【ペルヴェン共同体】
【Pervan】
現在のペルヴェン共同体に相当する地域には花暦0期より前から種族が暮らしていたとされており、その後さまざまな古代文明が栄えた。花暦500期まで族長制を基とした社会構造が存在したことが明らかになっている。
花暦1789期に勃発したラトガル共和国の独立宣言、そして1808期のシェードル連邦共和国の上陸・不平等条約の締結、それに反発する国民の反乱を契機にレックナート海峡戦争が勃発した。 1865期にノフレトが政権を掌握すると、ノフレトはオルベンへの北方施策として群島諸国に侵攻。オベル王国が中心となった群島諸国軍によって、ペルヴェンの軍艦と海戦を繰り広げる(群島解放戦争)。ペルヴェンの北方施策は中断される。この時期に学校・軍隊・鉄道が整備された。1872期にノフレトは暗殺された。
2054期、東の海一帯を我が物にしようと目論み強大化するシェードルによる、ペルヴェン第2港襲撃により南方15期戦争勃発。ナ・ナルがシェードル、ラトガルがペルヴェン側として参戦し、激しい海戦が繰り広げられた。両者一歩も引かず、2069期に曖昧な形で休戦となった。両国間に大きな亀裂が入り、しかしシェードルは、東の海占有は叶わず、周辺国がそれぞれ領有を果たした。戦争終結後の2147期、ナ・ナル内でガイエン氏による蜂起により、内乱が始まる(ガイエン独立戦争)。大陸側のナ・ナル領に新たな国家が誕生することとなる。
2170期にシェードルのシュトルテハイム・ラインバッハとペルヴェンのスノウ・フィンガーフートの使者が和約を結び、戦争は終結した。シェードルはペルヴェンへ損害賠償金を支払った。この戦争は、両国の国力を圧迫し、相互間での関係悪化を招く結果となり、後年まで悪影響を残すこととなった。