原文
Quant1 Innocent tiendra le lieu de Pierre,
Le Nirazam2 Cicilien3 (se verra
En grands honneurs)4 mais apres il cherra,
Dans le bourbier d'vne ciuille5 guerre.
異文
(1) Quant : Quand 1672
(2) Nirazam : Nizaram 1672
(3) Cicilien : Sicilian 1672
(4) (se...honneurs) : se...honneurs 1672
(5) ciuille : Civile 1672
(注意)原文の底本は1649Xaで、1672との比較しか行っていない。他の主だった版には登場しないためである。
日本語訳
インノケンティウスがペテロの座についている時
シチリア人のニラザンは(自覚するだろう、
大いなる栄誉のうちにあると。)しかし後に没落するだろう、
内戦の泥沼のなかで。
訳について
大乗訳2、3行目「シシリーのニザラムは自分を見 / 名誉をもつが のちに没落する」は誤訳ではないが、2行目から3行目の繋がりを考えると少々不適切ではないか。
解説
詩の内容は明瞭である。シチリア人のニラザン(Nirazam)もしくはニザラン(Nizaram)は、両シチリア王国出身のマザラン(Mazarin)を指しており、当時ローマ教皇位(ペテロの座)にあったのはインノケンティウス10世(在位1644年-1655年)だった。「内戦」が指すものはフロンドの乱(1648年-1653年)にほかならず、この詩はそこにおいてマザランが失脚すると予言している。
テオフィル・ド・ガランシエール、
アンドレ・ラモン、
ヘンリー・C・ロバーツのように、実際にこの詩とフロンドの乱を結び付けた者もいるが、後半2行は史実に反している。確かにマザランは一度国外に逃れたが、最終的には反乱側の切り崩しに成功し、鎮圧したからだ。
このため、ガランシエールやロバーツのように本物と見なして解釈する論者は例外的な存在である。にもかかわらず、ガランシエールはこんなことを言っていた。
「この予言以上に平易で正しいものがあるはずがない。それを否定する人は、太陽の光だって否定してしまうのだろう。(略)にもかかわらず、私が40年前にこれを読んだときには、馬鹿げたものと受け止めていた」。
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2010年04月02日 19:15