きょくおうしんざ
既に死んだ筈の
覇道神が気付けばこの空間に囚われていた。
歴代の異なる
神座・
覇道太極が同時に存在するという異常事態。これはあの
波旬でさえ例外ではない。
本来、覇者は一つの時代に一柱のみ。何故自分達は生きているのか、何故同時に存在し得るのか、
黄昏の覇道共存を思い浮かべる者もいるが、この場に集められた
覇道神達にはその理屈を理解することはできない。
確かなことは一つ、神よりも上位の法を敷く者がいるということ。
それは“
ナラカ”。
覇道神をこの異質な空間に囚えた原因と目される者。これは大が小を支配するという神座世界の法則と同じだが、
ナラカはそういった理屈に当てはまらない。
波旬が他者が存在しながらも滅尽滅相を開始せず、大人しくしているのは異質に過ぎる
ナラカを探すことに躍起になっているからで、周りにいる神に気づくことができていないから。
水銀はこの状態を「大枠では
ナラカが生き返らせたという表現でいいが、復活と呼ぶには違和感を覚える」「察するに最初からこういう仕組みだった」としている。
また
覇道神は
ナラカに生殺与奪を奪われており、負傷も勝手に再生するため自決することが出来ない。
この場で
黄金は
自滅因子の業から解き放たれ、座を握ることも無かった刹那と共に架空の神座を手にしている。
異なる
太極(覇道神)が同時に存在しているにもかかわらず、鬩ぎ合いが発生していない。神々の視点では自分が神のままで、黄昏の覇道共存を思い浮かべている者もいるため、太極を閉じたりしているわけではない様子。
神々が人に戻ったわけではなく、覇道が強制的にぶつかるわけでもない、結果、この場においてのみ覇道神達は(実際は神/太極のままだというのに)能力がONOFFを効くかのように行使しているように見える。
争いや諍いは起きても決定的な殺し合いにならずさせない
黒の七王の
会合はこの場所で起きていることと非常に酷似している。
アフラマズダの予想によると、これは
真我によるパンテオンに臨む神々のシミュレーションであり、黒の王の数が七名なのは
“零”と戦う切り札が登場するまで神の座が最低六度流転すると想定していたからだという。
最終更新:2024年10月07日 17:14