大日本帝国海軍の一等駆逐艦。実在した。
吹雪型一番艦「吹雪」
日付:1936年3月(推定)
種別 |
一等駆逐艦 |
運用者 |
大日本帝国海軍 |
建造数 |
24隻 |
前級 |
睦月型駆逐艦 |
次級 |
初春型駆逐艦 |
基準排水量 |
1,680英トン 公表値1,700英トン |
公試排水量 |
1,980トン |
満載排水量 |
2,260トン |
全長 |
118.5m |
水線長 |
115.30m(公試) |
垂線間長 |
112.00m |
最大幅 |
10.36m |
深さ |
6.25m |
吃水 |
公試 3.20m または3.192m 満載 3.50m |
ボイラー |
ロ号艦本式缶 4基 (III型は空気余熱器付 3基) |
主機 |
艦本式タービン (インパルス型、高圧低圧単式各1) 2基 |
推進器 |
2軸 x 400rpm 直径3.200m、ピッチ3.700m |
出力 |
50,000shp |
速力 |
38ノット または37ノット |
航続距離 |
計画:5,000カイリ / 14ノット または 約4,500カイリ / 14ノット 1943年9月時(響):1,600カイリ / 17ノット |
燃料 |
重油:475トン 、または500トン |
乗員 |
吹雪竣工時定員 207名 1943年4月1日付吹雪型定員 219名 |
兵装 |
50口径12.7cm 連装砲 3基 6門 |
40mm機銃4艇、6.5mm機銃2挺(計画) |
7.7mm単装機銃2挺(I型竣工時) |
12.7mm単装機銃2挺(II型、III型竣工時) |
一一式軽機銃2挺 |
(61cm)十二年式3連装発射管 3基 |
(八年式)魚雷 18本 |
八一式投射機 2基、装填台 2基 |
爆雷18個 |
対艦式二号(特) 大掃海具 |
搭載艇 |
6.5m 内火艇1隻 7.5m 内火艇1隻 7mカッター2隻 6m 通船1隻 |
最初に聞いて欲しい。
筆者は今まで書いた中で一番頑張ったと。
概要 Ver1.0
まず最初に書いておくが、吹雪型というのは24隻あります。10隻じゃないからね?
吹雪型、綾波型、暁型って別れてると思ってる人多いだろうけど、実際はこの三型全部が吹雪型ですからね?
あえて言うなら特I型、特Ⅱ型、特Ⅲ型と別れているというくらいか。暁型に関しては改吹雪型とも呼ばれるが……英語のウィキペディアは暁型が別扱いなのよね。
で、単に特型だけだと初春型、白露型、朝潮型まで含んじゃう。ややこしいね。
改特Ⅰ型なんてのもある。
駆逐艦の歴史
画面の前のあなた、「そこからやるの!?」って思っただろう。やるんです。
……というかね、吹雪型はここから書かないと駄目。知ってる人には良いがそうでない人を前提に書くべきだからねこの頁は。なんせ駆逐艦の革命的存在なので。
私はまだ書いてる途中だけど読んでる人は右見てほしい。多分スクロールバーが長さを物語ってると思う。飽きないようにがんばりますはい……えぇ書きたいだけですとも。
駆逐艦、英語だとデストロイヤーです。名前は物騒なのよね。とはいえ近年の擬人化ブームによってもうそんなイメージは消し飛んでるような気がするが。
まずこの艦種、第二次大戦前と後で性質が大きく変わりました。
大雑把に説明すれば、戦前は海軍の便利屋さんで、戦後はここに海軍の主役が追加される。
19世紀の半ばあたりで魚雷が開発されまして、これに伴い水雷艇という
小型艦……というか軍用ボートが登場しました。
1875年のロバート・ホワイトヘッドと魚雷
この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
小さくて小回りが聞いてしかも速い。この機動力を生かして戦艦に肉薄して魚雷がドーン! というのがこれである。
砲は強くするほどでかくなる。一部の変態艦を除けば巨大砲は
小型艦には搭載されておりません。だから戦艦なんか相手出来なかった。
が、魚雷はそうでもない。何にだって搭載可能。炸薬量多いから数本当てれば戦艦も撃沈出来ます。
水雷戦隊の魚雷による敵主力艦のジャイアントキリングは日本海軍の夢だった。その夢を最大の形で叶えてしまったのは戦艦「扶桑」を撃沈した合衆国海軍第10駆逐艦隊なんだがががががが……
扶桑型戦艦一番艦「扶桑」
出典:『軍艦写真帖』海軍協会・昭和5年改訂版
とにかく、このように戦艦には驚異。だって小さいのに致命傷与えられかねないんだもの。というかやられたんだもの。そして戦艦の巨砲だとこんな小さくて早いやつは狙えない。無理。
特に浅い沿岸やら泊地なんかだと的でしかない。
駆逐艦というのは水雷艇に対抗するために生まれました。
当初の名前は水雷艇駆逐艦、名前通り水雷艇を駆逐する艦でした。
例によって起源はイギリス。ほんとイギリス由来の物多いな。そんな全駆逐艦の母的な艦の名は「ハヴォック」でした。
A級駆逐艦ハヴォック
この著作物は、著作権の保護期間が著作者の没後70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この艦、建造には弩級戦艦の建造に大きく関わったジョン・アーバスノート・フィッシャー卿がいる。
で、この「ハヴォック」は排水量がだいたい240tぐらい。水雷艇の大体二倍。12ポンド砲……だいたい12センチぐらい砲ね。それと魚雷。
これが27ノットで海上を爆走して水雷艇を駆逐していきまして、実際使い勝手が良くて流行りました。
水雷艇は小さいから外洋航行能力が無いのよ。元が沿岸防衛とか泊地奇襲とか用だから。
この駆逐艦があちこち主力艦に随伴していって攻撃にも哨戒にも護衛にもとにかくあらゆる任務をこなしていきました。
早いから戦艦を魚雷で攻撃するっていう本来水雷艇がやってた任務も奪って存在意義消しました。
それでも水雷艇は割と最近まで残ってたんだが、それはまた別の話。
多分水雷艇が嫌いって人は多いだろう。
話を戻そう。
こんなふうになったもんだから水雷艇駆逐艦から「水雷艇」の部分が消えて単に「駆逐艦」と呼ばれるようになりました。
第一次大戦においてはドイツのU-ボート対策に駆逐艦が爆雷とソナー積んで潜水艦狩りやってます。本格的に流行りだしたのはだいたいこのへん。つまり1914年。
どのくらい重要視されるようになったかと言うと、ロンドン海軍軍縮条約の保有数に駆逐艦がしっかり組み込まれるくらいに。水雷艇はこれが原因で復活した。
特に空母の護衛なんか戦艦の護衛以上に大切だからね……そしてその空母から飛んでく敵艦載機から護衛対象を守る為にも対応。商船だって守るぞ。
ここまで来ると、何をやらないんだという状態である。強いて言えば艦載機発着艦ぐらいだろうか。
そして第二次大戦が終結し現在に至る。今は何でもやるの中に、かつて戦艦なんかがやってた「主力」を奪い取って組み込んだ。ミサイルの登場である。
もはや敵艦に肉薄して魚雷とか時代遅れである。交戦距離はどんどん遠くなるし。
このミサイルの登場で駆逐艦はもはや戦艦以上の対艦攻撃力に、より強化された対空対潜能力。そしてヘリコプターの登場でついに艦載機発着艦もやるようになった。
おかげで各国海軍の顔になっています。空母や潜水艦はどこの国でも作れるもんではないからね。
フリゲートも含んでだが、現代海軍の主力艦は駆逐艦なんです。
そんなわけでだんだん巨大化。
揚陸艦とか空母とかを除けば。現在の水上戦闘艦としては最大の軍艦である。巡洋艦の地位に今いるわけだな。巡洋艦もまだあるけどもう駆逐艦との違いは無いと言って差し支えない。
今となっては対弾道ミサイルすら出来る。
当分はこれ変わらないだろうね。
それはそうと護衛艦「あたご」の弾道ミサイル迎撃試験成功おめでとう。
あぁ、次は「あしがら」だ。
量より質を追求し生まれ、世界を驚愕させた大型駆逐艦の誕生
さて、ようやく吹雪型に戻ってきたわけだが。
そもそもこの吹雪型が生まれるきっかけとしてはワシントン海軍軍縮条約がありました。
当時、その前級である睦月型が当時の日本ではどんどん竣工してました。
日本海軍睦月型駆逐艦「睦月」
日付:1930年頃 (昭和5年ころ)
原典:写真日本の軍艦第10巻p6
が、この条約で戦艦保有率が日本:イギリス:アメリカ=6:10:10なんてことにされました。
ただワシントンの方はロンドンのと違って巡洋艦以下は対象外。
これによって、日本は条約型と呼ばれる軍艦をどんどん計画。なんとか戦力差を埋めないといけなかったので巡洋艦以下で対抗しようとしたんです。この時期に作られた巡洋艦は「条約型巡洋艦」と呼ばれる。
その中には後の重巡洋艦の基礎となる「古鷹型」も含まれてまして、こっちも例によって革新的でした。
5500t級に太刀打ちできなかった日本がいきなり8,000t級の高火力巡洋艦を爆誕させたんだもの。
古鷹型重巡洋艦「古鷹」
日付:1926年4月5日
が、これで終わらないのが日本の魔改造文化である。
それが吹雪型駆逐艦の一番艦「吹雪」である。
特型は歴史を変えました。
そもそもね、水雷艇よりはデカイとは言え船としては小さいのよ駆逐艦。
波に弱いから凌波性が低い。
だから巡洋艦の名前の通り、外洋に出られるから「巡洋」艦だったわけで。
そんな波のあるところでは駆逐艦の売りである高速機動とか無理。安定重視で低速にしないと駄目。大体15ノットぐらい。
だから当初は沿岸戦闘艦だったわけで、常識でした。
その幻想をぶち壊したのが本型「吹雪型駆逐艦」である。
特型なんだけどもう吹雪型で通すよ。
前級の睦月型だって世界的に見れば結構な高性能駆逐艦ですよ?
更にその前の神風型から見て魚雷兵装は強化されてるし、凌波性も改善。おかげで速度低下は防げた。
予備魚雷も搭載して戦闘で活躍してましたとも。
が、これで満足しなかったのが当時の日本海軍である。
第一次大戦の「ユトランド沖海戦」において、各国は巡洋艦やら戦艦やらの防御力向上を促すことになる重要な海戦であった。
でも条約的にも予算とか的にも~と。
というわけでその他の艦種……つまり駆逐艦にこれをぶち破れるだけの能力を持てというのが日本海軍の希望だった。
駆逐艦における攻撃力とはすなわち「火力と雷装と速度」である。
つまり全部なんとかしろと。
……無茶にしか見えないでしょ? なんとかしちゃったんですよ。
なんとかすべく「特型駆逐艦対策委員会」なんてのが出来た。
藤本喜久雄造船大佐を中心に設計しました。
まず主砲。
睦月型の12センチ単装4基から12.7センチ連装砲A型の3基6門にグレードアップ。
45口径三年式12cm砲
これだけでもすごい革命なんですよ。 2門増えてる。
射程も3Km増えて仰角も7度増えた。1基減らす価値は十分すぎるほどです。
あと12cm砲は砲塔じゃなかったのよ。だから波やら破片やらで集中できなかったそうな。
これが12.7cm砲になって砲塔になったから、全面が防盾で覆えるようになって、余計な妨害無く砲撃に集中できるように。
第二第三砲は背負式だから省スペース化もしてるぞ。
次に雷装。
上の背負式やったから発射管スペースが確保できてる。
61cm三連装魚雷発射管をさらに1基増備し、計3基装備した。
次発装填装置はまだないんだけどね、でも予備も9本あったよ。
同方向に向かって9本発射できました。これは「島風」についで第二位である。
兵装はこの後に対空用の機銃が搭載されることになる。
最後、速度。
上で色々盛ったって書いてるじゃないですか。重いんだから遅くなるよ。
じゃあタービンの高性能化というのが簡単な解決だが、当時のでもすでに艦本式改良型艦本式タービンのロ号缶は十分高性能。具体的には50000馬力あった。Ⅲ型ではボイラー増やしてさらに向上し更に低燃費化。
じゃあどうしよう。軽くするしかね。
というわけで電気溶接を積極的に採用しました。
なるべく睦月型より大きくならないように頑張ったけど、それでも10mほどでかくなっちゃった。
だが頑張ったこともあって凌波性向上と共に最大速力39ノットである。
誕生当時、吹雪型駆逐艦は世界最強の駆逐艦でした。その最大の理由が外洋航行能力です。
だって海外の駆逐艦にはまだ外洋航行能力無いんだもの。
上で戦艦は魚雷が怖い的なこと書いたじゃないですか。あれは沿岸とかに攻め入ったときだけ気をつければよかったのが、これによってどこであっても気をつけなければならなくなった。
艦首の上甲板をそらす「艦首シアー」を大きくして乾舷を向上。
さらにこのシアーを幅広にする「フレア」も強化。波に突っ込んでも左右に波が逃げるよ。これが中央付近まで広がる徹底である。
入泊していた横浜から横須賀港に向かう駆逐艦特型(?改)『浦波』
The Special Type1(improved model) Destroyer "Uranami" which go to Yokosuka Port from Yokohama.
The "Uranami" is a meaning named Seaside waves.
これの赤がシアー。だんだん上に反ってるわけだが、これで構造物に波が行かないようにしてる。
黄色がフレアー。上甲板付近で舷側を外にそらして波を左右に受け流してる。
……まぁ、トップヘビーになっちゃったんだけどね? 当時の5,500t級の軽巡を上回る凌波性を手に入れました。
「ワシントン海軍軍縮条約」から6年後の1928年に竣工。吹雪型の一番艦「吹雪」誕生。
この条約は外伝の軍艦を書く上でちょいちょい出てくるから説明しよう。できれば別個専用ページを設けても良いような気がする。そうすればリンク貼るだけで良いから。
そのうち軍事Q&Aに条約の頁を作るようだな……
えー、1922年に調印された海軍五大国(英米日仏伊)による海軍軍縮条約。
世界的な建艦競争と軍備拡張と莫大な軍事費増大がやべぇ事になってきて各国の経済を圧迫したから、かと言って自分だけやめると狙われかねないのでいっせーのでみんなでやめようって感じで、主力艦の装備と保有の制限と要塞建設の禁止しました。
簡単にまとめるとこうなる
- 大型艦、つまり戦艦と空母の保有量を制限
- 旧式戦艦の廃棄及び工事中と計画中の新型戦艦の中止
- 廃棄される戦艦のうち二隻は空母にして良い
- 一万トン以下の小型艦は好きにしろ
という感じ。詳しくすると大変なことになるから重要なところだけ抜粋。二つ目と3つ目の影響を受けたのが「赤城」と「加賀」である。
そして本作に登場した「
土佐」と「生駒」と
紀伊型戦艦はこれを秘匿して作ったものである。
……が、この条約は上記の通り緩い。だから巡洋艦と軽空母以下の小型艦艇の建艦競争に発展。軍縮なにそれおいしいの?
意味ねぇってことで1930年に、さらに厳しい条件のロンドン海軍軍縮条約が調印。
すると今度は「数で劣るなら質で補えー」と、小型艦艇に制限ギリギリの無茶な設計を施して……で、色々と事件が勃発するものの、制限下でなんとかしようというものは軍事技術の発展に多大に貢献した。犠牲もいっぱいあったが。
これのワシントン側の影響を受けたうちの一つが吹雪型。初春型はロンドンの方の影響を受ける。
ちなみにロンドンはこんな感じ
- 戦艦建造中止措置の五年延長+既存艦削減
- 小型艦の建造及び保有を制限
- 日本の保有艦全体の保有率を対米比で69.75%にしろ
当然だが日本国内で賛成派と反対派で内輪もめした末に1934年にワシントンを、1936年にロンドンの条約から脱退して軍拡する。
とはいえ一番被害を受けたのはイギリスで結構な数の廃艦を出してアメリカと同等になってしまう。
なんというかアメリカがどんどん黒く見えてくるのよねこういうの調べてると。
こうして、吹雪型が誕生してからというものの、当時の帝国海軍の実質的な戦力は今後建造される駆逐艦の数を揃えることになって、それより前のクラスの駆逐艦が飽和して停滞状態の世界各国を一気に引き離しました。
彼女らが特型と呼ばれているのは特が「特級」の特だからなのよ。英語だと「スーパー・クラス・デストロイヤー」である。
スーパーだったでしょう?
日本海軍の水雷夜襲による漸減邀撃作戦の成立は吹雪型があってこそと言っても過言ではないだろう。
漸減邀撃作戦は、軍縮条約により米英より戦艦の数が少ない日本でも主力決戦で勝利すべく、決戦の前に敵艦隊の戦力を減らしておこうとする作戦である。
つまり、漸減邀撃作戦が構想された時点で「駆逐艦サイズの巡洋艦」の開発という無茶な要求したわけだな。作った方すげぇよね。でも要求する方も方でもうなんというべきか。
一応補足しておくが、睦月型以前も他国艦と比べやたらと高い凌波性はあったからね?
これは時化る日本海特有の問題のせい。具体的には海外艦が日本海に来て20隻ほど遭難するような大事故が起きるくらい。
睦月型も南方進出作戦とか参加してるし。
とは言え弱点もあった。航続距離が14ノットで5,000海里は達成できなかった。
でも他は全部達成したのよ。排水量も370t増えただけで済んでるし。
大きくなれば的になるしね。当時の駆逐艦は小型化も追求されてた。
あと艦橋も露天型から密閉型に変更して医務室も併設、暖房もついた。戦闘以外も改善。
なお特Ⅱ型、特Ⅲ型とだんだん肥大化していく模様……流石に特Ⅲ型は第四艦隊事件もあって艦橋が小型化改装したけど。
これがどれほどすごかったと言うと、アメリカが
「うちの駆逐艦300隻と特型駆逐艦50隻を交換してくれ」
なんて言ったくらい。例によってのアメリカパワーは後々にまた駆使されるのだが、このときはすでに駆使した後で、一次大戦で沿岸型の駆逐艦が300もあったんだとか。つまり旧式いっぱい。
具体的には1917年来の4本煙突型で近代的駆逐艦はない。イギリスのもA級系駆逐艦だと一方的な戦いが出来たのは間違いなかったでしょう。
もうちょっというと、この時の英米は61cm魚雷を日本が所有してたことは知らないです。そのうえでこの反応。すげぇと。
……ま、あの排水量であの兵装はねぇだろとも言われてて、排水量を偽ってたんじゃね? って噂があった。違うところに問題があったわけだが。
でも米軍はこの後もこんな高性能艦じゃなくてシンプル早期建造タイプのばっか作ってるのよね。
……これで陽炎型と同等以上を量産性そのままに建造するようになるあたりもうあの国はなんというべきか……レーダーも標準搭載するし。
こうして「ロンドン軍縮会議」にて、重巡軽巡と合わせて駆逐艦もしっかり制限に含まれました。
こんだけ世界に影響を与えたんです。
まとめると
1:火力が「睦月型」からグレードアップ
2:凌波性向上に伴い外洋航行能力を獲得
3:39ノットの高速航行
4:露天艦橋が密閉型になり、波が飛び込んでくる心配がなくなった
5:医務室や冷蔵庫も完備されるなど、艦内環境も大幅に改善
重要なの2ね。
あと駆逐艦としては世界初のメートル法で設計された艦でもある。
それと、開戦初の砲撃は吹雪型から始まりました。というか特型というべきかここは、「綾波」なので。
具体的には「マレー作戦」という真珠湾攻撃より前に開始された日本陸軍の上陸作戦。「綾波」「敷波」「磯波」「浦波」がその輸送船団の護衛やってました。後ろ二隻が特Ⅰ型こと吹雪型である。浦波は「改特Ⅰ型」だから微妙ではあるが。
朝方、高波でひっくり返っちゃった大発動艇を救助して何百人も陸兵を乗っけてたんですがね「綾波」は。
だからといって敵には関係ない。魚雷搭載した敵機が飛んできました。
これに対して30発ほど主砲で射撃。これが第二次大戦における最初の射撃である。
最後に、どうでも良いような気はするが……磯波級駆逐艦とか書いてある本があったりする。吹雪型じゃなくて。
その本は「1940年版日英米佛伊獨蘇軍艦集ポケット海軍年間」っていうんだけど……
まぁこれは竣工日基準にネームシップ決めてるだけだからこうなってる。吹雪型だからね。
同じように睦月型も皐月級とかなってるし。
ちなみに竣工日は「吹雪」が昭和3年8月10日に対して「磯波」は昭和3年6月30日。
確かに海外だと竣工日でネームシップ決めるけど……日本で発行された本なんだがなこれ……
各特型の違い(新造時)
上でも書いたけど睦月型は主砲の後ろに防盾無いから砲員に転落の恐れあり。ちなみに最大射程15.200m、仰角+33~-5度。
特型になって密閉構造の砲室に最大射程18.200m、仰角は+40~-7度であと連装化して12cmから12.7cmに。
これはⅠ型用のA型で、Ⅱ型とⅢ型用のB型だと仰角が+75~-7度に。
友鶴事件と第四艦隊事件のあとの昭和10年秋から昭和11年春にかけてⅡ型とⅢ型は更に改装。B型改となる。C型に換装した説もある。
|
睦月型 |
吹雪型 |
口径 |
十二センチ砲 |
十二・七センチ砲 |
砲身長 |
四十五口径 |
五十口径 |
名称 |
(大正)三年式 |
(大正)三年式 |
砲重量 |
2.8t |
4.2t |
砲弾重量 |
20.4kg |
23.5kg |
一発宛炸薬量 |
5.1kg |
7.6kg |
初速 |
624m |
910m |
射程(仰角30度) |
14.3km |
16.6km |
ちなみにアメリカの駆逐艦も12.7cm砲だったけど、あっちは38口径。短い。
条件が同じ場合、方針が短いと命中率や最大射程が劣るのです。
イギリスの場合は11.4cm砲を大戦終了まで使った。
12.7cm砲というのは毎分十発程度打てた。
魚雷はそんなちょくちょく打つ機会がないし、あと重いから発射管一門につき搭載量二本。少ない。
だから主砲って大事なんですよ。
大体12.7cm砲は連装砲ですが上記の通り形式はいっぱいあった。
測距儀は長さ3mの90式という昭和五年採用のが艦橋の頂部に、大正十四年式2mのやつが艦後部においてあった
ここまでで何となく分かると思うが、まじめに世界の5インチ砲と比べても対艦対地砲として優秀な部類である。
そう、対地攻撃やるんですこれで。榴弾打つので。
まぁ地上を攻撃するともなると観測が必要で、無しでやることもあったもんだから戦果誤認なんかよくあること。
砲が密閉構造になったことで、流石に防弾ではないが波浪の影響が無くなった。
もうどの海戦であっても必ずと言ってよいほど使用されている。
とまぁ、水上戦等においては極めて優秀だが、対空戦闘は少しどころが著しく苦手。
この頃の駆逐艦は世界中どこのもこんなもんではあったが。
新造時から魚雷発射管に防盾が付いてたのはⅢ型だけ。
他は後付である。
53cm魚雷なんですが、特に世界で規格をあわせたってことはないんですが、なんでか直径53cmのを使ってて、日本も例外じゃなかった。
が、それは大正十五年、つまり1926年までの話である。
これ以降に竣工した駆逐艦……つまり睦月型だと六本の発射管に直径61cmの大型魚雷を搭載。これは従来の大正六年式魚雷に対してキングサイズのもので八年式と称されておりました。
以降、太平洋戦争の終焉まで日本海軍はこの大きさの魚雷及び発射管を使用。
つまり特型はこれである。
広島 大和ミュージアムに展示される93式魚雷推進部
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一方のアメリカは第二次大戦中、駆逐艦用に使用した魚雷のマーク15型は第一次大戦の末期の1918年型を改良した直径53cmの物。
といっても太平洋戦争の初期のバリ島海戦なんかで活躍した四本煙突の米旧式駆逐艦や護送駆逐艦なんかはマーク8型でこれはマーク15型とは寸法は同じなんだけどスピードが遅い。
日本の八年式魚雷は更に昭和五年採用の90式魚雷に変わり、米軍のものとは比較すると、こうなる。
|
日本 |
米国 |
名称 |
90式 |
マーク15型 |
直径 |
61cm |
53cm |
重量 |
2.5t |
1.1t |
射程 |
46ノットで7000m 35ノットで15000m |
46ノットで1400m34ノットで9000m |
炸薬量 |
400kg(TNT系97式爆薬) |
225kg(TNT)後期型だと500kg(取るペックス) |
機関 |
ピストン2気筒 |
ガスタービン |
参考までに、30ノットで時速55kmである。
※この表制作に以下を参考として使用
『U.S. Bureau of Ordnance in World War』
『海軍水雷史』
こんな感じで、なんか直径が世界標準より8cmも太い。長さも8.5mである。
例によって某ブラウザゲームの提督だったりすると、この魚雷の長さには驚くのではないだろうか。当然手に持てるような長さではないのだ。というか重量がトンだし。
ちなみにこの直径は極秘だった。なんでかは不明だが。
世界を新歓させた93式酸素魚雷に関しては陽炎型からが初期装備であるが、後日改造で一部特型も搭載している。一部と言っても三隻だけだが……具体的には「響」と「曙」と「潮」のみ。理由は最後期まで生き残ったから。
で、これが一隻あたり八本。一個水雷戦隊の計十六隻で百二十八本の魚雷が敵戦艦めがけて突撃する。
アメリカの戦艦の15隻のうち、二隻でも三隻でも損傷すれば次に起きる戦艦同士の撃ち合いで日本は有利に成る。
太平洋戦争中に第三十一戦隊という水雷戦隊が編成されたけど、これは魚雷攻撃よりも艦隊の護衛を主任務とする特殊兵力であったから、この部隊に関しては例外だが。
上の方でも書いたが、日本の場合は夜戦がとにかく重視された。夜戦なら敵艦の位置を知るサーチライトが必要で、そこで駆逐艦には直径90センチの92式や96式が一基後部の発射管付近に置かれてる。リモコン可能。
主缶の燃費やパワー向上。
Ⅱ型まで4基だったけどⅢ型から3基に。
これに伴い第一煙突が細くなりました。
あと吸気口がキセル型からお椀型に切り替わった。
正直ここに入れるべきかどうか悩んだんだが……まぁいいや。
日本海軍だと夜戦前に視力用にビタミンAの錠剤を士官が飲んでました。
希望すれば除倦覚醒剤なんかもあった。
夜の見張りには人参。
一方のアメリカは……
ときは1920年代前半。上記の通り、アメリカは駆逐艦を更新して無かった。
なんでかと言うと、第一次大戦の終結で海軍予算が削減されちゃってて、250隻以上建造した通称「平甲板型」の駆逐艦が余りに余りまくってる割には使い道にも困ってる状態だった。上で書いた交換してくれってのはこれのこと。
具体的にはウィックス級とクレムソン級。
Wickes dd75
日付:1921年頃
原典:Official U.S. Navy photo NH 69499 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command
が、1928年に日本が重武装の外洋航行能力まで持ってるような吹雪型を就役させたことで状況が一変。
簡単に比較するとこんな感じ。
|
吹雪型 |
クレムソン級 |
武装 |
12.7cm連装砲3基 |
4インチ単装方4基 3インチ単装砲1基 |
魚雷発射管 |
61cm魚雷9門 |
53.3cm12門 |
速力 |
38ノット |
35.5ノット |
この通りと言われて読んでる方が分かるかは分からないがとにかく見劣りしておりまして。
更に他国でも大型駆逐艦の建造が進んでました。トゥルビネ級(イタリア)とかラドロア級(フランス)とか。
ここままではヤベェと痛感したアメリカ軍は予算をぶんどるチャンスとばかりに駆逐艦の建造を再開。
で、しっかりロンドン条約で駆逐艦の排水量に制限かかったからその枠内で特型に対抗出来る駆逐艦の開発に取り掛かりました。平甲板型よりでかくするだけって案もあったらしいが。
ファラガット級という駆逐艦はこんなふうにして設計建造されました。
そして上手くいきませんでした。
USS Farragut (DD-348)
日付:1935年頃
これ、この時代に早くも「将来は航空機が主力になるかもしれない」という先見性のある考えの元作られたこともありまして、5インチ対空砲(両用砲)を主砲として5門搭載して、魚雷発射管も4連装2基装備して8隻作りました。そして平甲板型より性能が向上。
|
ファラガット級 |
クレムソン級 |
武装 |
5インチ単装両用砲5基 |
4インチ単装方4基 3インチ単装砲1基 |
魚雷発射管 |
53.3cm8門 |
53.3cm12門 |
速力 |
37ノット |
35.5ノット |
で、吹雪型より300トンほど小さい船体ながらどうにか対抗できそうな感じに仕上がりました。
……この300トンほど小さく作ったのが全ての間違いだった。
小さな船体に重武装。どっかで聞いたことあるよね。艦これとかやってると特に。
友鶴とか友鶴とか友鶴とか。実装されてないけどさ。あと第四艦隊事件。
日本海軍千鳥型水雷艇「友鶴」
日付:原版は昭和9年2月24日 24 February 1934
原典:丸スペシャル日本海軍艦艇シリーズ第39号「水雷艇」13P
これがどんな結果をもたらしたのかは、なんとな~く分かるんじゃないかと。
達磨の構造を思い出してもらえば良いと思う。あれなんでどんなに転んでももとに戻るのかと。
あれ頭が重いとどうなりますかと。船ってのはだいたい達磨と同じ。
そんなわけでファラガット級、すげぇトップヘビー艦である。
就役当時だって重量バランスギリッギリだから対潜装備をソナーだけで我慢するようだった。駆逐艦なのに爆雷無いってどうなのよ。
で、先見の通り戦争が激化したから対空機関砲に+αを増加。エリコンの20mm機関砲5基とBofors 40mm機関砲の40mm機関砲を4基に、あとレーダーとか爆雷投下レールとかが装備された。
代わりに主砲1基降ろしたけど、重心安定のための改修も吹雪型みたいに徹底しなかった。よって中途半端。
もともと限界突破寸前だったこともありバランス崩壊。
ということもありまして、1944年に「ちょいと舵を切ったら15度も傾斜した」なんていうおかしいことになってた。
しかも「舵を戻してもなかなか傾斜がもとに戻らない」。
そんなわけで、航行出来た事自体奇跡。
こんななのに1944年冬に台風に遭遇。
これによって三番艦「ハル」と七番艦「モナハン」が耐えきれず転覆して後に沈没。八番艦「エールウィン」も傾斜70度を記録しました。お前よく復元できたな……ちなみに一回や二回じゃなく記録したそうな。
この画像を見て欲しい。傾斜がやべぇって思うことだろう。
これでも35度である。
70度の傾斜はこの倍という辺りにどれだけ深刻だったのかがわかっていただけるかと思う。
ちなみに海自の護衛艦は90度傾斜しても復元できるそうです。
戦争が終わったところで早速改修計画の要望が艦戦局に提出されたけど、結局どんなにいじっても改善できそうにないからスクラップにしてしまいました。
終戦後、即重機の材料になりました。
対空砲を最初っから搭載するとか、本当に先見性あったんだけどね……
これでもっと船体サイズを増やしていたら、ああはならなかったんだろうなーって思う。とはいえ船体サイズに対する武装の適正値は当時はまだ不明瞭だったわけだしねぇ……日本も結構そういうの作っちゃってるし、「龍驤」とか「扶桑」とか……
とはいえ、アメリカも日本が吹雪型の後に初春型から夕雲型へと新型作っていったように、アメリカもポーター級とかシムス級とかどんどん建造していきました。
が……これらほぼ全部がトップヘビー。外洋航行能力に難有り。
型名 |
隻数 |
備考 |
ポーター級 |
8隻 |
1850トンの大型駆逐艦 重量が前方に偏ってる |
マハン級 |
18隻 |
魚雷発射管の半分の位置が低くて荒天時に使用が難しかった しかもトップヘビー |
グリッドレイ級 |
2隻 |
マハン級から燃費悪化して復元性も悪くなったから40mm機関砲を搭載できなかった |
サマーズ級 |
5隻 |
荒天時用に魚雷発射管の位置を上げたらもっとトップヘビーになった |
バッグレイ級 |
20隻 |
グリッドレイ級を海軍工廠で作ったやつ グリッドレイよりはマシになった ただ比較対象が…… |
シムス級 |
12隻 |
1番艦就役直後に重心バランスがひどすぎて即ドック入り |
お前らファラガット級の反省はどうした。悪化の一方じゃねぇか。
なお、この中で改修でどうにかできたのはシムス級のみである。
ただ、これらは条約型であり条約後に作られた艦は百隻以上作られるようなやつで、一部は後の海上自衛隊の護衛艦になったりもする。
詳しくは
初春型の方で。
吹雪型とみる第二次世界大戦とその後
こんなわけで凄まじい驚愕と共に生まれた彼女らですが、「深雪」以外の全艦が太平洋戦争に参加しました。「深雪」は演習中に事故で沈没しちゃった。
が、あれだけすごいこと書いてましたが、この時点ではもう旧式である。すでに大日本帝国海軍の駆逐艦最終形態といえる夕雲型や秋月型が竣工しておりましたので。
「吹雪」が1928年でしょ? 太平洋戦争は1941年だもの。
ちなみに「夕雲」は1941年で「秋月」は1942年。
吹雪型から夕雲型まで
吹雪型→初春型→白露型→朝潮型→陽炎型→夕雲型
と、こんだけ新型ができてるのよね。もちろん改修はしてるけど。
注:筆者が確認できた限りのみを記載
また、
日本国召喚に登場したのと同型であろう特Ⅰ型及び改特Ⅰ型に限定する。
最初は24隻全部入れていたのだが膨大になりすぎた。
1926年 大正15年 昭和元年
|
6月19日 |
「第35号駆逐艦」起工 後の一番艦「吹雪」 |
8月12日 |
「第40号駆逐艦」起工 後の六番艦「東雲」 |
10月18日 |
「第43号駆逐艦」起工 後の九番艦「磯波」 |
10月21日 |
「第41号駆逐艦」起工 後の七番艦「薄雲」 |
10月27日 |
「第42号駆逐艦」起工 後の八番艦「白雲」 |
1927年 昭和2年 |
3月19日 |
「第36号駆逐艦」起工 後の二番艦「白雪」 |
4月28日 |
「第44号駆逐艦」起工 後の十番艦「浦波」 |
4月12日 |
「第37号駆逐艦」起工 後の三番艦「初雪」 |
4月25日 |
「第39号駆逐艦」起工 後の五番艦「叢雲」 |
4月30日 |
「第38号駆逐艦」起工 後の四番艦「深雪」 |
11月15日 |
「第35号駆逐艦」 進水 |
11月24日 |
「第43号駆逐艦」 進水 |
11月26日 |
「第40号駆逐艦」 進水 |
12月26日 |
「第41号駆逐艦」 進水 |
12月27日 |
「第42号駆逐艦」 進水 |
1928年 昭和3年 |
3月20日 |
「第36号駆逐艦」 進水 |
6月26日 |
「第38号駆逐艦」 進水 |
6月30日 |
「第43号駆逐艦」 竣工 |
7月25日 |
「第40号駆逐艦」 竣工 |
7月26日 |
「第41号駆逐艦」 竣工 |
7月28日 |
「第42号駆逐艦」 竣工 |
8月1日 |
「第35号駆逐艦」「吹雪」と命名 |
「第36号駆逐艦」「白雪」と命名 |
「第37号駆逐艦」「初雪」と命名 |
「第38号駆逐艦」「深雪」と命名 |
「第39号駆逐艦」「叢雲」と命名 |
「第40号駆逐艦」「東雲」と命名 |
「第41号駆逐艦」「薄雲」と命名 |
「第42号駆逐艦」「白雲」と命名 |
「第43号駆逐艦」「磯波」と命名 |
「第44号駆逐艦」「浦波」と命名 |
第12駆逐隊「東雲・薄雲・白雲」編成 |
8月10日 |
一番艦「吹雪」 竣工 |
9月27日 |
五番艦「叢雲」 進水 |
9月29日 |
三番艦「初雪」 進水 |
11月29日 |
十番艦「浦波」 進水 |
12月10日 |
第12駆逐隊、第二艦隊第二水雷戦隊へ所属 |
「吹雪」艦長に石戸勇三 中佐 就任 |
12月18日 |
二番艦「白雪」 竣工 |
第11駆逐隊「吹雪・白雪・初雪」編制 |
1929年 昭和4年 |
3月30日 |
三番艦「初雪」 竣工 |
5月10日 |
五番艦「叢雲」 竣工 第12駆逐隊へ編入 |
6月29日 |
四番艦「深雪」 竣工 |
6月30日 |
十番艦「浦波」 竣工 |
7月9日 |
豊後水道で演習中、「望月」が「叢雲」に衝突 |
11月30日 |
第19駆逐隊「磯波・浦波・綾波・敷波」編成 |
「吹雪」艦長に樋口通達 中佐 就任 |
1930年 昭和5年 |
12月 |
第11駆逐隊司令に南雲忠一大佐が司令に着任 |
1931年 昭和6年 |
5月11日 |
「吹雪」呉工廠へ入渠 翌年1月31日まで |
11月30日 |
「磯波」第19駆逐隊より離脱 「吹雪・東雲」と共に第20駆逐隊を新編 |
長良型軽巡洋艦「鬼怒」率いる第2艦隊第2水雷戦隊に編入 |
12月1日 |
「吹雪」第11駆逐隊より除籍 |
「浦波」第19駆逐隊より除籍 |
第12駆逐隊 第二水雷戦隊より外れる 第20駆逐隊「吹雪・磯波・東雲」を新編 第二艦隊へ 川内型軽巡洋艦「神通」率いる第二水雷戦隊にて隷下となる |
1932年 昭和7年 |
12月1日 |
第20駆逐隊、第二水雷戦隊より外れる |
12月6日 |
第20駆逐隊、上海上陸戦に参加 |
12月1日 |
「吹雪」予備駆逐艦となる |
第19駆逐隊、第二水雷戦隊より外れる |
1933年 昭和8年 |
2月1日 |
「薄雲」第12駆逐隊から第20駆逐隊へ移動 |
11月15日 |
駆逐隊編成改定 |
「東雲」第20駆逐隊へ移動 |
「薄雲」第12駆逐隊へ復帰 |
12月11日 |
第19駆逐隊、第20駆逐隊、呉警警備戦隊となる |
1934年 昭和9年 |
3月12日 |
友鶴事件 |
10月24日 |
「吹雪」入渠 竜骨の補強工事開始 翌年3月20日まで |
11月15日 |
第19駆逐隊、第20駆逐隊、第二水雷戦隊へ編入 |
6月29日 |
済州島南方沖にて演習中、「電」が「深雪」の艦中央に衝突し船体断裂、「深雪」沈没 |
11月15日 |
第12駆逐隊 呉警備隊へ所属 |
1935年 昭和10年 |
9月26日 |
第四艦隊事件 |
「初雪」台風により艦首切断 |
9月27日 |
「初雪」、「羽黒」に曳航され大湊で応急修理の後、舞鶴まで曳航されて艦首を新造修復 翌年7月14日まで |
12月12日 |
「吹雪」入渠 機関部の改造工事開始 翌年1月31日まで |
1936年 昭和11年 |
12月1日 |
「磯波」第19駆逐隊に復帰 |
「東雲」第20駆逐隊に復帰 |
12月1日 |
第20駆逐隊解散 |
12月11日 |
「吹雪」第20駆逐隊解散に伴い第11駆逐隊へ復帰 |
12月1日 |
第19駆逐隊、呉鎮守府予備艦となる |
1937年 昭和12年 |
7月7日 |
日中戦争勃発 |
坂本伊久太少将乗艦の軽巡洋艦「神通」率いる第二水雷戦隊所属第19駆逐隊として「磯波」「浦波」参戦 |
7月28日 |
第11駆逐隊 第二艦隊へ |
球磨型軽巡洋艦「木曾」率いる第四水雷戦隊にて隷下となる |
8月19日 |
「磯波」と「浦波」が接触事故 横須賀で修理 |
12月1日 |
「吹雪」予備駆逐艦となる |
第12駆逐隊 川内型軽巡洋艦「那珂」率いる第二水雷戦隊へ編入 |
1938年 昭和13年 |
12月15日 |
第11駆逐隊 川内型軽巡洋艦「那珂」率いる第二水雷戦隊へ編入 |
「白雲」第12駆逐隊より外れる |
第12駆逐隊「東雲・叢雲・薄雲」第二航空戦隊に編入 |
1939年 昭和14年 |
9月1日 |
ドイツ、ポーランド侵攻 |
イギリス及びフランス、ドイツへ宣戦布告 |
第二次世界大戦開始 |
11月15日 |
第11駆逐隊司令に有賀幸作中佐が着任 |
第11駆逐隊、第二航空戦隊に編入 |
1940年 昭和15年 |
5月1日 |
第12駆逐隊 第三水雷戦隊に編入 |
6月21日 |
フランス降伏 |
8月 |
「吹雪」サイパン、ポナペ、トラック泊地等で開催された演習に参加 |
8月15日 |
「薄雲」触雷 第12駆逐隊より離脱 |
9月22日 |
「飛龍・初雪・白雪」北部仏印進駐 |
9月27日 |
日独伊三国同盟条約締結 |
10月11日 |
第11駆逐隊 紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式に参加 |
「長門・陸奥・伊勢・摂津・涼風・江風・村雨・春雨・夕立・五月雨・漣・綾波・浦波・初雪・白雪・吹雪」 |
11月15日 |
第19駆逐隊、第三水雷戦隊へ編入 |
1941年 昭和16年 |
8月15日 |
南日水道で「薄雲」触雷、大破 |
11月15日 |
第一艦隊へ 川内型軽巡洋艦「川内」率いる第三水雷戦隊の隷下となり編入 |
12月7日 |
第19駆逐隊、ノルウェー貨物船を拿捕、自沈処分 |
12月8日 |
大日本帝国 英米に宣戦布告 |
真珠湾攻撃 |
ウェーク島沖海戦 |
「浦波」ノルウェー貨物船「ハフトホク」を撃沈 |
12月10日 |
マレー沖開戦 |
第11駆逐隊「吹雪・白雪・初雪」 第12駆逐隊「叢雲・東雲・白雲」 第19駆逐隊「磯波・浦波・敷波・綾波」 以上三隊、川内型軽巡洋艦「川内」率いる第三水雷戦隊へ転属 司令に荘司喜一郎大佐が着任 |
12月13日 |
第11駆逐隊、第12駆逐隊、ボルネオ攻略作戦に参加 |
12月17日 |
六番艦「東雲」 ボルネオ・ミリ沖にて飛行艇または管制機雷により戦没 戦死者228名 |
12月19日 |
「川内」「浦波」オランダ潜水艦「O-20」を撃沈 |
1942年 昭和17年 |
1月8日 |
第11駆逐隊シンゴラ上陸作戦に参加 |
1月24日 |
バリクパパン沖海戦 |
1月26日 |
第11駆逐隊エンドウ沖開戦に遭遇 |
1月27日 |
エンドウ沖海戦 |
第11駆逐隊「吹雪・白雪・初雪」参戦 |
「白雪」イギリス駆逐艦「サネット」を撃沈 |
2月13日 |
「吹雪・朝霧」イギリス河用砲艦「スコーピオン」を撃沈 |
「初雪・白雪」イギリス商船「レダン」を撃沈 |
2月14日 |
「吹雪・朝霧」イギリス捕鯨船「トラング」を撃沈 |
「吹雪・朝霧・由良」イギリス特設砲艦「リーウォー」撃沈 |
2月15日 |
「白雪」イギリス港湾防備モーターランチ「HDML1062号」撃沈 |
「白雪」イギリス貨物船「マタハリ」及び小貨物船「レロー」捕獲 |
「吹雪」イギリス徴用曳船「イン・ピン」撃沈 |
2月16日 |
「川内・吹雪」イギリス小貨物船ラントー捕獲 |
2月18日 |
「吹雪」第三水雷戦隊指揮下より離脱 カムラン湾に移動し長良型軽巡洋艦「名取」率いる第五水雷戦隊第三護衛部隊の指揮下に入る |
2月19日 |
バリ島沖海戦 |
2月24日 |
アメリカ本土攻撃 |
2月27日 |
スラバヤ沖海戦 |
3月1日 |
バタビヤ沖海戦 |
「初雪・白雪・吹雪・白雲・叢雲」参戦 |
「白雲」オランダ政庁監視船「シリウス」捕獲 |
「初雪・吹雪」イギリス特設掃海艇「シン・アイク・リー」捕獲 |
「初雪・吹雪・白雲・叢雲」オーストラリア軽巡洋艦「パース」撃沈 |
「初雪・吹雪」オランダ掃海艇「エアダー」撃沈 |
「白雲・叢雲・敷波」アメリカ重巡洋艦「ヒューストン」撃沈 |
「白雪」米重巡ヒューストンにより損傷 戦死者8名 |
「白雲・叢雲」オランダ駆逐艦「エベルトセン」撃沈 |
3月4日 |
「吹雪」第三護衛部隊より離脱。第三水雷戦隊へ復帰 |
3月10日 |
第12駆逐隊 解体 |
第11駆逐隊に「叢雲」移籍 |
第20駆逐隊に「白雲」移籍 |
4月5日 |
セイロン沖海戦 |
「吹雪・白雪・初雪・叢雲・白雲」参戦 |
5月7日 |
珊瑚海海戦 |
6月5日 |
ミッドウェー海戦 |
『吹雪』『白雪』『叢雲』『初雪』『磯波』『浦波』『白雲』参戦 |
6月9日 |
第19駆逐隊、ミッドウェー海戦からの帰途、「磯波」と「浦波」 衝突事故 |
7月30日 |
「薄雲」修理完了 第5艦隊へ編入 |
8月11日 |
「薄雲」第6駆逐隊へ仮編入 |
8月8日 |
第一次ソロモン海戦 |
8月24日 |
第二次ソロモン海戦 |
8月28日 |
「薄雲」第21駆逐隊へ変有 |
「白雲」、ドーントレスの爆撃により損傷 負傷者二名 |
8月29日 |
第11駆逐隊、ガダルカナル島への輸送作戦を成功させる この日より10月諸島まで「鼠輸送」に従事 |
9月4日 |
「夕立・初雪・叢雲」アメリカ輸送艦「リットル」「グレゴリー」撃沈 |
9月8日 |
第11、19駆逐隊、アメリカ港湾用哨戒艇YP346号撃沈 |
10月11日 |
サボ島沖開戦 |
「初雪」「吹雪」参戦 |
10月12日 |
一番艦「吹雪」サボ島海戦にてアメリカ巡洋艦により戦没 戦死者226名 |
五番艦「叢雲」サボ島海戦の救助中にドーントレスの爆撃を受け大破航行不能 戦死者32名 「白雪」により雷撃処分 |
「初雪」アメリカ重巡洋艦により損傷 戦死者10名 負傷者17名 |
10月26日 |
南太平洋海戦 |
11月12日 |
第三次ソロモン海戦 |
『初雪』『白雪』『浦波』 |
「綾波」戦没、「浦波」が艦長作間英邇中佐以下乗員196名を救助 |
11月15日 |
一番艦「吹雪」 除籍 ネームシップの戦没により同日付で『白雪型駆逐艦』に改められる |
11月30日 |
ルンガ沖夜戦 |
1943年 昭和18年 |
1月29日 |
レンネル島沖海戦 |
2月1日 |
ケ号作戦(ガダルカナル島撤収作戦) |
『白雪』参戦 |
3月2日 |
ビスマルク海海戦 |
白雪、浦波 参戦 |
3月3日 |
第19駆逐隊 八十一号作戦に参加 |
二番艦「白雪」 ラエ東方(ビスマルク海空戦)にて米・豪襲撃機A20,B25の攻撃を受け戦没 戦死者数不明 |
3月5日 |
ビラスタンモーア夜戦 |
3月27日 |
アッツ島沖海戦 |
4月1日 |
第一水雷戦隊改編 旗艦・長良型軽巡洋艦「阿武隈」 第九駆逐隊「朝雲・山雲・白雲・薄雲」 |
二番艦「白雪」 除籍 ネームシップの戦没により同日付で『初雪型駆逐艦』に改められる 以後、艦型が改められることはなかった |
東遣艦隊 日本列島東約500km洋上より異世界へ転移する。(日本国召喚外伝 新世界異譚1) |
第三水雷戦隊 第八艦隊へ転属・改編 |
第11駆逐隊「初雪・夕霧・天霧」 |
4月2日 |
「浦波」セレベル島近海で座礁事故 |
4月7日 |
フロリダ沖海戦 |
4月9日 |
九番艦「磯波」 セレベス沖にてアメリカ潜水艦「トートグ」により戦没 戦死者数不明 |
7月5日 |
クラ湾夜戦 |
『初雪』参戦 |
7月12日 |
コロンバンガラ島沖海戦 |
7月17日 |
三番艦「初雪」ブーゲンビル島南岸にてアメリカ急降下爆撃機36機により戦没 戦死者82名 |
7月29日 |
ケ号作戦(キスカ島撤退作戦) |
8月6日 |
ベラ湾夜戦 |
8月17日 |
第一次ベララベラ海戦 |
9月8日 |
イタリア 降伏 |
9月20日 |
第19駆逐隊、第16戦隊に編入 |
10月6日 |
第二次ベララベラ海戦 |
10月15日 |
三番艦「初雪」 除籍 |
11月2日 |
ブーゲンビル島沖海戦 |
11月25日 |
セントジョージ岬沖海戦 |
12月15日 |
第十一駆逐隊、可動艦が居なくなり解体 |
1944年 昭和19年 |
1月11日 |
第19駆逐隊 航空隊の雷撃訓練に参加中に「球磨」が戦没 |
「浦波」が艦長杉野修一大佐以下乗員約300名を救助 |
3月16日 |
八番艦「白雲」 北海道南東にてアメリカ潜水艦「トートグ」により戦没 全員戦死 |
6月2日 |
第二次渾作戦発令。第19駆逐隊はビアク島へ兵員輸送を行う |
6月4日 |
第二次渾作戦 中止 |
6月19日 |
マリアナ沖海戦 |
7月9日 |
七番艦「薄雲」 千島・択捉島沖にてアメリカ潜水艦「スケート」により戦没 267名戦死 |
8月15日 |
第一水雷戦隊改編 |
第18駆逐隊「薄雲・霞・不知火」 |
10月10日 |
第19駆逐隊 解散 |
10月12日 |
台湾沖航空戦 |
10月23日 |
レイテ沖海戦 |
10月24日 |
「浦波」、「鬼怒」「青葉」を護送中に空襲を受ける 最大速力低下 死者13名 |
10月26日 |
「浦波」、第1次多号作戦に参加中、パナイ島付近で空襲を受け戦没 艦長以下102名戦死 これを持って大日本帝国海軍は「吹雪型駆逐艦」の全艦を失う |
10月29日 |
多号作戦 |
12月2日 |
オルモック湾夜戦 |
12月10日 |
十番艦「浦波」 除籍 |
12月26日 |
ミンドロ島沖海戦 |
1945年 昭和20年 |
3月10日 |
東京大空襲 |
3月12日 |
名古屋大空襲 |
3月13日 |
大阪大空襲 |
3月17日 |
神戸大空襲 |
3月19日 |
呉軍港空襲 |
4月7日 |
坊ノ岬沖海戦 |
5月16日 |
ペナン沖海戦 |
5月7日 |
ドイツ降伏 |
7月24日 |
呉軍港空襲 |
8月6日 |
広島市に原爆投下 |
8月9日 |
長崎市に原爆投下 |
8月14日 |
ポツダム宣言受諾 |
8月17日 |
異世界方面艦隊 異世界より日本列島東約500km洋上へ帰還(日本国召喚外伝 新世界異譚1) |
8月17日 |
異世界方面艦隊 横須賀へ帰港 将校及び士官、東京へ出頭命令(日本国召喚外伝 新世界異譚1) |
9月2日 |
日本 降伏文書調印 終戦へ |
1948年 昭和23年 |
5月1日 |
海上保安庁 設立 |
1950年 昭和25年 |
8月10日 |
警察予備隊 設立 |
1951年 昭和26年 |
4月21日 |
海上保安庁 はつなみ型巡視艇四番船 PC-04「うらなみ」竣工 |
5月18日 |
海上保安庁 はつなみ型巡視艇三番船 PC-03「いそなみ」竣工 |
1952年 昭和27年 |
4月28日 |
サンフランシスコ平和条約 発行 |
8月1日 |
保安庁 設立 |
10月15日 |
保安隊 設立 |
1954年 |
7月1日 |
防衛庁 設立 自衛隊 設立 |
1958年 昭和33年 |
2月27日 |
海上自衛隊 あやなみ型護衛艦三番艦 DD-105「うらなみ」竣工 |
3月14日 |
海上自衛隊 あやなみ型護衛艦二番艦 DD-104「いそなみ」竣工 |
1970年 昭和45年 |
2月2日 |
PC-03「いそなみ」退役 |
8月21日 |
海上自衛隊 みねぐも型護衛艦三番艦 DD-118「むらくも」竣工 |
1973年 昭和48年 |
12月4日 |
PC-04「うらなみ」退役 |
12月22日 |
海上保安庁 しきなみ型巡視艇十一番船 PC-66「うらなみ」竣工 |
1978年 昭和53年 |
3月24日 |
海上保安庁 むらくも型巡視艇一番船 PC-201「むらくも」竣工 |
1982年 昭和57年 |
3月23日 |
海上自衛隊 はつゆき型護衛艦一番艦 DD-122「はつゆき」竣工 |
1983年 昭和58年 |
2月8日 |
海上自衛隊 はつゆき型護衛艦二番艦 DD-123「しらゆき」竣工 |
1986年 昭和61年 |
12月25日 |
DD-105「うらなみ」除籍 |
1987年 昭和62年 |
7月1日 |
DD-104「いそなみ」除籍 |
1996年 平成8年 |
2月29日 |
海上保安庁 はやなみ型巡視艇七番船 PC-17「しののめ」竣工 |
1998年 平成10年 |
3月16日 |
DD-118「むらくも」練習艦へ艦種変更 TV-3511となる |
2000年 平成12年 |
1月7日 |
PC-66「うらなみ」退役 |
1月24日 |
海上保安庁 はまぐも型巡視艇三番船 PC-24「うらなみ」竣工 |
6月18日 |
TV-3511「むらくも」除籍 |
2002年 平成12年 |
8月3日 |
PC-201「むらくも」退役 |
8月19日 |
海上保安庁 かがゆき型巡視艇二番船 PC-106「むらくも」竣工パラメーターを正しく指定してください。 |
2007年 平成19年 |
1月9日 |
防衛庁、防衛省に移行 |
2010年 平成22年 |
6月25日 |
DD-122「はつゆき」除籍 |
2011年 平成23年 |
3月16日 |
DD-123「しらゆき」練習艦へ艦種変更 TV-3517となる |
2014年 平成26年 |
1月30日 |
海上保安庁 かがゆき型巡視艇十八番船 PC-122「いそなみ」竣工 |
2015年 平成27年 |
1月1日 |
日本 新世界へ転移(日本国召喚本編) |
2016年 平成28年 |
4月27日 |
TV-3517「しらゆき」除籍 |
作:
日本国召喚wiki管理人
資料
木俣慈郎「日本水雷戦史」
木俣慈郎「日本軽巡戦史」
海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻
雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』
海軍研究社編輯部 編 『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊軍艦集. 1935年版 』
海軍有終会編 『幕末以降帝国軍艦写真と史実 』
日本国召喚での活躍
細雪(ささめゆき)
淡雪(あわゆき)
以上二隻が登場、名前から推測するにこの二隻は二番艦から五番艦までのどこかに挟まるものと思われる。
戦艦や空母と違い、この二隻は計画自体存在しない完全に
日本国召喚のオリジナル艦である。
最初の活躍は魔王軍に押されていた異世界の軍隊の最初の反撃である。
召喚四日後の
フィルアデス大陸南方約200kmでの海戦。
空母二隻の艦載機の攻撃により大損害を受けた魔王軍の残り三十数体の海魔を本型二隻と初春型二隻の共同の雷撃にて爆殺……雷殺? とにかく撃破。
他、二度ほど「細雪」が陸上に指揮官クラスが上陸している時等に送迎をしている。
陸上への艦砲射撃や対空戦闘等の描写は無い。
地球へ帰還後、極秘裏に解体処分。
随時加筆願います。
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最終更新:2020年04月26日 15:33