生涯
プロヴァンス州サン=レミで、1518年の6月4日から7月10日の間に洗礼を受けた。日付が曖昧なのは、現存している史料が不完全な形でしか残っていないためだという。名付け親が、代父ベルトラン・ユゴラン(Bertrand Hugolin)、代母ジョルダーヌ・ド・ラ・メール(Jordane de la Mer)ということは分かっている。
1556年には、サン=レミにおいて「ブルジョワにして商人」と記録されている。この時期には、サン=レミの法廷の書記(greffe)とも記録されている。
1559年から1561年の間には、アニェス・ペレ(Agnès Pellet)という未成年女性の法定代理人を務めていたらしいが、どういうつながりだったのかはよく分からない。
宗教戦争が始まると、プロヴァンス総督のタンド伯クロード・ド・サヴォワに仕え、1568年以降、その「従者・平貴族」(escuyer)、「射手」(archer)、「騎兵」(gendarme)などと記録されている。 Capitaine (隊長ないし大尉)を冠して記録されることもあった。かなりの財を成し、1573年から1574年にはサン=レミの第一執政官にも選出された。
ベルトランの没年は分からない。最後の記録は1602年4月10日付のもので、そのときにはおよそ84歳となっていたため、おそらく遠からぬ時期に歿したのだろう。
最終更新:2011年05月05日 19:23