厦(シャンハイ・スゴイタカイ・ビル)
上海一の高さを誇る高層ビルのVIPエリアでは、政治家や資産家をはじめとする世界中の要人たちが、百年節の最後を飾るセレモニーの開始を待ちわびていた。
注目は何と言っても、公の前に初めて姿を現す魔幇の首領。
魔幇の首領たる証として、清王朝のダイヤを掲げる予定と伝えられている。

要人が集っているのは、何もVIPエリアばかりではない。
下層のスペースにも幾つものエリアが設けられ、セレモニーの開始を待ちながら交流を深めている。
首領に直接会うことは叶わないものの、モニターを通じてその姿を確認できる仕組みだ。
さらにセレモニーの様子は、上海全土にテレビ中継されることとなっている。

これが意味するところは、秘密主義を貫いてきた魔幇がついに表舞台に立つということだ。
上海に多大な影響力を持ちながらも、公に名を出すことは憚られる闇の組織。
その魔幇が公然と身を晒すという事実に、要人たちは興奮を隠せない。
とてつもないビジネスチャンスが訪れることを意味するからだ。

しかし、別の意味で注目を集めていることもある。
それは暫定『上海覇者』による、魔幇への宣戦布告。
その内容が真実であれば、魔幇の首領の証たる清王朝のダイヤモンドは彼の手中にあるということになる。
組織の沽券に関わる事態に魔幇がどう対応するのか、お手並み拝見という視線を向ける者もいた。

「たいへんお待たせいたしました。これより百年節を記念したセレモニーを開催させていただきます」

司会者の宣言に対して、要人たちが拍手を送る。

「ではまず、魔幇を長く支えてきた大幹部、(チー)(ヤー)(ウェン)から始まりの挨拶をいただきましょう」

その言葉と共にVIPエリアは暗転し、ステージに光が照らされる。
ステージの袖から光の中に、一人の男が歩みを進めた。
それはどこか古代樹に似た重厚な雰囲気を纏った男。
漂う風格は幹部としての年季を感じさせるが、垣間見える肉体の瑞々しさは若人のようにも思える。

「皆様、初めまして!百年にわたる魔幇の歴史を讃える祭典にようこそ!我々は、皆様を歓迎いたします!」

七鴉翁は芝居がかった口調で、聴衆に挨拶をした。
口調だけではない。
表情も、仕草も、どこか芝居めいたものを感じさせる。
それでいて、不快感を覚えることのない見事な挨拶。
よくできた演劇を見ているかのように、要人たちは七鴉翁の言葉に魅入られた。

「しかし、一つ残念なお知らせがございます。本日、登壇を予定しておりました我らの首領は、とある事情により姿を見せることが叶いません」

要人たちが、ざわつき始める。
このセレモニーにおいて最も重要な事柄である、魔幇の首領。
その首領が姿を現さないとはどういうことなのか。
清王朝のダイヤを奪われたのは、やはり本当のことだったのかと小声で漏らす者もいる。

しかし、反応はそれだけではない。
首領の不在を魔幇の凋落と見て、野心に胸躍らせる者もいた。
機をうかがって上手く動けば、魔幇の地位に自分が座ることもできるのではないか。
そう考える者さえいた。

「嗚呼、皆様のご落胆はごもっとも。しかし、案ずる必要はございません。何故なら今日このときより、貴方がたは魔幇の忠実な(かぞく)となるのですから」

「《七つの仔》の弐、《龍飛九天:雲従其志》。さあ、何も恐れることはありません」

そう言葉を紡ぎながら、七鴉翁は自らの能力《七つの仔》を発動した。
七鴉翁の影から漆黒の烏が産まれ、宙に舞う。
《七つの仔》の効果は、魔幇の構成員として生きる者と魔人としての認識を共有し、その特殊能力を七つまで使用できるというものだ。
特殊能力を七つ指定した後は一()()切り替えられない制約があるものの、一人で七人の魔人と等しい力を操れる恐るべき模倣能力である。

七鴉翁はこの力を用いて、魔幇の首領である五爪の翁の《龍飛九天:雲従其志》を使用した。
《龍飛九天:雲従其志》は、使用者の声を聞いた者に心の底からの忠誠を誓わせる支配能力。
使用者より一定以上弱いことが条件となるが、VIPエリアにいる要人たちの強さは七鴉翁の足元にも及ばない。
それ故、七鴉翁の声を聞いた要人たちは皆、魔幇に頭を垂れた。

さらに《龍飛九天:雲従其志》は、上海中心大厦内のモニター、そしてテレビ放送を通じて上海全土に伝わった。
肉声ではないがため、その効果は減じられる。
声を聞いたからと言って、心からの忠誠を誓うようなことはない。
しかし、その心中は魔幇の側に大きく傾けられる。
魔幇への敵対心を持つ者、あるいは強い精神力を持つ者でなければ、どこか魔幇の味方をしたい気持ちになってしまうだろう。

だが、上海中心大厦にいる全員が《龍飛九天:雲従其志》に屈したというわけではない。
セレモニーに参加した要人を守る護衛たち。
戦闘者として屈指の実力を持つ彼らは、隷属の誘惑に負けることはない。
様子のおかしい要人たちを見て、七鴉翁に敵意を向け始める。

「《七つの仔》の壱、《蟲》」

七鴉翁はこれを見て、《蟲》を使用した。
いや、以前より発動していたと言うのが正しかろう。
七鴉翁の影から巨大な鴉が飛び出し、空中に羽ばたいた。
《蟲》は体内でさまざまな効能を持つ蟲を飼い、使役する能力である。
能力名の宣言と共に、七鴉翁の身体から蟲が這い出て、要人の護衛たちの元へと向かった。
七鴉翁が長き時をかけて、蟲に与えた効能は三つ。

一つ、寄生。
通常であれば、蟲は手術をもって魔幇の飼い犬に埋め込むもの。
しかし、此度の蟲は自ら強者を探し、体内へと侵入する。
一度侵入を許せばもはや抗う術はなく、《蟲》の使用者を倒すほかはない。

二つ、増殖。
寄生した相手の欲望を餌として、自らと同じ特性を持つ蟲を産む力。
《蟲》の使用者が新たに蟲を育てなくとも、蟲は次々数を増やしていく。
その増殖スピードは、通常の蟲のそれを遥かに凌駕する。

三つ、隷属。
欲望を喰らった相手の意思を奪い、魔幇の傀儡とする力。
優れた技量を持つ武人であっても、ひとたび欲望を失えば魔幇の思うがままだ。
知性は大きく劣化するが、代わりに蟲が肉体の損傷を補完する。

護衛のうちの一人が油断から寄生を許し、傀儡として他の護衛に襲い掛かった。
動き出した増殖のサイクルは、加速度的に状況を悪化させる。
かくして上海中心大厦は、魔幇が統べる地獄と化した。

「何なの、この虫は。全然かわいくないわ」

踏み潰した蟲の殻を、ブーツの厚い靴底から取り除いた喬芽芽はうんざりした顔でつぶやいた。
砕けた殻の間からは、青緑色の血が染み出している。

「ひどい目に遭いましたわね。改めて、貴女を雇って良かったと思いましたわ」

芽芽の様子を見ながら、カルミア・チャムリーはそう言葉をかけた。

「当たり前じゃない。かわいいは最強なのよ」

カルミアは芽芽を伴って、百年節のセレモニーに参加していた。
十日間奔走してダイヤの行方を求めたものの、手に入ったのは断片的な情報ばかり。
そのため、取引材料不足でVIPエリアに入ることは叶わず、他のエリアで機をうかがっていた。

今回は、それが幸いしたと言えるだろう。
モニター越しの《龍飛九天:雲従其志》であったがために、カルミアは気高き野心をもって忠誠の誘惑をはねのけた。
類稀な強さ、いや可愛さを持つ喬芽芽も当然効果を受けることはない。
混乱する会場の中、二人は何とか上海中心大厦の外へと抜け出したのだった。

「それでこれからどうするの?この調子じゃ、魔幇との取引なんて止めておいた方が良いと思うけど」

「そうですわね。ここは、逃げの一手。ジャニスたちに連絡を取りましょう」

VIPエリアに入れなかったとは言え、カルミアたちは賓客のリストに名を連ねている。
優先度は低いだろうが、追手がかかる可能性はある。
また、これから上海に起こる混乱を考えれば、戦力を確保しておくに越したことはない。

「それじゃ、貧民街に向かうのね。……!」

突然目の前に飛び出してきた影に、芽芽は咄嗟に警戒態勢を取る。
敵を迎撃する構えだが、その姿はどこか可愛らしい。

「……ってグイェンじゃない」

「芽芽とカルミアさんか」

芽芽の前に現れた影の正体は、グイェンであった。
田子坊と上海中心大厦は、近い位置にある。
タオマオを追うグイェンは、最短ルートとして上海中心大厦近辺を選んでいた。

「ねえ、グイェン。私たち、今ちょっと困ってるの。助けてくれないかしら♡」

芽芽は上目遣いでグイェンを見つめながら、甘い声でお願いした。
先日のアマゾンでの戦いで、グイェンの粘り強さは理解している。
もし同行してくれるなら、心強い味方になってくれるはずだ。
タオマオの姿が見えない今、自分の可愛さを見せれば願いを聞いてもらえる。
芽芽はそう確信していた。

「悪い。今の俺は、他人に構っているわけにはいかねぇんだ。タオマオを追わないと」

しかし、グイェンの返答はそっけないものだった。
自分の可愛さが通用しないことに愕然としながらも、芽芽は一つの結論に至る。

(さすが理想の私……この短期間でさらにかわいさを磨いたようね……)

自分は可愛い。
間違いなく可愛い。
であるにもかかわらず、グイェンの反応は芳しくない。
ならば理想の自分の姿を持つ、タオマオがさらに可愛さを増したのだろうと理解した。

「詳しい事情を教えていただけます?」

横からカルミアが、口を挟む。
カルミアにとっても、グイェンは貴重な戦力だ。
さらに魔幇の下部組織に属するにもかかわらず、七鴉翁の影響を受けている様子がない。
交渉の余地があるなら、何のために動いているのか聞いておいて損はないだろう。

「詳しく話している余裕はねぇんだ。早く田子坊に向かわないと」

グイェンの言葉からは焦りが感じられた。
双喜がダブル・ハピネス・キャンペーンを開催している場所は明らかだが、いつまでもそこにタオマオがいるとは限らない。
さらに大半の人間がタオマオを清王朝のダイヤと捉える以上、危険に晒される可能性も高いだろう。
一刻も早く辿り着かなければならないという気持ちが、グイェンの心を支配していた。

「田子坊ね。それなら、私たちもついていくわよ。カルミア、いいわよね?」

芽芽はグイェンに同行の意志を示しながら、カルミアに確認を取る。

「構いませんわ」

カルミアは、即座に承諾した。
グイェンもそうだが、タオマオの能力も事態を打開するための重要な要素となりうる。
ここから状況がどう変わるか分からない以上、手札は増やしておいた方が良い。
英国企業CEOとしての勘が、グイェンに同行すべきと告げていた。

「ついてくるのは勝手だが、俺はタオマオ優先だからな!」

きっぱりと言い切りながら、グイェンは田子坊に向けて走り出す。
芽芽とカルミアは互いに目を見合わせた後、グイェンを追った。

「ふう」

鉄棍を手にした林希美は、静かに息を吐いた。
足元には気を失ったチャイニーズマフィアたちが横たわっている。

「よくやった」

張三が、林希美に声をかける。
総白髪の達人は汗一つかいてはいない。
魔幇の刺客と思しき殺手を複数相手取っていたにもかかわらずだ。

「しっかし、七鴉の野郎。とことん無茶をやりやがる」

呆れと怒りが入り混じった表情で、張三はつぶやいた。
『破幇同盟』の当初の計画は、百年節のセレモニー会場に奇襲を仕掛けるというもの。
刺客や警護と遭遇することは想定していたが、激突の頻度は予想と大きく異なっていた。

原因は、テレビに流れる指名手配リスト。
セレモニー会場からの中継の後、テレビには魔幇に敵対する者の顔が、賞金額と共に次々と映し出されていた。
繁華街のビルに掛けられた街頭モニターにも、その映像は流れている。
ダイヤ所持者の劉炎嵐を筆頭に、さまざまな顔ぶれが並ぶ。
張三と林希美もまた、魔幇の裏切り者として討伐の対象となっていた。

「これなら、拳狐も誘っておいた方が良かったんじゃないの?」

食堂における宴の中で、拳狐は魔幇に敵対する意志をはっきり示した。
百年節のセレモニーに登場する予定の首領と、単独で相対する覚悟さえ見せるほどだ。
それにもかかわらず、張三は拳狐を誘うことをしなかった。

「あいつは自由奔放な狐だよ。たとえ鉄の檻に入れても、するりと抜けるに違いない」

張三の言葉には、どこか諦めのようなものが感じられた。
食堂での最初のやりとりが思い出される。
あのやりとりからすると、勝負を挑んでくる拳狐に手を焼いていたというところだろうか。

「まあ、本当に必要なときには現れるさ。でなきゃ、わざわざ会いに来たりしないだろう」

「そっか。……このまま真っ直ぐ上海中心大厦に向かうんでしょ?」

七鴉翁。
魔幇の大幹部にして、張三の因縁の相手。
その首を狙うなら、一刻も早くセレモニー会場へ向かいたいところだ。
さらに多くの敵と戦うことになろうとも、最短ルートを通るべきだろう。

「おう。俺はな」

俺はな?
張三の返答は、林希美の想定と違っていた。
その答えはまるで、張三一人で七鴉翁の元へ向かうようではないか。

「どういう意味?」

「そのまんまの意味だよ。ここからは別行動だな」

張三の言葉に、林希美は憤りを覚えた。
張三の実力と比べて、自分が力不足なのは重々承知している。
だが、自分たちは『破幇同盟』ではなかったのか。
最後まで共に戦うのではなかったのか、と。

「……張三、死ぬ気?」

林希美は張三の瞳に宿る炎に気付き、そう問いかけた。
荒々しく燃え盛る炎ではない。
焚火の最後、わずかに揺らめく残り火。
そのような雰囲気を、張三の眼は漂わせていた。

「勘違いだよ、相棒。俺には俺の、おまえさんにはおまえさんの役割があるってだけさ」

そう言うと、張三は一枚の紙を林希美に手渡す。
紙には細かな地図が記され、加えて一つの名前が書かれていた。

「けりをつけてきな。その結果が、『破幇』の行く末を決めるんだ」

紙に記された名前を見て、林希美は目を見開いた。
グレゴール・スムーレンバーグ。
魔幇構成員を縛る処刑装置、蟲を飼いならす幹部。
七鴉翁が使った《蟲》の本来の使い手。
林希美に蟲を植え付けた男。

「本当は後で倒しに行くつもりだったんだがな。七鴉の野郎が《蟲》を使ったからには、そいつを討たなきゃ始まらねえ。頼んだぞ、相棒」

「……うん。張三も」

林希美から迷いが消える。
強い決意が、ダイヤのように煌めいた。

上海小鉄路。
自動運転で上海市内を巡る、二両編成の路面電車。
運行速度は遅く、車内が揺れることもない。
その客席に今座るのは、拳狐ただ一人。

「……」

電車が、上海中心大厦手前の駅で止まる。
ゆっくりと開くドアから、車内に足を踏み入れる者がいた。
その者はフード付きのローブを羽織り、仮面が顔全体を覆っている。
手にしているのは、六面のうち五面が黒く塗られた正六面体の箱だ。

「待ちくたびれたぞ。時間稼ぎの姑息な手ではないかと思い始めていたところだ」

拳狐は客席から立ち上がり、新たな乗客の方を向く。

「あれ~。出会い頭に一発仕掛けてくると思ってたんだけどな~」

機械的な声が、車内に響いた。
音の具合から判断するに、変声機を介して発声しているらしい。

「見え見えの罠を仕掛けておいて、よく言ったものよ。魔幇の飼い犬は、それぐらいのことも分からぬか」

上海小鉄路は、観光用に運行されている路面電車である。
溢れんばかりの観光客を乗せているはずの電車が無人のまま、拳狐の立つ駅に止まった。
偶然に起こりようのない事態。
交通機関を操れるほどの影響力の大きさ。
魔幇の仕掛けた罠であることは、明白であった。

「いや~。案外その一撃で勝負が決まっていたかもしれませんよ~?」

「その程度の相手であれば、奇襲を仕掛ける必要もなし。いずれにしても同じことよ」

「あはは~。それもそうか~」

そう笑うと、仮面の男は片手に持った黒い箱の開け口に、もう一方の手を突っ込んだ。

「魔幇四天王、(イン)()。貴方のお命を頂きに参りました~。さあて、ブラックボックスの中身はなんだろな?」

仮面の男は、黒い箱の中から柳葉刀を取り出す。
しかし、おかしい。
柳葉刀の長さは、黒い箱の大きさを明らかに超えている。
もしここが劇場のステージであったなら、見事な手品と称える者もいただろう。

これこそ隠匿の特殊能力《ブラックボックスの中身はなんだろな?》である。
箱の中に容量を無視して物を格納し、自由に出し入れできる能力。
箱の開け口を通して無理なく出し入れできるものに限られるが、あらゆる物体を自在に持ち運ぶことが可能だ。
片手で持てる程度の大きさしかない箱も、隠匿にかかれば無限の広さを持つ武器庫となる。

「ほう。先日の歌い手と言い、魔幇四天王とは芸人の集団か?芸を披露したいなら、休日の公園にでも行くが良かろう」

「あ~。やはり陽さんを倒したのは貴方でしたか~。いや~、惜しい人を亡くしましたねぇ……」

隠匿は、黒い箱を左手一本で器用に回転させる。

「物事を隠すことに理解のある方だったんですけどね~。口数の少なさも好印象でしたし~」

「その割におぬしはよく喋る。隠すことが大事なら、少しは口を噤んではどうだ」

「いえいえ~。これから殺す方が相手なら、いくら話しても後で隠せますから~」

黒い箱の開け口が、拳狐のいる方を向いた。
突然開け口から数本の短刀が現れ、投擲したかのように拳狐へと飛んでいく。

《ブラックボックスの中身はなんだろな?》は、物を出し入れする能力である。
箱に格納した物体を取り出すにあたって、必ずしも手を入れる必要はない。
ある程度の加速を付けて、箱から飛び出すようにすることも可能だ。
開け口を敵に向けた状態で武器を取り出せば、射出したかのように扱うこともできるのだ。

しかし、拳狐は飛来する短刀を事も無げに叩き落とした。
左手にはいつの間にやら鉄製のトンファーが握られている。
投擲のモーションなしに発射されたとは言え、短刀の速度は目で追えぬほどではない。
拳狐にとってそれらを一つずつ認識し、トンファーで弾くことは容易い作業だ。

「なかなかやりますね~」

隠匿は短刀を射出すると同時に距離を詰めていた。
右手に握った柳葉刀が、拳狐を襲う。

「ふっ」

拳狐は隠匿の一撃を左肩で受けた。
纏うコートが防刃の機能を持つ故に、柳葉刀の切れ味は殺される。
しかし、斬られることがなくなろうとも脅威が去ることはない。
柳葉刀の材質は鋼鉄。
勢いを付けて振るわれた刃は、力任せに叩き付ける鈍器と同義だ。

が、拳狐に焦る様子はない。
拳狐の肩は柳葉刀の動きに合わせて沈んでいく。
膝を対象とした《為逸速的一息》。
柳葉刀の速度に合わせてしゃがむことで、拳狐は攻撃の勢いを減じた。
そして、そのまま緻密な動きで刃を横に流す。
もしスロー映像で見たならば、鎖骨と上腕で刀を受け流したように見えるだろう。

「はっ」

しゃがんだ状態から、拳狐は隠匿の急所に向けて右の拳を振るう。
能力で加速してはいないが、狙いは万全。
命中すれば、一気に勝負を決めうる攻撃である。

しかし、拳狐の攻撃が隠匿に当たることはなかった。
見よ、拳狐の右手は黒い箱の開け口に吸い込まれている。
隠匿は体勢を崩しながらも《ブラックボックスの中身はなんだろな?》で、拳狐の右手をまるごと格納していた。

「むう」

「このまま切断できたら便利なんですけどね~」

《ブラックボックスの中身はなんだろな?》は、肉体を部位ごとに切り離すようなことはできない。
可能なのは、開け口を通る範囲で無限容量の空間に収めるのみ。
だが、それだけでも敵の攻撃を防ぐには十分だ。
もっとも、相手の行動を予測する戦術眼と、開け口を攻撃に合わせるための体術は必要だが。

隠匿は柳葉刀を捨てて体勢を取り戻し、拳狐に蹴りを入れる。
拳狐はそのまま蹴りを喰らうものの、右手の自由は取り戻した。
両者の間に再び距離が生まれ、黒い箱の開け口が拳狐を狙う。

「それじゃお次は、我慢比べといきましょうか~」

黒い箱の開け口から、再び短刀が射出される。
しかし、先ほどよりも射出される本数は多く、攻撃が途切れることもない。
拳狐は当然トンファーで弾くも、反撃に移るタイミングはない。
《為逸速的一息》で距離を縮めようにも、短刀の雨の中を加速するのは自殺行為だ。

「どうです~?貴方も武器を隠し持っているようですけど、数では勝てませんよね~?」

「然り」

拳狐は左手のトンファーで短刀を叩き落としながら、右手に鞭を握った。

「されど、おぬしが武器をくれたのでな」

拳狐は鞭を振るい、床に落ちた短刀を弾いた。
《為逸速的一息》で速められる対象は、拳狐が直接触れている物のみではない。
鞭をもって動かせるなら、それは加速の対象となりうる。
十分に床で静止していた短刀は、隠匿に向けて高速で飛んでいく。

「なっ……」

隠匿は咄嗟に黒い箱の開け口で短刀を受けた。
加速した短刀は勢いもそのままに、箱の中へと格納される。
しかし、拳狐の攻撃は終わらない。
隠匿がこれまで射出した短刀が、そのまま拳狐の武器として射出される。
次々と飛来する刃に、隠匿は《ブラックボックスの中身はなんだろな?》を防御に回さざるを得ない。

その隙に、拳狐は距離を詰めていた。
隠匿が柳葉刀を持って襲い掛かった先ほどとは逆の形。
拳狐の左拳が、隠匿目がけて放たれる。
無論、隠匿は黒い箱の開け口を向けて防御を試みた。

だが、これは拳狐のフェイント。
もっとも蹴りやすい位置に黒い箱を誘導するための虚の拳だ。
はたと左手の動きを止め、拳狐は眼前の箱を素早く蹴り上げた。
箱は宙に浮き、隠匿は守りの手段を失う。

拳狐の拳が、隠匿の顔面に叩き込まれる。
《為逸速的一息》を用いていない、実に普通の拳打。
加速してはいないが、敵を屠るに十分な実の拳。
隠匿の身体は縦に回転し、自動運転室の扉に叩きつけられた。

「蹴りは悪くなかったが、他がお粗末ではどうしようもあるまい。数多の矢を放つなら、次の攻め手も考えておけ」

駅への到着を知らせるベルが鳴る。
ゆっくりと開いたドアから、拳狐は悠々と電車の外へ出た。

劉炎嵐は、怒っていた。
テレビの画面に映し出された、七鴉翁の所業に怒っていた。
上海に住む人々の自由な心を奪わんとする、魔幇の悪行に激怒していた。

それ故、炎嵐が上海中心大厦へ向かうことには何の不思議もなかった。

しかし、魔幇が黙ってその歩みを認めるはずもない。
魔幇の指令を受けたチャイニーズマフィアが、炎嵐に襲い掛かった。
指名手配リストを見たチンピラが、炎嵐に襲い掛かった。
心を魔幇に傾けたアウトローが、炎嵐に襲い掛かった。
紅き虎はその全てを、留められぬ怒りのもとに殴り飛ばした。

無論、討伐優先度第一位の炎嵐に伸びる魔の手が、それだけであろうはずもない。
魔幇直属の刺客が幾人も、炎嵐に差し向けられた。
恐るべき特殊能力を持つ魔人が、敵として立ちはだかった。

例えば、剛と柔を操る巨漢がいた。
コンクリートの弾丸と、凝固する奔流が炎嵐を襲った。
だが、コンクリートは熱により強度を失う。
炎嵐の怒りが発する輻射熱で、敵の戦意はひび割れた。

例えば、天地を逆さまにしても言葉を違えぬオカマがいた。
巧妙に繰り出される文芸の技が、炎嵐を翻弄した。
だが、怒れる炎嵐は上から攻めても下から攻めても常に熱(つねにねつ)
喉を灼く熱さの中では、いかなる言霊を紡ぐことも叶わない。

例えば、二次元を我が物とするボディペインターがいた。
素肌に纏った塗料の嘘が、瞬く間に現実を塗り替えた。
だが、塗料にも耐えられぬ熱というものはある。
文字通り丸裸となった男を、守る道具などありはしない。

嗚呼、幾つもの激闘を終えた炎嵐は傷付き、倒れる寸前か?

否。
断じて否。
戦いの中で温度を増す沸血は、炎嵐の肉体を強引に駆動させる。
灼熱の炎が傷を焼き、炎嵐より流れ出るはずの血を止める。

漆黒の鴉を燃やし尽くすべく、紅き虎は上海中心大厦へと足を踏み入れた。

「いた!タオマオだ!」

カフェが立ち並ぶ田子坊の小路。
グイェンは、その通りの奥にタオマオの姿を見つけた。
傍らには双喜の姿もあるが、その様子は明らかに弱々しい。
足元が定まらない双喜を、タオマオが支えている格好だ。

「あったぞ!清王朝のダイヤだ!」

「噂の人造魔人もいやがるぜ!」

小路の向こう側から、チャイニーズマフィアと思しき一団が駆けてくる。
手にはナイフや拳銃といった武器の類。
ダイヤに見えるタオマオを我が物にするため、複数の集団が争っている気配が感じられる。
グイェンは《玄武印》を自身に押印すると、考えなしにタオマオを庇う位置へと飛び込んだ。

「タオマオ!無事か?!」

「グイェン?!どうして?!」

突然現れたグイェンの姿に、タオマオは困惑する。

「約束しただろう!最後まで護り抜いてやるって!」

「……ッ!」

タオマオは思わずグイェンに返答しかける。
が、ぐっと言葉を飲み込んだ。

「おぉー。頼れる助っ人の登場ですね。ぷり~ずへるぷみ~」

双喜はたどたどしい口調で、そう言った。
しおしおとした様は、まるで船酔いでもしたかのようだ。

「おい、タオマオを連れ去っておいて何だよそのざまは?!」

「面目ない~。いやぁ、ここらの皆様の欲望が変な風になりましてね……」

双喜は《欲心流路》によって、人の欲望からエネルギーを得ている人造魔人だ。
上海がダイヤ争奪戦に沸いた故に動き出し、活発に強欲な人間を呼び集めている。
しかし、七鴉翁の《龍飛九天:雲従其志》によって、現在上海の人々の心は大きく歪められている。
魔幇の側に傾いた人々の欲望は汚染された不純物であり、双喜にとっては悪酔いを起こす代物だ。
さらには、蟲によって欲望を喰われた強者たちの意識まで流入し始めている。

「なんてこった!とりあえずあいつらを片付けるぜ、芽芽!」

「タオマオ優先って言う割に、しっかり頼ってくるのね。ま、私のかわいさを考えれば当然だけど」

あくまでも可愛さを崩すことなく、喬芽芽はグイェンの脇に立った。
拳を構える動きも、どこか可愛さを漂わせている。

グイェンは《玄武印》を頼りに、チャイニーズマフィアたちへと向かっていく。
マフィアの一人が撃った弾丸が、グイェンの肩に命中した。
しかし、命中した箇所に傷はなく、グイェンの勢いが衰えることもない。
《玄武印》は押印した対象をあらゆる攻撃から守る特殊能力。
拳銃の弾丸であっても、10発程度なら耐えきれる計算だ。

「おらあぁぁ!」

グイェンは右の拳でマフィアをぶん殴り、後続の敵に拳銃を向ける。
NZ75の銃口が火を噴き、次々とマフィアが倒れ伏した。

「まったくかわいくない連中ね。私のかわいさの前に跪きなさい」

芽芽もまた、チャイニーズマフィアたちの元へと飛び込んでいく。
ナイフの鋭い刃も、ピストルから放たれる銃弾も、芽芽を傷付けることはない。
これぞ芽芽が誇る《可愛くてごめん》の真骨頂。
芽芽が可愛いと認めた存在以外からのダメージを問答無用で無効化する、驚嘆の防御能力。
もちろん、可愛い女性を襲うマフィアのことを芽芽が可愛いと認めるはずもない。

芽芽は四方八方から迫る敵を、たおやかに捌いていく。
その可愛い動きは、どの角度から撮影しても美しいポーズになるほどだ。
一人、また一人とマフィアは地面に叩き付けられ、気を失っていく。
グイェンの攻めと合わせて、瞬く間に襲撃者は全滅した。

「ふふん、大したことないわね」

「ひとまず安全は確保できたか……?」

荒い息を吐きながら、グイェンはタオマオの方を振り返る。
そこには、グイェンが護身用にと手渡した拳銃を構えるタオマオがいた。

「タオマオ……?」

「来ないでグイェン……私は貴方の側にいることはできないの……」

銃口を向けるタオマオの姿に、グイェンは一瞬躊躇する。
《玄武印》は、いまだ有効だ。
銃弾を気にすることなく、タオマオに近付くことはできる。
しかし、自暴自棄になっているタオマオを力ずくで止めれば、怪我をさせることにならないか。
グイェンの中で、必ずタオマオを取り戻すという気持ちと、タオマオにもう傷付いてほしくないという気持ちが激しくぶつかっていた。

「見ていられないわね。ここは私の出番かしら」

足を止めるグイェンを尻目に、芽芽はタオマオへと近付いていく。

「芽芽!貴女、彼女が理想の自分に見えているのではなくって?!」

芽芽の動きに、カルミアが驚きの声を上げる。
驚いているのは、グイェンとタオマオも同じだ。
タオマオの《閃耀的鑽石鏡》は、自らの姿を相手が真に欲しているものに見せる擬態能力。
そして、芽芽にとって真に欲しているものとは、究極の可愛さを備えた理想の自分。
この事実は、カルミアだけでなくグイェンやタオマオも承知している。

もし今も芽芽の目に映るタオマオの姿が理想の芽芽であるとすれば、《可愛くてごめん》でダメージを打ち消すことはできない。
タオマオが拳銃の引き金を引けば、弾丸が芽芽の身体を貫くことになるはずだ。
自らの死をも恐れぬ蛮行に、カルミアが声を上げたのも不思議ではないだろう。

「ええ、そこにいるのは理想の自分よ。それがどうしたって言うの?世界一かわいい私が、誰かを恐れることなんてないわ」

自信満々に答えると、芽芽は一歩ずつタオマオに近付いていく。
その足取りはどこまでも可憐だ。

畏れから引き金を引いてしまったのか、それとも震える指が偶然トリガーに当たったのか。
それは誰にもわからない。
タオマオの持つNP34から、9mmパラベラム弾が芽芽へと襲い掛かった。
しかし、その弾丸が芽芽を傷付けることはなく、単に地面へと落ちていく。

「やっぱりね。そんな銃で私が傷付くわけないのよ」

当然といった体で、芽芽は得意げな表情を見せる。

「どうして……」

「答えは単純よ。自分を見失っている人間が、かわいいわけないじゃない。どれだけ見た目が良くっても無駄よ」

可愛いとは何か。
ルックスの良さ、もちろんそれも重要な要素だろう。
だが可愛さとは、それだけにあらず。
声色、仕草、そして生き様。
自棄になっている迷い子を、芽芽が可愛いと思うことは決してない。

「……特に自分の愛から目を逸らしている人間はね」

『可愛さ』という単語を見てみるがいい。
三分の一は、『愛』でできている。
芽芽はタオマオに接近し、むんずと拳銃を奪い取った。

「かわいい美少女になりたいなら、素直に愛していると叫びなさい!自分の気持ちをごまかしていたら、いつまで経っても私の域には到達できないわ」

「……」

芽芽の言葉を聞いて、タオマオは静かに《閃耀的鑽石鏡》を解除した。
丸みを帯びた青いゼリー状の肉体が、露になる。

「貴方なんかに私の気持ちは分からない!こんな姿でどんな愛を叫べって言うの!ダイヤを手に入れて、人間の姿を取り戻さなきゃ、グイェンを愛する資格なんてない!」

「資格なんて要らない!タオマオ、俺はお前のことが大好きだ!ずっと俺のそばにいてくれ!ただそれだけでいい!」

タオマオの絶叫に、グイェンが心からの叫びで応えた。
グイェンの奥底から出た声は、発した言葉に嘘がないことを告げている。

「私も大好きだよ!一緒にいたいよ!でも……でもっ……!」

タオマオの揺れ動く心に合わせて、ゼリー状の肉体が震える。
乱雑に動く軟らかな流体が、少しばかり乱暴に芽芽の身体へと触れた。
その瞬間である。

「グワーッ!」

とてつもない声と共に、芽芽が吹き飛んだ。
そのままカフェの看板に突っ込んだ芽芽は、明らかに苦痛の表情を浮かべている。

「え……なんで……」

芽芽にタオマオの攻撃が通用した。
それは《可愛くてごめん》が発動しなかったことを意味する。
つまりたった今、芽芽はタオマオを可愛いと認めたということになる。

「……当たり前じゃない。恋する女の子は誰だってかわいいのよ」

苦しそうに呼吸しながらも、芽芽はタオマオにそう告げる。

「もし私が貴方と同じ姿になったとしても……私は自分のことをかわいいと言い続けるわ。だって、私は世界一かわいいんだもの」

論理がまるで成り立っていない滅茶苦茶な台詞。
しかし、その台詞はどうしてかタオマオの心を強く動かした。

「グイェン……本当にこんな私で良いの……?」

「もちろんだ!俺の元に来い!タオマオ!」

グイェンの言葉を聞いて、タオマオは足早に駆けていく。
ゼリー状の身体故、駆けていくという表現がふさわしいかは分からぬが、そんなことはどうでも良いだろう。
いつまでも一緒にいたい。
その想いをぶつけるようにタオマオはグイェンの胸に飛び込んでいく。
グイェンとタオマオは、熱い抱擁を交わした。

「芽芽」

壊れたカフェの看板の上で寝転がっている芽芽に、カルミアが声をかける。

「ん?」

「貴女、さっきわざと吹き飛んだのではなくって?」

「さあ、どうかしら?」

芽芽は、グイェンとタオマオの抱擁を見ながら軽く笑みを浮かべた。
その笑顔は間違いなく、この十日間で最もかわいいものだった。

十一

「ここも外れだ。ツイてねえなー、本拠地探す前にお祓い受けた方が良いかねえ?」

白髪黒羽・日ノ御子神楽・死神による、魔幇の本拠地探しは難航していた。
原因は、兎にも角にも情報不足である。
魔幇は元々秘密の多い組織だ。
それ故、世界二位の探偵の推理を頼っても、本拠地候補が減ることはなかった。

加えて、魔幇による指名手配リストの公開が状況を悪化させた。
黒羽・神楽・死神は、いずれも屋台街における魔幇構成員の襲撃に抗った者である。
劉炎嵐と比べれば討伐優先度はかなり低いものの、リストに名前が載っていることに違いはない。
魔幇の重要拠点を巡るにも、人目を盗んで動く必要が生じていた。

「……地道に調べるしかないと思います」

死神が、静かに提案した。
候補を絞る手段が存在しない以上、虱潰しに調べるより他に方法はない。
下手な策を考えるよりも、地道な作業を続けた方が良い。
そういう考えが滲み出るような声であった。

「私たち、無事に戻れるんでしょうか」

死神の言葉に続いて、神楽が問いを発した。
何処に、とは言わない。
指名手配されている状況で、身を危険に晒すことなく生き抜けるのか。
そういう不安から思わず出た問いであった。

「ま、こういうのは大抵どうにかなるもんだろ。よし、いっちょ次行ってみるか」

気を取り直して、黒羽は次の候補地に向きを変える。
そのとき、ふと黒羽のスーツのポケットから、煌めく石が落ちた。
清王朝のダイヤモンドだ。
黒羽と神楽に、ダイヤを落としたことに気付く様子はない。

死神は、落ちたダイヤを見つめた。
じっと見つめた。
死神は少し逡巡してからダイヤを拾い、懐へ大事そうにしまいこんだ。
頭の上で、カチャリという音が聞こえた。

「なんとなーく、そんな気がしてたんだよな」

死神が顔を上げると、そこには黒い拳銃を構える黒羽がいた。
無慈悲な銃口は、死神の頭を狙っている。

「アンタが根っからの悪人だとは思っちゃいないぜ。むしろ、善人の方だろ。屋台街のときは、世話になったしな」

屋台街を魔幇構成員が襲撃した際、死神は黒羽たちに手を貸した。
それは紛れもなく善意から来た無私の行動。
もし死神が欲にまみれた悪人であったなら、黒羽たちを出し抜き、ダイヤを手に入れようとしたはずだ。

「だが、善人に見えても自分勝手な欲を出すことはあるもんさ。心優しいエゴイストってやつ?」

それって黒羽さんのことでは?と神楽は思わず考えた。
口には出さなかったが。

「……私には、ダイヤが必要なんです」

死神は、懐のダイヤを大事そうに押さえている。

「ふーん。その【清王朝のダイヤ】で良ければ、いくらでもくれてやるよ」

黒羽の言葉に、死神はハッとする。
懐に入れたダイヤが偽物であることに気付いたからだ。

死神が拾ったダイヤは、黒羽が【清王朝のダイヤ】のイメージを付与した石ころだ。
死神がダイヤを落としたと伝えてくるならそれで良し。
もし拾い隠したなら、ダイヤ強奪の意志ありと見なして詰問する。
死神を試すための策として、黒羽はわざと石ころ(ダイヤ)を落としたのだ。

「一応聞いておいてやるけど、前に言ってた借金のためかい?」

「……天国に行くためです」

少し迷った後、死神は自らの目的を告げた。

「まるで死ぬつもりみたいな言い方じゃねえの」

「……わたしは一度死んでいるんです」

その言葉と共に、死神の背中から蝙蝠のような大きな翼が広がる。
さらに尾てい骨のあたりから悪魔じみた尻尾が伸び出し、軽く地を打った。

「やー、そんなオカルトチックな奴だったとはねえ。ま、とどめの一撃には【天国に行く】と込めておいてやるよ」

両者の間に緊張が走る。
神楽は、息を吞んでその様子を見つめるしかない。
黒羽と死神がそれぞれ攻めに移ろうとしたとき、一条の光が二人の間を引き裂いた。

「……本当にいましたね、師匠」

「だから言っただろう。天狗であるこの私は、千里眼で全てお見通しなのさ。実際は、UFOのカメラ機能を使って上海中を観察しただけなのだがね。ちなみにカメラはデジタルズームじゃなくて光学ズームだよ。この機能には全財力の五分の三を注ぎ込んだんだ。すごいだろう?まあ、そのUFOはさっき墜落してしまったんだけど。とほほ」

光の先にいたのは、死神と全く同じ顔をした少女であった。
黒いセーラー服を纏ってはいるが、鏡に映したようにそっくりな顔つき。
目元からレーザーを発射したせいか、まつ毛の一部がジリリと焦げている。
自らと同じ顔を持つ少女の登場に、死神はひどく動揺した。

少女の後ろには、合羽を羽織った女性がいる。
正確に言えば、黒い宇宙服の上に河童の意匠が施された合羽を羽織った女性がいた。
訳のわからぬことを口早に喋っていたのは、この女の方である。

「やあやあ、皆様こんにちは。私の名前は下山アンドロメダ。アルクトゥールス星出身の敏腕エージェントだよ。さあさ、未知との遭遇に歓迎のファンファーレを鳴らしてくれたまえ。ファンファーレが苦手なら、出囃子でも構わない。これでも私は師匠と呼ばれているからね。大トリの舞台で漫才を披露することには何の苦もないさ」

驚く一同の様子も気にかけず、下山アンドロメダは喋り続ける。
そのあまりの勢いに、黒羽はひととき圧倒された。
しかし、すぐ気を取り直し、黒い拳銃を持つのとは別の手に白い拳銃を握る。
銃口を下山に向け、黒羽は質問を始めた。

「なあ、あんた誰だ?なんで死神と同じ顔の子を連れてんの?」

「自己紹介した通り、私は下山アンドロメダ。そして、この子は我が弟子さ。なんでと問われると少し困ったことになる。何しろ私にもはっきりとした原因は分からないからね。鞍馬山でダイヤを探す素振りを見せなかったせいか、相手が屋台街で長く回想に浸っていたのが原因か、はたまたエレベーターのボタンで裏技が発動していたせいか。あちら側の干渉、というのが本命かな。いずれにせよ、根っこが同じ人間が同時に存在するというだけさ。いや、ドッペルゲンガーではないから数日後に死ぬ心配はしなくていい」

「その喋り方、何の冗談だよ。分かりづらいから止めてくんない?」

「冗談ではない!もし私が簡潔に話していたなら、アルクトゥールス星人である私は、あちら側の干渉を受けて大変なことになってしまう。実際、もう一人の私は油断して防御言語プロトコルを使わなかったために、現実への干渉力を失ってしまったんだ。ああ、あちら側と言っても分かりにくいかな。しかし、正確な名前で呼びすぎるとそれはそれで支障があるのだよ。師匠に支障があるのだよ……何でもない。そうだな、魔人ぶっ殺しゾーンとでもしておこう。全くもって正確ではないが、そういうあれだ」

「マジで……?」

黒羽は下山の話した内容に、動揺していた。
片手で構えた白い拳銃に【嘘を吐けない】というイメージを付与していたからだ。
即ち、下山が語るあれやこれやは全て真実。
もちろん、下山が虚構を本気で信じ込んでいる狂人である可能性は否定できない。
むしろ狂人であってくれと、黒羽は願わずにはいられなかった。

「……師匠。本題に入っては?」

弟子の方の死神が、下山にそう促した。

「うむ、そうだね。聡明な弟子を持って私は嬉しいよ。ただ、どっちが喋っているか混乱するかもしれないからね。鏡合わせの相手がいるときは、ぜひ語尾にデシと付けてくれたまえ」

「……デシ」

「で、だ。用があるのは死神の方なんだ――我が弟子の方ではなく、君の方だよ死神。そう、“きみ”ではなく、君というのが肝心だ。KIMIが多くて申し訳ないがね。これは一つの卵に二つの黄身が入っていてびっくりした、そういう話だからね」

右手のグーと左手のパーを重ねるような動きをしながら、下山はそう説明した。
ちなみにこの動きには、何の意味もない。

「というわけで、白髪黒羽くん。ここは私にいったん預けてもらえないかな。駅前のコインロッカーではないから、投入した100円玉はしっかりと戻ってくるよ。おっと、ここは上海だから支払いアプリということになるのかな」

「できない相談だろ。こいつはアタシの喧嘩だぜ?」

「もちろん無料でとは言わないよ。無料より高いものはないからね。無料だと思って入った駐UFO場で15分刻みの料金を請求されるのはもう勘弁だ。もし素直に退いてくれるなら、魔幇の本拠地がある場所を教えて差し上げよう。あちら側の干渉を考えると、教えられるのは場所までだけどね」

下山の言葉に驚くのは、これで何度目だろう。
魔幇の本拠地。
もしそれが真実であるとすれば、黒羽が今一番必要としている情報だ。

「その情報が本当だって証拠はないだろ」

「うーむ、仕方ない。ここは少しばかりリスクを取るとしようか」

下山は一息ついて、はっきりとこう言った。

「私は上海の人々を救いたいと思っている。この言葉に偽りはない」

これまでが嘘のような簡潔な言葉。
口調にふざけた様子は一切ない。
目の前の女は真実を語っている。
そう確信するだけの説得力が、下山の言葉にはあった。

「……嘘だったら、ブン殴ってやっからな」

「構わないとも。グランドスラムで倒立すれば、パンチはパンツになるからね。下着もツートンカラーなのか、実に興味が湧くところだ。さあ地図を出してくれたまえ。チーズはどこに行ったとなる前に」

下山は黒羽に近付くと、差し出された地図に赤ペンで丸をつけた。
現地点より北の方角。
それほど遠くない場所を、紅いインクが囲んでいる。

彼女の、ペンの色は、紅い

黒羽は神楽を引き連れて、北へと去っていく。
死神は黒羽を追う動きを見せるが、弟子の方の死神の光る目線がその動きを許さない。

「さて、ここからが本題だ。皆がバイクに轢かれてしまう前に、話を始めるとしよう」

下山は両腕をバタバタさせながら、死神に向かってそう言った。
ちなみにこの動きにも、特に意味はない。

十二

「……邪魔しないでくれますか。私には、あのダイヤが必要なんです」

死神は、弟子の方の死神の視線を警戒しながら下山にそう言った。

「ふうむふうむ。黒羽くんが持つダイヤモンドが気になるというわけだね。選手がいてもベースがなければ野球はできない。まずは、そこから話を始めよう。プレイボール!」

下山アンドロメダの調子は変わらない。
審判のポーズをしながら、声高に試合開始を宣言する。
ちなみに、下山にはストライクゾーンがどこなのかわからない。

「清王朝のダイヤ。時価数千億円とも言われる代物だ。死神は天国に行くためにそのダイヤで借金を返済しようとしているね。大げさに言うならば、非課税で五千兆円欲しいというわけだ。五千兆円欲しい!しかし、その試みは残念ながら無駄に終わる。なぜなら黒羽くんが持つダイヤにそんな価値はないからね」

「……えっ」

「そうなんデシか?」

「確かに貴重な宝石ではあるし、魔都上海の命運を握るキーアイテムでもある。しかし、よく考えてくれたまえ。町のショップで販売していないイベントアイテムというものは、店に売ると端金ということが少なくない。でないと無限増殖バグで、金策ができてしまうからね。まあ、あのダイヤはそれほど安いというわけではないが、借金を完済できるほどに高額でもない。せいぜい三割がいいところだ。九番バッターの打率なら大満足なのだろうけど」

死神は、わずかに落胆の表情を見せた。

「ではどうして、時価数千億円なんて話が出てきたのか。3以上はたくさんとしか数えられない奴が鑑定を担当したから?いやいや、そんなはずはない。上海が舞台なのに日本円表記なんだ、おそらくいい仕事してますねぇと言われたはずさ。結論から言えば、こうだ」

下山は、自信満々にこう言った。

「清王朝のダイヤは複数ある」

「……?」

「……デシ?」

どちらの死神も、下山の言葉に疑問符を浮かべた。

「まず、スタート地点を定めよう。『3、2、1』の2のタイミングで、Aボタンを押す準備はいいかい?四百年前に清王朝の宦官が、宝物庫の中にあらゆる願いが叶う宝玉があるというデマを流したのがそもそもの始まりだ。何のことか分からないなら、今すぐwikiを開いてギャラハッドのプロローグを読みたまえ。なんでwikiのことを知っているかって?魔法少女がwikiの内容をチェックする時代だよ?宇宙人が知っていてもおかしくはないじゃあないか」

下山は、突然どこかの誰かに呼びかけた。
二人の死神は困惑するしかない。

「流したデマをしっかり見守る者がいれば良かったが、そうはならなかった。やがて、その宝玉は清王朝のダイヤと呼ばれることになる。つまり、“何もない”という器に清王朝のダイヤという名前を付けたわけだ。鞍馬山――山頂に捕獲用クレーンが設置されていない方だ――あの山に登った死神なら、分かるはずだ。名前を付けるということの重要性がね。えっ、2回目以降は名前の変更に課金が必要なの?!」

リセマラの際、主人公に適当な名前を付けていた下山は驚愕した。

「おほん。ともかく、清王朝のダイヤという名前を付けられた“何もない”は中身を求めた。その最初の中身というのが黒羽くんの持つダイヤというわけさ。あれには、他のダイヤにはない特徴もあるしね。だが、それは値がNULLだとまずいから、とりあえず数値を入れておこうという考えに過ぎない。実際、そのせいでプログラムが動かないことは結構あるから気を付けたまえ。しかし、誰も見たことがないダイヤを入れただけでは、清王朝のダイヤの中身が満たされることはなかった……」

二人の死神は、息を呑む。

「なぜなら、清王朝のダイヤはあらゆる願いを叶えるものと言われていたからね。願いを叶える機能が付いた商品を注文したのに、ただ綺麗なだけの宝石が届いたんじゃ怒り心頭だろう?ゲーム機を落札したのに、ゲーム機を撮影した写真だけが送られてくるようなもんさ。あの野郎、ただじゃおかねえぞ」

下山は、フリマアプリの商品説明文をよく読まない女である。

「というわけで登場するのが、上海でたびたび目撃されているダイヤの欠片だ。元々存在していたダイヤの欠片が、清王朝のダイヤの中身の一つになったというわけだね。清王朝のダイヤは、黒羽くんが持つ魔幇のダイヤであり、ダイヤの欠片たちでもある。この事実に気付いていた者もいたようだが……ほわんほわんほわんほわん」

下山がオノマトペを口にすると、なぜだかその光景が浮かんでくる。
貧民街で爬・巳・狸・魔都が、微笑みながら語る光景だ。

清王朝のダイヤと呼ばれるものは、複数存在する。
魔幇から盗まれたダイヤと、上海各地で不思議な現象を起こすダイヤの欠片。
これらは別物だが、同じ名前で呼ばれている。
そのように魔都は、商談相手へ説明した。

「ここからは多少のリスクは覚悟の上、防御言語プロトコルなしで話すとしよう。一番重要なポイントだからね。さてはて、ダイヤの欠片とはいったい何なのか?その答えはずばり、アルクトゥールス星人が地球に持ち込んだものさ」

「……師匠がデシか?」

「持ち込んだのは、私ではないよ。遥か過去のアルクトゥールス星人だ。アルクトゥールス星の繁栄のためには、対等の友人が必要でね。そのレベルに地球が到達できるように、手助けとして欲望を叶える秘宝を設置したのさ。流れ星に願い事をすると願いが叶うと言うだろう?あれは、アルクトゥールス星人とこの秘宝のことを示唆しているんだ。具体的な働きはさまざまだが……強い欲望に反応して、魔人能力を与えることもあるだろう」

下山は、弟子の死神に顔を向けた。

「私はきみに『目からビーム』『高低差無視』『無限通話』という3つの力を貸し与えているね。どうしてそんなことができるのか、疑問に思わなかったかい?」

「いや別にそういうモンかと……デシ」

「なぜできるかと言えば、アルクトゥールス星では魔人能力の研究が進んでいるからさ。例えば、ある特殊能力のエッセンスを抽出して、他人に習得させることさえできる。あちら側との経路を巧く使ってね。レギュレーション内で、ガイドラインに従ったものに限られるけど」

レンタルした能力はいつでも回収できるから依存し過ぎてはいけないよ、と下山は付け加える。

「しかし、今の上海ではアルクトゥールス星本部が想定していなかった事態が起きている。あれが制御不能になって、壊滅的な打撃を地球にもたらすかもしれない」

「……ダイヤの欠片が暴走する、ってことですか?」

これまで黙っていた弟子でない方の死神が、問いを投げかけた。

「既に欲望で満ち溢れている杯には、まともなものは入らない。自分の都合だけで満たされている器は、ろくでもないものまでまとめて呼び込んでしまうんだよ。愛ある願いでなければ、災いをもたらすことがあるのさ。まあ、仮にダイヤの欠片が暴走しても、その影響はある程度の範囲に収まる。あれは、子機みたいなものだから。問題は、親機の方さ」

「……親機」

「周囲の人間から欲望を集めて、子機にその力を分け与える。そういう機能を持つものだよ。欠片と違って高度な隠蔽機能を持つから、その本質に気付いた人間がいても認識を都合良く改変されてしまう。例えば、別の物と見間違うとかね。相手が私のようなアルクトゥールス星人だったとしてもだ。通常であれば、こうも活発に動くはずはなかったんだが……」

実際のところ動く反応があるからこんな回りくどいことをやる羽目になったんだ、と下山は愚痴る。

「地球の言葉に翻訳するなら、『欲心流路』といったところかな。あれが歪められた願いで暴走したら、大変なことになる」

「……欲心流路」

死神は、下山の話した単語をそのまま繰り返した。

「さて、ここまでの話を聞いてもらった上で、死神にはやってもらいたい仕事がある」

「……仕事、ですか?」

意外な提案に、死神は首を傾げた。

「鞍馬山の山頂付近にいるものに、新たな名前を与えてほしい。それが、欲心流路を巡る事態を打開する鍵になる」

「それは……」

死神は、鞍馬山での出来事を思い出す。
“きみ”のことを。

「ああ、心配しなくて良いよ。名前を与えるのは“名前のないもの”ではなく、“知らないもの”だから。少なくとも、あちら側に引っ張られるようなことはない。山頂に行って、思ったままの名前を付けてくるだけさ。本当にただの思いつきでいい。本来は私が行きたいところなんだが、私が赴くと別の鞍馬山になってしまうからね」

「……」

「この間は一歩一歩長い山道を登ったようだけど、今回はそれほど時間がかからないはずさ。あそこは、時間の流れがちょっと違っているからね」

死神の脳裏に、太郎丸権蔵の白骨が浮かんだ。

「……報酬は?」

「清王朝のダイヤ」

そう言うと、下山は懐からダイヤの欠片を一つ取り出した。
それをそのまま死神に渡す。

「私はもう一人の私――仮に上山アンドロメダとしておこう――彼女と違って、誠実だからね。報酬は前金として、先に渡しておくよ。ちなみにもう一人私が出てきた場合には、中山アンドロメダと名付けてくれたまえ。中山の直線は短いから、末脚に優れたUFOを用意しないといけないけど」

真面目に話していた下山は、元の調子を取り戻し始める。

「とは言え、その欠片だけでは借金を完済するには足りないと思う。でも、もし事態が上手く解決すれば、欲心流路から得る輝きで天国へのチケットにもなりうるさ。転売禁止だから、ダフ屋にはくれぐれも注意してくれよ」

「……わかりました」

死神は下山の依頼を受け、鞍馬山に向かった。
いや向かったという表現は、おかしいかもしれない。
時間だけでなく、位置という意味でも常識とは異なる場所なのだから。

「わたしたちはどうするんデシか」

「もう一人になったから、デシは付けなくてよろしい。そう言えばデシリットルって、日常生活で全然使わないよね。まあ、あとは上海中心大厦に向かうぐらいかな」

「あの鴉の人と戦うんですか」

「まさか。きみにできるのは、せいぜい宴会道具を壊してまわることぐらいさ」

下山は、チャーミングに微笑んだ。

十三

「それでこれからどうするつもりですの?」

グイェンとタオマオが少し落ち着いた頃、カルミアが二人に問いかけた。

「どうって……タオマオを見つけることに必死だったからなあ」

「私はグイェンと一緒ならどこでも良いアルよ♡」

タオマオは《閃耀的鑽石鏡》を再び発動している。
リンシャの面影を残す笑顔で、甘い声を出した。

「タオマオ……!そうだな、一緒に食事へ行くか。家に戻ってまた『八極拳』を見るってのもいいな」

喬芽芽とカルミアを他所に、二人はいちゃつく気配を見せ始める。
このまま放っておくと、二人の世界へ行ってしまいそうだ。

「ラブラブなのは結構だけど、状況がわかっていないようね。仕方ないから、世界一かわいい私が教えてあげるわ」

そう言うと、芽芽は現在の状況を説明し始めた。
七鴉翁の能力で、セレモニーの招待客の様子がおかしくなってしまったこと。
気持ちの悪い蟲が、人々に寄生しようと蠢いていること。
魔幇に敵対する人物が指名手配されていること。
上海が混乱の中にあることを、分かりやすく説明した。

「知らないうちにそんなことになってたのかよ!大事件だろ!」

「貴男の所属する組織も、味方かどうかわかりませんわ」

点心会(うち)のやつらに限ってそんなことは……あるかも……」

グイェンは最初にタオマオを匿ったときのことを思い出し、言い淀んだ。
ボスはともかく、ジゥファンあたりは軽く洗脳されていてもおかしくない。
居場所を伝えるべきか、悩ましいところだ。

「はい!私はダブル・ハピネス・キャンペーン最終章のため、上海の中心に向かいたい!」

突然、双喜が飛び上がり、自らの希望を宣言した。
先ほどまでとはまるで異なり、活力に満ち溢れている。

「うおっ!何でお前いきなり元気になってるんだよ?!」

「ふっふっふっー。これも欲望溢れる皆さんのおかげ!」

グイェンたちを一人ずつ指差し、双喜は満面の笑みを浮かべる。

「甘酸っぱくも豊潤な恋愛欲!キュートでポップな可愛さ顕示欲!ピンチに輝く生存欲!燃え盛る欲望エネルギーで大復活!」

双喜は、上海の淀んだ欲望に悪酔いしていた。
しかし、グイェンたちが見せた欲望を新たなエネルギー源として、元の状態を取り戻したのである。

「というわけでどうですか!私と一緒に最後のお祭りを楽しみに行きませんか!宝を求めるハイエナたちが群がって、大興奮間違いなし!」

「そう言われてもなぁ」

グイェンに双喜と共に行く理由はない。
双喜がこれまで通り欲望に満ちた人間を集めるつもりなら、タオマオを危険に晒すことになる。
タオマオを守る自信はあるが、わざわざ危地に飛び込む必要があるかと言えば否だ。

「グイェン……」

タオマオが、おずおずとグイェンに声をかけた。

「ん?どうした、タオマオ?」

「もし良かったらだけど、私は双喜さんに協力したいアル」

「えっ」

タオマオの意外な提案に、グイェンは驚きを隠せない。

「グイェンと別れた後、双喜さんと色々話したアルよ。双喜さんは、百年節が終わったら動けなくなってしまう運命アル」

百年節の終わりと共に、ダイヤ騒動はいったん落ち着きを見せるだろう。
そうなれば上海に溢れる欲望はなくなり、《欲心流路》が稼働するのに十分なエネルギーを失う。
最初から生きる時間が限られた生命体、それが双喜だ。

「私の願いは叶ったけど、双喜さんの願いはまだ叶っていないアル。だから、最後の望みを叶えてあげたいアルよ」

自身が悲痛な願いを持っていたからこそ、タオマオには双喜の気持ちが何となく理解できた。
ほぼ確実な絶望の未来を照らす希望。
その希望に全てを賭ける気持ちを。

「……分かったよ!タオマオが望むなら、俺も手伝ってやらあ!」

「おお、心強い!それでは力を合わせて祭りを盛り上げましょう!」

「芽芽とカルミアさんはどうするんだ?」

グイェンは、芽芽とカルミアに問うた。

「乗りかかった船だし、別に付いていってもいいわよ。私のかわいさを集まった観客にアピールしても良いし」

「私も構いませんわ。この状況では、どこに行っても危険ですもの」

芽芽は気紛れに同行を申し出たが、カルミアはそうではなかった。
現在の状況を考えれば、双喜という戦力は魅力的だ。
さらにダイヤ所持を公言している劉炎嵐を狙うのではなく、怪しげなキャンペーンに誘われてくるような輩であれば、芽芽だけでも問題なく対処できる。
カルミアの謀略家としての計算高さが、同行という結論を出した。

「うひゃ~、なかなかグッドなパーティーですね!盛り上がってまいりましたー!」

双喜が嬉しそうに小躍りしたそのときである。

「グヘヘ。本当に清王朝のダイヤがありやがるぜ。人造魔人のおまけ付きだ」

筋骨隆々の巨体を持つ男が現れた。
その体躯は、田子坊の狭い小路を埋め尽くさんばかりの大きさである。

「あ、あの人は!」

男の姿を見て、タオマオは驚きの表情を浮かべる。

「知っているのか、タオマオ?!」

「あの人は幼い頃に私を攫い、さまざまな研究の材料とした後、私が魔人能力を発現するきっかけとなったダイヤの欠片を用いた人体実験を研究所にさせていた男……私と同様に実験の材料となったシォンシュが所属していた黒闇剣を統括する立場にありながら、魔幇の首領となる野心を持っていた男……おそらく首領を裏切り、秘密裏に輸送された清王朝のダイヤを盗難する計画を主導した男!」

「すごい早口」

「グヘヘ。よく分からねえが、その喋るダイヤは俺っちのことをよく知っているようじゃねえか。そうとも、俺っちは清王朝のダイヤを盗み出し、莫大な金銭を得ようとするも部下の不手際でダイヤを手に入れることは叶わなかった男……冷や飯を食う覚悟をするも、その実力の高さからダイヤ騒動が終結するまで処分を保留されている男……毎朝誰よりも早く出社して、誰に頼まれたわけでもなく事務所の掃除をする男……人呼んで、魔幇四天王だ」

「こっちも早口……って魔幇四天王?!」

魔幇四天王。
上海の裏社会を統べる魔幇の首領から、直々に指名を受けた大幹部。
実在が疑われるほど、謎に包まれた存在だ。
対峙した者は全員命を落とす故、名を知られることはないと噂される。
四天王と呼ばれながら、五人以上の働きをするという話さえあるほどだ。
その魔幇四天王の一人が、目の前にいる。
四人の中でも最弱の男ではあるが。

「グヘヘ。金目のものは、全て俺っちのものよ!おとなしく、ダイヤを寄こしやがれ!」

「ふざけるな!タオマオは誰にも渡さない!」

グイェンは、きっぱりと拒絶した。
魔幇四天王に逆らうということは、魔幇に反逆するという明確な意思表示。
それでもグイェンに迷いはない。
必ずタオマオを守り抜くという強い決意が、グイェンの胸に熱い炎を灯していた。

「お前みたいな奴についていくなんて、まっぴらごめんアル!」

「かわいさの欠片もないわね」

「いいねいいね、分かりやすく強欲だね!さあさあ、もっと情熱的に欲望を見せてみて!」

「貴女、どっちの味方なんですの?!」

かくして、魔幇四天王最弱の男との戦いが始まった。
ボコスカボコスカ。
その戦闘の勢いに、モコモコと煙が立ち上る。
火花が飛び散り、ときどき戦闘参加者の顔が見え隠れする。

四天王最弱と言えど、圧倒的なパワーを持つ乱暴者。
怪力を活かした攻撃の嵐の中で、決定打を加えるのは容易なことではない。
芽芽のカバーリングで戦線の崩壊を防ぎながら、グイェンたちは地道にダメージを与え続けた。
長い戦いの後、フラフラの状態まで追いつめる。
チャンスは、今だ。

「グイェン、アレをやるアル!」

「アレ?」

「『八極拳2~拳聖誕生~』の新作PV!」

「アレか!」

グイェンとタオマオは、魔幇四天王最弱の男を挟み撃ちする形となっている。
『八極拳』を愛する二人の間で、確かなイメージが共有された。
特に合図をすることもなく、二人同時に魔幇四天王最弱の男へ向かって疾走していく。

「玄武!」

「ラブラブ!」

「「鉄山靠ォォッ!!」」

前方からグイェンの鉄山靠、後方からタオマオの鉄山靠。
ぴったり息の合った二人の攻撃は、魔幇四天王最弱の男を的確にサンドイッチした。

「ギャァアアアア!!」

二方向からの衝撃に、魔幇四天王最弱の男は苦痛の声を上げた。
グイェンとタオマオがぶつけた背を離すと、その場に弱々しく倒れ込む。

「グイェン!いや、グイェン様ァ!俺っちはただのしがねぇ人攫いでさあ!もう悪事は働きませんから、どうか許してくれませんか!」

魔幇四天王最弱の男は平伏し、グイェンに許しを求めた。
頭を地面にこすり付け、恭順の意思を示している。

「……今回だけは見逃してやる。二度とタオマオに手を出すなよ」

そう言って、グイェンは魔幇四天王最弱の男から視線を外す。

「馬鹿め!そこが貴様の甘さよ!死ねい!」

魔幇四天王最弱の男は、伏せた状態からケヒャリストめいた跳躍を見せる。
狙うは、グイェンの首一つ。

「そんな見え見えの降参にだまされるもんかよ!食らえ!ブレイブ式猛虎硬爬山!」

魔幇四天王最弱の男の狙いなど、グイェンにはお見通しであった。
それ故、どうせ襲い掛かってくるだろうと見せかけの許しを与えたのである。
グイェンは、台詞と共に映画『八極拳』の決め技を繰り出す。
拳撃のコンビネーションが魔幇四天王最弱の男を打ち、とどめの榴弾掌底が炸裂した。

「ギャァアアアアッ!返り討ちギャァアアアアッ!」

魔幇四天王最弱の男は大きく叫び、爆発四散した。

「なんで爆発?!」

実はこのとき、魔幇四天王最弱の男は、本人も知らないうちに特殊能力を発動していた。
その名も《奴は我らの中で最弱、だが良い奴だった》。
自らが敗れたとき、他の三人の魔幇四天王を召喚し、襲撃させる能力である。

魔人は自らの認識をもって、世界を改変する能力者とされている。
そのため、魔人としての特殊能力は本人の願望に拠るところが大きい。
「敵を倒したい」と願う者は攻撃能力を、「空を飛びたい」と願う者は飛行能力を得るという具合だ。
しかし、それ以外にも能力覚醒の道筋はある。

例えば、人造魔人。
本人の意志とは関係なく、後付けで特殊能力を付与する方法だ。
広く研究が進んでいるとは言い難いが、成功例がないわけではない。

あるいは、血脈による継承。
同じ家系に生まれたものが、同じ特殊能力に目覚める形だ。
代々受け継ぐ能力を活かして、家業とする一族もいる。

魔幇四天王最弱の男は、そのいずれでもなかった。
本人もどんな能力であるか理解しないままに、魔人として覚醒するという実に珍しいルート。
魔幇の首領、五爪の翁は慧眼をもってその性質を見抜き、四天王の座を与えた。
魔幇四天王最弱とは言え、一般の魔人が相手であれば、男の強さは高い水準にある。
その男を倒すほどの敵が現れたなら、残りの三人で確実に始末する。
魔幇四天王最弱の男を犠牲にすることを前提とした、優秀な警護システムであったと言えよう。

だが。

陽堂堂
目艮竟
隠匿

もはや四天王の座には誰もいない。
それ故、《奴は我らの中で最弱、だが良い奴だった》は誰にも知られることなく不発に終わったのである。

十四

「無事かい、お嬢ちゃん」

白髪黒羽は、童顔の美女に声をかけた。
足元には、サングラスをかけたマフィアの男たちが転がっている。
黒羽は下山が示した本拠地へ移動する途中、男たちが美女に襲い掛かっている場面に出くわした。
これを見た黒羽は、自慢の拳で男たちを成敗したというわけだ。

「あ、ありがとうございます」

声をかけられた美女、恋辻メーメーは感謝の言葉を発した。
しかし、その口ぶりはどこかぎこちない。
黒羽に感謝していないというわけではないが、何か含むところがあるようだ。

「もしかして、手助けは必要なかったかい?」

「い、いえいえ。本当にありがとうございます」

再びメーメーは、感謝の言葉を述べた。

「……で、アンタどっち側?」

黒羽が、メーメーに鋭い視線を向ける。
メーメーは、少しだけ身体を強張らせた。

魔幇に属する側か、魔幇に抗する側か。
マフィアに襲われていた以上、魔幇に抗する側と考えるのが自然だ。
しかし、内輪揉めという可能性も捨て切れない。
先ほど一度死神の裏切りに遭った黒羽は、少し敏感になっていた。

「万事屋さん!その人、指名手配リストに載ってます!」

日ノ御子神楽が、二人の間の緊張を壊すように叫んだ。
メーメーの顔写真が表示されたスマホの画面を、黒羽に見せてアピールする。
敵の敵は、味方。
少なくとも、魔幇の野望渦巻く現在の上海で相争う立場にはないだろう。

「なんだ、お嬢ちゃんもお尋ね者かよ。反応がちょっと変だから警戒しちまったぜ、かはは」

黒羽も指名手配中と知って、メーメーも警戒を緩めた。

「すみません。実は助けていただかなくても、倒す手段があったので……」

その言葉と共に、付近の排水口からスパイクが姿を現す。
白く大きなワニの登場に、黒羽と神楽はぎょっとする。

「私の名前はメーメー。そして、この子はスパイク。私と一緒に戦ってくれる相棒です」

「いやー、こんな仲間がいたんじゃそりゃあんな受け答えになるわな」

黒羽は、苦笑しながらスパイクを眺める。
強靭な顎に、長く太い尻尾。
マフィアぐらいなら、難なく倒してしまうだろう。

「……で、アンタは魔幇から逃げてる感じ?」

「いえ。私は復讐のため、上海中心大厦を目指しています。さっきから、足止めを喰らってばかりですけど……」

指名手配リストが公開されて以降、街にはチャイニーズマフィアが溢れている。
賞金に目が眩んだ解決屋もいれば、七鴉翁の言葉に魅入られた一般人もいる。
スパイクという切り札を持つとは言え、上海中心大厦に辿り着くことは困難と言えた。

「なあ、それならアタシらと一緒に来ないかい?今から、魔幇の本拠地に向かうところなんだわ。ここから距離もそう遠くないし」

本当かどうかは分からねえけど、と言い足しながら黒羽はメーメーを誘った。
魔幇への復讐が目的だと言うなら、七鴉翁より首領を倒した方が気持ちが乗るだろう。
そういう短絡的な思考であった。
あくまでも情報収集であるということは、頭からすっぽり抜けている。

(ねえねえ、メーメー)

(どうしたの、スパイク?)

メーメーは《鱗語交流》を介して、スパイクからの呼びかけを聞いた。

(この人についていかない?夢で見たんけど、白黒の人と一緒に行動した方がいいってお告げがあったんだ)

スパイクは、下山アンドロメダとの交信を夢のお告げと解釈していた。
そうでなければ、あの奇妙な会話の内容を受け止められなかったからだ。

(魔幇の本拠地って話が本当なら、一緒に行く価値はあるよね……ここはスパイクの夢見に賭けてみよう!)

「分かりました。ぜひ一緒に行かせてください!」

「よーし、それじゃまあよろしくメーちゃん。アタシは白髪黒羽、万事屋って呼んでくれ。この子は、日ノ御子神楽ちゃん」

黒羽の紹介に合わせて、神楽がぺこりと礼をする。
それに対して、メーメーも礼を返した。
よく見れば、スパイクも礼を返すように身体を揺らしている。
スパイクのその動きを見て、神楽は少しだけ微笑んだ。



数分後。
一行は、下山アンドロメダが指し示した魔幇の本拠地候補へと到着した。
見た目は立派な邸宅という趣だが、窓から窺える中の様子はごく普通のチャイニーズマフィアの事務所といった雰囲気だ。
最低限の人員が待機しているが、大半の構成員は出払っているように見える。
おそらく魔幇から直接指示を受けたか、指名手配リストに載った人間を討伐しに行ったかのどちらかだろう。

「何の変哲もない事務所だな」

そう言いながら、黒羽は邸宅の中にずかずかと入り込んでいく。
右手に【撃たれる】銃、左手に【嘘を吐けない】銃。
制圧と尋問の二丁拳銃だ。

「ぎゃああ!痛い、痛い!」

「ここって魔幇の本拠地?死にたくなかったら、さっさと答えな」

「ふ、普通の事務所です!頼みます、どうか殺さないで!」

痛みをこらえながら、事務所内で待機していた下っ端の魔幇構成員がそう答えた。
死の恐怖におびえる魔幇構成員。
しかし、その身体には傷一つない。
今感じている痛みは《創造上の想像力》によって現実化したものだ。

「万事屋さん!炎嵐さんは、情報収集だけだって!」

少し遅れて、神楽とメーメーが黒羽に続く。
スパイクは周囲の配管に身を潜め、静かに邸宅内を窺っている。

「まーまー、大丈夫だろ。こうやって最強コンボが完成しちまってるんだし」

黒羽が使う《創造上の想像力》は、極めて汎用性の高い特殊能力と言える。
【撃たれる】【斬られる】といったイメージを付与すれば効率的に攻撃できるし、別の物のイメージを被せて擬態することも可能だ。
使い手のアイディア次第で、さまざまな状況に対応できる。

ただし、弱点がないわけではない。
その一つが、乱戦における使い勝手の悪さ。
《創造上の想像力》は、イメージを付与した対象を認識した相手に影響を与える。
つまり、味方が対象を認識して巻き込まれる可能性があるのだ。
強力なダメージを与えるイメージほど、そのリスクは高くなる。

しかし、黒羽は神楽の《罰天令》を組み合わせることで、このリスクを回避していた。
《罰天令》は、×印の触れた相手や物体の『何か』を禁止する特殊能力。
神楽たちに張り付けられた×印が禁止するのは、『黒羽が手に持つ物品を認識すること』。
これにより、危険な【撃たれる】拳銃を神楽たちが認識することはない。
つまり、同士討ちを気にすることなく、《創造上の想像力》をフル活用できる。

「この様子だとやっぱ、あの自称宇宙人にガセネタを掴まされたのかねえ」

「あの人が嘘を吐いていたとは思えませんけど……」

邸宅の中を調べてみても、内装は実に普通の事務所だ。
美しい庭がある以外は、特に変わったところがない。
やはり、下山はただの狂人だったのかと黒羽が思い始めた頃である。

(ねえ、メーメー)

(何?スパイク)

(白黒の人から出ているあの光は何なのかな?)

(えっ)

スパイクの言葉を受けて、メーメーは《鱗語交流》で視覚を共有する。
黒羽の方に向いたスパイクの視界の中には、胸元から伸びる光の筋が映っていた。

「万事屋さん。今、私の能力でスパイクと視覚を共有しているんですけど」

「へー、そんなこともできんだ。便利だねえ。それで?」

「万事屋さんの胸のハンカチから、光が伸びています」

「!」

黒羽は思わず胸元の【ハンカチ】を確かめ、スパイクの方を見る。
そう、それは【ハンカチ】のイメージを付与した清王朝のダイヤ。
ハンカチに見えているはずのそれから、光が伸びているという状況は特異だ。

「メーちゃん、光がどこに伸びているか教えてくれるかい?」

「庭に置いてある八つの龍の石像、一番高いところにある龍の瞳に光が伸びています!」

黒羽は、龍の石像へと駆けていく。
丸く削られた美しい石の瞳を、指で触れて確かめた。

「ビンゴ!」

黒羽が石の瞳を押し込むと、ゴゴゴという音が鳴り響いた。
庭の中央に地下への入り口が出現する。

「やー、隠し通路って言やぁ難関ダンジョンの定番だけどさ。ワニがいなけりゃクリアできないとかクソゲーだろ」

(スパイク、お手柄!)

(へへん、どんなもんだい!)

メーメー自身は気付いていないが、これこそが張一族の秘伝である。
人間とは異なる、爬虫類の視覚でなければ感知できない光。
特別な性質を持つダイヤから射す光。
張一族が代々受け継ぐ《鱗語交流》によって、爬虫類と視覚を共有してその光を探知する。
地下の本拠地をはじめとする、魔幇が清王朝の末裔より奪い取った遺産。
前提知識なしにそれらの遺産を見つけ出す唯一の方法がこれだ。

「おっし、それじゃあ張り切ってラスボス退治と行くかねえ」

「……万事屋さん、炎嵐さんに連絡は?」

「もちろんするさ。ま、ベニトラの奴は忙しくて返信できないだろうけど」

「最初からそのつもりで……?」

神楽は少し呆れた様子で、黒羽に問いかける。

「そうだけど?それにメーちゃんたちは自分の手で復讐がしたいだろうし」

「ええ。魔幇への復讐は、私たち自身の手で!」

「グオオー!」

メーメーとスパイクは、戦意に溢れている。
もし黒羽が行かないとしても、魔幇の本拠地へと歩を進めてしまうだろう。

「仕方ないですね。でも……」

神楽は《罰天令》を発動し、黒羽に一つの×印を付ける。

「『無理すること』は禁止ですよ、万事屋さん」

こうして、黒羽はお決まりのスタイルを封じられることとなった。

十五

「どうなってんだよ、ここは!」

上海中心大厦に足を踏み入れた劉炎嵐は、ビル内の異様な状況に怒声を響かせた。
虚ろな目をした人々が無言で、ビルの出入り口へと向かっていく。
服装を見るに、百年節のセレモニーへ招待された賓客と言ったところだろう。
その足取りに個々の意志は感じられず、機械的に何かに従って動いているように見える。

『さっきのあれで洗脳されちゃったのかねえ。私もちょっと危なかったし』

炎嵐の後を追うドローンのスピーカーから、王双葉の声が響く。
双葉もまた、七鴉翁が《龍飛九天:雲従其志》を使用する様子をテレビで目撃した。
インドア派の双葉は当然、五爪の翁よりも一定以上弱い。
しかし、相棒への強い信頼と魔幇への反抗心によって隷属の誘惑を跳ねのけていた。

『魔幇を侮る愚かな反逆者よ。貴方の試みは脆くも崩れ去ることでしょう』

ビル内のショップに設置された数々のモニターに、七鴉翁の姿が映し出される。
その背後には瞳を赤く光らせる二匹の巨大な鴉がいた。

「おい、てめぇ!とんでもねえことやりやがって!さっさと俺の前に出てきやがれ!」

上海を混乱に陥れた張本人の登場に、炎嵐の怒りのボルテージは上がる。
しかし、炎嵐の様子を見ても七鴉翁は眉一つ動かさない。
あくまでも炎嵐は魔幇に刃向かう愚かな挑戦者。
自分が上というその立場を変えようとはしない。

『物事には順序というものがあるでしょう?私に挑む資格があるかどうか、まずは小手調べと参りましょう』

七鴉翁の言葉と共に、屈強な男たちが炎嵐の前に姿を現す。
拳法家、剣術家、軍人、ボディーガード、プロレスラー。
さまざまなカテゴリーの戦士たちが、ここ上海中心大厦に集っている。
これからこの場で上海大賽が始まると言われても、何の疑問も抱かずに済むほどだ。

だが、皆一様に無表情だ。
先ほどの賓客たちと同様に目は虚ろで、視線は定まっていない。
外見からは分からぬが、内部では蟲が蠢いていた。

「チィ!こいつらも操られてやがんな……仕方ねえ、なるべく怪我のないように吹っ飛ばしてやるぜ!」

昂る血の熱を抑え、炎嵐は劈掛拳の構えを取る。
炎嵐の使う《THE・炎怒》は、怒れば怒るほどに血液の温度が上がる能力だ。
血液の温度が増すごとに、心臓は猛烈な鼓動を刻み、身体能力を著しく強化する。
もし今の炎嵐が望むなら、触れた相手を燃やし尽くすことすら可能だろう。

しかし、そうすれば蟲に操られた戦士たちを消し炭にしかねない。
炎嵐は怒りっぽい男だが、その実、善人である。
罪のない相手を燃やし尽くすなど、できようはずもない。
それ故、炎嵐は血液の温度を抑え、拳で気絶させるに留めようとしているのだ。

「ドゴォラァ!」

遠心力を活かした炎嵐の拳が、襲い掛かってくる戦士を一人ずつ吹き飛ばしていく。
もしこれが上海大賽の試合であれば、勝負が決まったと思える手応え。
多少の怪我はするかもしれないが、死ぬことはない。
そういう塩梅の攻撃を炎嵐は繰り返した。

だが。

何度倒しても、戦士たちは炎嵐に向かってくる。
寄生された戦士たちは、蟲の特性により魔幇の傀儡となっていた。
肉体に限界が来ようとも、身が千切れるまで立ち上がる。
そういう風に命令されていた。
知性を失うため技の精彩を欠くが、継戦性という点では異常な強さを見せる。

「チッ、仕方ねえなオラァ!治療代は俺が持つから、悪く思うなよ!」

炎嵐は少し躊躇した後、戦闘スタイルを切り替えた。
優れた身体能力を活かした喧嘩殺法。
狙いは、操られた連中の足の骨だ。
踏みつけるような蹴りで骨を折り、立てなくする。
不屈の兵士と言えども歩けなければ、脅威になるまい。

『ああ、何とも無駄な試み。彼らに巣食う蟲は、欠けた肉体を補完する。たとえ骨を折ろうとも、蟲の外殻が骨代わりとなるでしょう』

七鴉翁の発言は事実である。
炎嵐に骨を折られた戦士たちは、まるで何もなかったかのように立ち上がってくる。
片足を引きずる様子もない。

「てめぇ……ふざけんなよ……」

七鴉翁の言葉を聞いて、炎嵐はさらなる怒りを覚えた。
下を向き、わなわなと身体を震わせた。
そうしてから顔を上げ、大声でこう叫んだ。

「そんなことができる能力を持ちながら、お前は何故人を助けようとしねえんだよ!その力を活かせば、怪我人がつらい思いをせずに済むじゃねえか!ムカついて仕方ねえ!」

炎嵐は、どこまで行っても善人だ。
敵の能力が今まさに自分を追い詰めようとしているときでも、その力で人を救える可能性を考えてしまう。
だからこそ、腹が立って仕方がない。
人々を救える力を持ちながら、他人を手を差し伸べないことに怒っている。

『そこまでお人好しとは!良いでしょう、私も鬼ではありません。貴方の尊い犠牲に、人々が涙を流すことを許しましょう』

ビルの中に七鴉翁の芝居がかった声が響く。
炎嵐の心には迷いが生じていた。
沸々と怒りながら、戦士たちとどう相対すべきか迷っていた。
当然、迷いは動きに隙を生む。
戦士の一人が振るった拳が、今まさに炎嵐の急所へと届かんとしていた。

「――《鉄杵》」

一本の鉄棍が、炎嵐の耳の脇を掠め、伸びていく。
敵の拳が炎嵐に届くその前に、棍の先端は勢い良く戦士の身体を突いた。
結果、炎嵐を襲う拳は向きを変え、急所から逸れる。

「ぼやっとしてんなよ、炎嵐」

炎嵐の後ろから、張三が声をかける。

「張三の旦那?!」

『張三!貴方まで此処にやって来るとは!百年の刻を無為に過ごし、今さら何をしようと言うのです』

「七鴉……言いてえことは山ほどあるが、まあ後回しだ」

張三は徐に構えると、戦士たちに鉄棍を向ける。
荒々しい炎嵐とは異なり、その構えは実に静かだ。
それでいながら張三から発せられる気は、喪心の兵さえ畏れを感じそうである。

「旦那!こいつらは!」

「わかってるよ。蟲だろう?ひとまず今は時間稼ぎだ」

炎嵐を諭すように張三が言う。

「この勝負、『破幇同盟』が引き受けた」
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