主要合戦集-アイマス戦記『秀吉』其の壱

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主要合戦集-アイマス戦記『秀吉』其の壱 - (2009/10/03 (土) 17:30:59) のソース

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ここでは「アイマス戦記『秀吉』」における主要な合戦の解説をしています。
アイマスキャラおよび史実に存在する武将については[[其の壱>作品別用語集 - アイマス戦記『秀吉』]]を、オリジナルキャラおよび作中に登場する用語、年表については[[其の弐>作品別用語集 - アイマス戦記『秀吉』 其の弐]]を参照してください。

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**庄内川の戦い

織田信長より尾張太守の座を譲られた秀吉に対して、林秀貞・柴田勝家を初めとした反秀吉派が起こした戦い。
この一戦に勝利した事で、秀吉は名実共に尾張太守としての地位を固める。

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・開戦前の状況
家督を半ば強引に譲られた秀吉であったが、当然の事ながら、織田家の譜代重臣から反発を受ける事になる。
反対派は清洲に陣取り、秀吉の意向を無視。更には武力を以って尾張太守の座から引き下ろそうとする。
この動きに秀吉も看過するわけには行かず、庄内川にて迎え撃つ事になる。
反秀吉軍は、林秀貞を名目上の大将として、柴田勝家が実戦の総指揮を取り、それに滝川・佐々・河尻勢が与力につく事になる。
一方秀吉勢は、秀吉旗下の旗本を除けば前田勢が味方についただけで、総兵力は秀吉勢600(+前田勢)に対し、勝家側は1800(+林勢で総兵力3000)と、圧倒的に劣勢であった。

・序盤戦
当初篭城戦であろうと判断していた勝家であったが、秀吉勢先手が庄内川に現れた事で、林勢を総予備、河尻勢を先手に突撃をかける。
一方、秀吉勢先手を預かっていた秀吉の実弟秀長は、即座に全軍を引かせ、計画通り秀吉が陣取る平野部へと誘い出す。
この動きを受け、河尻勢は一旦立ち止まって勝家勢と合流。右翼を滝川、左翼を佐々、中軍を勝家自らが率いて、一斉攻撃に移った。

・中盤戦
たやすく踏み潰せると判断した勝家であったが、その目論見は外れる事になる。
まず先手の河尻勢は、罠と弓、長柄槍によって突撃を粉砕され、滝川勢は秀長勢に押しとどめられ、佐々勢は前田勢の奇襲を受け混乱する。特に前田勢の奇襲攻撃は、物理的な被害を出しただけでなく、勝家の精神にも衝撃を与えたようである。
これらの要因から、木下勢が幾分押し気味に進めてはいたが、徐々に兵力差の影響が出始め、秀吉軍先鋒の水瀬隊、並びに秀長隊は壊滅寸前となる。事実、この時勝家は、本陣で「勝った」と発言したと言う。

・終盤戦
しかし、このとき既に勝家の手から勝利は零れ落ちていた。
戦前、秀吉の調略を受けていた佐久間信盛が寝返りをみせ、後詰としていた林秀貞は蜂須賀小六に生け捕られ、林隊は戦力として消滅。
佐久間隊の裏切りにいち早く気付いた滝川隊も、後方から佐久間・蜂須賀隊の猛攻を受けて壊滅。
更には「中立」を取るであろうと判断した、丹羽・池田・森隊が秀吉勢に加わる事で、包囲殲滅を受ける事になり、全軍総崩れとなった。

・まとめ
終わってみれば秀吉の鮮やかな大勝利であったが、実際には「丹羽等三将の秀吉軍加入」「佐久間信盛の裏切り」「林勢の無力化」「それらを為し得るまでの時間稼ぎ」の4つの内、どれか1つかけても敗北につながると言う、綱渡りの上での勝利であった。
事実、それらを理解していたからこそ、勝家の自信に繋がっていた訳で、単なる慢心による侮りではない事が見て取れる。
勝家乃至反秀吉派にとって誤算だったのは、戦前、佐久間が寝返った事に誰も気付かなかったことであろう。
万が一、丹羽達が秀吉に参戦しても、(多分に結果的なものであったが)後詰の役割を担う事になる林勢で対処可能であったのが、佐久間の裏切りで全て台無しになってしまったのだから、勝家達にとっては、佐久間を侮っていたのは、まさに致命傷となったと言える。
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**第四次川中島の戦い

信濃の覇権をかけた武田と長尾の4度目の会戦。
この合戦に勝利した武田家は、信濃平定を完璧なものとし、余勢を駆って上野に侵攻。逆に敗北した長尾家は、蘆名家の侵攻を受ける事になる。

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・開戦前の状況
武田・長尾双方共に、本会戦を以って長きに渡る両家の争いに決着をつける気でいた。
武田家当主、武田信玄は、軍師山本勘助と、信濃攻略の総責任者である馬場信房に対し、長尾勢撃滅の策を練るよう指示。
これを受けて、両将は「啄木鳥の策」を立案した。本作戦の骨子は、以下の通りであった。

 (一) 夜陰に乗じて、馬場率いる別働隊が移動し、敵本陣のある妻女山を攻める構えを見せる
 (二) 武田勢の戦力分散により、長尾勢は各個撃破の好機と見て、少数の兵を妻女山に残し、
     主力を以て、武田本陣のある八幡原に攻め入るはずである
 (三) (二)に際し、別働隊の半数で妻女山の敵を抑え、もう半数は、山を迂回して八幡原に急行する
 (四) 別働隊で長尾勢の後背を急襲し、本隊とともに敵を包囲殲滅する
 
この作戦に対し、武田勝頼は、長尾勢が策を読みきっている可能性を提示した。
長尾勢全軍が先手を取って妻女山から下り、武田本陣に攻めかかった場合、別働隊が間に合わず、本陣が敗れる恐れがある。
しかし、川中島特有の濃霧により、長尾軍の行軍は不可能であると判断され、作戦は実行される事になる。

・序盤戦
しかしながら、長尾景虎と軍師宇佐美の卓越した統率の下、長尾勢は妻女山を下り、別働隊が妻女山に到達する前に八幡原に布陣。
武田勢の布陣が薄い右翼に対して、柿崎・村上両将を先鋒に総攻撃をかける。
完全なる奇襲を受けた武田勢であったが、信玄は即座に全軍堅守の指示を出し、左翼の一部を右翼に移動。
だが、それもまた長尾勢の計画の内であり、景虎は予備兵力のなくなった敵左翼に全軍を移動させ、一気に突破を図る。
この時点で、長尾の勝利はほぼ確定するかに思われた。

・中盤戦
それを打ち砕いたのは、左翼後方より突如あらわれた武田勝頼の突撃であった。
勝頼自身は別働隊に組み込まれていたのだが、近習である山本千早が、妻女山の篝火の多さを見て作戦の破綻を確信。馬場信房の許しを得て、勝頼隊をいざと言う時の備えとして埋伏させ、長尾勢の攻勢が頂点に達した時に、一気に軍勢をぶつけたのである。
この突撃により、長尾勢は大混乱に陥り、宇佐美の指示の下、態勢を立て直そうとするも、柿崎・村上勢は攻撃に熱中するあまり後退せず、陣形の再編もままならず、更には、勝頼自身が名乗りを上げながら長尾勢をを次々と突き崩す様を見て、長尾勢は恐慌状態となった。
ここに、景虎や宇佐美が思い描いていた「短期決戦による武田本隊の殲滅」は完全に破綻した。

・終盤戦
ことここに至って、全軍の総予備の役割を担っていた景虎は、各諸将の離脱を助けるべく自ら出陣。
これを受けて信玄も、景虎を討ち取る好機と旗本を率い、ここに名高き川中島の一騎打ちが行われる。
そうこうする内に、妻女山より別働隊が到着し、武田の勝利が確定した。景虎は、功を焦った義信隊を一蹴すると、自ら殿となって武田勢を翻弄した後に撤退。尚この時、景虎は、この合戦で名を轟かせた勝頼の顔を撤退がてら見に行ったのだが、そのあまりの威風に、勝頼は一歩も動く事ができなかったと言う。

・まとめ
後に酷評される事になる「啄木鳥の策」であるが、其の実態は、堅実と言ってもいい策であった。
夜間且つ濃霧と言う最悪の状態で大軍を動かした場合、軍の統制が完全に崩壊する危険性が高い。むしろ、このような無謀な行軍を完遂させた景虎と宇佐美の能力が異常である。
また、勝頼の活躍と対比して無能視される義信の行動だが、右翼の陣を捨てて宇佐美勢に攻めかかった点は、間違っていない。長尾全軍の要である宇佐美勢を倒す事で、左翼への圧迫を防ぐことが出来るからである。
しかしながら、他将との連携を図ることなく単独で突撃したことは、大失態としか言いようがない。それ以降の行動も含め、弁護の余地はない。
これにより、危機感を抱いた義信派は、勝頼に対して、以後警戒心を強める事になり、武田家のお家騒動の火種となるのである。
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**三河攻略戦

上洛を目論む今川義元が、三河松平家に対し尾張木下家攻めを命じたことにより生じた戦い。
この合戦で三河松平家は滅亡し、今川の戦力は大打撃を受ける事になる。

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・開戦前の状況
これまで今川家の先手(さきて)として使われていた松平家であったが、纏まった勢力であった事から、今川家内部では、松平家を危険視する勢力が強く、家中の火種となっていた。
当主今川義元も、最早家中にとってメリットよりもデメリットの方が多くなった松平家を切り捨てる事を決意。
上洛の為として、三河勢5000に、今川勢3000を援軍として派遣し、尾張と三河が疲弊しきった所を見計らって、今川家本軍によって一気に両国を併呑する戦略を固めた。
一方、伊勢攻略を成し遂げ、念願の伊勢湾掌握に成功した尾張木下家は、次の目的である美濃攻めを完遂させる為、松平家による尾張侵攻を奇貨として、松平家撃退後、一気に三河攻略を計画する事になる。
軍師竹中半兵衛は、この三河攻略の戦略目的として「三河攻略による今川家の弱体化」「伊勢湾の制海権を完全なものにする」「勇猛な三河武士団を木下家の戦力にする」を挙げ、同時にこれらの戦略目的を完遂させる為、松平家当主、松平元康は必ず殺すべきとした。
//先手(さきて)という言葉は、先ほど辞書を引いて初めて知りました。普通は「せんて」なので、読み仮名をつけました。

・序盤戦
かくして尾張に侵攻した松平勢であったが、既に開戦前から敗北が決定付けられていた。
前述の通り、既に今川義元は松平家を取り潰す事を決意しており、派遣された援軍は、今川家にとって磨り潰されても惜しくない諸国浪人衆が主体となっており、更にそれが監視役として松平勢の各部隊に分散して配置された事から、援軍の3000は、全くと言っていいほど戦力になっていなかった。
更に、西三河衆が秀吉の調略を受け、旗頭である石川数正以外はほぼ中立となっており、それも松平勢弱体化を促進させた。
しかしながら、駿河の援軍の将である鵜殿長照に岡崎城を占拠されている事から、松平勢は決死の覚悟で木下勢に攻め込む事になる。

・中盤戦
遮二無二攻め寄せる松平勢であったが、今川家軍監の的外れな指揮から、連携の採れた行動が取れず、逆に木下家の鉄砲隊と騎馬隊の連携の前に、渡辺隊・鳥居隊・酒井隊などが次々と崩されてしまい、撤退を余儀なくされる。
これを受けて木下勢はかねてからの計画通り、三河への逆侵攻を開始。時同じくして今川も遠江勢を主力に東三河に侵攻する事になる。
尚、敗北した松平元康は敗戦の責を取る形で、松平家菩提寺に謹慎していたが、岡崎城を占拠していた鵜殿長照が東三河に撤退した事を受けて、岡崎城に入場。自らの家を守るべく木下勢に立ち向かう事になる。

・終盤戦
岡崎城を攻囲した木下勢は、松平勢の絶望的なまでの防戦に手間取りながらも、本丸までを落し、元康切腹を条件に降伏を勧告。
その一方で、停戦期間を利用して、前田利家を総大将に東三河への侵攻を開始し、東三河の総大将である鵜殿長照とその一族を捕縛すると同時に、奇計を用いて、今川家遠江衆の主だった面々をも捕縛すると言う大功を立て、今川家の三河侵攻部隊は大打撃を受ける事になる。
そして、岡崎城の松平元康も、家臣たちを助命する為に降伏勧告を受諾。ここに三河松平家は滅亡した。

・まとめ
今回の三河攻略における今川・木下両家の戦略目的を見る限り、中盤までは双方共にシナリオ通りに事が進んでいたと言える。
しかしながら、竹中半兵衛が指摘したように、トップの戦略眼については双方とも甲乙付けがたいのだが、それを実行できる手足となるものが、今川家には誰もいなかったことが、義元の戦略を狂わせる事になったといえる。義元自身も嘆いたことであるが、太原雪斎が生きてさえいれば、事態は変わっていたであろう。
三河失陥のみならず、遠江衆も打撃を受けてしまった事で、今川家の戦力は大いに減退する事になり、木下家への対応策として、東三河に対する調略と、美濃斉藤家との連携を深める事になる。
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- 主要合戦集作ってみましたが、其の壱、其の弐からこっちに上手くリンク貼れなかったので、すいませんがどなたか訂正お願いいたす。orz  -- 木下家編集衆其の弐(仮)  (2009-09-26 19:54:37)
- 通りすがりですが修正しときました。タイトルが作品別用語集になってないのが原因だと思います。  -- 名無しさん  (2009-09-27 11:25:59)
- 名無し殿。かたじけないです。orz<今になってタイトルを「主要合戦集」にしたことに気付いた・・・(汗)  -- 木下家編集衆其の弐(仮)  (2009-09-27 12:36:58)
- おお、其の弐殿も名無し殿も乙にござります。拙者には左メニューに追加することしかorz  -- 木下家編集衆其の壱(借)  (2009-09-27 14:57:48)
- 連絡掲示板で書くべきか迷ったんですけど、今後、用語集のページが増えた場合を考えて、本ページの其の参を其の壱と名前を変えてもらい、壱殿には申し訳ないですが、左メニューからも外しましょうか? 利用者が混乱する可能性ありますし。(こう題名付けた某が一番悪いのだが)。後、三河戦と伊勢戦も記載した方が良いです? 戦略・政略が主な題材になるんですけど。  -- 木下家編集衆其の弐(仮)  (2009-09-28 18:58:53)
- 三河戦と伊勢戦は是非お願いします。全体構成は其の弐殿にお任せします。拙者はもともと好き勝手に説明増やしていただけなのでw  -- 其の壱(借)  (2009-10-03 01:38:27)
- 承りました。ページ名変更は私の名前で依頼しましたので、左メニューの削除をお願いいたす<壱殿  -- 木下家編集衆其の弐(仮)  (2009-10-03 10:55:48)
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