予兆詩第145番(旧134番) 1567年4月について
原文
Par grandes maladies religion fachée,
Par les enfans &
legats d'ambassade
1.
Don donné à indigne
2, nouvelle loy lachée.
Biens de vieux peres, Roy en bonne
contrade.
異文
(1) d'ambassade conj.(BC) : d'Ambassade T.Eds.
(2) indigne : indign. 1650Le 1668
日本語訳
大病により、宗教は疲弊させられる、
幼子たちや大使館の使節たちにとっても。
贈り物は相応しくない者に与えられ、新たな法は放棄される。
年老いた父たちの財産。王は良き地方に。
訳について
信奉者側の見解
ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、前半を1569年8月に当てはめ、ポワチエ攻囲の際にプロテスタントたちの間で病気が流行ったこととし、それが幼子たちや交渉役たちにも被害をもたらすこととした。3行目は1568年とし、その年に成立した和平をプロテスタントが気に留めないこととした(1568年3月に第二次ユグノー戦争は終結したが、同年8月に第三次が勃発した)。4行目の後半は、王が健やかだったことを指すという。
同時代的な視点
「大使館」(ambassade)という語は、予兆詩集では2度しか登場していない。あと1回はノストラダムス自身の死を予言したとされてきた
1567年11月向けだけである。
「贈り物」(don)という語も予兆詩集ではわずか3回しか使われていない。あと2回は
1567年7月向けと
1567年11月向けだけである。
1567年11月向けは改竄されている可能性も指摘されているので、単純な比較はできないが、何か共通のモチーフが含まれているのかもしれない。
その一方で、
エドガー・レオニのようにここで出ている「大使館」を、ノストラダムス自身の行動にひきつけて理解してよいかには疑問もある。
最終更新:2010年09月05日 13:33