本項では、ファルトクノア共和国に居住するショアン民族について解説する。



概要

 ファルトクノア共和国は、ユエスレオネ連邦の外交官がウェールフープ転送事故によって大宇宙世界の惑星スラーン、当時ショアン王国であった領域に誤転送されたことに始まるファルトクノア紛争によって成立した。
 連邦政府による軍政開始までに、連邦軍はショアン王国の領土に進撃し、多くの領土を獲得した。この際にファルトクノア共和国においては多くの割合がショアン人であり、軍政統制の対象とされた。
 ファルトクノア内戦終戦時点での民族比率は、60%がヴェフィス人、20%がラネーメ人、18%がリナエスト人、2%がその他となっており、ショアン人は殆ど存在していないものとされるが、これには歴史的・法的原因が存在している。

歴史

成立による同化意識

 当初、ショアン人の多い北側地域は、軍政時代には「北ショアン共和国」と名付けられ、ショアン人による民政帰還が推し進められた。しかしながら、政争に負けてファルトクノア共和国へと左遷されたラヴィル・ド・エスタイティエは軍政を支配の邪魔であると考え、ショアン人による政治組織「イェスカ主義研究会」を通じてプロパガンダを行った。
 実際のところ、発展度合いとしてはショアン人が多い北ショアン共和国側が現地人の反発などを受けて、連邦式の健全化が遅れており、ファルトクノア共和国側が進んでいた。このため、ファルトクノアの権益や富を狙うショアン人貴族の一部などはラヴィルに迎合し、イェスカ主義研究会に参加し、ファルトクノア共和国への同化を唱えた。

併合以降

 北ショアン共和国がファルトクノア共和国に併合すると、ショアン人組織「イェスカ主義研究会」はラヴィル・ドゥ・エスタイティエ・ラタイハイトが中心に設立した軍事政府臨時行政会議のメンバーに迎合し、独裁政党「ファルトクノア社会行動党」として合併。ショアン人貴族はファルトクノアの国会議員としての立場を得て、保身に成功する。
 一方で、大多数のショアン人平民は苛烈な連邦化政策に巻き込まれ、ショアン文化を公の場に出すことが出来なくなっていった。また、併合前からイェスカ主義研究会がショアン文化が近代化の弊害であり、イェスカ主義こそが富に繋がると喧伝していたことによって、自らの文化に自信が持てなくなっていたことも文化継承の障害になっていた。

民族認定制度

 ラヴィル政権は、ユエスレオネ連邦憲法における権利保障項目や連邦言語法を恣意的に解釈し、「民族認定制度」を実行した。
 民族認定制度は、国民の民族に関する国勢調査を行うものであったが、リパライン語が話せるファイクレオネ系民族以外は連邦の統合政策を名目に言語研修所への通学を命令された。この命令に反するものは逮捕され、また言語研修所における言語研修は長時間に渡るものであり、社会的に厳しい立場にあって、多くが一次産業を担うショアン人平民には大きな負担であった。
 しかし、これには抜け穴があり、ショアン人はリパライン語を「ザラーウア」(こんにちは)の一言でも話せれば、ショアン系リパラオネ人として申請することが出来、言語研修を回避することが出来たのである。これは本土での歴史的なリパラオネ人解釈(リパライン語が話せれば、ルーツは別でもリパラオネ人という解釈)を更に悪用したものであり、ラヴィル政権はこれによって国勢調査上での「ショアン人」を消し去ろうとした。

迫害

 ファルトクノア共和国においては、開拓者が多く移民しており、豊かな地域を拡大していたが、ショアン人差別は連邦本土と隔絶されていることもあって、時空鋲確立までは苛烈なものであった。このような差別を逃れ、ショアン王国へと渡ったショアン人も多くおり、これはファルトクノア共和国におけるショアン人の人口低下に確実に関与している。

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最終更新:2023年05月20日 01:08