作品別用語集 - 十珠伝

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作品別用語集 - 十珠伝 - (2008/11/14 (金) 00:25:50) のソース

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*◆十珠伝について
-原作は曲亭馬琴の[[「南総里見八犬伝」>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%B7%8F%E9%87%8C%E8%A6%8B%E5%85%AB%E7%8A%AC%E4%BC%9D]]。基本的に原作準拠。マイリストは[[こちら>http://www.nicovideo.jp/mylist/4921352]]
-タイトルの読みは「とおじゅでん」。他にもいろいろ呼ばれているが、分かれば何でもいいらしい。現在連載されている「肇輯」の読みは「じょうしゅう」で、第一集の意味。
-時代背景や設定は以下のとおり。
--メインとなるのは文明十年(1478)。室町時代後期で、応仁の乱終結直後。
--服装は当時の時代衣装。
--年齢は数え年。漢数字で表記する。
--日付は旧暦を使用し、漢数字で表記する。アラビア数字の場合は西暦。
--男女の地位はほぼ同じ。子どもは男女とも十二歳で元服する。
--地名や人名は、史実と原作双方から都合のいいものを使用。
-主な参考資料は以下のとおり
--原文「南総里見八犬伝」曲亭馬琴作・小池藤五郎校訂 岩波文庫
--漫画「八犬伝」碧也ぴんく
--サイト「白龍亭」
--サイト「伏姫屋敷」
--解説書「完本 八犬伝の世界」高田衛



*◆人物-アイマスキャラ
年齢は文明十年(1478)時点。

**高木順一朗
-五十六歳。応永二十九年(1422)七月六日生まれ。
-安房国国主。居城は館山城。
--物語の発端となる人物。二十歳の時に結城合戦で敗れ、安房に落ち延びてきた。紆余曲折を経たのち、若くして安房の国主となる。
--若い頃から宝珠を探している。その理由は彼が安房に来てからの出来事と関係があるらしい。
--原作では[[里見義実(さとみ よしざね)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%BE%A9%E5%AE%9F]]及び義成(よしなり)に相当。義実は架空説もあるがおそらくは実在した人物で、史実でも安房には白浜から上陸したらしい。一方義成は[[里見成義(さとみ しげよし。または義成・よししげ)>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E6%88%90%E7%BE%A9]]に相当するが、実在した裏づけが取れないため架空の人物とされている。
#region(高木順一朗の詳細)
  安房で出会った金碗孝吉に進言されて山下定包を討ち、平郡と長狭の長となる。しかし定包の家臣を裁いた際、玉梓に対して一度許すと言いながらもすぐに撤回し処刑を命じたため、彼女から呪いを受けてしまう。娘の伏姫が三年にわたり言葉を話さず感情も表さなかったのは、この呪いによる。(第十四回)
  十六年後、安西景連から攻められた際、犬の十房に「景連の首をとれば伏姫を嫁にやる」と戯言を言うが、十房はそれを信じて本当に景連の首をとってきた。うやむやにしようとするが十房は大いに怒り、伏姫からも説得されるに及び、娘を犬に嫁がせることになってしまった。(第十五回)

  原作では伏姫のあとに息子・義成(よしなり)をもうけており、三十七歳で家督を譲り隠居した。よって十珠伝でアイドルたちが登場する時代の高木順一朗は義成のパートを演じていることになる。
  原作第四回(十珠伝第十二回)で安西景連から鯉を獲るよう要求されたが、このときの安房に鯉は生息していないことになっている。しかし原作巻之一巻頭には巨大な鯉に乗った義実の挿絵がある。これは義実が絶望的な状況から家の再興を成し遂げた、つまり「不可能を可能にした」ということを表しているらしい。また鯉という文字も「魚+里」と分解できることから「里見の魚」の意味を付すことができる。(高田衛 著「八犬伝の世界」より)
#endregion

**天海春香
-十七歳。寛正三年(1462)四月三日生まれ。上総国天羽郡関村出身。
-宝珠の模様は「L」。あざは背中の左側。
--高木家が探している、宝珠を持つ人物の一人。安房にて一年の訓練を受けた後、他の宝珠を持つ者を探す主命を受け、亜美・真美とともに旅をしている。
--宝珠は幼少の頃、花飾りを作って遊んでいるときにたまたま見つけた。あざは生まれつき。
--原作では 丶大法師(ちゅだいほうし)に相当。八犬士ではないため、珠もあざも持っていない。

**双海亜美・真美
-十三歳。文正元年(1466)五月二十二日生まれ。安房国出身。
-宝珠の模様は「T」。あざは太もも(亜美が右で真美が左)。
--高木家が探している、宝珠を持つ人物の一人。元服を迎えた少年少女の中から有望な者として見出され、宝珠を持っている事も確認されたため、特別な訓練を受けた。訓練は順一朗の予想を上回る成果を上げ、一年で他の宝珠を持つ者を探す主命を受ける事になった。春香とともに旅をしている。
--宝珠は父が取り寄せた丸薬の中に、二つに割れた形で混ざっていた。かけらを合わせるところ一つになり模様が浮かび上がった。二人で変わりばんこに所持している。あざは生まれつき。
--原作では蜑崎十一郎照文(あまさき じゅういちろう てるぶみ)に相当。八犬士ではないため、珠もあざも持っていない。

**小鳥
-年齢出身すべて不明。
--宝珠を探し始めた春香一行の前に突如現れた女性。「高木家の姫君の意思を伝える」と言い、結城へ向かうよう伝えた。一行の前に現れたのが今のところこの時のみである。他にも何らかの情報を持っているようだが、宝珠を持つ者が誰か、どこにいるのかなどはわからないと言っている。(第二回)
--原作では……?

**萩原雪歩
-十七歳。寛正三年(1463)十二月二十四日生まれ。武蔵国豊島郡大塚出身。
-宝珠の模様は「R」。あざは左の二の腕。
--大塚に一人で暮らしている。祖父から父に委ねられた源氏の宝刀「村雨丸」を受け継いでおり、いずれ機を見て[[古河公方>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B2%B3%E5%85%AC%E6%96%B9]]・[[足利成氏>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E6%88%90%E6%B0%8F]]に献上するよう告げられている。大塚の長は伯父夫婦であり、二人に村雨を狙われている。
--幼い頃は犬も平気だったが、ある出来事(第五回)をきっかけに苦手になった。
--宝珠は生まれる前に母が神女から授かり、同時に雪歩を授かった。あざは生まれつき。
--原作では犬塚信乃戍孝(いぬつか しの もりたか)に相当。「孝」の珠を持つ。あざは左腕。
#region(萩原雪歩の詳細)
  母の死後、父と二人で暮らしていた。九歳の時、雪歩に叱られて驚いた与四郎が村長の屋敷に飛び込み、屋敷の者に半殺しにされてしまう。さらに村長は与四郎が御教書を破ったため責任を取れと言いがかりをつける。父は嘘と見抜きつつも罪をかぶり自刃。気が触れた雪歩は自害しようとするが、瀕死の与四郎に気づき介錯。すると与四郎の体内から宝珠が現れた。宝珠は母が犬に乗った神女から渡されたときに受け取りそこねてしまい、そのまま行方が分からなくなっていた。そのとき足元にいたのが子犬の与四郎だった。雪歩は宝珠を投げ捨てるが、飛び返ってきて雪歩の顔に衝突、雪歩は正気を取り戻した。(第五回)

  原作では父と死別するまで女装で育てられた。母の体が弱いこと、信乃の前に三人死産していること、そして「性別を逆にして育てれば丈夫に育つ」との言い伝えにあやかったことが理由。
  十珠伝では父の死後も自宅に住んでいたが、原作ではすぐに長の屋敷に引き取られ八年余り共に暮らしている。また十珠伝では勝手に川に落ち気絶して村雨丸をすりかえられてしまったが(第七回)、原作では誤って川に落ち溺れそうになったふりをした蟇六を助けるために川に飛び込み、その隙に船にいた左母二郎に村雨丸をすりかえられている。
#endregion

**高槻やよい
-十四歳。寛正六年(1465)三月二十五日生まれ。
-宝珠の模様は「E」。あざは背中の右側。
--大塚の村長屋敷の使用人。長夫婦は雪歩の様子を探るためにやよいを遣わしたが、本人はよく分かっていない。
--雪歩から避けられ気味であったが、同じ宝珠とあざを持っている事が分かってからは姉妹のような関係となる。(第三、四回)
--原作では犬川荘助義任(いぬかわ そうすけ よしとう)に相当。「義」の珠を持つ。あざは背中の右側。
#region(高槻やよいの詳細)
  生まれは伊豆国北条。父は[[堀越公方>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E8%B6%8A%E5%85%AC%E6%96%B9]]・[[足利政知>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E6%94%BF%E7%9F%A5]]に仕えていたが、公方を諌めたため怒りを買い自刃。使用人も離散し、やよいと母も命からがら北条をあとにした。親戚を頼って安房に向かう途中、大塚において村長の屋敷に宿を求めるも断られ、体が弱かった母は倒れて息絶えてしまう。長は捨てるように母を埋葬し、その「恩」を着せてやよいを使用人とした。しかし翌朝、母を埋葬したところにあった榎にしめ縄がかけられており、驚いた村人が祀るための祠を設けた。それがさまざまな噂を呼び、いつしか母の墓は「行婦塚(たびめづか)」として信仰を集めるようになった。(第八回)

  原作で荘助が使用人だった時の名は額蔵(がくぞう)。母の墓にしめ縄をかけたのは荘助自身。陣代を討ったのも荘助であり、道節(伊織)は大塚に来ていない。当初信乃(雪歩)からは警戒されていたが、宿縁を知って義兄弟となる。しかしその後も表向きは不仲を装い、自分以外の監視が信乃につかないようにしていた。
#endregion

**水瀬伊織
-十五歳。寛正六年(1465)五月五日生まれ。武蔵国豊島郡煉馬出身。
-宝珠の模様は「i」。現時点であざは不明。
--水瀬監物定知入道道策(みなせけんもつさだともにゅうどうどうさく)の一人娘。一年前の[[江古田・沼袋原の戦い>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8F%A4%E7%94%B0%E3%83%BB%E6%B2%BC%E8%A2%8B%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84]]で父を喪い、下野。水瀬家当主を名乗っている。
--近郊では名の知れた剣豪であり、遁法(忍術)の使い手。火遁の術を極めている。
--原作では犬山道節忠与(いぬやま どうせつ ただとも)に相当。「忠」の珠を持つ。あざは左肩。
#region(水瀬伊織の詳細)
  代々公方方武蔵煉馬家の家老として仕えており、江古田・沼袋原の戦いでは[[太田道灌>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E9%81%93%E7%81%8C]]の軍を部下の十条力二郎・尺八郎と共に突破。打倒扇谷上杉家を志し、当主[[扇谷定正>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E5%AE%9A%E6%AD%A3]]を打つべく力二郎と尺八郎に人材集めをさせていた。自らも別行動でそうするといいながら、実際は異母姉の浜路を探していた。(第八回)

  原作の道節は浜路の異母兄だったが、こちらの伊織は異母妹になる。
  力二尺八とは原作でも別行動をとっているが、こちらでは修験者に姿を変え、ひたすら仇討ちのための人材や資金集めに奔走している。「君父の讐を後にして、私事を先にはしがたし」として浜路の今際の願いより仇討ちを優先するほどであった。なお修験者に変装しているのは、「火定」を行なったように見せて民衆に銭を投げさせ、実際は火遁の術で消えた後にその金を回収するためである。
  荘助(やよい)と大塚へ行き陣代を討ったのは十珠伝の創作であり、原作では浜路を火葬した直後に荘助と切り結び火遁で逃走している。その際双方の宝珠が入れ替わっている。
#endregion



*◆人物-アイマス以外
年齢・生死は文明十年(1478)時点。

**◇大塚関係
&big(){&bold(){萩原 番作 一戍}}(はぎわら ばんさく かずもり)
-故人(享年四十五)。応永三十三年(1426)生まれ。武蔵国豊島郡大塚出身。
-雪歩の父。亀篠の異母弟。父は大塚匠作で、元の姓は大塚。
--父と共に永享の乱や結城合戦に公方方として参加、結城陥落の際に父から村雨丸を託された(第二回)。しかし戦の傷で脚が不自由になり、すぐに大塚へ戻ることができなかったため、姉夫婦に長の立場を奪われてしまった。大塚に戻っては姉夫婦とのいさかいを避けるため、姓を妻の出身地に因んで萩原と改めた(第四回)。
--匠作の代から大塚家は住人からよい評価を得ており、番作自身も大塚に戻ってからは村のために尽くしていたため、死後も人々から高い評価を受けている。
--原作では萩原ではなく「犬塚」と姓を改めている。
#region(萩原番作の詳細)
  飼い犬の与四郎が蟇六の屋敷に飛び込んだ際、蟇六は「犬が御教書を破いた責任を取れ。御上の怒りを解くには村雨丸を差し出すほかない」と伝えてきた。番作はそれを嘘と見抜いたが、自分の命が短いことや、病死してしまえば長が村雨を奪って雪歩を捨てるであろうこと、罪をかぶって死ねば雪歩を無碍にはできなくなるであろうことを考え、雪歩に村雨丸を託し、それを用いて自害した。(第五回)

  原作では八犬士の一人・犬塚信乃の父で、信乃(しの)の名は手束と夫婦になった信濃(しなの)にも由来している。手束は筑摩の出身で、萩原は創作の地名。大塚に戻ってからは手跡の師範をしたり農業の知識を本にして広めたりして村人たちに喜ばれた。村人の方も恩に報いるため、彼の存命中も死後も食料の支援などを行なっていた。
  結城合戦直後は父の後をひそかに追い、父が討たれたところに村雨丸で単身斬り込み、春王丸・安王丸の首と父の首を奪い取って脱出した。逃げ込んだ先の寺にいたのが手束で、自分の父と手束の父・井丹三直秀が自分たちを結婚させるつもりであったことを聞かされて夫婦となった。(第七回の人物紹介)
#endregion

&big(){&bold(){与四郎}}(よしろう)
-萩原家の飼い犬。昔の雪歩は犬も平気だったのだが、ある一件でだめになってしまった。(第五回)
#region(与四郎の詳細)
  雪歩が生まれる前、母・手束(たつか)が子宝を願って弁天堂に参拝していたのだが、そのときに神女が現れて宝珠を渡していった。しかし手束はそれを取り落としてしまう。足元を探しても見つからなかったが、かわりに子犬の与四郎がおり、手束はこれを連れて帰った。(第四回)
  九年後、与四郎は長の屋敷の飼い猫を殺してしまった。蟇六はこれに怒り与四郎を引き渡すように求めたが、番作はこれを拒否。しかし与四郎は「叱っているところを見せれば伯父の怒りが解けるのでは」と考えた雪歩に叱られてしまう。既に何のことか分からない上、雪歩から叱られたことがない与四郎は、驚きのあまり外に飛び出して長の屋敷に飛び込んでしまった。やよいに助けられて何とか逃げ出すが、既に使用人たちによって大傷を負わされていた。さらに蟇六から「与四郎が御教書を破ってしまった」と言いがかりをつけられ、これを嘘と見抜きながらも雪歩と村雨を守るために番作が自刃。気が触れてしまった雪歩はあとを追おうとするが、瀕死の与四郎に気づき、与四郎が首を伸ばしたのを見て介錯した。そのときに体内から、手束が取り落とした宝珠が現れた。(第五回)
#endregion

&big(){&bold(){大塚 蟇六}}(おおつか ひきろく)
-年齢出身共に不明。
-大塚の長。雪歩の伯父。番作の義兄。浜路の父。旧姓は弥々山(やややま)。
--若い頃から破落戸(ごろつき)として知られていたが、大塚家の人間がいない間に亀篠の婿となり、村長に成り上がった。
--匠作の嫡男である番作が、公方家から任された宝刀村雨丸を持って帰還したため、自らの地位を危ぶむようになる。以来村雨を奪うべく画策している。(第四回)
#region(大塚蟇六の詳細)
  左母二郎に村雨丸を奪う手伝いをさせたのは、彼が大塚に来たばかりの余所者で、策の成功失敗にかかわらず殺してしまっても問題が少ないと考えたためだが、結局彼に裏を書かれてしまった。刀を受け取ったときに、村雨丸の特徴である「抜刀すると水気が出る」ことを確かめているが、鞘に水を入れただけのなまくら刀で簡単に騙されてしまった。(第七回)
  陣代に取り入るため浜路を嫁入りさせようとするが、当日に浜路が逃亡して陣代にもばれてしまう。「村雨丸」で機嫌を取りごまかそうとするが、差し出したのは件のなまくらだったために更なる怒りを買い、亀篠ともども手討ちにされた。(第十回)

  名の「蟇(ひきがえる)」の字に違わず水練に長けている。信乃(雪歩)から村雨を奪うための策も、左母二郎ともに川へ投網漁に出かけ、信乃がきたところでわざと川に落ち溺れた振りをして信乃に助けに来させ、その隙に左母二郎が刀を交換、蟇六もあわよくば信乃を溺死させるつもりだった。結局信乃も水練は得意だったため殺害にはいたらなかった。十珠伝では蟇六がいない間に雪歩が勝手に川に落ちて気絶したのでこの策は用いていない。
#endregion

&big(){&bold(){亀篠}}(かめざさ)
-生年不明。武蔵国豊島郡大塚出身。
-大塚の長・蟇六の妻。雪歩の伯母。番作の異母姉。やよいの主人。浜路の母。
--娘のときから我侭で贅沢を好み、戦に出ていた父や弟を気にかける事もなかった。彼らが消息不明になり母が倒れると、看病のためと称してごろつきだった蟇六を家にあげ、母が亡くなると結婚した。
#region(亀篠の詳細)
  すでに四十を過ぎても子供ができなかった上、弟夫婦に雪歩が生まれたため、嫉妬心から養子を探して浜路を迎えることにした。浜路の逃亡が陣代にばれたときに、夫ともども手討ちにされた。(第十回)

  原作では蟇六の悪事を助けるため積極的に人に働きかけている。番作が戻ったときに彼を追い出そうとしたこと、与四郎の件で村雨丸を差し出させるために糠助を脅して説得させたこと、左母二郎に村雨丸を奪う話を持ちかけたことなどは彼女が行なった。ちなみに左母二郎に対しては「よき歳したる吾儕(わなみ)でも、夫がなくば思案も狂わん」などと考えていた。
#endregion

&big(){&bold(){浜路}}(はまじ)
-十七歳。寛正三年(1462)正月生まれ。
-長夫婦の娘。雪歩の従姉。
--贅沢三昧わがまま放題で育てられたがまっすぐに成長した良い娘。長夫婦を嫌う村人たちも浜路には好意的だった。
--長関係の人々を避けている雪歩とも仲がよく、雪歩の姉のような存在。やや妄想癖がある。
#region(浜路の詳細)
  武蔵国豊島郡煉馬出身。生まれは水瀬家で伊織の異母姉。大塚家には二歳のときに養子としてもらわれてきた。
  浜路の母と伊織の母はもともと妾だったが、後から妾になった伊織の母が正室とされたことを妬んで、浜路の母は伊織母子を殺害しようとする。しかし失敗して逆に自分が処刑されるてしまった。浜路も殺されるところだったが、蟇六夫婦が養子を探している話が知らされ、生涯不通の約束、つまり事実上追放の形で養子に出された。浜路がこれを知ったのは陣代への嫁入りを聞かされた日である。(第八回)
  当日になって陣代への嫁入りを聞かされたが、そのときに雪歩が献上しに出かけたはずの村雨丸を父が(偽物だが)持っていることに気づき、日が落ちてから雪歩を追って逃亡する。途中で賊に襲われたところを左母二郎に助けられたが、左母二郎もまた村雨丸(本物)を持っていることに気づく。これを奪って逃走するが追いつかれ斬られてしまい、とどめこそ伊織によって阻まれたが、傷はすでに手遅れであった。村雨丸を雪歩に渡すよう伊織に頼み、絶命する。「家族」に恵まれたとは言えなかったが、異母妹とはいえ血の繋がりのある伊織が善人であることを知り、笑顔で最期を迎えた。

  原作では道節(伊織)の異母妹で、信乃(雪歩)の許婚。元の名は睦月(むつき)で、正月に生まれたことによる。母たちはやはり妾で、先に男子を産んだほうを正室にすると言われていた。結局道節が先、浜路が後に生まれ、後から妾になった道節の母が正室とされた。浜路の母は大いに妬み、医師に語らって道節母子を毒殺する。しかし道節が蘇生して悪事が発覚してしまい、自分が処刑されることになってしまった。
  養子であることを浜路自身が知ったのは十二三歳の頃だが、この話を聞いたのは絶命する直前であった。村雨丸を信乃に届けるよう道節に頼んだが、道節は「君父の讐を後にして、私事を先にはしがたし」として村雨丸を仇討ちに使うと言い、浜路は悲しみのうちに最期を遂げた。
  信乃が古河へ出立する前夜に彼の臥所へ入り、共に連れて行くよう涙ながらに訴えた場面は「浜路くどき」として知られており、八犬伝の名場面のひとつである。十珠伝ではあまり際立たせることができず残念である。
#endregion

&big(){&bold(){網乾 左母二郎}}(あぼし さもじろう)
-二十六歳。享徳二年(1453)生まれ。
--糠助亡き後、萩原家の隣家に引っ越してきた浪人。元は[[関東管領>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E7%AE%A1%E9%A0%98]]である[[扇谷(上杉)定正>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E5%AE%9A%E6%AD%A3]]に仕えていた。
--便佞利口の人物。上にへつらい周りを貶めて出世したが、恨んだ朋輩に強訴されて管領家を追われることになった。超美男子である上に、書・歌舞・楽器の扱いにも優れ、大塚では雪歩の父亡き後の「手跡の師匠」として教えていたこともあり、婦女子からかなりの人気を得ていた。
#region(網乾左母二郎の詳細)
  浜路への婿入り及び次期村長の約束と引き換えに、「長の証たる太刀」を取り戻す手伝いをするよう持ちかけられる(第六回)。すりかえる際に刀が村雨丸であることに気づき、本物は自分のものにして蟇六には鞘に水を入れた なまくらの刀を差し出した。村雨をもって管領に帰参するつもりだったが浜路に気づかれてしまう。彼女を殺害しようとしたが、突如現れた伊織の手裏剣に急所を討たれ、女児に殺される恥を被るぐらいならと自害した(第九回)。

  原作では陣代をもてなす宴の際に見た浜路に一目惚れしており、それに気づいた亀篠に語らわれて村雨奪還に加担する。浜路が陣代へ嫁ぎ自分との約束が嘘である事に気づくと、屋敷の庭で首を吊ろうとした彼女をさらって逃走する。逃走を手伝わせた三人の男を殺害し、抵抗した浜路をも殺そうとするが、現れた道節の手裏剣で深手を負い、最期は浜路を殺そうとした村雨丸で自らが殺された。なお村雨は室町将軍へ献上するつもりだった。管領に仕えていたことについては、亀篠に「食録五百貫を宛て行なわれ、しかも近習の上に」いたと話していた。
#endregion

&big(){&bold(){糠助}}(ぬかすけ)
-故人(享年六十一)。応永二十四年(1417)生まれ。
-萩原家の隣人。宝珠とあざを持つ娘がいた。
--春香たちや雪歩がそれぞれ出立した前年七月に病死している。

&big(){&bold(){簸上 宮六}}(ひかみ きゅうろく)
-大塚城城主・大石憲重の陣代。

&big(){&bold(){軍木 五倍二}}(ぬるで ごばいじ)
-陣代・簸上宮六の下役。

&big(){&bold(){大塚 匠作 三戍}}(おおつか しょうさく みつもり)
-故人。武蔵国豊島郡大塚出身。
-大塚の先の長。雪歩の父方の祖父。番作と亀篠の父。
--鎌倉公方・足利持氏の近習。永享の乱と結城合戦には番作と共に出陣。持氏の子・春王丸と、春王丸の守り刀で源家の宝刀でもある村雨丸を守るよう命ぜられる。
--結城合戦において春王丸と弟の安王丸が捕らえられると、村雨丸を番作にゆだね、自らは両公達(春王と安王)を救出すべく単身であとをつけた。救出はかなわなくともせめて仇を討たんとし、両公達が処刑されたところに名乗りを上げてその場に斬り込む。老党の一人を斬り伏せるが自らもそこで討死。匠作と両公達の首級は更に後をつけていた番作によって奪還され、三人とも同じ場所に埋葬された。

&big(){&bold(){井 丹三 直秀}}(いの たんぞう なおひで)
-故人。雪歩の母方の祖父。


**◇水瀬家関係
&big(){&bold(){十条 力二郎・尺八郎}}(じゅうじょう りきじろう・しゃくはちろう)
-二十歳。長禄三年(1459)生まれ。双子で力二郎が兄。
-顔グラは力二郎が太史慈、尺八郎が甘寧。
--伊織に仕えている。

&big(){&bold(){中山 盛幸}}(なかやま もりゆき)
-故人。十珠伝オリジナルキャラ。顔グラは山中幸盛(鹿介)。

&big(){&bold(){龐統}}(たかつな)
-故人。十珠伝オリジナルキャラ。顔グラは龐統(ほうとう)。


**◇安房関係
&big(){&bold(){伏姫}}(ふせひめ)
-順一朗の娘。嘉吉二年(1442)九月九日生まれ。安房国滝田出身。
--産まれてから一度も声も出さず表情も変わらない日々が続き、順一朗による医師の招聘や加持祈祷も効果がなかったが、謎の老人から数珠を授かった後に豊かな表情を浮かべ、以後は才女として近隣に名を馳せる。
--顔グラは小鳥さん(プラス幼いモード)だが、上記の小鳥との関係は不明。
#region(伏姫の詳細)
伏姫の詳細
  金碗大輔に嫁ぐことになっていたが大輔が行方不明となり、加えて十房が順一朗の戯言を信じて安西景連の首をとってきたため、十房に嫁ぐことになってしまった。当然ながらそれを拒否する両親に自ら理を説き、国と家を救うため自ら嫁入りした。このとき十六歳。
#endregion


&big(){&bold(){十房}}(とふさ)
-犬。嘉吉三年(1443)生まれ。安房国犬懸(いぬかけ)の里出身。
-白の体毛に十ヶ所の黒い房模様があることから名づけられた。体は人が乗れるほど大きい。
--生まれてまもなく母犬が狼に食い殺されたが、狸に乳をもらい成長。翌年高木家にもらわれる。
--原作では八房(やつふさ)に相当。
#region(十房の詳細)
十房の詳細
  原作では伏姫が十二三歳の頃(1452,3年)に生まれた。生まれて十日で目を開き、四五十日で自ら餌をとるようになる。里見家にはその年の内に貰われてきた。
  名詮自性は「狸といふ文字は、里に従ひ、犬に従ふ。これすなわち里見の犬なり」。乳母の「狸」の字を分解すると「犬+里」になるから里見の犬。
#endregion

&big(){&bold(){金碗 八郎 孝吉}}(かなまり はちろう たかよし)
-安房国平郡と長狭郡を治めていた神余光弘の家臣。

&big(){&bold(){金碗 大輔 孝徳}}(かなまり だいすけ たかのり)
-金碗孝吉の遺児。高木領凶作の時に安西領への使者として遣わされるが帰還せず。伏姫の婿となり東条を任される予定だった。

&big(){&bold(){山下 柵左衛門 定包}}(やました さくざえもん さだかね)
-安房国平郡と長狭郡を治めている。居城は滝田改め玉下城。

&big(){&bold(){玉梓}}(たまつさ)
-定包と共に国を治めている女性。以前は神余光弘の妾。
--顔グラは音無小烏(こがらす)。

&big(){&bold(){高木 季基}}(たかぎ すえもと)
-故人。順一朗の父。治部少輔。
--永享の乱から息子と共に鎌倉公方方として参戦。結城合戦にて敗れた際には息子に家の再興を託し、自らは十騎に満たない兵を率いて討死した。
--原作では里見治部少輔源季基(さとみ じぶの しょうゆう みなもとの すえもと)に相当。息子との別れの後、太平記にある[[楠木正成>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90]]・[[正行>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E8%A1%8C]]父子の「[[桜井の別れ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C]]」を思い返している。大塚匠作や井丹三直秀も同じ戦場にいたが、同じ隊にいたり言葉を交わしたりした記述はない。

&big(){&bold(){杉倉 木曾介 氏元}}(すぎくら きそのすけ うじもと)
-順一朗の臣。貞行より年上。
--おそらく年長者なのだがそそっかしいところがある。対山下戦においても景連に利用されてしまい、順一朗や貞行からとがめられた。
--原文ではやや病気がち。安房に渡る直前、白竜が現れた時に股を見たため義実から「股肱の臣」と評された。

&big(){&bold(){堀内 蔵人 貞行}}(ほりうち くらんど さだゆき)
-順一朗の臣。
--順一朗・氏元との一行の中では最年少のため、細々した用事は貞行が片付けている。原作で白竜が現れたときも渡しの船を探していたため竜を見ていない。
--氏元よりずっと冷静沈着。対安西戦の時は東条におり、兵糧の蓄えもあったため、援軍が来るまで持ちこたえていた。
--しかし十房の噂を順一朗に進言したのは貞行である。

&big(){&bold(){五十子}}(いさらこ)
-順一朗の妻。伏姫の母。

&big(){&bold(){安西 三郎大夫 景連}}(あんざい さぶろうたいふ かげつら)
-安房国安房郡を治めている。居城は館山城。
--気が強く武に優れ謀(はかりごと)も好むため、山下定包にも「思慮あり」として警戒されていた。
--仕官を願い出た順一朗一行に対し、安房では鯉が獲れない事を隠したまま「鯉を獲ってきたら登用する。でなきゃ殺す」と言うなど殺す気満々だった。なお、原作には巨大な鯉に乗った義実の挿絵があるが、これは絶望的な状況から家の再興を成し遂げた、つまり「不可能を可能にした」ということを表しているらしい。(高田衛 著「八犬伝の世界」より)
#region(安西景連の詳細)
安西景連の詳細
  一行を拒否したことについては、順一朗が幕府との戦における敗将であったことを知っていたため、危険分子を避ける意図もあった。また山下定包の要求や敵である高木勢を利用して、味方である麻呂を討たせて領地を奪うなど、政においても戦においても機転を利かせることができる人物であった。悪政を敷いたという直接の記述はないが、景連討死を聞いた民が城に攻め入っていることから、良い領主ではなかったと思われる。
  高木領の凶作を見て攻め込み、滝田を陥落寸前まで追い詰めたが、十房に首をとられ死亡。安西軍は散り散りになり、結局高木家が安房を平定するに至った。
  なお史実において、源頼朝が[[石橋山の戦い>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84]]に敗れた後に安房に逃れたのだが、八犬伝ではそのとき頼朝に組して道しるべを行なったのが景連の祖先・景盛となっている。義実は源氏の流れなので、氏元と貞行は頼朝の件を引き合いに出して受け入れを要求した(義実によって諌められたのだが)。
#endregion

&big(){&bold(){萎毛 酷六}}(しえたげ こくろく)
-定包の家臣。長狭郡の東条城主。
--孝吉の奇襲により討たれる。原作では逃亡の末に討たれた。

&big(){&bold(){錆塚 幾内}}(さびつか いくない)
-定包の家臣で第一の出頭人。
-玉下城下での迎撃戦にて金碗孝吉に討たれる。
--「万夫無当の力士にて、武芸も衆にましたる」と評されるとおり、武芸に優れていた。

&big(){&bold(){岩熊 鈍平}}(いわくま どんべい)
-定包の腹心。神余の時代は馬の口取りであったが、後に山下に取り立てられた。
--錆塚同様、武芸に優れていた。

&big(){&bold(){妻立 戸五郎}}(つまだて とごろう)
-定包の家臣。錆塚岩熊に次いで信頼を受けていた。
--原作では玉梓に懸想していることを岩熊に突かれ、謀叛に加わった。


*◆年表(ネタばれ)
|(西暦)和暦|月日|出来事|十珠伝|原作回|
|(1438)永享十年|八月|&color(#aaa){永享の乱勃発(幕府・関東管領 vs 鎌倉公方)(史実)}||1|
|(1439)永享十一年|二月十日|永享の乱終結(史実)|~|~|
|(1440)永享十二年|春|結城合戦勃発(史実)|~|~|
|(1441)嘉吉元年|四月十六日|結城落城(史実)。順一朗と番作それぞれに脱出|第二、十二回|~|
|~|四月十九日|順一朗、安房に到着|第十二回|3|
|~|四月二十四日|順一朗軍、玉下城を包囲|~|5|
|~|~|錆塚・岩熊隊が迎撃するも失敗。篭城へ|第十三回|~|
|~|五月一日|順一朗軍、鳩で檄文を撒く|~|~|
|~|五月二日|妻立・岩熊が謀叛、定包討たれる|~|~|
|~|五月三日|妻立・岩熊処刑。玉梓処刑、直前に呪いを語る|第十四回|6|
|~|七月七日|高木家褒賞。孝吉自害|~|7|
|(1442)嘉吉二年|九月九日|順一朗の娘誕生。伏姫と名づけられる|~|8|
|(1444)嘉吉四年|某日|伏姫、洲崎の役行者の岩室に七日間参る。老人から模様の入った数珠をもらい、表情や言葉が表れる|&bold(){&color(red){第十五回}}|~|
|~|数日後|十房が滝田城にもらわれてくる|~|~|
||||||
|(1449)文安六年|夏|&color(#aaa){永寿王元服、成氏を名乗り鎌倉公方となる(史実調整)。}蟇六、鎌倉に向かい大塚の長を賜る|第四回|16|
|(1449)宝徳元年|十一月|番作、大塚に居を定める。姓を萩原に改める|~|~|
|(1454)享徳三年|十二月二十七日|&color(#aaa){享徳の乱勃発(史実)}|~|~|
|(1455)享徳四年|春|成氏、本拠を鎌倉から古河に移す。古河公方の成立(史実)|~|~|
|(1456)康正二年|秋|安西領凶作。高木家から米五千俵を借り入れる|&bold(){&color(red){第十五回}}|8|
|(1457)康正三年|秋|高木領凶作。金碗大輔が派遣されるも帰還せず。安西勢が高木領に侵攻|~|~|
|~|七日後|順一朗、十房に戯言を語る。十房が安西景連を討つ|~|9|
|~|~|高木家が安房四郡を平定。&color(#aaa){順一朗は安房守、治部少輔に任じられる}|~|~|
|~|数日後|十房、伏姫に襲い掛かる。伏姫、十房に嫁ぐ。両者富山に入る。|~|~|
|(1462)寛正三年| |雪歩の母・手束、神女に出会い宝珠を受ける。与四郎を拾う|第五回|16|
|(1463)寛正四年|春|浜路、大塚へ養子に出される|第七回|17|
|(1467)応仁元年|正月十七日|&color(#aaa){応仁の乱勃発(史実)}|||
|(1469)文明元年| |やよいの父自害、家断絶。放浪の末、やよいは大塚に|第八回|20|
|(1470)文明二年|三月|番作自害。与四郎死亡。雪歩、宝珠と村雨丸を得る|第五回|19|
||||||
|(1477)文明九年|四月十三日|江古田・沼袋原の戦い(史実)。伊織の父討死。伊織は姉を探しに出る|第八回|22|
|~|十一月二十日|&color(#aaa){応仁の乱終結(史実)}|||
|(1478)文明十年|正月|古河公方と関東管領の和議が成立、享徳の乱終結(一部史実)|~|~|
|~|三月|&bold(){春香と亜美真美、主命を受けて安房を出発}|&bold(){第一回}|~|
|~|~|一行に小鳥接触、結城へ向かうよう勧める|第二回|~|
|~|四月|やよいが雪歩の手伝いを始める。互いの宝珠とあざを知る|第三、四回|20|
|~|五月|左母二郎が大塚に来る|第六回|23|
|~|~|大塚の屋敷で陣代をもてなす。蟇六、左母二郎に協力を求める|~|~|
|~|六月十五日|&color(#aaa){陣代、大塚へ正式に縁談を持ち込む}|~|24|
|~|六月十六日|長夫婦、雪歩に古河行きを勧める|~|~|
|~|六月十七日|雪歩とやよい、弁天堂へ。村雨丸をすりかえられる(本物所持・左母二郎)。浜路、雪歩に自らの出自を話す|第七回|24,25|
|~|六月十八日|雪歩とやよい、大塚を発つ。やよい、雪歩に出自を明かす。|第八回|25|
|~|六月十九日|&color(#aaa){雪歩とやよい別れる。やよいは大塚へ向かい、雪歩は同日中に古河へ到着}|~|~|
|~|~|昼 浜路、輿入れを知らされる。夕方に逃亡|~|26,27|
|~|~|夜 左母二郎死亡。浜路、伊織に言葉を残し死亡。|第九回|28,29|
|~|~|夜 古河から戻る途中のやよいが伊織と出会う。村雨丸は伊織に。|第十回|29|
|~|六月二十日|深夜(午前) 長夫婦死亡。陣代、伊織に返り討ち。やよい、伊織の宝珠を知るも伊織は逃亡。やよい捕縛|~|~|
|~|~|春香亜美真美と雪歩遭遇。互いの宝珠とあざを知る。雪歩に宝珠の過去が語られる|第十一回||

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