1te slarnen steljuviedicco'd elm
第一次スラーン宙域戦争(理:1te slarnen steljuviedicco'd elm)または単に祭政戦役とは、ファルトクノア共和国による天牌公国併合に始まる宙域戦争である。
過程
開戦前夜
シンテーア暦1767年12月8日、ファルトクノア共和国は有名無実化していた天牌公国の行政系統を自国に統合することを閣議決定し、統合のために行政関係者や治安維持のために陸軍が出動していた。行政系統の統合は安定した移行のために翌年1768年12月までを目処に完了させる手はずになっていたが、これに対してファルトクノア共和国の軍事的増長を危惧したミルドネジア公国がこの統合を非難することになった。1767年12月13日、ミルドネジア公国はファルトクノアの天牌公国併合を天牌公国の自治権の侵害として非難し、ファルトクノア人に対する入国ビザ発行拒否などの圧力を掛け始めた。
ファルトクノア側は「天牌公国の併合はそれまで国際法上の保護国でありながら、その事実上の行政・軍事をファルトクノア
共和国が受け持っているものであり、編入は妥当である」とする見解を12月15日に発表する。また、「ミルドネジア公国の措置は国際的緊張を徒に強めるものであり、我々の編入過程は平和裏に行われている」として、ファルトクノア政府はミルドネジア政府を非難した。ミルドネジア政府はこのような批判から国際的孤立を避ける形で、12月18日に国境が接することになるケードゥアン政府とホットラインの確立を含む国際的協調姿勢を取るように打診し、12月19日にスラーン宙域国際和平連盟(通称、連盟派)を形成した。
小競り合い
1767年12月21日、連盟派の圧力に対してファルトクノアは「国家の主権を守るためには武力抗争も已む無し」とする首相提言を国際的に発表した。しかしながら、ファルトクノア国内ではこの頃から外務省大臣レシェール・ファリーヤ・リュイユを含む外交陣が交戦を否定し始めていた。政権の中でもリュイユ派は好戦派でありながら、交戦を否定した理由には諸説あるがリュイユ自身がラヴィルの政権内での権力掌握を危険視していたためであったからであると言われている。ファルトクノアの外交官はミルドネジア政府やケードゥアン政府とホットラインを確立し、情報共有や第三者会議を提案し続けていた。しかしながら、13月4日には国境付近で銃撃戦が発生、ファルトクノア側は軍隊が越境したと主張したがケードゥアン側がこれを否定したことから、外交的解決が難しくなっていった。
戦力
統戦派
連盟派
枝葉末節
最終更新:2022年10月26日 04:33