アンナプルナ

(標高 BC:4190m ABC:4700m C1:5100m C2:5500m C3: 6400m C4:7200m(1回目),6800m(2回目))
氷河はABCから

1回目のアタックはC4(7200m)で体調不良により敗退。
酸素ボンベを持ったシェルパ2名に救助される。
自己申告では「酸素マスクを忘れてボンベを使えなかった」としている。
2回目のアタックでは7700m地点で敗退。またしてもシェルパに救助される。

遠征当初に掲げた目標

  • 8000m峰の単独・無酸素登頂
  • 世界初となる頂上からのスキー滑降
  • Yahoo!特集ページ、エイベックスmu-mo携帯サイト、USTREAMを使っての登頂生中継
結果、目標はすべて達することが出来なかった
登頂はできなかった。
テレビ放送や動画の検証の結果単独ではなかった。
スキー滑降は最初の荷揚げでC3までは持っていったものの、1回目のアタック時にCCR(送信機)とスキーの両方を持って行くのは無理であるとスキーを断念する。
登頂生中継は1回目のアタック時は機材不調のため予定をキャンセル。2回目のアタック時は単独無酸素で登頂することに集中したいと機材を持つことを断念する。

1回目のアタック

本人のブログ 2010-05-20
http://ameblo.jp/kurikiyama/entry-10540250973.html (魚拓とそのキャプチャ画像
気がつくともう頂上が目の前の標高7200m地点にいた。(中略)
嘔吐が止まらず、胃自体が飛び出しそうだ。
高所で水分補給ができないのは危険だ。
何度も水分を取ろうするが、何ごともなかったように出て行ってしまう。
ようやくテントを張って体を休めるが、横になっているだけも苦しい。
明らかにアタックをするような状態ではなかった。(中略)
もう夕暮れのアンナプルナ。
今から下山しても遭難する可能性がある。
僕は深呼吸を何度もし、翌日の朝に下山する事を決めた。(中略)

無事に太陽が再び現れ始めた。
サーダーの無線を取ると昨日の夜から
救助のシェルパ2名が向かっているそうだ。
昨日よりも体調がいい。
下山の準備を初めていると
何度も僕の遠征についてきているテンバさんの姿が見えて来た。
かなり心配していたに違いない。

僕は、大丈夫、今から降りるよと言おうとしたが、
テンバさんの第一声に驚いた。
「隊長!写真撮ってくれないか?山頂バックで頼む」
栗城隊のシェルパは全員アンナプルナに来たことがない。
僕は渡されたインスタントカメラを素手で持ち写真を撮ってあげた。
テンバのザックに酸素ボンベがあった。
サーダーが気を効かせてもってきてくれたのだろう。
だが、肝心のマスクがない。

テンバは昨年のエベレストの時に、必死に下山中に助けに来てくれた。
一緒にテントに入り、テンバが「酸素を吸った方がいい!」と言う。
二人で酸素ボンベに手をつけるが、
二人とも使ったことがないので空気は漏れ、
最後は使用せずに下山したことがあった。

何のためにボンベを持って来たのだろう。
テンバはアンナプルナから見えるヒマラヤの高峰を見ながら興奮していた。
10時間かけての下山。
ベースキャンプに着くともう辺りは暗くなり、
隊員の顔も見えなくなっていた。

2回目のアタック

カメラマンの門谷氏に無線で叱責されて下山し、またしてもシェルパに救助される。
ラジコンの由来

ブログでの報告は無し。
Yahooのサイトにアンナプルナの動画がある(2011年9月現在)。
http://kuriki.yahoo.co.jp/annapurna/index.html
動画後編 14:10~
門谷「登頂も中継も生きてこそでしょ 生きてこそでナンボの話でしょ
    そんな無理して もし帰ってこれなくなったらどうするんですか?」
栗城「・・・・・」
門谷「登山も中継も僕で良ければ再トライでも再々トライでもそのまた次でも
   何回でも手伝うから下りて下さい!」
栗城「ごめん・・・・ ありがとう・・・・  下ります(泣)」
門谷「ありがとう 元気に会える事を楽しみにしてます。
   今、(シェルパの)テンバさん達がそっちに向かってるので、
   えーと、そうですね・・・」
門谷「(別の隊員に対して)どれくらいテンバさん達かかるかな?」
(ここで下山後のシーンに飛ぶ)

また、テレビ東京系列でテレビ特番が組まれている。
「頂の彼方に…栗城史多の挑戦」 2010年7月17日放送
http://www.bs-j.co.jp/kuriki

固定ロープ使用

なお、多数の動画が削除・非公開になった後もyoutubeで「栗城ダイジェスト」は削除されずに公開されているが、この動画のアンナプルナの部分でもしっかり固定ロープとアッセンダーを使用しているシーンが写っている(3:06~)。


その他のエピソード

BS-Jにてキャンプ1より生中継が放送された。
この時点で1回目のアタックは失敗に終わっており、もう一度アタックすると番組内で宣言した。
BSジャパン開局10周年記念番組 What a wonderful world! 美しい地球への讃歌 2010年5月22日放送
http://www.bs-j.co.jp/bangumi/html/201005222000_21176.html

栗城ブログ 2010-05-23
http://web.archive.org/web/20100526141439/http://ameblo.jp/kurikiyama/entry-10542592137.html (削除済みのためキャッシュ)
今日は生中継を2本やりました。
C1まで中継隊員全員が上がり、
手探りでYahoo!とmu-mo、BSジャパンで中継しました。
みんな低酸素の中、一生懸命がんばっていました。
BSJでは最後に平原綾香さんが「威風堂々」を歌っていました。
でもこちらでは映像も音も聞こえません。
メスナー氏に偶然遭遇する
2010年5月7日、C3までの荷揚げを終え、アタック前にヘリコプターでポカラの街に下り休養中(本人曰く、ミリオネラバカンス=ヘリ往復100万、休養3日間)、街はストライキでほとんどの店が閉まっており、唯一開いていた外国人向けのカフェに入店したところ、偶然メスナー氏に会った。
ここなら安心して何か食べられると思っていたら、
数十人の外国人の中で見覚えがあり、
そして体に激震が走るようなオーラを感じました。
オーラというよりは霊的な感じです。

その人は憧れ続けた人、ラインホルト・メスナー。
隊員に言うと「太っているから違うんじゃない?」とか
「たしかに似ている」と言うが誰も信じてくれません。
でも僕はメスナーだと確信し、
一人興奮状態で体中の貧乏揺すりが止まらない。

(中略)

あの巨大で「山」という次元を越えた威圧感と極限の世界。
体験した僕がだからわかるが、本当に「生きてこそ」の世界でした。
そこを唯一成功した人が目の前にいる。
僕の鼓動は唸り続け、脇の下から見たこともない大量の液体が出続ける。

僕は必死にマナスルのスキー滑降やアンナプルナの話をしました。
メスナーはアンナプルナのことを僕に詳しく聞こうとしていました。
「いつ?」「雪の状態は?」「ルートは?」鋭い質問が出てきます。

メスナーは「単独・無酸素」よりもスキー滑降に興味があるようでした。
やはり新しい時代を切り拓いて来た者は、
過去のことより今を見つめていました。

僕は最後に
「エベレストの北面の最終キャンプはどこだったのですか?」
と聞いてみたかった。
でも聞く事はできないし、メスナーも答えないでしょう。
なぜなら冒険は「自分で体験し答えを見つける世界」だから。

最後にメスナーは「年はいくつだ?」と聞き、
そして若いなという表情をしながら
「生きて帰ってきないさい」と言いました。

一つの時代を作った男に出会い、
伝説の男と少しの時間会話ができたことが本当に幸せでした。
(門谷君の通訳で・・・)

アンナプルナのスキー滑降と中継。
重さを考えどちらかにしなければと考えていたが、両方やってみよう。
やるだけやり、ダメなら下がる。それが冒険だ。
メスナーに聞いてもいないのにホテル名と場所を教えれたんですけどメスナーはゲイなんでしょうか。
最終更新:2013年02月03日 12:57
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