ヴェーグファダ=ツァニェー
boerrfada-chsanie^
生年月日 ガールン暦3344年
下1月1週4日
(シンテーア暦1607年)
出生地 ジャフーグ
ニャルカトナス
没年月日 ガールン暦3500年
下4月4週7日
(シンテーア暦1677年)
死没地 ジャフーグ
ニャルカトナス
次代 ティエフェダーム
前代 ニャンクタルヒュ
出身校 ニャルカトナス高校
前職 サナル地方警察
称号 雷鳴の人
配偶者 ヴェーグファダ=ユールテ

 ヴェーグファダ=ツァニェー檀語boerrfada-chsanie^)はニーネン=シャプチの政治家、地方警察職員、ユグム料理研究家、主婦のガールン人とネグエ人の混血の女性ナグシャ。強く安全保障を訴える狐の目党の党首であり、第40代星衛主席として1640年代以降のゴルギアの時代において辣腕を振るった人物として知られている。


生い立ち

 ツァニェーはジャフーグのサナル地方、ニャルカトナスの郊外にある平民階級の家で生まれる。生まれつきぜんそく持ちで幼少期から引っ込み思案だったツァニェーは外に行く時も家にいる時も片時も離さず本を読んでいた。父親が大シャプチ大学ファウ分校(マグラン=ガランの母校である)の客員教授をしていたことから、読んでいた本は植物や魚類の図鑑や専門書ばかりであった。近所の悪ガキしばしばからかわれたりいじめられていたりしていたが、後の夫になるユールテがよくそれを追い払っていた。
 ユールテはツァニェーが自分の知らない様々な知識を持っていることを尊敬しており、またツァニェーはユールテのように物怖じせずきっぱりと意見が言えることを尊敬していた。

学生時代

 幼少期から本の虫だったツァニェーは幼年学校時代から一番の秀才になり、そのまま地元で最も偏差値の高いニャルカトナス高校に入学した。首席で卒業し、そのまま幼馴染のユールテと結婚し、主婦の生活を送った。

社会人時代

 この頃のニーネン=シャプチはジエールとのシ=ギーラム事変やロフィルナとのゲフレイバール事件が相次ぎ、また、ニーネン=シャプチの大宇宙連合会議加盟もあって国内は騒然としていた。
 ツァニェーは様々な主張を夫のユールテに訴えるが、彼自身がノンポリであったこともあり、ただ聞き役に徹されてしまったために議論にならなかった。そのため、彼女は星衛主席の任期を終えたクヌージェ=イレ=タルノーの下に行き、対談の中で熱い議論を交わした。タルノーは彼女の政策への熱意なら立党しても支持が集まると考え、そのことを助言した。
 ツァニェーの第一子が生まれ学校に通うようになると、専業主婦をやめ、国家資格を合格した後にサナル地方警察に就職した。また、この頃から内気な性格から外向的で苛烈な性格へと変化していった。
 警察の仕事は彼女が思っていたよりもずっと大変だった。国内情勢が不安定だったために、ヴァルエルク民主主義過激運動家や、グロスクロイツ共産主義過激運動家の逮捕や陰謀論者らによるデモの鎮圧、ヴィッテンクレイル人不審者への職務質問など多くの仕事をこなした。残業や休日出勤が続き、不注意から階段で転倒して全治三週間の大怪我を負ったこともあった。

政治家時代

 狐の目党を設立。初期メンバーの大半は彼女の同僚の警察や地元の自警団の人々だった。また、マネージャーとして夫のユールテも党に加わった。
 内政面では未だに不安視されていたニーネン=シャプチ国内の陰謀論者や過激運動家の取締りを強化する治安維持改正法の実現、外交面ではナイユシ=ハウム党の外交融和に倣いつつも麻薬、国際汚職、反社会的組織の入国拒否のための警備体制の強化を掲げ、招民院軍部の末端組織として自警団の国営化と武装の充実をはじめとした秩序強化のための軍備拡張と国防力増大を支持。「秩序のエフューラフト思想」を掲げた。
 狐の目党は結党当初から注目を集め、平民のための団結党設立者のパナジェンが政党アドバイザーを務めるようになると、シンテーア暦3年ほどで有力政党にのし上がることとなる。

星衛主席時代

 1636年にニーネン=シャプチ初の大民族祭を開催する。大民族祭とは国教院が主導するニーネン=シャプチで現在最も大きな祭典であり、宗教統一と民族融和を祝う祭りである。ツァニェー自身も父親がガールン人、母親がネグエ人の混血であり、民族融和に多大な関心を寄せていた。また、この大民族祭についてナイユシ=ハウム党が全面的な支援を行っており、著名人ではクヌージェ=イレ=タルノーがアドバイザー兼調整役として第1回大民族祭の実行委員長を務めた。
 1641年、大宇宙連合会議国家承認委員会がボルガード人政治組織による建国を認めず、反社会的勢力に認定。これを受けてツァニェーは当初ボルガード人に対して同情的だった。しかし、ドルムント公官庁テロ事件で態度は一変し、「彼らは平和的解決を望んでいるものだと思っていた。やはりテロリストと変わらないのだな」とコメントした。
 1643年、ニーネン=シャプチのゴルギア組織「新世界」が誕生し、ジェスチーク国際宇宙港(現:ジェージェム国際宇宙港)の毒ガス散布テロ未遂事件をきっかけに対ゴルギア路線に転じ、「情け容赦のない抵抗」を宣言する。
 また、毎月に及んでゴルギアの違法宇宙船爆破に立ち会い、その度に「君たちの両親はこの愚行をやめさせなかったのか?」、「この国に悪党はいらない。庭で遊ぶ子供たちの邪魔だ」、「君たちは子供のためにこのような悪事に手を染めたと言うが、それは親心ではなく、悪心だ」などと過激なコメントを残した。
 また、政治スキャンダルでは、「ツァニェーが大学進学を断念して高校卒業後に結婚したのは既に高校時代に妊娠していたからで、国家元首が高校時代の不純異性交遊で結婚したという事実は社会的に問題のある行動なのではないか」という記者の問いに対して、「それは私のどの政策に関連があるのだ? あるいは、それで私を失脚させたとして、私もより良くゴルギアに対処し国の子供たちが安全に外出することができる社会を作ることができる者が代わりにいるのか? 私はゴルギアがただ単に邪悪だからといった理由で鎮圧しているのではなく、か弱く愛おしいこの国の将来のために行っているのだ。 君はマグラン=ガランを尊敬しているようだが、マグラン=ガランは君を軽蔑するよ」と返し、記者を泣かせた。なお、このやり取りは全国生放送で招民院報道局が中継していた。このフレーズは流行語になった。
 ツァニェーが始めた対ゴルギア路線はティエフェダーム政権時代を挟んで狐の目党のミェンプトゥー政権まで継続し、コンクーナ掃討戦による終息宣言まで続いた。

(中世ロフィルナ第四次内戦についての追記の必要あり)

人物

 細目でつり目が特徴的な狐耳の女性ナグシャ。身長は平均程度だが痩せている。
 幼少期は気弱で引っ込み思案な性格だったが、高校卒業後から徐々に苛烈な性格へと変貌し、正義感の強い母親的性格へと変わった。過激な発言とパフォーマンスで知られるが、その根底では子供たちへの母性愛から来る弱者救済の理念が一貫している人物でもある。評論家によれば、彼女の正義感は「時代が生み出したマグラン=ガラン思想の答え」とも評される。
 二児の子供を持ち、私生活では子供を大人同様対等に扱う教育を施し、生活習慣や規範には厳しいところもあるが、基本的にはやりたいことをさせるというある意味放任主義な部分があるという。まれに親バカな一面を見せる。
 高校時代のスキャンダルに関しては在学中の妊娠については否定しているが、大学に進学しなかったことを「悪い選択肢ではなかった」と肯定している。実際にツァニェーの長男の生年月日を調べても在学中の妊娠でなかったことが判明している。
 政治家としてはゴルギア鎮圧のための尽力が取り沙汰されることが多いが、大民族祭の開催などの文化面への貢献や前の与党ナイユシ=ハウム党の親ロフィルナ路線の維持など、政局に対するバランス感覚も優れていた。また、政界での人間関係の構築も上手であり、結果的に多くの有力人物の協力を得ることに成功したことが実績にも現れている。
 政界の著名人に関しては、元星衛主席タルノーとも親交があり、狐の目党設立前からの協力者であり、師匠として尊敬している。また、彼の率いたナイユシ=ハウム党とは大民族祭プロジェクトで協力関係となった。また、後の第42代星衛主席ミェンプトゥーとは師弟関係であり、政界での協力体制の構築の仕方やゴルギア対策についてのノウハウを伝授している。

名言

  • 「それは私のどの政策に関連があるのだ? あるいは、それで私を失脚させたとして、私もより良くゴルギアに対処し国の子供たちが安全に外出することができる社会を作ることができる者が代わりにいるのか? 私はゴルギアがただ単に邪悪だからといった理由で鎮圧しているのではなく、か弱く愛おしいこの国の将来のために行っているのだ。 君はマグラン=ガランを尊敬しているようだが、マグラン=ガランは君を軽蔑するよ」 - スキャンダルの取材に対して記者に放った発言

トリビア

  • 育ち盛りの子供たちへのおやつとしてボリューム満点のツァニェー風ユグムを考案した。狐の耳のように細長い楕円形に成型することで型崩れしにくく簡単に作ることができる。多めの油でカリっと焼いて外側はサクっと内側はもちっとしているのが特徴。

関連項目