概要
クロー平野に位置し、かつてはサロン・ド・クロー とも呼ばれていた。
古来、オリーブオイルやマルセイユ石鹸の産地として知られている。現在は空軍士官学校の所在地でもある。
市の中心部近くにアンペリ城がそびえる。
かつては
アルル 大司教の私邸だったが、現在は博物館に改装されている。
ノストラダムス関連
ノストラダムスは1547年にこの町の
アンヌ・ポンサルド と結婚したのを機に、サロンに移り住んだ。
彼は
暦書 などにラテン語で署名するときには、しばしばこの町を「プロヴァンスのサロン・ペトラ」と呼んだ。当時の呼称サロン・ド・クローのクローは「石の堆積地」を意味するケルト語に由来しており、ラテン語で「石」を意味するペトラに通じるためらしい。
ノストラダムスはここで6人の子をもうけ、1566年7月2日に亡くなった。
彼が晩年を過ごした家は、現在は市営の「ノストラダムス記念館」(Maison de Nostradamus)となっている。
この記念館のある通りは「ノストラダムス通り」(rue Nostradamus)と名づけられており、近隣には「
詩百篇集 広場」(place des Centuries)やノストラダムス・センター(Centre Nostradamus)もある。
オルロージュ門方面に行けば、ノストラダムスの巨大な壁画を見ることもできる。
【画像】サロンの壁画
町外れにはサン=ローラン教会があり、その聖母礼拝堂の壁にノストラダムスの遺骨は納められている。
立ったままで埋葬されていたという俗説もあるが、
シャルル・レノー=プランス によれば、実際には骨壷におさめられているようである。
アンペリ城は、かつてサロンに立ち寄った国王シャルル9世と母后カトリーヌ・ド・メディシスが逗留した場所であり、ノストラダムスもそこで謁見を果たしている。
ノストラダムスの生誕500周年にあたる2003年には、アンペリ城で記念の展覧会「危機の時代のための予言」が開催された。
そのときの公式ガイドブックには、サロン市長が祝辞を寄せている。
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最終更新:2021年09月20日 14:06