百詩篇第7巻42番bis

1649年に出版された偽1568年版に収録された百詩篇第7巻42番

原文

Quant1 Innocent tiendra le lieu de Pierre,
Le Nirazam2 Cicilien3 (se verra
En grands honneurs)4 mais apres il cherra,
Dans le bourbier d'vne ciuille5 guerre.

異文

(1) Quant : Quand 1672
(2) Nirazam : Nizaram 1672
(3) Cicilien : Sicilian 1672
(4) (se...honneurs) : se...honneurs 1672
(5) ciuille : Civile 1672

(注意)原文の底本は1649Xaで、1672との比較しか行っていない。他の主だった版には登場しないためである。

日本語訳

インノケンティウスがペテロの座についている時
シチリア人のニラザンは(自覚するだろう、
大いなる栄誉のうちにあると。)しかし後に没落するだろう、
内戦の泥沼のなかで。

訳について

 大乗訳2、3行目「シシリーのニザラムは自分を見 / 名誉をもつが のちに没落する」*1は誤訳ではないが、2行目から3行目の繋がりを考えると少々不適切ではないか。

解説

 詩の内容は明瞭である。シチリア人のニラザン(Nirazam)もしくはニザラン(Nizaram)は、両シチリア王国出身のマザラン(Mazarin)を指しており、当時ローマ教皇位(ペテロの座)にあったのはインノケンティウス10世(在位1644年-1655年)だった。「内戦」が指すものはフロンドの乱(1648年-1653年)にほかならず、この詩はそこにおいてマザランが失脚すると予言している。
 テオフィル・ド・ガランシエールアンドレ・ラモン*2ヘンリー・C・ロバーツのように、実際にこの詩とフロンドの乱を結び付けた者もいるが、後半2行は史実に反している。確かにマザランは一度国外に逃れたが、最終的には反乱側の切り崩しに成功し、鎮圧したからだ。

 この詩の初出は1649年頃に出された偽1568年版で、その時期にマザランの失脚を願って偽作された詩篇と見なされている。この偽作はかなり見え透いたものであり、1656年に出された注釈書において、早くも偽作と指摘された*3

  このため、ガランシエールやロバーツのように本物と見なして解釈する論者は例外的な存在である。にもかかわらず、ガランシエールはこんなことを言っていた。

 「この予言以上に平易で正しいものがあるはずがない。それを否定する人は、太陽の光だって否定してしまうのだろう。(略)にもかかわらず、私が40年前にこれを読んだときには、馬鹿げたものと受け止めていた*4

 ジェームズ・ランディ(未作成)が指摘したように、この詩を40年前(1632年)に読んだことはありえず、少なからず誇張が含まれている*5


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百詩篇 第7巻
最終更新:2010年04月02日 19:15

*1 大乗 [1975] p.212

*2 André Lamont, Nostradamus sees all, 2 ed., 1943, pp.89-90

*3 Chomarat [1989] p.63

*4 Garencières [1672] p.294

*5 ランディ [1999] p.198