最高評議会議長とは自由惑星同盟の国家元首と行政権の属する最高評議会のトップである首相を兼ねる地位である。

1 概略

 最高評議会議長は内閣にあたる最高評議会を主宰する評議会議員である。作中のジョルジュ・ボナール最高評議会議長の例から判断すると任期は一年である。国家元首であり、行政府の長でもある最高評議会議長は同盟議会から選出される。元首と首相を兼ね、自由惑星同盟軍最高司令官も務める地位ではあるが、平時の権限は強くない。
「閣僚の任免には議会の同意が必要」「重要事項は閣僚との多数決で決める」「議会の解散権を持たない」など、第二のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを出さないための仕掛けが施されている。
議会の同意がなければ何もできない。議会によって戦時特別法に基づく非常指揮権が付与された時のみ、最高評議会議長は議会の統制から自由になる。(73話)
 この非常指揮権が最高評議会議長に付与されたのは宇宙歴669年にコルネリアス一世の大親征により自由惑星同盟が窮地に陥ったとき、および宇宙歴796年シャンプール・ショック時のジョルジュ・ボナール最高評議会議長の二回しかない。(45話)しかし、逆に考えると同盟議会両院において単独で過半数を占めた政党から最高評議会議長が選出された場合、非常指揮権を付与されずともルドルフと同等の権限が最高評議会議長に認められることになる。

 宇宙歴802年、一〇月クーデター民主政治再建会議のクーデター)を乗り越えたヨブ・トリューニヒト率いる大衆党は統一補欠選挙において同盟議会の両院で単独過半数を占めるに至った。(89話)作中最新話時点では、もはや最高評議会議長であるトリューニヒトを阻むものは事実上何もない。


2 歴代議長一覧

2-1 前世


氏名 所属政党 任期(宇宙歴)
サンフォード政権 ロイヤル・サンフォード 不明 ? - 796年10月 諸惑星の自由で2115万9180人の死者を出し退陣。
トリューニヒト政権 ヨブ・トリューニヒト 不明 796年10月 - 799年5月25日 バーミリオン星域会戦で無条件停戦命令を出し帝国へ亡命。
レベロ政権 ジョアン・レベロ 不明 799年5月25日 - 800年2月2日 800年1月16日、マル・アデッタ星域会戦での敗北後、スタンリー・ロックウェル大将らに射殺される。

2-2 逆行後


氏名 所属政党 任期(宇宙歴)
マヌエル・ジョアン・パトリシオ 不明 639年 - ?年 640年、ダゴン星域会戦
スペンサー 不明 670年代 フェザーン自治領成立を同盟側から支援
ダヴィド・ドレフュス NPC - 774年頃? 暗殺事件で世を去る。
改革派連立政権 エティエンヌ・ドゥネーヴ NPC 789年 - ビッグ・ファイブなど九名が政権を担当。
一年政権が持ったのは一度だけ、その他の者は一年に満たない短命政権に終わった
ビハーリー・ムカルジ
バイ・ジェンミン
エステル・ヘーグリンド
ラウロ・オッタヴィアーニ
バイ・ジェンミン NPC
第?次ヘーグリンド政権 エステル・ヘーグリンド NPC ? - 794年6月 794年5月、ヴァンフリート戦役で戦果を挙げることができず、退陣。
第?次ムカルジ政権 ビハーリー・ムカルジ NPC 794年6月 - 795年3月 794年10月-12月、第六次イゼルローン要塞攻防戦
795年3月末、上院選挙に敗北し、退陣
第一次ボナール政権 ジョルジュ・ボナール NPC 795年4月 - 796年3月 795年4月、第三次ティアマト会戦
795年9月、第四次ティアマト会戦
第二次ボナール政権 ジョルジュ・ボナール NPC 796年4月 - 797年3月 796年7月エル・ファシル七月危機シャンプール・ショック
同月19日、128年ぶりに戦時特別法に基づく非常指揮権が最高評議会議長に付与された。
同9月、レグニツァの悲劇
797年3月イゼルローン要塞攻略
第三次ボナール政権 ジョルジュ・ボナール NPC 797年4月 - 798年5月 798年1月、帝国領侵攻作戦「神々の黄昏(ラグナロック)作戦」実施。
同年3月帝都オーディン占領。同月末、上院選挙で圧勝、
第四次ボナール政権 ジョルジュ・ボナール NPC 798年4月 - 799年5月 799年5月、第二次ヴァルハラ会戦逆転敗北。「神々の黄昏(ラグナロック)作戦」失敗
第一次レベロ政権 ジョアン・レベロ 進歩党 799年5月 - 800年6月 徹底したハイネセン主義改革を実施。
800年5月6日暗殺未遂事件のため職務遂行不能に陥り、同年6月退陣。
エドアルド・バーニ 不明 800年5月 - 800年6月 レベロ議長が暗殺未遂事件で職務遂行不能となったため議長臨時代行を務めた。
第一次ホワン政権 ホワン・ルイ 進歩党 800年6月 - 800年9月 ハイネセン主義改革緩和が支持率低下を招き退陣。
第一次トリューニヒト政権 ヨブ・トリューニヒト NPC 800年9月 - 800年12月 800年12月27日、不信任案可決により退陣。
クリップス政権 クリップス NPC 800年12月 - 801年3月 801年3月、上院・下院同時選挙に大敗し、退陣。
右派連立政権 第二次トリューニヒト政権 ヨブ・トリューニヒト 大衆党 801年4月 - 802年3月 801年10月末、一〇月クーデター民主政治再建会議のクーデター)発生。
大衆党単独政権 第三次トリューニヒト政権 ヨブ・トリューニヒト 大衆党 802年3月 -

最終更新:2025年04月22日 11:15