「ヒューヴル王国」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

ヒューヴル王国 - (2021/09/14 (火) 17:41:41) の編集履歴(バックアップ)


ヒューヴル王国
Avairaakayaai lhiiveran

(国旗)
国の標語:恒久に流れる時間の中で
国歌:雲上のスルヒ
主要言語 ヒューヴル語
首都 ケンマル
最大の都市 チナマッカ
政府 シロッカンマル宮廷
国家元首の称号 女王(アヴァイラー)
政治体制 封建制
人口 約296万5000人
主な宗教 シャーンダートラール信仰
通貨 ヒューヴル・リュイン
建国年 Sint.前3世紀頃
加盟年 1627年
領 有
母星 アヴァイトラール
首都星 同上
その他惑星 なし
領有星系 アヴァル

 ヒューヴル王国(飛:avairaakayaai lhiiveranアヴァイラーカヤーイ・ヒューヴラン)はレーウス宙域アヴァル星系の惑星アヴァイトラールを領有する王政国家。ヒューヴルでは女性の王族がアヴァイラー(女王)に即位する。


概要

 ヒューヴル王国は惑星アヴァイトラールの豊かな自然に囲まれ、風光明媚な景色に恵まれた観光立国である。大宇宙連合会議加盟国の中でもトップクラスの観光産業を有する。そのため、観光産業への産業依存度は圧倒的に高い。また、ヒューヴルにはあらゆる種類の伝統的な芸術や文化を持ち、それらの工芸品や土産品などの生産も盛んである。
 人口・居住可能面積は最も少ない部類に属する。

歴史

ファーストコンタクト

 1612年、ジエール帝国連邦がケンポルタール群島のチティヴァンダーサルーム島に降り立つ。島民と接触したという宮廷はヒューヴル女王が面会に行き、祭典が開かれた。
 ジエール調査船団の代表だったケナイント・ルニャ・フェオトロートはこの祭典が退屈だったらしく「とっとと併合の手続きを始めさせてくれないか」とボヤいたらしい。

ジエール・サーヴァリア戦争

 ヒューヴル女王国の領有権を巡ってジエールとサーヴァリア間で戦争が勃発。
 サーヴァリア占領下の首都ケンマルで市街戦が行われ、ジエールが奪還した。宮廷のあるアヴァイランダー・サロマッカンには戦闘に巻き込まれた一般人慰霊碑がある。

星系間通信時代

 1699年、国内初の企業、シルイシルイ運輸社が開業。ヒューヴル国内で宇宙船を利用した運輸産業が発達し、多くのヒューヴル人が宇宙船を操縦するようになる。また、星系間の交通網、通信網が拡大し、観光業と運輸業の利益が増大し、緩やかな経済成長が始まる。
 1705年、ヒューヴル全土で大量にサッコリャル窟が発見される。同年、エルトリア王国公衆衛生局によって封鎖される。

 1710年、サーヴァリア革命が発生。エルトリア王国が「サーヴァリア貴族会」への支援を決定すると、ヒューヴル女王国はサーヴァリア貴族会への輸送物資支援に協力した。その後、サーヴァリア貴族会がサーヴァリア経済連合となった後も支援は継続された。
 最終的に、サーヴァリア貴族会は小康派と共にサーヴァリア企業連合政府を樹立し、サーヴァリア革命は終結した。
 この戦争でヒューヴル女王国は戦争経済により更なる経済成長を遂げ、さらに正当性を得たために大宇宙連合総会における発言力を増した。
 また、同年締結されたギゼヴトラ・ZHL条約にヒューヴル女王国はエルトリア王国及びサーヴァリア企業連合と共に調印した。元々ZHL兵器については該当する兵器を所持しておらず、開発すらしていなかった。

 ニーネン=シャプチのS合金買い占め政策において、ヒューヴル女王国が圧力をかけられ、全備蓄量の3%を輸出する。これがディガイナのラジオ放送で取り上げられ、ニーネン=シャプチは国際的なバッシングを受け、またヒューヴル政府はサーヴァリア企業連合からの圧力を受けた。

 1719年頃、20年余りに及んだ経済成長がストップする。
 1724年、ヒューヴル女王国領アヴァイトラールのケンポルタール島にクレデリア人男性4名が乗った宇宙船が来航。ドゥイモンナトゥッカの中年男性の住む家に宿泊し、お礼として食料や予備物資を渡して帰っていった。
 当時、政府も含め島民は彼らがクレデリア人であるとは夢にも思っていなかった。むしろ、ケンポルタール島に伝わる昔話と同じようにしてやってきたクレデリア人を神の使いであると勘違いし、ケンポルタール島では島民全員を挙げてのお祭り騒ぎとなった。クレデリア人たちがお礼の品として残した数々の物品はケンポルタール島の聖域のある祠に丁重に保管されることとなった(食料は塩漬けにして保存した)。
 彼らが帰った後、「ケンポルタール島に神の使いが来たこと」はヒューヴル国内に瞬く間に噂話として広がり、ケンポルタールのシラマーラー(島山守人/地方領主)の耳に入り、このことを宮廷に報告した。そしてシロッカンマル宮廷はエルトリア王国にそれを伝えた。
 その後も何度かクレデリア人の翻訳専門家がヒューヴルに来航し、その度にお祭り騒ぎとなった。神の使いがやってくる度に宮廷の広場で1000人規模の舞踊を披露したり、食べきれないほどの酒とご馳走を用意するなどして歓迎した。
 1725年にエルトリア王国の仲介によりクレデリア共和国は協商連合に加盟した。ヒューヴル女王国政府としてシロッカンマル宮廷はこれを歓迎し、その日を記念祝日に指定した。
 1728年には、クレデリアの翻訳専門家を招いてプイ・シャヌイの神事や儀式を執り行った。アヴァイランダーサロマッカン島のアヴァルマル山の頂上アヴァイラッカで行われる国内最高権威の儀式「神の御手の儀(シャーナワインダー・ダッカマン)」ではクレデリア人翻訳専門家がかざした手の周りを光らせた(虚体空間技術による)ために、神の使いの証明となり、シロッカンマル宮廷はクレデリア人を正式に神の使いであると認めた。この日もシロッカンマル宮廷が記念祝日に指定し、国民は各地で踊り狂った。

 ヒューヴル女王国は1730年代に入るとアンドロイド市場の活発化から慢性的な不景気に突入する。アンドロイド技術の導入が宮廷で議論されるも、国政健全化の観点から見送りとなる。

 1733年、アクース内戦勃発。サーヴァリア企業連合が内戦に介入を表明。ヒューヴル政府は投入できる軍隊が少なすぎることから、非介入を宣言するも、サーヴァリア政府の支援要請に応えて後方輸送支援を担当。


政治

シロッカンマル宮廷

 若い女王が最高権限を握る宮廷。女王の座を退いた執政が政治を輔弼し、その下には官僚の長であるタイワタカッパラー(三大官)がいる。タイワタカッパラーはそれぞれ、漁業や農業、神事と儀式、商業と観光の部門に分かれている。

シラマーラー

 シラマーラー(sramaaraa)とは島山守人(地方領主)のことであり、シロッカンマル宮廷の支配下にある地方役人である。
 シラマーラーは各島ごとに配置されており、彼らの住む屋敷はシラプニ(sraponi)という島の役所になっている

経済

 ヒューヴル発見のシンテーア暦1627年からシンテーア暦1693年までの間、ジエール帝国連邦に支配されていたが、ヒューヴル人の国民性やジエールの開発資金難などの要因が重なり、エルトリア王国に売却された。それ以降はヒューヴル女王国はエルトリア王国の保護国となっている。
 通貨ヒューヴル・リュインはジエール保護国時代に貨幣経済の浸透と共にもたらされた。当時はジヒラート8世アオン・シオン・ヴェードギャッコー・セーヴェル・ディオンの肖像画が描かれていたが、現在はツァイヴァ3世現在のヒューヴル・アヴァイラー(女王)などが描かれている。
 なお、ジエール帝国連邦の偉人が描かれた旧ヒューヴル・リュインは一部のコインマニアにとって最も入手し難く、最も価値のある通貨として珍重されている。そのため、大宇宙連合会議の中では最も価値のある通貨に認定されている。

軍事

国際関係

 ヒューヴル女王国は大宇宙接触から地理的にレーウス星系やツーンカ民主主義共和国に近く、必然的にヴァルエルク共和国サーヴァリア企業連合ジエール帝国連邦など経済大国の強い影響を受けている。現在ではエルトリア王国の保護下に置かれ、文化保護政策の下、観光産業と運輸産業を育成し外貨を獲得している。

地理

 詳細については惑星アヴァイトラールを参照

チナマッカ群島

 ヒューヴル王国の中央部とされる群島。比較的大きな島が多く、人口密度も高い。経済活動が活発であるが、それゆえに海洋の水質汚濁が問題視されている。
 ヒューヴル最大の都市チナマッカが存在するヒューヴル最大の島であるチナマッカ島、エルトリア王国が観光の島として開発したシルイシルイ島、首都ケンマルが存在する聖地アヴァイランダーサロマッカン島などが存在する。

ケンポルタール群島

 赤道直下に存在する群島。大きな島は経済力があるが、小さな島にはヒューヴル人の伝統的な文化がよく残っており、現在でも保護されている。火山活動が活発でいくつかの海山が存在する。北西から南東方向に南半球の広い地域を占める。
 伝統的な暮らしが残っている群島地域であり、ヒューヴル観光上級者の間では有名なドゥイモンナトゥッカがあるケンポルタール、シンテーアの開発によって発展した街シャナスンがあるチティヴァンダーサルーム島などがある。

ムイハナ群島

 北緯30度~40度付近に存在する。地殻変動で浮き上がったリフト部分の浅瀬に形成された藍藻サンゴ礁。東西に細長い群島海域であり、それゆえにそれぞれの島も細長い。
 ヒューヴル人もあまり住んでいない辺境の群島地域であり、亡命等で隠居している連合会議の著名人が居住しているマニマール島やヒューヴル牛のレースで有名なスイニマ島などがある。

国民

 ヒューヴル人は一般的に陽気で大らかである。のんびりした性格であり、長らく精密な時計が発明されていなかったこともあり、時間に極めてルーズである。お調子者が多く、優柔不断な性格である。彼らの好むことわざの一つに「踊る人いれば、そこに入れ」がある。

人物

プイチャン・ニョパルマッカ

 通称もてなしの神様。17世紀のヒューヴルの有力大臣。レーウスの大国相手に使節の歓迎パフォーマンスを始めた人物であり、ヒューヴルの文化力と観光力を見せつけた。外交の席では落ち着いた物腰ながらも素朴な一面があり、一方で組織化が上手く、計算高いリーダーでもあった。

文化

舞踊

 踊りは文化のあらゆる面に浸透しており、神事の祈祷、神話、民話、歌劇、俗世の流行り舞踊、祭事、ただの騒ぎまで多種多様な舞踊が存在する。ヒューヴル人は舞踊を大変好み、生活のあちこちで見ることができる。
 サーヴァリア人に商談を持ちかけられた時など、ストレスが溜まるととりあえず踊ることがある。

母系社会

 ヒューヴル人家庭では伝統的に女性(特に母親・祖母)が強い権力を持つ。これは子供を支え、育児や家事を行うことが家庭内の実力であると見なされているからであると言われている。ヒューヴル人女性は男性に比べてしっかり者であり、働き者である。また、妻は夫に代わって職場に出ることもあり、必ずしも家庭の守護者としての立場が社会的に強制されている訳ではない。独身女性は文官家のベビーシッターをすることもある。
 ヒューヴル人男性にとって、女性(特に母親)を守ることは最大の美徳であると言われている。男同士の義理を重んじることも大事なこととされている。

記事一覧