本編:
二時間に及ぶ会談は、完全に失敗に終わった。
第七教区を代表する名門貴族であるグリュワール家とメディオン家の当主が、直接話し合う歴史的な日であったが、内容は我がグリュワール家にとっては散々なものであった。
「グリュワール家の皆様には、当家の食事は舌に合わなかったようですな」
対面に座った老人、ハンス・メディオンがしわがれた喉の奥で笑った。
第七教区の‘影の宰相’の痛烈な皮肉に、私はこの老人の真意に気付き、俯いて表情を殺すのが精一杯だった。
今回の会談は、我がグリュワール家が‘頭を下げて’実現した。
もともと、この財界、協会、そして中央騎士団に至るまで強い影響力を持つこの老人は、交渉に応じる気などなかったのだろう。
ただ、第七教区内ではメディオン家に継ぐ勢力と言われたグリュワール家を、打ちのめすことだけが目的だったのだろう。
ハンス・メディオンにとっては、退屈凌ぎに招かれた道化師と大差は無い。
ハンス・メディオンの左右に並んだ彼の手足とも言える‘四人の腹心’の嘲笑と侮蔑の視線からも、私は逃れる術を持たなかった。
「いや、そうでもありません」
私に代わり、隣に座った父が答えた。
目前にした政敵の言葉に、‘影の宰相’は僅かに眉を潜める。
グリュワール家の当主である父は、今回の会談の失敗は、第七教区での発言力の衰退に大きく影響し、私以上に失望と疲労が大きいはずだが、そのどちらも表情に浮かんでいない。
冷徹な表情で、静かに頷く。
「メディオン家の格式ある歓迎をご教授いただき、感謝の言葉もありません」
父の言葉は、私の背筋を伸ばし、顔を上げさせた。
ここが‘相手の城’の内部である事を思い出したからだ。
隙を見せれば、反撃の糸口すら失ってしまう。
「それにしてもここから見える景色は素晴らしい。近いうちにまた遊びに来てもよろしいですかな?」
父は窓の外に広がるチェス盤のように広がる街並みに目を移しながら、ゆっくりと立ち上がる。
メディオン卿の顔に刻まれた皺が一瞬深まったが、すぐに上品な笑顔が浮かぶ。
「もちろん、いつでもお越し下さい。歓迎しますよ」
「それでは近いうちに。今度は気に入っていただける手土産を持参しますよ」
帰りの鉄道に乗るまでの間、私と父は終始無言であった。
そもそも幼い頃から、親子の会話はほんど無かった。
中央議会で議長を務めていた父の職務は多忙を極め、アスガルド鉄道を利用しても半日掛かる自領に戻ることは、年に何度も無かったし、私も物心が付いた頃から十分な教育が受けられる環境が整えられていたからだ。
だが、自分の足で‘外’の世界を見てみたいという好奇心が勝るようになってから、状況が変わった。
身分を偽って街に出かけた際、世の中の理不尽さを知った。
高額な税金と賄賂の横行する役人に、あきらめの感情を抱いている農村の人たちにもあった。
会話が途絶えた決定的なきっかけは、私が苦境に追い込まれた村人達を館に招きいれ、半年振りに帰郷していた父に合わせたときだ。
必死に減税を願い出る村人たちに父はこう言った。
『民衆の貴族の屋敷への侵入は、刑罰の対象だ』
『彼らは私の友人です』
『お前の友人なら、その願いを私が適える義務は無い』
冷徹な父の表情と、失望に塗れた村人達の表情は、私の心を深く抉った。
自分の非力を呪い、‘貴族’という己の生まれを憎悪し、父と同じ血が流れていることを嫌悪した。
その日以来、私は引退騎士の元に通い詰め、強引に剣術を習った。
家柄も身分も関係なく、他人の為に使える力を持ちたい。
その一心が、私の剣技に才能を超えた成長を遂げさせた。
屋敷を飛び出したのは、それから三年後だ。
「もう一度、この街にくるつもりですか?」
私が父に声をかけたのは、発車のベルと共に列車が動き出してからだ。
上級客車を借り切ったが、使用人たちはコンパートメントの外に控え、対面四人がけのシートには私と父だけだった。
「戻らねばなるまい。秋の議会が始まれば、メディオンのシナリオどおり議会が進行する。‘特例第三次案件’が可決されれば、この第七教区は事実上‘メディオン帝国’となる」
父は表情を変えず、手にした書類の確認を行っていた。
「ですが、修正案を提出してもメディオン郷の圧力で・・・」
「秋の議会が集まる前に、円卓会議のメンバーが集まる絢舞踏会がある。そこで教会関係者をこちら側へ引き込めれば、‘裏の宰相’と言えども簡単に圧力はかけられんよ」
会話はそれっきり途絶えた。
暫くはアスガルド鉄道がレールを刻む規則正しい振動音が、私と父の間に横たわった。
「夢は諦めたのか?」
突然、思いもよらぬ言葉が父からかけられた。
「はっ?」
「昔、‘聖騎士’になりたいと言っていただろう。その夢は、もう諦めたのか?」
返答に窮した私の喉が、僅かに鳴った。
確かに‘聖騎士’になることを夢見て、剣を習い、家を捨てる覚悟で旅に出たのは事実だ。
自分の手で、世の中の不条理と戦い、守れる人を守りたかったからだ。
だがあ‘彼等’と共にした時間は、私に様々な事を教えてくれた。
「貴族の世界では、駆け引きの連続だ。先ほどのやり取り程度で感情を出していては、自分の‘城’は守れんぞ」
父の言葉が私の胸をえぐる。
「その通りですが・・・」
抉られた胸の奥から押し込めていた本音が、言葉となって漏れた。
「それでも、ここでは人は死にません」
屋敷を飛び出した私は、程なく‘彼ら’と出会った。
目的を達成するための強い信念を持つ‘彼’と個性的な仲間たちに、私は好感を覚えた。
‘彼等’の目的とは、通常の騎士団や自警団を凌駕する圧倒的な力を持ち、神と社会の定義に反する存在、すなわち‘異端者’を討伐することだった。
私は彼らに協力を申し出、半ば強引に彼らの旅に加わった。
焚き火も起すことも出来ず、塩漬け肉を吐き出したりする私を、当初の彼らは疎ましく思っていたようだが、襲撃者を撃退し、複雑に絡まった真相を解明するうちに、次第に‘仲間’と認めてくれたようだ。
そして、‘異端者’を追い詰め、捕獲まで後一歩という所で、仲間を殺され‘異端者’を取り逃がした。
私を受け入れてくれた仲間の無残な亡骸が、青くさい私の正義感を、打ちのめした。
『君は、どうする?』
‘異端者’を追走するため、半島北部へと続く分岐点で問いかけてきた‘異端審問官’に、私は家に帰る事を告げた。
「ここでも、人は死ぬぞ」
父の声は、回想に浸る私の心を現実へと抉りかえした。
「政治が人を殺す。・・・在る時は何千、在る時は何万とな」
脅すような声色ではない。
それだけに断言した口調が、‘事実’を私に突きつける。
私は何か言い返そうとしたが、必死で口を動かしても言葉を紡ぐ事が出来なかった。
そんな私の窮状を知ってか、父がゆっくりと手にした書類から目を上げる。
「・・・私もお前と同じくらいの年の頃、家を飛び出した事がある。当時の夢をお前の祖父にあたる方に大反対されてな。・・・もっとも私は三日で戻ってきてしまったがな」
書類から目を上げた父は、対面に座る私に顔を向けた。
こうして向かい合うことなど、何年ぶりのことだろう。
「今では夢を諦めた事に満足している。夢を追い続けているよりも、遥かに多くのものを手に入れられたと認識している。だが・・・」
父は視線を列車の窓に向けた。
走り去る遠景に目を細める。
「時折、あの時の‘夢’を思い出すと、胸の奥が疼く。・・・夢を諦めるのは辛い事だ。お前の中でまだ燻っているなら、お前の進む道を見誤るな」
私は黙って父の横顔に視線を注いだ。
いつもの通り冷徹な表情を浮かべたままだ。
先ほどのメディオン卿の挑発を受け流した時と同じく。
かつて、村人達の懇願を却下した時と同じく。
個人の感情を出さず、自分の責務を果たすことが父の生き方なのだろう。
ならば、私の生き方は・・・。
「次の駅で、半島北部へと向かいます」
私は父の前に片膝を着くと頭を下げた。
「友の元でやり残した事があります。大恩あるグリュワール卿の元から、このような形で去る事をお許し下さい」
「許す。精進せよ」
威厳と風格に満ちた父の声が、私の耳に届いた。
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解説:
基本的に善人で、(安っぽい)正義感→マグ民衆世界の厳しい状況→挫折・苦悩→解決というパターン
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小話「上級貴族・その後」に続く