第1話 | 1399年10月14日 | トランシルヴァニアに同盟を提案。受諾。 |
第2話 | アクイレイアに警告。 | |
オスマンとティムールの戦況を見てオスマンと開戦の方針。まずはボスニアとセルビアの解放が目標。 | ||
オーストリアとの関係改善の方針。オーストリアに婚姻の提案。使節ベルティエ。二度目に受諾。 | ||
ポメラニア、バイエルン、マイセン、チューリンゲン、ワラキアから婚姻の提案。ワラキアからを除き受諾。 | ||
スイス、ヴェネツィアから同盟の提案。受諾。 | ||
第3話 | 1401年4月 | 第1次陸軍拡張計画完了。オスマンはティムールと一進一退との報告。第2次陸軍拡張計画開始。 |
1401年7月 | ティムールにシワスを陥落されたオスマン、西部の兵力を東部戦線に振り向ける方針。 | |
1401年9月3日 | オスマン、ビザンティンに宣戦布告。 | |
1401年9月5日 | ビザンティンを救援する名目でオスマンに宣戦布告。 ハンガリー側でトランシルヴァニア、ヴェネツィア、スイスが参戦。 オスマン側でボスニア、セルビアが参戦。 | |
ローマ帝国本舗と名乗るあずさの案が保留される。 | ||
トランシルヴァニア公スティボが伊織の絵姿を利用し募兵、抜群の効果を示す。 トランシルヴァニアで「主といおりんに仔羊の如く仕える修道騎士団」結成の動き。 | ||
1401年10月 | ダルマチアに侵入したボスニア軍を撃退。 | |
フムの戦い。ジグモンド1世がドゥブラフコ・ネリピク率いるボスニア軍に圧勝。 | ||
トランシルヴァニア軍がセルビア軍に勝利。その後ボスニアを包囲。 | ||
1402年4月16日 | 攻囲167日にしてボスニア領フムを陥落。 | |
第4話 | 1402年10月17日 | トランシルヴァニア軍が攻囲352日にしてボスニア領ボスニアを陥落。引き続きセルビアへ侵攻する方針。 |
国会の創設を求める声を封殺。農奴解放の要求を受容。 | ||
1403年4月19日 | コソボの戦い。ジグモンド1世、バヤジッド1世率いるオスマン軍に敗北するも多大な損害を与える。 | |
1403年7月7日 | ボヘミア王ルドヴィーク1世が神聖ローマ皇帝に選出。 小鳥、自らの絵姿を選帝侯に送りつけオーストリアへの好感度を上げる献策。公により却下。 小鳥、代替としてアクイレイアに対しウルビーノ侵攻の世論を煽動する調略作戦を発動。 | |
1403年11月25日 | アクイレイアがウルビーノに宣戦布告。ウルビーノから参戦要請。受諾。 アクイレイアからボヘミアに参戦要請。ボヘミアは拒否、美希の言により使者を城塔の窓から投擲。 | |
第5話 | 1404年1月20日 | ジグモンド1世、アクイレイア領内に侵入。 あずさ、傭った2個連隊の歩兵にアクイレイア領クレインとゲルツの包囲を依頼。 |
1404年2月15日 | イストリアの戦い。ジグモンド1世、ニコル2世率いるアクイレイア主力軍に一兵も損じることなく完勝。 | |
オスマンから痛み分けとする和平の提案。使節オスマン帝国将軍。拒否。 | ||
1404年2月 | オスマン、ヨーロッパ方面軍の補充を完了。 | |
オスマン、叛乱軍にシリストラを陥落。叛乱軍は続いてブルガスを包囲。鎮圧をセルビア解囲に優先させる方針。 | ||
オスマン帝国将軍、士気高揚のため千早の絵姿を使ったキャンペーンを提案。スルタンにより却下、絵姿は回収。 | ||
1404年3月10日 | 攻囲477日にしてセルビア領セルビアを陥落。 | |
ミラノから同盟の提案。使節ムッソリーニとアメー。受諾。 | ||
1404年7月10日 | 攻囲156日にしてアクイレイア領クレインを陥落。 ゲルツの陥落を待ち、クレイン1州の割譲でも和平の方針。 | |
セルビア駐留中の東部方面軍の再編を完了。 | ||
1404年7月 | オスマン、セルビア奪還へ向けて軍の再編を完了。 | |
第6話 | 1404年8月5日 | バヤジッド1世率いる16000のオスマン軍との激突を目前にして伊織が東部方面軍12000の兵を鼓舞。 |
1404年8月上旬 | セルビアの戦い。スティボ指揮の下東部方面軍がオスマン軍を撃退。オスマン軍はブルガリアへ退却。 | |
1404年8月16日 | オスマン軍はさらに小アジアまで退却との情報。前線を進める方針。 | |
1404年10月10日 | トランシルヴァニア軍がオスマン領ブルガリアを攻囲中。 | |
1404年 | ヘッセンに助っ人としてアドルフ着任。 | |
1405年1月5日 | トランシルヴァニア軍がブルガリアを陥落。 | |
西部戦線ではゲルツ、イストリア、フリウリを攻囲中。 | ||
1405年4月10日 | 攻囲269日にしてゲルツを陥落。 アクイレイアからクレインとゲルツの割譲を条件に和平の提案。受諾。 | |
ジグモンド1世、アクイレイアの使者の無礼に応じアクイレイアに対し警告。 | ||
全軍を東部戦線に移動。騎兵を増強の方針。 | ||
第7話 | 1405年6月10日 | 攻囲104日にしてセルビア領コソボを陥落。 トランシルヴァニア軍がオスマン領シリストラを攻囲中。 ハンガリー軍は西側からオスマン領を蚕食する方針。まずはニシュ。 西部方面軍は到着次第マケドニアを攻囲する方針。 |
1405年12月22日 | オスマン、ブルサより主力軍をエディルネに渡しマケドニアを解囲する方針。 主力軍を囮とし別働隊にワラキアを経由しトランシルヴァニアを攻撃させる方針。 | |
1406年2月20日 | トランシルヴァニア軍がシリストラを陥落。続いてブルガスを攻囲中。 ハンガリー軍はニシュとマケドニアを攻囲中。ジグモンド1世が前線到着。 | |
マケドニアでの決戦を前にあずさが勝手に傭兵3000を増援。 | ||
ヘッセンのカール1世が神聖ローマ皇帝に選出。やよいとアドルフが挨拶のためハンガリーに来訪。 | ||
1406年5月 | マケドニアの戦い。ジグモンド1世がバヤジッド1世率いるオスマン軍に勝利。 | |
1406年5月14日 | トランシルヴァニアがオスマン軍に攻囲中。速攻を旨とし敢えて救援は行わない方針。 | |
1406年6月20日 | 攻囲310日にしてニシュを陥落。 | |
ジグモンド1世率いる騎兵隊がエディルネ郊外でオスマン軍と戦闘。 | ||
1406年11月30日 | オスマン軍によりトランシルヴァニアが陥落。 トランシルヴァニア城で発見された伊織のハイソックスがバヤジッド1世の手に渡る。 | |
エディルネの戦い。ジグモンド1世がバヤジッド1世率いるオスマン軍に勝利。 | ||
リトアニアはキプチャク・ハン国との戦争に苦戦中。 | ||
第8話 | 1407年1月1日 | 攻囲を続けていたオスマン領マケドニアを陥落。 兵はトランシルヴァニア奪還とギリシャ攻囲に回す方針。 |
将軍その2に率いられたオスマン軍、ソルノクを包囲中。バヤジット1世、千早の絵姿を攻囲軍に送付。 | ||
1407年4月16日 | ラリッサ、ブルガス、エディルネ、トランシルヴァニアを包囲中。 | |
オスマン軍、引き続きソルノクを包囲中。 千早、メイド服に猫耳の正装をしてソルノク攻囲戦でのオスマン勝利の呪術を行う。 | ||
1407年6月3日 | ソルノク、オスマン軍による攻囲161日にして陥落。 | |
1407年7月7日 | フランス、イングランドの攻撃を受けるも逆に大陸領土をカレーを除きすべて制圧。 春香の言により、イングランドとの和平の後、ブルターニュと混同しやすいブルゴーニュを討伐する方針。 | |
ヘッセン、ボスニアに倣い神聖ローマ帝国の権勢強化のためやよいの絵姿を各国に配付。 | ||
1407年12月15日 | オスマンによるソルノク陥落と続くペーチュ包囲を受けプレスブルグへ臨時で遷都中。 | |
オスマンから痛み分けとする和平の提案。使節オスマン帝国将軍。拒否。 あずさ、ペーチュの開城を許可。トランシルヴァニア奪還の後、ペーチュ奪還の方針。 | ||
1407年12月21日 | ペーチュ、188日間の籠城の末にオスマンに開城。 | |
1407年12月25日 | オシエクがオスマン軍に攻囲中。 | |
337日間の攻囲の末トランシルヴァニアを奪還。ブルガスも奪取。 あずさから伊織に愛情が表現される。ベルティエとスティボが勝利。 | ||
第9話 | 1408年4月6日 | 攻囲449日にしてラリッサを陥落。ペーチュを包囲中。騎兵を増強中。 |
オスマン、コンヤで発生した叛乱軍により要塞が包囲される。 | ||
1408年7月4日 | オスマン、ブルサ駐留の軍をコンヤの叛乱鎮圧に向かわせる。 | |
国内の厭戦感情の上昇に鑑み終戦の時期を探る会議。ペーチュ奪還かエディルネ攻略を機に和平交渉入りの方針。 | ||
1408年8月15日 | オスマンにより攻囲218日にしてオシエクが陥落。 | |
ベルティエ、ペーチュ攻囲軍の督戦に向かう。 | ||
1408年9月30日 | 攻囲169日にしてペーチュを陥落、首都を奪還。 終戦へ向け調整。ボスニアとセルビアのオスマン隷属からの解放とフムとコソボの割譲を要求する方針。 次の戦でセルビアとボスニアを併合する旨ベルティエの言。 | |
1408年11月 | キプチャク・ハン国可汗ティムール・クトルクがリトアニア領クルスクにて貴音の絵姿を入手。 貴音を巡り可汗兄弟間の内紛が発生したためリトアニアと停戦し、撤退。 | |
1408年12月18日 | ブルサにてオスマンとの和平交渉。使節伊織。 交渉中にオスマン占領下のソルノクで住民が叛乱を起こし制圧、ハンガリーへの復帰を宣言するの報。 オスマン、条件をすべて受諾。バヤジット1世の無礼に伊織が応じ千早がとばっちり。 | |
1409年1月18日 | オスマンとの和平成立。 モンテネグロから軍の通行許可を取得する方針。ベルティエが既に取得していた。 | |
ハンガリー商人が利益を上げすぎたためジェノバから追放される。この時点でハンガリーの収入は世界第三位。 | ||
1410年9月16日 | オスマン帝国スルタン、バヤジット1世崩御。オスマン2世、即位。 | |
カスティーリャ、モロッコとチュニジアと交戦中。 教皇庁の御者ポルトガルにチュニジアに対する十字軍発令の働きかけを行う方針。 | ||
第10話 | 1410年10月16日 | カスティーリャ使節雪歩、ポルトガルの宮殿の床に穴を掘る。 カスティーリャ、ポルトガルにチュニジアに対する十字軍発令を提案。 ポルトガルは受諾し十字軍を発令。 |
1410年11月7日 | 十字軍への不参加を決定。 | |
商人からの優遇要求に応需。 | ||
中央集権に1目盛り寄せ。対して3000人規模の叛乱が2ヶ所で発生。 あずさ、伊織とジグモンド1世の説得により武力鎮圧を決定。ジグモンド1世が出撃。 | ||
フランス王ジャン3世、領主ベルナール7世の申し出によりアルマニャックを併合、春香に別荘地として供与。 | ||
1410年12月18日 | オスマン2世、ハレム充実のため婚姻を望むも財政逼迫を理由に千早により却下。 ペルシアのアヤトラ、ティムール帝国崩壊後初めてオスマン帝国に使節を派遣、同盟の提案。使節響。 オスマン2世、響のおっぱいの真贋の接触確認を条件に受諾を宣言。千早により接触は阻止、同盟は成立。 | |
1411年6月13日 | ボヘミアとの政略結婚が成立。ジグモンド1世の娘エリーザベトがボヘミアへ輿入れ。 |
話数 | 副題 | 本編出演 あ伊小千美や貴春雪律響亜真真高 ず織鳥早希よ音香歩子・美美・木 さ・・・・い・・・・・・・・・ |
りっちゃんのコーナー出演 あ伊小千美や貴春雪律響亜真真高 ず織鳥早希よ音香歩子・美美・木 さ・・・・い・・・・・・・・・ |
第1話 | 女神との契約 | あ伊------------- | ---------律----- |
第2話 | 輝く妖星 | あ伊小------------ | ---------律----- |
第3話 | 異教の守護天使 | あ伊-千----------- | ---------律----高 |
第4話 | 静と動 | あ伊小千美---------- | ---------律----- |
第5話 | 動き出す戦局 | あ伊-千----------- | ---------律----- |
第6話 | 着実なる前進 | あ伊-千美や--------- | ---------律----- |
第7話 | 異教の反攻 | あ伊-千-や貴-------- | ---------律----- |
第8話 | 意地の衝突 | あ伊-千---春------- | -------春-律----- |
第9話 | 一時代の終わり | あ伊-千----雪------ | ---------律----- |
第10話 | 未来への布石 | あ伊-千---春雪律響---- | ---------律----- |