2017年、7回目となるエベレストに挑んだ。この年から遠征時期を春シーズンへ変更。中国とネパールとの間で国をまたいだルート途中変更を行うという前代未聞の行動に出る。ルートショッピングで迷走の後ノーマルルートで挑もうとするが結局敗退した。
春シーズン遠征への変更
昨年の敗退について、その原因を「地球規模の気象の変化で秋は登れる気候ではなくなった」とし、秋シーズン登頂にこだわらないことにしたようである。なお、前回の下山直後に「厳冬期もありかも」と放言、従来の支持者から不興を買ったようで、結局「北壁ならオンシーズンの春でも人は少ない」ことを理由に春シーズンの遠征に切り替えた。
資金難
昨年は通信状況が悪くほとんど配信ができなかったため、大幅に費用が浮きその分資金に余裕ができたという(もっとも、同じ動画において、費用を賄うため借入も考えていると話していたが)。だが、度重なる失態にスポンサや支援者が次々と離れていったためか、Facebookの会員限定公開エントリでは度々窮状を訴えていた。年度途中からのチーム栗城年会費値上げ(これは反発も大きかったのか、数日後に撤回されている)や無償で後方支援を行うボランティアスタッフの募集など、残った会員にさらなる負担を求めたという事態がその深刻さを物語っていた。かつて1回の登山に億単位もの費用を費やしていた栗城であったが、その豪勢ぶりが見る影もないほど厳しい状況に追い込まれていたのである。日本人スタッフは過去最少の2人となった。
他隊の動向
- ウーリー・ステック(アルパインクライマー)…ネパール側から西稜~ホーンバイン・クロワールのルートからローツェに縦走。
- 平岡竜石ガイドのチーム…チベット側ノーマルルートから。
- ICI石井スポーツのチーム(奥田仁一、平出和也)およびアドベンチャーガイズ(以下AG)隊…ネパール側ノーマルルートから。
- キリアン・ジョルネ…チョー・オユー登頂後エベレストに転戦し北壁もしくは北稜からダブル登頂を狙う。なお昨年秋に北壁を断念している。
- ラルフ・ドゥイモヴィッツ(全14座登頂者)…エベレストのみまだ無酸素登頂を達成していなかったため、チベット側ノーマルルートで無酸素登頂し全14座無酸素登頂を狙う。
記録
出発時の発表スケジュール
パブ記事などは出たものの、詳細なスケジュールは発表されなかった。
ところが、また例によって5月下旬にイベント出席の予定が入っていることが判明。
「ナンダ・コート」初登頂80 周年記念プロジェクト
帰国が間に合えば、8000m 級の高峰に挑む登山家 栗城史多、
ヒマラヤなどの山岳カメラマン
門谷優の2氏がゲスト出演を予定しています。
司会は今回、ナンダ・コート再登頂隊長の登山家、大蔵喜福が務めます。
▶「 ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット征服」(28 分 ) を上映
▶ 発見された立教大学山岳部特注テントを展示
日時:5月28日( 日) 午後1時開場 1時30 分開演( 約2時間)
空白の10日間と突然のルート変更
ボーダナートでの動画配信以降、4500mの丘での順応以外キャラバン中はこれといった報告もないまま、チベット側のBCに入った。BCでは恒例のプジャの写真とキッチンボーイの紹介の動画配信を行ったが、予告やスケジュールの発表は行わなかった。おそらくここで去年の秋遠征同様に中央ロンブク氷河側に仮キャンプ(ここでは「北壁BC」とする)を設営したものと思われるが詳細は不明。その後北壁BCからABCに移動し、数日ここで好天待ちをしたのちにノースコルまで高地順応を行う。ノースコルから先の標高7500mまで高度を上げる予定だったようだが、強風を理由に7300m程度で撤退、いったん高度を下げた。
この後おそらく北壁BCに戻ったものと思われるが、所在地は全く不明となった…
5月6日にノースコルでの動画を配信した後、Twitter、Facebookへのポストはストップ、12日にようやくABCの設営の準備をしていたとの情報がUPされた。このABCは、昨年秋遠征で設営予定であったものの雪が深いため遥か手前に置かざるを得なかった場所を指しているのか、それとも北壁の取り付きを指しているのか判然としない。前日にはチベット側ノーマルルートでは頂上までのルート工作が完了し「窓が開いた」状況となっていたものの、この時点でABCの設営がまだ「準備」段階であり「完了」していなかったのはスケジュール的にかなり問題があると思われるが、危機感は全く感じられなかった。
そしてその二日後、北壁を断念しノーマルルートに転進するのではなく、ネパールに越境し西稜からホーンバインクーロワールにトラバースする2012年のルートに変更と発表。その上、発表時点ですでに申請を済ませ移動を開始していたという。予想外の行程に本スレ住人らは驚愕。
チベットの電気自動車、乗りたいな〜。 ルート変更のために移動を開始しました。新しいルート申請も無事に終え、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからルートと登頂予定日と中継について発表します。 少し街に降りて来ましたが、かなり酸素が濃いです。。身体が暖まります。
そしてゴラクシェプ到着後にこう釈明した。
※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もあり、バラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。(登山許可は一日でおりました。)
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
中国のルールでは、外国の登山隊が中国側からヒマラヤへ登る際、入国と出国とで同じルートにしなければならない。栗城隊はラサまで空路で入国しているが、この発言からすると陸路で出国したように受け取れる。中国とネパールを陸路で結ぶルートのうち、外国人に開放されているのはニャラムとコダリを結ぶ中尼公路しかなく、空路で入国した栗城隊は通れるはずがない。シェルパ、ポーターが陸路で入国、栗城とその他撮影スタッフが空路という事ならさして問題はないが、空路、陸路のどちらを取るにしろエベレストのネパール側BCに移動するにはかなりの時間を要する。移動を開始したのが宣言通り14日ならば、16日にゴラクシェプに到着するにはヘリコプターが必要になる。これまでさんざ経済的に苦境にあることを喧伝し支援を求めていながら、またしても湯水のように費用を浪費したことになる。
なお、北壁からのルート変更の理由は「雪が少なくブルーアイスが露出しており指を失った状態での登攀が困難」ということだったが、昨年の遠征の敗因を「雪が多くラッセルで消耗した」として秋に比べ雪が少なくなる春を選んだのだから、これでは春でも秋でも登れないと言っているに等しい。今回は取り付きの少し上の写真すら出ておらず、北壁下部の試登すらできなかった可能性が高い。また、栗城が2009年に登ろうとしたメスナールートはじめ、チベット側には他にもルートがあり、わざわざ費用をかけてネパール側に移動するだけのメリットは見当たらない。
これだけの無理を重ねながら、西稜経由でホーンバインクーロワールを登攀する姿を捉える事はこだわっているようで、中央ロンブク氷河側に一部の撮影・スタッフを残してきたと説明している。
チベット側を選んだ理由の一つに、チベット側ではルート全体を見渡せるから少ないスタッフで共有、生中継できることを挙げている。栗城が採用している生中継システムは電波をBCまで中継する必要があるため、ネパール側だとC2付近とBCに機材を扱えるスタッフを配置する必要があり、ネパール側に移動した時点で(人員不足により)生中継を放棄していることになる。
いずれにせよ、今回の越境はあまりに合理性のない無茶苦茶なものであり、実際には公にできない何らかの事情がある可能性もある。
ネパール移動後
ネパールに移動後、ベースキャンプは他の登山隊がテント村を作るいわゆる「エベレストBC」ではなくそこより下のロッジがあるゴラクシェプにBCを設置した。当初、チベット側を選択する利点として、標高が高いABCを出発点にでき頂上までの日程を一日短くできる事を理由に挙げていた。だとすると通常のBCより遠い場所を出発点とするのはチグハグともいえるが、急遽ネパール側に移動した為にサポートスタッフその他の分の食料・資材を運搬する時間的余裕が無いがゆえの苦肉の策とみられる。もちろんこの選択はマイナスとなり、順応さえ済んでいればC2まで1日で移動できるはずが2日を要した。
21日からエベレストは好天周期に入る。絶好の登頂タイミングであり、実際チベット側ではキリアン・ジョルネが高速登頂を成功させるが、栗城は登頂予定日に強風になるという予報を理由に2日停滞。そしてようやく22日にC2を出発、半日かけて稜線手前に到達するも、当初予定していた7300mより100mほど低い地点にC3を設置した。
そして翌日、ここから稜線に出たのちにトラバースしてホーンバインクーロワールへ向かうはずであったが、稜線手前でSPOTのアイコンが一旦停止、次に表示されたときには一気に6700m付近まで降下していた。そして西稜側壁の途中でSPOTのスイッチを切ってしまったらしく、その日の行動は不明となる。 そして翌日に事務局の発表で『吐き気を感じ下山』『深夜にゴラクシェプに帰還』していたことが判明した。
この時点でノースコルでの順応から既に3週間が経過しており、普通に考えれば順応の効果切れによる高度障害の発症であるが、本人は高山病とは頑なに認めず、食あたりだとしていた。
そのころ、他隊はこの好天をチャンスととらえ、25日からの3日間で多くの隊が登頂に成功した。ネパール側ではICI石井スポーツ隊とアドベンチャーガイズ隊が25日に、HIMEX隊に参加していた五味和史が26日に、チベット側では平岡竜石ガイド隊と倉岡裕之ガイド隊の計6人が27日に登頂、加えてキリアン・ジョルネも1度目から1週間経たぬまま2度目の無酸素登頂達成という怒涛の記録を達成した。
他方、栗城は体調を整えるためにゴラクシェプに帰還後2日間の停滞を決め込んでいた。天候待ちや体調のためにせっかくの登頂チャンスをみすみす潰すという毎度のパターンを繰り返したのである。
27日にゴラクシェプを出発したもののこの時はSPOTの電源は入っておらず、夜になって出発時の動画を配信。この動画を見る限り携行していたザックは30リットル前後の非常にコンパクトなもので、マットもザックに括り付けていない。高所用ダウンスーツを着用したままの出発でもなく、前回の出発時に停滞と合わせて5日を費やしてしまったことを顧みれば食料・燃料の備蓄もあるとは考え難く、登頂に耐えうる装備とは言い難い。
今日(5/27)から再び上がっていきます。
その日のうちにC2に到着したことを明らかにしたが、翌28日は悪天候を理由に停滞。そして29日に一旦ノーマルルートを登高するものの、サイクロンの襲来による天候悪化が予想されることと、「ネパール政府より6月1日までにテントを撤収するよう通告があった」を理由に、6800m付近で撤退を宣言した。
なお、この時に中継で無線交信を配信、半開きになったゴラクシェプのテントから栗城の敗戦の弁(と言い訳)が数分にわたって垂れ流されるシュールな光景が展開された。
(映像はBCのテント内のみで、当然栗城の姿はなく、近くの岩斜面が少し映る程度で山の映像もない)
大まかな内容は次の通り(有志による書き起こし)。
【生中継の簡易テキスト なるべく時系列順 NO.2】 間違いがあったら修正よろ
2本目
- 0:20~ 6400m、C2に居ます。
- 0:58~ なかなか中継が難しい
- 1:30~ 栗城カメラは相当見通しがいい所じゃないとなかなか中継ができない
- 3:40~ 天気(予報)が悪かったので撤退した。
- 6:35~ 登ること(登頂?)はできるかもしれないですけど…冷静に考えなければいけない(帰ってこれないので撤退を決意)
- 8:05~ 6/1までにはテントを撤収しなさいというネパール登山協会からの連絡があった
- 8:45~ 7300m時に吐き気が止まらなくなり、高山病じゃないと思うが…頭痛もなく体調も良く相当いけるなと思っていた
- 9:20~ あの時にもし体調がよければいけてた(登頂できてた)と思う。すごく悔しい。全部自分の責任。
- 11:00~ 今後については、下山してから考えたい。またまだ諦めてない。
- 11:35~ 春の良い面悪い面がわかった。体調を崩してしまった点は反省、勉強になった。
- 11:55~ ??自体はできると思いますが、生中継は本当に厳しい。お金もそうだけど(厳しい)
- 12:40~ 北壁ブルーアイスが600m出ていて、9本指を失っている状態で長時間のブルーアイスは難しいので、僕の考えでルートを急遽変更した
3本目
- 4:30~ 24~25日は一番風(天候)が良い状態だったので、順応出来ていて…(体調がよければ)無酸素で登頂できていた。
- 6:00~(今)体調は悪くはない。ただ本当に元気かと言うとそうではない。
- 8:00~ 吐き気は治まった。何かにあたった感じがする、いつもと違う吐き気だったので
- 11:50~ また、ここに来たい、必ず来ます。 登山そのものもそうですが、この冒険の共有も、もっともっと昔に比べるとかなり縮小傾向になってはいますが……次はエベレストの頂上登りたい。
- 14:40~(現在の天気状況を指して)ベンガル湾のサイクロンさんやってくれましたねって感じです
かいつまめば、「登頂自体は可能だが共有をするとなると難しい」「天候さえ良ければ行けた」「(最初に一回撤退したときの体調不良さえなければ)登頂はできた」と言っているわけだが、そもそもの遠征費用を稼ぐための大義名分が「共有(生中継)」であること、好天時のアタックチャンスを拠点移動や体調不良でフイにしたことなど、すべて当人の戦略ミスや出鱈目な行動が招いた当然の帰結である。
失敗を外的要因に転嫁しようとしたこの言い訳は反発を招き、昨年のLineブログほどではないにしろFacebookが炎上。従来よりの支援者からも批判が上がり、中には栗城を見限るようなコメントもあった。
登山関係者の中からも批判が上がり、栗城の数少ない理解者であった野口健氏ですら否定的なコメントを発している。
近藤謙司 (Kenji KONDO) @kenken8848
近藤謙司 (Kenji KONDO)さんが野口健 (アルピニスト)をリツイートしました
勉強しないのにお金もらって東大を受け続けているようなもんだ…
野口健 (アルピニスト)認証済みアカウント @kennoguchi0821
「撤退する勇気」は確かに大切。失敗を恐れていたら挑戦はできない。しかし失敗から何を学ぶのか。同じような失敗を繰り返すのは「撤退する勇気」でもなんでもない。失敗から次にどう繋げていくのか。失敗を恐れてはいけないが、失敗慣れし「一つ一つの挑戦」をおろそかにしては冒険をする意味がない。
なお、最後にC2まで上がった時だけでなく、最初に西稜側壁を登った時の画像、動画もゴラクシェプ帰還後にアップされておらず、「共有」「生中継」を謳っていながらネパール側ではBCより上で撮られた画像は6月4日まで公開されなかった。「チベット側に残してきた中継スタッフと合流するまで難しい」という事だったが…。
下山後
6月4日になって長文と共にようやく最初の西稜側壁登攀時の編集済み動画がUPされた。アイスフォール帯を通るため、当然のことながらラダー橋や固定ロープがしっかりと映っている。 これまで数度の遠征の動画でもラダーが写り込んで隠すそぶりも見せていなかったが、「C2までは工作済みルートを使ってもセーフ」という事にしているのだろうか?
(途中、吐瀉物の映像あり注意)
なお、高度障害ではなく食あたりであるとしていた嘔吐の原因について、
スポンサーである食品会社に配慮してか、知人の医者の言葉を借りてこう修正した。
今回、あの体調不良は何だったのか。
下山後に知り合いのお医者さんに相談したところアレルギーじゃないかと言われました。確かに吐き気と熱、そして、湿疹が身体にできていた。
なお、6月8日時点ですでに帰国していたことが格闘家・木暮聡氏のツイートより判明。東京都港区の綱町三井倶楽部で行われたパーティに出席していたという。受理されなかったとはいえ、6月7日までの予定で入山期限延長申請していたはずだが…。
登山家の栗城先生とお話しさせて頂きました!!NHKの「ようこそ先輩」という番組で栗城先生の活躍を拝見させて頂いていたのもあって、より一層感動的な出会いでした!!短い時間でしたがお話しさせて頂きありがとうございました!!
実際の行程
BC入り~順応まで
日付 |
栗城隊動向 |
他隊動向 |
4月9日 |
日本出発 |
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4月10日 |
カトマンズ 「明日はプジャをして、明後日ラサに向かいます」 |
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4月11日 |
カトマンズ→ボーダナート ボーダナートから動画配信、プジャを行う |
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4月12日 |
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4月13日 |
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4月14日 |
ラサ |
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4月15日 |
ラサ→シガチェ |
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4月16日 |
シガチェ→ティンリ |
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4月17日 |
「順応のため4500mの丘に上がってきました」 |
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4月18日 |
チベットBC(5200m) |
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4月19日 |
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4月20日 |
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4月21日 |
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4月22日 |
北壁BC『これからベースキャンプをしっかりと設営して、プジャ (登山の安全祈願)をしてから、いよいよ行動開始です。』 |
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4月23日 |
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4月24日 |
チベットBC 倉岡ガイド隊参加者の動画でこの日はBCにいることが判明 |
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4月25日 |
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4月26日 |
北壁BCから移動 |
ウーリー・ステックが7000mまで順応、ICI隊はアイスフォール帯を試登 |
4月27日 |
北壁BC→ノーマルルートABC(6400m) |
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4月28日 |
ノーマルルートABC ステイ |
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4月29日 |
ノーマルルートABC ステイ |
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4月30日 |
ノーマルルートABC ステイ |
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5月1日 |
ノーマルルートABC |
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5月2日 |
ノーマルルートABC→ノースコル(7000m) |
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5月3日 |
ノースコル→7300m地点→ノーマルルートABC 「7500mまで上がる予定でしたが強風のため7300mで戻ってきました」 |
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5月4日 |
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アタックステージ
日付 |
栗城隊動向 |
他隊動向 |
5月5日 |
北壁BC? |
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5月6日 |
北壁BC? ノースコルでの動画を配信 |
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5月7日 |
北壁BC? |
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5月8日 |
北壁BC? |
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5月9日 |
北壁BC? |
ラルフ・ドゥイモヴィッツが7700mで一泊し順応 |
5月10日 |
北壁BC? |
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5月11日 |
北壁BC? |
チベット側ノーマルルートでシェルパ9人が登頂しルート工作を完了 |
5月12日 |
北壁BC? 「ABC設営のための準備をしていました」 |
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5月13日 |
北壁BC? |
チベット側ノーマルルートでインド隊16人が登頂 |
5月14日 |
『ルートを変更するために移動を開始しました』 『16日には新しいベースキャンプに入ります。』 『少し街に降りて来ました』 |
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5月15日 |
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ネパール側ノーマルルートから14人が登頂 |
5月16日 |
夢枕獏事務所からイベントの栗城欠席がアナウンスされる |
ホリア・コリバサヌがシェルパなしの無酸素登頂 |
5月17日 |
ゴラクシェプ ネパール側から西稜ルートへの変更を発表 『登頂予定日は23日です。』 |
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5月18日 |
ゴラクシェプ |
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5月19日 |
ゴラクシェプ→C1(6000m) 『23日、頂上で会いましょう』 |
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5月20日 |
C1→C2(6400m) |
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5月21日 |
C2 「強風の予報のため」ステイ |
キリアン・ジョルネが北稜ルートで無酸素登頂 |
5月22日 |
C2 また「強風の予報のため」ステイ |
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5月23日 |
C2→C3(7200m)当初の登頂予定日 |
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5月24日 |
C3→ゴラクシェプ |
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5月25日 |
ゴラクシェプ 『明日、一日レストして27日から再び登り始めます。』 『天候が良ければ30日~31日に登頂予定です。』 延期一回目の登頂予定日 |
ICI隊、AG隊が登頂 |
5月26日 |
ゴラクシェプ |
ICI隊、AG隊がローツェに連続登頂 |
5月27日 |
ゴラクシェプ→C2 |
平岡隊が登頂 キリアン・ジョルネが2度目の無酸素登頂 |
5月28日 |
C2 ステイ イベントの予定が入っている(5/16欠席発表) |
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5月29日 |
C2→ノーマルルート6750m →C2→ゴラクシェプ ノーマルルートで撤退宣言、C2で無線中継 |
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5月30日 |
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5月31日 |
ゴラクシェプ→カトマンズ |
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6月4日 |
カトマンズ 動画配信 チベット側のスタッフと合流? |
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6月5日 |
カトマンズ→日本? |
チベット側で末期ガン患者のイギリス人が登頂 |
参考リンク集(他隊の活動記録)
最終更新:2024年05月29日 21:34